AZ-2-4

『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏(その4)

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このページでは、不破さんの「『資本論』刊行150年に寄せて」の連載11、12、13及び14回で書かれている謬論の批判を掲載します。

 

第11回連載「マルクスの未来社会論(3)」での不破さんのマルクスの歪曲と不破さんが台無しにした「共産党綱領」の自慢話

 第11回連載の「マルクスの未来社会論(3)」で不破さんが語っていることは、①マルクスがパリ・コミューンの「壮挙を歴史の記録にのこすために、パリ・コミューンの事業の全面的な研究にとりかか」ったこと、②マルクスは、パリ・コミューンの偉業をたたえる『フランスにおける内乱』で「過渡期」にかかわる見通しを書いたが、その文章の意味が「長い間、理解されないで」きたこと、③ところが、不破さんが21世紀になって『フランスにおける内乱』の「草稿」から「奴隷制のかせ」という言葉の〝珍説〟を発見して「過渡期」の意味が理解できたこと、④この〝大発見〟にもとづいて2004年に綱領を改定したこと、の4点です。

 今回も、いつも通り、『資本論』刊行150年とは無縁な不破さんの〝珍説〟と〝大発見〟の自慢話が「『資本論』刊行150年」にかこつけて述べられています。

 順を追って見ていきたいと思いますが、不破さんのここに出てくる〝珍説〟と〝大発見〟の詳しい説明は、ホームページの4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」と4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を参照して下さい。

 

『フランスにおける内乱』は、パリ・コミューンの「壮挙を歴史の記録にのこすため」の著作ではない

 不破さんは、「パリ・コミューンとは何か」と問い、コミューンが短期間とはいえパリという世界有数の巨大都市をみごとに統治したことは「人民権力の持つ力」をいかんなく発揮した「壮挙」で、マルクスは、「この壮挙を歴史の記録にのこすため」に『フランスにおける内乱』を書いたと言います。そして、不破さんが書いてあることの本当の意味をつかんだと、自らの偉大さを誇ります。

 マルクス・エンゲルス・レーニンが、不破さんのこの「『資本論』刊行150年に寄せて」を読んだら、死んでも死にきれないと思うのではないか。

 マルクスは、ヴァイデマイヤーあての手紙(1852.3.5)で、マルクスが新しくやったこととして、①史的唯物論の発見、②階級闘争は必然的にプロレタリアートの独裁に導く、③この独裁は、いっさいの階級の廃止と無階級社会への通過点に過ぎない、ということの3点をあげています。

  そして、マルクスは『フランスにおける内乱』で、パリ市民がパリ・コミューンによって労働者階級の独裁の政治形態としてコミューン制度を発見したこと、このコミューン制度は共産主義社会をつくる槓杆となること、しかし共産主義的生産様式の社会をつくるためには長いたたかいが必要であることを述べています。

 まさに、パリ・コミューンによって、プロレタリアートの独裁のための政治形態としてコミューンが発見され、マルクスが1852年にヴァイデマイヤーあての手紙で述べた「マルクスが新しくやったこと」が現実に起きはじめたのです。だから、不破さんがふれた『フランスにおける内乱』の草稿でも、「政治的組織のコミューン形態を通じて巨大な進歩を一挙に獲得できること、そして、彼ら自身と人類のためにその運動を開始すべき時がきていることを、知っている。」と、その意義を明確に述べています。

 このように、マルクスはパリ・コミューンの歴史的意義として、コミューンが「労働の経済的解放」のための巨大な進歩、資本主義的生産関係からの解放を一挙に実現できること、そしてその時期がきていることを労働者が学んだことを述べていますが、パリ・コミューンは人民自身が作った自らを解放するために〝ついに発見〟された人民と権力が一体になった真に民主的な政治形態です。だからこそ、コミューンは、「諸階級の、したがってまた階級支配の存在を支えている経済的土台を根こそぎ取り除くための槓杆となる」ことができるのです。しかし、マルクスもエンゲルスも、コミューンによって権力を手にした労働者階級が一夜にしてすべてを解決することができるとは思っていなかったし、共産主義的生産様式の社会をつくるためには長いたたかいが必要であることも知っていました。

