もっとレーニンの考えを知りたい人たちのために

☆レーニンの著作の抜粋(その6)

C・各論(その2)〈9民主主義と社会主義、10統一戦線とプロレタリアートのヘゲモニー、11民主主義派と自由主義派、12ブルジョアジーのふりまく幻想と資本主義の原動力

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C・各論(その2)

9、〈民主主義と社会主義〉
10、〈統一戦線とプロレタリアートのヘゲモニー〉
11、〈民主主義派と自由主義派〉
12、〈ブルジョアジーのふりまく幻想と資本主義の原動力〉

☆レーニン全集のなかから、みなさんにお読みいただきたいと思う文章と私が興味をもった文章を、上記のテーマにまとめ、年代順に抜粋しました。 各タイトルのPDFファイルをクリックして、お読み下さい。

9 民主主義と社会主義

9-1 重要!!

なぜ社会民主主義者となのるのか

第9巻「小ブルジョア社会主義とプロレタリア社会主義」 P470~4711905年11月7日(10月25日)

☆自覚した労働者は、社会主義的闘争のために民主主義的闘争をわすれたり、あるいは民主主義的闘争のために社会主義的闘争をわすれたりしてよいであろうか? いや、自覚した労働者は、この二つの闘争の関係を理解したからこそ、みずから社会民主主義者と名のっているのである。 階級闘争をはなれては、社会主義は空虚な文句かおめでたい夢想かのどちらかである。

 われわれは、二つの異なる社会勢力のおこなう二つの異なる闘争を見ている。プロレタリアートは、資本主義的生産関係が存在するところではどこででも、ブルジョアジーに反対してたたかっている。小土地所有者、すなわち小ブルジョアの層としての農民は、農奴制のあらゆる残存物に反対し、官吏と地主に反対してたたかっている。

 これらの二つの異なる、別種の社会戦争があることを見ずにいられるのは、経済学と全世界の革命史とをまったく知らない人々だけである。

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9-2 重要!!

「平等の思想」についてⅠ

第12巻『ロシア革命の強さと弱さ』P358~360、第13巻『1905~1907年のロシア革命における社会民主党の農業綱領』P232~233、1907年4月~12月に執筆

☆平等は、自由な資本主義と商品生産との諸条件をもっとも完全に実現することを、思想的に表現するだけではない。物質的にも、経済関係の分野でも、資本主義のもっとも広範で、完全で、自由な、そして急速な発展の条件である。

 ナロードニキが、平等は資本主義的生産を基礎としてたもつことができるとか、この平等は社会主義への発展の要素となることができるとか夢想しているかぎりでは、彼らの見解は誤っているし、彼らの社会主義は反動的であり、夢想である。

  この「平等の思想そのもの」「ありとあらゆる均分計画」は「社会主義革命の任務ではなくてブルジョア革命の任務である。

  ※資本主義の基で平等化しても社会主義にはならず、すぐ不平等が生まれる。

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9-3 重要!!

社会主義革命と民主主義のための闘争Ⅰ

第22巻『社会主義革命と民族自決権』P166~168、1916年1~2月に執筆  

☆民主主義のための闘争は、プロレタリアートを社会主義革命からそらせるか、あるいは、それをさえぎり、あいまいにする恐れがあるなどと考えるのは、根本的な誤りである。反対に、勝利をえた社会主義が完全な民主主義を実現しないということがありえないのと同様に、民主主義のための全面的な、一貫した革命的闘争を行わないようなプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利の準備を整えることができない。

  しかし、政治的民主主義のあらゆる根本的要求が、帝国主義のもとで「実現可能」であるのは、不完全な、かたわにされた形でにすぎず、またまれな例外としてにすぎない。革命的な社会民主主義者が提出しているあらゆる要求は、資本主義のもとでは、一連の革命なしにはやはり「実現不可能」である。

 だから、社会民主党は、すべてこれらの要求を改良主義的でなしに革命的に定式化して提起することが必要である。

  なお、レーニンは情勢の捉え方として、最後の段落で述べているように、「反動」について、「闘争を放棄する」のではなく、「大衆行動」を起こす「動」のための「強力に利用する条件」とみて、常に、革命的に問題を提起している。

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9-3 社会主義革命と民主主義のための闘争Ⅰ.pdf
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9-4 重要!!