 マルクスとエンゲルスがパリ・コミューンから学び、それを踏まえてレーニンがパリ・コミューンから学んだことは、コミューンが、そして、ソヴェートが、革命の権力に転化できるということと、革命の中で労働者・国民が社会の主人公として主体的に生きる可能性とその重要性でした。だから、レーニンは封建的なロシアの、民主的な生活の乏しい社会の変革を武力によって成し遂げた十月革命の前から、一貫して民主主義の重要性を訴え続け、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」、資本主義に打ちかつことはできないことを訴え続けました(『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P16~20)。そして、革命後のソヴェトロシアの経済建設について、世界革命の急速な発展が望めない中で、「もっとも困難」な、「もっとも未完成」な事業である経済建設にレーニンたちは挑み、知恵を絞り、悪戦苦闘し、失敗や誤りを繰り返しながらも実践を通じて勇猛果敢に「新しい経済政策」を探求し、労働者階級の権力が支配(コントロール)する〝国家資本主義〟をソヴェト経済の主要な構成要素と位置づけ、米国からの企業誘致にも努力しました。(全集第33巻P41~44、1921年10月18日付け「プラウダ」第234号の「十月革命四周年によせて」ほか)

 レーニンは『フランスにおける内乱』からパリ・コミューンの歴史的意義をこのように理解しましたが、不破さんは「この壮挙を歴史の記録にのこすため」に『フランスにおける内乱』を書いた程度にしか理解せず、パリ・コミューンの歴史的意義には一切触れません。

 そして、もう一つ、マルクス・エンゲルス・レーニンが汲みとったパリ・コミューンの大切な歴史的教訓があります。それは、マルクスが1872年9月8日にアムステルダムの大衆集会でおこなった次の演説に示されています。

「市民諸君、インタナショナルのあの基本原理、すなわち連帯を、忘れないようにしよう。活力を与えるこの原理を万国のすべての労働者のあいだに、強固な基礎のうえで確立したときにのみ、われわれは、われわれがかかげた偉大な終局目標を達成できるであろう。革命は連帯しあったものでなければならない。このことは、パリ・コミューンの偉大な戒めが教えている。パリ・コミューンは、すべての中心地で、ベルリンで、マドリード等々で、パリのプロレタリアートのこの最も壮大な蜂起に匹敵する大きな革命的運動が起こらなかったために、倒れたのであった。」レキシコン⑤-[136]P255の下線部 (『マルクス・エンゲルス全集』18巻157-9ページ、マルクス『ハーグ大会についての演説』)

 私たちは、「『資本論』刊行150年」に当たって、マルクスが私たちに伝えたこれらのパリ・コミューンの教訓を忘れないようにしよう。

 

『フランスにおける内乱』の内容を「長い間」理解できなかったのは不破さんだけではないのか

 不破さんは、『フランスにおける内乱』の中の次の文章を持ち出して、「この文章の意味は、長い間、理解されないできました」と言います。

 「労働者階級は、社会のより高度な形態をつくりだすためには、長期の闘争を経験し、環境と人間をつくりかえる一連の歴史的過程を経験しなければならない」

 前のページ(『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏(その3))では、「自由の国」とは「自由な時間」のことで、〝余暇〟のことだという不破さんの「珍論」が100年あまり見落とされてきたと言って、これまでの世界の労働運動の担い手たちをぼんくら扱いにしましたが、不破さんほど自分中心に世の中を回している人はいないと思います。上記の文章の意味は、不破さんのように「自由の国」で「自由な時間」を謳歌して、「珍論」の「大発見」に没頭できる人でなくても、『空想から科学へ』や『資本論』や『ゴータ綱領批判』を読んだ人なら誰でもわかることで、古典と疎縁の党員でも1970年代までに入党したほとんどの人は十分「理解」していると思います。不破さんの嫌いな『国家と革命』を読んだだけでも、十分「理解」できます。

 ただし、不破さんは、上記の文章の意味を本当に理解できなかったのかも知れません。後でより詳しく触れますが、このページに出てくる「過渡期」についてもマルクスが『ゴータ綱領批判』で資本主義社会の「革命的な転化の時期」を「政治的な一過渡期」といっているのに飛びついて、「これが、マルクスが『過渡期』という言葉を使った最初の文章でした」と述べたり、不破さんの言う「過渡期」はその時々の不破さんの「意図」によって「臨機応変」に変化します。また、不破さんはここでは資本主義的所有の社会的所有への転化は短期間にできると言っています。しかし、、『前衛』の2015年5月号では、マルクスが不破さんに近づいたかのように見せようとして、マルクスが『フランスにおける内乱』の草稿で「資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用」(「ブルジョア的権利の狭い地平」のこと──青山注)が完全に踏みこえられた、「自由な結合的労働の社会経済の諸法則の自然発生的な作用」が支配する「共産主義社会」は「新しい諸条件が発展してくる長い過程を通じてのみ」実現すると述べたことを取り上げて、マルクスは『フランスにおける内乱』の草稿で「現在の『資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用』は、新しい諸条件が発展してくる長い過程を通じてのみ、『(諸個人が分業に奴隷的に従属することのない──青山加筆)自由な結合的労働の社会経済の諸法則の自然発生的な作用』によっておきかわりうること」を述べており、マルクスは『資本論』第一部では「資本主義から共同社会への経済的な移行は、比較的短い期間しか要しないだろう」という見通しをたてたが、「新しい共同社会の形成には」、「『長い過程』が必要になる」と『資本論』第一部での結論を訂正したと主張しています。待って下さい。『資本論』第一部でマルクスが述べたことは、資本主義的生産様式の社会への転化のための資本の本源的蓄積の時期と「資本主義的所有の社会的所有への転化」時期との比較の問題で、資本主義的生産様式の社会への転化のための資本の本源的蓄積の時期とくらべ、「資本主義的所有の社会的所有への転化」は比較的短い期間ですむだろうという見通しを述べたものであり、「新しい共同社会の形成」のための期間を述べたものではありません。不破さんは、「資本主義的所有の社会的所有への転化」を「新しい共同社会の形成」に勝手にすりかえて、マルクスは、「過渡期」は比較的短い期間しか要しないだろうという見通しを立てていたと歪曲し、その歪曲を前提にして、マルクスは『フランスにおける内乱』で「過渡期」は「長い過程」が必要になると訂正したというのです。ただただ呆れるばかりです。

 21世紀になって、『資本論』の「草稿の全体を読む仕事を始め」、第二部第一草稿で「マルクスの発見」のヒントを「発見」して「激しい理論的衝撃」を受け、「ここを理解して『資本論』を読むと、多くの点で、『資本論』の解釈がこれまでのそれとはまったく違って」きたという不破さんだから、「『資本論』の解釈」がコロコロ変わっても仕方がないし、2015年時点の『資本論』の解釈がこの程度なことを考慮すると、『フランスにおける内乱』の中の文章の意味が「長い間、理解」できなかったとしてもやむを得ないのかもしれません。しかし、不破さんの「『資本論』の解釈」がコロコロ変わる都度、「共産党」の綱領が変わってしまったのでは、党員はたまったものではあるまい。

 それでは、つぎに『フランスにおける内乱』の草稿に出てくる「奴隷制のかせ」という言葉の、不破さんの特異な解釈について、順を追って見ていきましょう。

*なお、「過渡期」に関する詳しい説明はホームページの4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」を、是非、参照して下さい。

 

マルクス・エンゲルスの「必然の国」から「自由の国」への跳躍の期間と不破さんの「過渡期」

 不破さんが「この文章の意味は、長い間、理解されないできました」と言う文章は、『空想から科学へ』や『資本論』や『ゴータ綱領批判』を読んだ人なら、誰でもわかることだと私は言いました。

 なぜなら、マルクスとエンゲルスは「1845年以来」、当然ながら、「過渡期」があることを言い続けており、それは「必然の国」から「自由の国」への跳躍の期間のことで、資本主義社会から国家のない社会、いわゆる「共産主義社会」までのことです。だから、「長期の闘争を経験し、環境と人間をつくりかえる一連の歴史的過程を経験しなければならない」のです。そして、「自由の国」とは、不破さんが創作した「自由な時間」などではありません。この「自由の国」への跳躍のために必要なのは「土台」の発展とそれを促進する「上部構造」であり、「土台」抜きの「上部構造」は、不破さんの頭の中の産物で、社会発展の推進力にはなりえません。このような認識を前提に、「自由の国」への跳躍のために何が必要か、最も真剣に考え実践したのがレーニンでした。不破さんよりはるか以前にレーニンは、「全人民の民主主義的管理を組織すること」、全勤労大衆の「国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせること」、「民主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展」のために、死力を尽くしていました。

 不破さんは、マルクスの『フランスにおける内乱』の第一草稿をもとに、想像をふくらませて、「自由な生産者の連合という、生産現場での人間関係の新しい体制をつくりあげてゆく。この時期を卒業して初めて、資本主義から社会主義への過渡期が終わったと言える、これが、この時、マルクスが到達した『過渡期』論の大事な内容があったのでした」(『前衛』2014年1月号)と言います。不破さんが『前衛』の2014年1月号で言った「過渡期」とは、「生産現場での人間関係の新しい体制をつくりあげてゆく時期」のことで、「資本主義から社会主義への過渡期」のことです。