社会主義革命と民主主義のための闘争Ⅱ

第23巻『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』P16~20、1916年8月~9月に執筆

☆一般に資本主義、とくこ帝国主義は、民主主義を幻想に変える──だが同時に資本主義は、大衆のなかに民主主義的志向を生みだし、民主主義的制度をつくりだし、民主主義を否定する帝国主義と、民主主義をめざす大衆との敵対を激化させる。資本主義と帝国主義を打倒することは、どのような、どんなに「理想的な」民主主義的改造をもってしても不可能であって、経済的変革によってのみ可能である。銀行をにぎらないでは、生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない。しかし、民主主義のための闘争で訓練されないプロレタリアートは、経済的変革を遂行する能力をもたない。ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには、全勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、……是非、PDFファイルを読んで、未来社会のあり方を熟考して下さい。

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9-5 重要!!

社会主義の多様な形態 

 第23巻『マルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』P70~72、1916年8月~10月執筆

☆だいたい同質であるにもかかわらず、なおさら同一ではないというような多様性は、人類がこんにちの帝国主義からあすの社会主義革命へすすんでいく道の上にも現れるであろう。すべての国民は社会主義へ行きつくであろう。それは避けられない。しかし、すべての国民がまったく同一のやり方で行きつくとはかぎらない。それぞれの国民は、民主主義のあれこれの形態に、またプロレタリアートの独裁のあれこれの変種に、また社会生活のいろいろの側面の社会主義的改造のあれこれの速度に、独特なものをもたらすであろう。「史的唯物論の名のもとに」、この点て未来を灰色がかった一色でえがきだすほど、理論的に貧弱で、実践的にこっけいなことはない。

  だから、民主主義の形態の多様性と社会主義への移行の形態の多様性とにささやかな寄与をするためには、被抑圧民族のどれだけのものが分離する必要があるかを、われわれは実際のところ知らないし、また知ることもできないが、すべての被抑圧民族の分離の自由を承認せず、またそれを宣伝しないものを、われわれがもういまから自分たちの社会民主党に寄せつけないように労働者に勧告しなければならない。こうすることによって、私達は排外主義を理論的にも実践的にも克服することができる。

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9-6 重要!!

社会主義に不可欠な民主主義

 第23巻『マルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』P76~77、1916年8月~10月執筆

☆社会主義は、つぎの二つの意味で、民主主義がなければ不可能である。(一)プロレタリアートは、民主主義のための闘争によって社会主義革命の準備をしていなければ、この革命を遂行することができない。(二)勝利をしめた社会主義は、民主主義か完全に実現しなければ、自分の勝利を維持し、人類を国家の死滅へ導くことができない。だから、自決は社会主義のもとではよけいなものだと言うのは、社会主義のもとでは民主主義はよけいなものだと言うのと同様なナンセンスであり、しまつにおえない混乱である。

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9-7 重要!!

出版の自由についての決議案

第26巻『出版の自由についての決議案』P288~289、1917年11月4(17)日に執筆

☆労働者・農民の政府は、資本の圧迫のもとから定期刊行物を解放し、製紙工場と印刷所を国家の所有にうつし、一定の数(たとえば、一万人)に達した、それぞれの市民グループに、用紙ストックの適当な部分と印刷労働の適当な量とを利用する平等な権利をあたえることを、出版の自由と解している。

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9-8 重要!!

①社会主義の任務は、すべての生産手段を全人民の所有に移すこと

②社会主義社会は単一の大きな協同組合
第42巻『人民委員会議の会議での発言』P46~47及び 第28巻『モスクワ党活動家会議』P234 、1918年3月4日及び1918年11月27日

☆「協同組合機構は、資本家の私的なイニシァティヴではなく勤労者自身の大衆的参加に期待した物資供給機構である。カウツキーが、背教者になるずっとまえに、社会主義社会は単一の大きな協同組合であると言ったのは、正しかった。」

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10 統一戦線とプロレタリアートのヘゲモニー

10-1

統合=共闘の原則

第五巻『ゼムストヴォの迫害者たちと自由主義のハンニバルたち』P67

☆短い文章なので、直接PDFファイルを読んで下さい。

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10-2 重要!!