 これが、マルクス・エンゲルスの「必然の国」から「自由の国」への跳躍の期間と不破さんの言う「過渡期」の違いです。

 

マルクスは『フランスにおける内乱』の第一草稿で何を言っているのか

 マルクス・エンゲルス・レーニンの悪口を言い、自分が一番偉いと自慢している不破さんも、マルクス・エンゲルス・レーニン抜きに、自立して生きて行けません。科学的社会主義の思想とは無縁の「思想」の持ち主の不破さんは、エンゲルスは徹頭徹尾攻撃しますが、マルクスとレーニンについては、最終的にやっと不破さんと同じ理論水準に達したかのような「評価」をして、自分が「科学的社会主義の思想」の最高峰の持ち主ででもあるかのに振る舞い、科学的社会主義の思想から「日本共産党」を遠ざけます。

 不破さんが、労働者階級が「社会と生産の主人公になる」──しかしそれは、『前衛』の2015年5月号によれば、「新しい人間関係を生産現場でつくりあげる」とは「〝指揮者はいるが支配者はいない〟といういわば自治的な関係」だそうで、「諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなった」社会(=「共産主義社会」=「発展した共産主義社会、共産主義社会のより高度の段階の社会」)とは異なります。これでは、資本主義社会の職場管理のリーダーシップ論と「指揮者はいるが支配者はいない」職場の管理論との間にいかほどの差があるのか不明である。なおここには、「自由の国」とは「余暇」のことであるという「自由の国=自由な時間=余暇」論は出て来ない。──には「環境と人間を変える」長期の歴史過程が必要だというあたりまえのことを〝大発見〟するために目を付けたのが『フランスにおける内乱』の草稿でした。

 21世紀になって、『資本論』第二部第一草稿で「マルクスの発見」のヒントを「発見」して「激しい理論的衝撃」を受け、パワーアップした不破さんが、『フランスにおける内乱』の草稿から「長い間、理解」できなかったマルクスの新しい「過渡期」論を「発見」し、マルクスなみの天才であることを示したのです。

 不破さんの『フランスにおける内乱』の草稿にみる洞察力と想像力を見てみましょう。

 まずはじめに、マルクスが『フランスにおける内乱』の第一草稿で何を言っているのか、不破さんが『前衛』の2015年5月号で草稿の文章を(1)から(5)に分けて掲載しているので、その区分に沿って、内容を要約して紹介します。

(1)コミューンの組織が全国に確立されると資本家(賃金奴隷の所有者)は反乱を起こすだろうが、それを鎮圧することによって、「労働の経済的解放」の運動は加速するだろう。

(2)資本主義社会を「共産主義社会」に置き換えるには時間がかかる。そのためにはまず、生産物をどのように分けるかだけでなく、資本主義的に社会化された生産を、奴隷制のかせ、つまり資本主義的生産関係から解放し、対等な人と人との関係をつくりださなければならない。

(3)この資本主義的生産関係を社会主義的生産関係に刷新する仕事、「共産主義社会」をつくる仕事は、既得の権益や階級的利己心の諸々の抵抗によって再三再四妨げられ、多くの困難にあうことを、パリの労働者階級は知っている。

(4)現在の資本主義社会で自然に見えているものが「共産主義社会」で自然に見えてるものにおきかわるためには、そう見えるようになるための様々な条件が成熟し整わなければならない。そのための長い過程が必要である。それは、奴隷制社会や農奴制社会が新しい社会に代わっていったときそうであったように。そのことをパリの労働者階級は知っている。

(5)このように、「共産主義社会」への道のりは長いが、労働者階級の政府であるコミューンをにぎった労働者は、コミューンが「労働の経済的解放」のための巨大な進歩、つまり、資本主義的生産関係からの解放を一挙に実現できること、そしてその時期がきていることを学んだ。

 この文章から、不破さんは、マルクスが(2)で「奴隷制のかせから」「救いだす」と言っていることの意味は「新しい人間関係を生産現場でつくりあげる仕事」だと言い、それが「過渡期」の仕事だとでもマルクスが(2)で言っいるかのように言うのです。