ブルジョアジーが尻ごみしないように……

第九巻 「民主主義革命における社会民主党の二つの戦術」P92~93、1905年6-7月に執筆

ブルジョアジーは、その狭い利己的な利益が満足されるやいなや、首尾一貫した民主主義から「尻ごみする」やいなやかならず、その大部分は反革命のがわに、専制のがわに寝がえって、革命に反対し、人民に反対する。  ブルジョアジーが尻ごみしないように考慮をはらえという、愚劣な、プロレタリアートに値いしない助言などは、侮蔑の念をもって拒否しなければならない。

  民主主義革命で利益を得る諸層のなかには、大量の半プロレタリア分子とならんで小ブルジョア分子がふくまれている。小ブルジョアジーの夢みる未来とプロレタリアートの夢みる未来とは違う。このことがプロレタリアートを厳密に階級的な党に結束しなければならない理由である。

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10-3 重要!!

プロレタリアートのヘゲモニーについて

第17巻『わが解散論者たち』P68~68、1911年1月および2月

小ブルジョアジーが私たちの目標に共感を示さないからと言って、「それを言うのはまだ早い」などと言うのはマルクス主義者ではない。 あらゆる特権に反対するあらゆる小ブルジョアジーのあらゆる闘争は、つねに、小ブルジョア的な限界性と中途半端との痕跡をおびている。資本主義がつづくかぎり、これらの特権とこの抑圧の源を説明し、それらの階級的根源をあきらかにし、それらにたいする闘争の範例をしめし、自由主義的な闘争方法の欺瞞性をあばきだす、等々するのが「主導者(ヘゲモーン)」の任務である。

  もっとも、マルクス主義者ではない人たちにとっては「プロレタリアートのヘゲモニー」などという恐ろしい言葉は、反共攻撃の格好の材料となるので、見ないように目をふさぎ、聞かないように耳をふさぎ、しゃべらないように口をふさぐしかないのであるが。

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10-4 重要!!

「統一」と「要求実現」の考え方

第18巻『われわれと自由主義者との論戦の性格と意義について』P126~128、1912年6月10日

自由主義者の見解にたいして、われわれは彼らの反民主主義、反革命性を非難している。しかもわれわれが自由主義者にたいするこのような非難を表現するばあい、われわれはそのこと自体によって、いっそうはげしくすべての右翼を非難しているのである。

 しかし、自由主義者との意見の相違があるからといって、右翼に反対する自由主義者との統一を拒否しているだろうか? われわれは右翼に対抗する自由主義者との協定がゆるされるべきてあると繰りかえしているのである。右翼と自由主義者との相違を利用しないのは、まったく拙劣な労働者政治運動というべきである。是非、全文をPDFファイルでお読み下さい。

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10-5 重要!!

ロシアの革命的社会民主主義者の妥協

第31巻『共産主義内の「左翼主義」小児病』P56~62、1920年4月~5月に執筆

「……1905年以後、ボリシェヴィキは自由主義的ブルジョアジーに反対して労働者階級と農民の同盟を系統的にまもると同時に、ツァーリズムに反対してブルジョアジーを支持すること(たとえば選挙の第二段階で、または決選投票のときに)をこばまなかったし、ブルジョア的・革命的農民党、すなわち「社会革命党」にたいするまったく仮借するところのない思想上および政治上のたたかいをやめず、この党員がいつわって社会主義者と自称する小ブルジョア的な民主主義者であることを暴露した。1907年に、ボリシェヴィキは国会の選挙にあたって短期間、「社会革命党」と正式の政治的ブロックをむすんだ。1903―1912年にはわれわれはメンシェヴィキと数年間、単一の社会民主党に正式にはいっていたが、プロレタリアートにたいするブルジョア的影響の伝達者であり、日和見主義者である彼らと、思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかった。……すべてこういうわけで、プロレタリアートの前衛としては、プロレタリアートの自覚した部分としては、すなわち共産党としては、迂回することが必要になり、プロレタリアのいろいろなグループ、労働者や小経営主のいろいろな党と協調し、妥協することが必要となり、それも無条件に必要となり、絶対に必要となるのである。すべての問題はプロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力の一般水準を引下げず、たかめるために、この戦術を適用するすべを知ることである。……」全文を、是非、PDFファイルでお読み下さい。

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10-6

統一戦線戦術の意義

第33巻『われわれは払いすぎた』(電話による口述)P344、1922年4月9日

☆この抜萃は「4-36 閉ざされた会場にはいりこむ」と同文です。

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11 民主主義派と自由主義派

11-1

他党(「人民の権利」党=のちのエス・エル)に対する評価

第一巻『「人民の友」とはなにか』P347~348

他党(非マルクス主義政党)を評価し、対応する場合、彼らは非マルクス主義政党であるがゆえに現実を見ない空想性(たとえば、社民党は労働者の生活向上のために民主党と協力することによってその実現を図ろうとしている。)を持っていること、その空想性を事実に基づいて暴露(民主党は資本主義を推進する党であり、資本主義を擁護する党であるが故に、絶対に、労働者の生活を抜本的に改善することは出来ない。そのことを事実に基づいて宣伝する。)することによって現実をリアルに認識させることが必要である。

 同時に、マルクス主義者は「労働運動は、労働者階級の利益を完全、かつ全面的につらぬくことを基盤にしてはじめて、資本の召使どもにたいする政治闘争と不可分に融合した資本にたいする経済闘争を基礎にしてはじめて、強力となりうる 」ということを彼らに実践的に、事実を持って、示す必要がある。

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11-2

小ブルジョアの特質

①小ブルジョアの戦い方②小ブルジョアの限界③町人=「小ブルジョア」の経済学的意味ほか

第一巻『ナロードニキ主義の経済学的内容』P367、P406、P426、P531及び第二巻『経済学的ロマン主義の特徴づけによせて』P148、1897年3月執筆

☆それぞれが短い文章なので、直接PDFファイルを読んで下さい。

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11-3 重要!!

民主主義派についての特長づけ

第一巻『ナロードニキ主義の経済学的内容』P482~483

この文章は、「民主主義派」の特徴について述べたものであるが、「各個の階級の状態と利害とを正確に研究しようと」しないものは、敗北しても反省せず、「この敗北からも潔白な身でぬけ」だし、「事情が自分につごうよく熟してくるべきだ、というあらたに得た確信をもって」事に当たる。根本を見ない精神論と楽観論が支配するという特徴は、日和見主義者にもあてはまる。

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11-4

ブルジョア啓蒙思想家の評価

第二巻『どういう遺産をわれわれは拒否するか』P501~504、97年末に流刑地で執筆

新しい社会=経済関係とその諸矛盾とが、まだ萌芽的な状態にあった時代の啓蒙思想家たちはブルジョアジーの思想的代表者であったが、彼らは、どんな利己心もなく、まったく心から全般的幸福を信じ、心からそれをねがっていた。私たちがこれらのブルジョア啓蒙思想家を評価するのは、彼らが「進歩的な社会諸階級の利害を、現在の道、すなわち資本主義的な道にそっての社会発展全体の緊切な利害を表現してい」たからである。

 私たちの政策は、資本主義を後ろへ引き戻すのではなく、おしすすめて社会主義を準備することである。そして、その過程で労働者階級の隊列を整えることである。

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11-5

小生産者(小ブルジョアジー)と資本家の共通性

第三巻『工業における資本主義の最初の段階』P342~344

小商品生産者たちは、個人的な、また集団的な、ありとあらゆる努力をはらって、競争を阻止し、競争者を自分たちの領分に「はいらせない」ようにし、自分たちの地位を強化しようとつとめる。 大工場主は、階級的利益をまもるためには保護関税制度、奨励金、特権などを渇望しているが、小ブルジョアも、こせこせした手段によってその階級的利益をまもろうとしている。

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11-6 重要!!