 (2)でマルクスは何を言い、「奴隷制のかせ」とは何のことなのか、ちょっと長くなりますが、(2)の原文を、『前衛』から転載します。なお、分かりやすいように若干補筆しました。

 (2)「労働者階級は、彼らが階級闘争のさまざまな局面を経過しなければならないことを知っている。労働の奴隷制の経済的諸条件(資本主義的生産様式のこと──青山注)を、自由な結合的な労働の諸条件(共産主義的生産様式のこと──青山注)におきかえることは、時間を要する漸進的な仕事でしかありえないこと(その経済的変換)、そのためには、分配の変更(資本主義的生産関係が生みだす資本主義的分配の変更──青山注)だけでなく、生産の(社会主義的な──青山加筆)新しい組織が必要であること、言い換えれば、現在の組織された労働という形での社会的諸形態(資本主義的生産関係のもとでの社会的労働のこと──青山注)(現在の工業によってつくりだされた)を、(資本主義の賃金──青山加筆)奴隷制のかせから、その現在の階級的性格から救いだす(解放する)ことが必要であり、(労働者階級の──青山加筆)国内的にも国際的にも調和のとれた対等関係をつくりだすことが必要であることを、彼らは知っている」。

 この文章を、私は先に、「資本主義社会を『共産主義社会』に置き換えるには時間がかかる。そのためにはまず、生産物をどのように分けるかだけでなく、資本主義的に社会化された生産を、奴隷制のかせ、つまり資本主義的生産関係から解放し、対等な人と人との関係をつくりださなければならない」と要約しました。

 文脈から見ても、「分配の変更」だけでなく「現在の組織された労働という形での社会的諸形態」を変え、「現在の階級的性格から救いだす(解放する)」とは資本主義的生産関係から解放することであり、「奴隷制のかせ」とは資本主義社会において労働者が賃金奴隷制に縛られて生存しなければならない状態(=労働の奴隷制の経済的諸条件に縛られいること)をあらわしていることはあきらかです。

  つまり、社会主義社会を作っていくためには、社会を社会主義的生産様式に変えるためには、資本主義的分配を社会主義的分配に変えるとともに労働を真の社会的労働に変えて──一人は万人のために、万人は一人のために──の労働の組織にしなければならないということをマルクスは言っているのです。

  そして、マルクスは『ゴータ綱領批判』でも、同様に、次のように述べています。

「いわゆる分配について大さわぎをしてそれに主たる力点をおくことは、なんといっても誤りであった。

 どんなばあいにも、消費諸手段の分配は生産諸条件の分配そのものの結果にすぎないのであって、生産様式そのもののひとつの特徴をなすのは生産諸条件の分配のほうである。たとえば資本主義的生産様式の基礎は、物象的な生産諸条件が資本所有と土地所有という形態で働かざる者たちに分配されている一方、大衆は人格的な生産条件つまり労働力の所有者でしかない、ということにある。生産の諸要素がこのように分配されているからこそ、消費手段の今日のような分配方式がおのずからうまれているのである。」(マルクス『ゴータ綱領批判』(ドイツ労働者党綱領評注)岩波文庫P39-40)と。

 ここでもマルクスは、「分配」だけではだめだ、「生産諸条件」を変えることがかんじんなんだということを言っています。(2)の文章は、そのことを言っているのです。そしてマルクスは、『ゴータ綱領批判』の中で、資本主義的生産様式のもとでの「賃労働制度とはひとつの奴隷制度」(P47)であることも述べています。

 これらを踏まえて考えれば、「奴隷制のかせ」とは資本主義社会において労働者が賃金奴隷制に縛られて生存しなければならない状態をあらわしていることは明白で、「奴隷制のかせ」からの解放が「新しい人間関係を生産現場でつくりあげる仕事」など意味していないことは明らかです。

 そして、上記の(1)~(5)を見れば分かるように、「新しい人間関係を生産現場でつくりあげる仕事」が「過渡期」の仕事ででもあるかのような内容など、この草稿のどこにも出てきません。

 それだけではありません、『前衛』の2015年5月号では、不破さんは、資本主義的生産関係から解放された「対等な人と人との関係をつくりだす」という「社会主義社会」での「人と人との関係」を、「生産現場での人間関係の新しい体制」と「生産現場」での問題にすりかえ、「自由な生産者の連合」という「共産主義社会」の「人と人との関係」と同一のもののように混同させて、この「生産現場での人間関係の新しい体制」をつくることが「資本主義から社会主義への過渡期」論で、「マルクスが到達した『過渡期』論の大事な内容」だなどと言います。このように、自ら生みだした「生産現場での人間関係の新しい体制をつくりあげてゆく」という「過渡期」論が「マルクスが到達した『過渡期』論」に格上げされ、神聖化されてしまいます。