小経営主に対する態度──農業問題を通じて

第四巻『わが党の綱領草案』P258~268、1899年の後半に執筆

Ⅰ闘いの進め方

 党は、小経営主の中にある革命的分子を見過ごしてはならないが、同時に、かれらを革命運動の担い手として、かれらの革命的気分を自分の運動の革命性の条件として見てはならない。そして、小経営主の多くは、開化でなく迷信を、その判断でなく偏見を、その未来でなく過去を、その近代のセヴァンヌ地方(進歩的な地方)でなく近代のヴァンデー地方(反動的な地方)を代表している。小経営主には、この二つの傾向があり、かれらが歴史を進歩させる道を進むかぎり、わたしたちはかれらを支持しなければならない。歴史を進歩させる道を進む者を支持しないなら、そのような社会民主主義派は、その名声と民主主義のための先進闘士とみなされる権利とを永久に失うことになる。     

Ⅱ政策の立て方、捉え方

  政策を立てるにあたって、私達は「われわれの提案した諸要求は、資本主義発展の全行程に照応しているであろうか?」ということを常に考慮していなければならない。

  要求の「実行可能性」とは、それらの要求が経済的・政治的諸条件の当面の組み合せに合致する(容易に実現できる要求)という意味に取るのではなく、それらの要求が社会発展の利益に一般的に合致するという意味に取らなければならない。そうしなければ、自分の要求を、その瞬間に、そして当面の諸条件のもとで可能なもの、という狭い枠に制限することになる。

 前資本主義的(非民主主義的)なものに対して、反動的な(資本主義発展の全行程に照応しない)ものに対してどう闘うかという観点から諸要求を見ることが必要である。現代日本でも、社会主義につながる、大企業の民主的規制と小経営の役割の変化をもたらすような政策と運動が必要なのであり、大企業を解体して中小企業を作ること、中小企業の古くからの経営形態を守ることが必要なのではない。

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11-7

経済闘争に対するブルジョア政治家と社会主義者

第四巻『「プロフェシオン・ドゥ・フォア〔信仰告白〕」について』P316、1899年末に執筆

☆短い文章なので、直接PDFファイルを読んで下さい。

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11-8 重要!!

プロレタリアートと小生産者との関係

第六巻『プレハーノフの第二次綱領草案にたいする意見』P34~40、1902年2月末~3月はじめに執筆

プロレタリアートの不満と小生産者の不満とを同一視していっしょにするのは、まったくまちがっている。小生産者の不満は、きわめてしばしば、小所有者としての自分の存在をまもろうとする、すなわち、こんにちの制度の基礎をまもり、この制度をあともどりさえさせようとする志向を生みだすのである。

  われわれは、積極的な形では小ブルジョアジーの保守性を指摘することができる(そして、指摘する義務がある)。そして彼らの革命性については、われわれはただ条件的な形でのみ、指摘しなければならない。このような定式化だけが、マルクスの学説の全精神に厳密に合致したものである。

  労働者階級の解放は、労働者階級の事業でしかありえない。なぜなら、その他のすべての階級〔と党〕は、生産手段の私的所有の〔資本主義の〕基盤に立っており、こんにちの社会の基礎を維持〔し強化〕することを共通の目標としているからである。※PDFファイルには上記の要約の続きがあります。是非、お読み下さい。

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11-9

民主主義派と自由主義派の違い

第18巻『カデットと民主主義派』P235~236及び『カデットと農業問題』P290~291、1912年7月26日及び1912年8月19日

自由主義者は、進歩と多少とも秩序だった法制度、法秩序と憲法の遵守、若干の政治的自由の保障を必要とするブルジョアジーの利益を代表している点て、保守派(黒百人組)とはちがっている。しかし、この進歩的ブルジョアジーは、反動よりも、民主主義派と大衆運動のほうをおそれている。ここからして、古いものに譲歩し、それと協定し、古い時代の多くの根本的な基柱を擁護しようとする自由主義者の永遠の志向が生まれる。すべてこれらは、自由主義派を完全に無力にし、臆病にし、中途半端にし、永久に動揺させるのである。

 民主主義派は、広範な住民大衆を代表している。民主主義者は大衆運動をおそれず、これを信頼している。

  労働者階級の党が、常に、このような政党の階級的分析を行い、それを広範な住民大衆に明らかにすることは、いつの時代でも、いつの選挙でも、絶対に必要なことである。

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12 ブルジョアジーのふりまく幻想と資本主義の原動力

12-1

①ブルジョアジーのふりまく幻想②マスコミについて

 第五巻『農業問題と「マルクス批判家」』P186及び『国内評論』P295、1901年6-9月及び1901年10月に執筆

「ブルジョアジーは、このように美化しようと努力し、労働者も「経営主」になれるし、小「経営主」も高い収益をえることができるという幻想を、維持しようと努力しないではいられないのである。社会主義者の大業は、このようないつわりを暴露し、小農にとってもプロレタリアートの革命運動に参加する以外には救いがないことを、小農に説明することである。」「②マスコミについて」も読んで下さい。

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12-2

物笑いの種にならずに

第36巻『カデットはなにをかかげて選挙にのぞむか?』P202~203、1912年9月15-20日(9月28-10月3日)のあいだに執筆

選挙綱領には、あらゆる悪弊と困窮の真の源と、こうしたものの真の「集中点」と、その打開の方法がなければならない。レーニンは、ツアリー専制のもとで、カデット党が立憲的改革の願望によって、民主主義勢力を欺いていることを批判している。

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12-3

ブルジョア国の選挙はみな、

第36巻『労働者の統一と選挙』P204~206、1912年9月末に執筆

☆ブルジョア国の選挙はみな、空文句の狂宴と無制限な空約束とを伴っている。社会民主党の基本原則は、言葉を信じることではなく、問題の本質を究明することである。

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12-4

あらゆるブルジョア改良主義的潮流のなかには二つの流れがある。

第36巻『アメリカにおける選挙のその後』P222~223、1912年11月26日(12月9日)以前に執筆

あらゆるブルジョア改良主義的潮流のなかには二つの流れがある。それは、改革の約束で大衆をだますブルジョアのボスどもや政治屋たちと、古いやり方では生活していけないと感じて、だれより多くのものを約束する山師たちにつき従う、だまされた大衆とである。

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12-5 重要!!

ブルジョア社会の「出版の自由」

第25巻『憲法制定議会の成功をどうやって保障するか』P404~405、1917年9月28(15)日

資本家は、検閲が廃止されて、すべての党がなんでもすきな新聞を自由に発行している状態のことを、「自由な出版」と呼んでいる。しかし、実際には、こういう状態は、出版の自由ではなくて、抑圧され搾取されている人民大衆を、金持、ブルジョアジーが欺く自由である。

  ブルジョア新聞が発行部数で圧倒的な優位を保っているその理由は、新聞の発行が、収入の多い巨大な資本主義企業であって、金持はこれに幾百万ルーブリ、幾十億ルーブリを投じているからである。

 ブルジョア社会の「出版の自由」とは、金持が、系統的に、たゆみなく、毎日、幾百万の部数で、搾取され、抑圧されている人民大衆すなわち貧民をだまし、堕落させ、愚弄する自由のことである。

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12-6

各人は自分のために…

第28巻『全ロシア中央執行委員会、モスクワ・ソヴェト、労働組合全ロシア大会の合同会議での演説』P425及び『すべてを食料調達活動と輸送活動に傾注せよ!』P475、1919.1.17及び1919年1月28日

旧資本主義社会のいとうべき準則、われわれがこの社会からうけついだ準則、われわれのだれもが多かれすくなかれ感染し、堕落させられている準則、「各人は自分のために、神だけが万人のために」という準則に新たな打撃をくわえるために、できるだけ広い大衆をくりかえし立ちあがらせよう。

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