 なお、先ほど、「〝指揮者はいるが支配者はいない〟といういわば自治的な関係」の社会は「共産主義社会」とは異なると申し上げましたが、不破さんは、「〝指揮者はいるが支配者はいない〟といういわば自治的な関係が完成したときには」、「社会全体が、次第に、強制的な権力を不要とする自治的な体制に移行してゆくでしょう」(『前衛』2015年5月号P129)といい「共産主義社会」だと言いはります。「指揮者」がいて、「分業」があって、そこで「義務的」に働く──〈その2〉の第10回連載関係を参照して下さい──社会を、不破さんは「共産主義社会」だと言いうのです。このことも、是非、頭に入れておいて下さい。

 第11回連載の「マルクスの未来社会論(3)」の主たる内容は、不破さんが、『フランスにおける内乱』の草稿から、労働者階級が「社会と生産の主人公になる」には「環境と人間を変える」長期の歴史過程が必要だという、あたりまえのことを、マルクスの「過渡期」についての新しい結論として〝発見〟したという自慢話ですが、その内実は上記のとおりでした。ですから、みなさんは、是非、不破さんの言っていることを信じるまえに、必ず原典にあたる習慣をつけるようにしてください。 

*なお、このページの詳しい内容はホームページ4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を参照して下さい。

 

不破さんの「生産者が主役という社会主義の原則」に欠けているもの

 不破さんが「発見」した、労働者階級が「社会と生産の主人公になる」には「環境と人間を変える」長期の歴史過程が必要だという、当たり前のこと、がめざしたのは、〝指揮者はいるが支配者はいない〟という、当たり前ではない、人間関係の社会でした。

 〝指揮者はいるが支配者はいない〟という職場の人間関係を理想とすることによって、労働者階級が「社会と生産の主人公になる」、「生産者が主役という社会主義の原則」から、国家の労働者階級による支配とそれを保障するために──レーニンがめざした──国家のあらゆる機関において「全人民の民主主義的管理を組織すること」──〝by the people〟の思想──が忘れ去られてしまいました。

 その結果、不破さんの作った、自慢の、2004年綱領は、「〝ニセ社会主義〟の典型」という旧ソ連について、「『国有化』や『集団化』の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と述べるだけで、その保証となる「全人民の民主主義的管理を組織すること」を欠いています。

 不破さんは、『前衛』2015年5月号でも、「スターリン式『社会主義』」について、生産組織が「指揮者はいるが支配者はいない」という見地から見ると、「スターリン体制下の経済体制が社会主義とは無縁のものであった」ことがいちだんと明確になると述べています。しかし、崩壊したソ連の最大の問題点とは何だったのでしょうか。それは、「生産手段の私的所有を廃止し」したが、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織すること」、「全勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、半プロレタリアをも、小農民をもひきいて、彼らの隊列、彼らの勢力、彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせること」、つまり、レーニンのいう民主主義を徹底する見地を欠き、ソ連を「社会主義的経済的有機体に組織すること」ができなかったからです。

 不破さんのように、「官僚制」を前提にして「官僚専制」と「生産現場」での「人間関係」の問題に話を矮小化させてはいけません。

 

不破さんの「革命論」、「未来社会論」によって「日本共産党」はどのように破壊されたか(その2)

 私は、前のページの「現在の『共産党』を評価するうえでの科学的社会主義の思想の〝未来社会論〟と不破さんの『未来社会論』」で、未来社会に関する科学的社会主義の思想と不破さんの「思想」との違いを下記のようにまとめました。

 ①不破さんは、最も大切な「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置く、②科学的社会主義の思想が「民主主義を徹底的に発展させること」を通じて未来社会に接近すると考えるのに対して、不破さんは、個人の労働時間の短縮による「自由の国」を未来社会としている、③科学的社会主義の思想は未来社会では「精神労働と肉体労働との対立」がなくなり、「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこと」となると考えるのに対して、不破さんは、労働を「社会の構成員にとって義務的な活動」と捉え「結合社会」の理想的な人間関係は「指揮者はいるが支配者はいない」という社会と考えている、④科学的社会主義の思想は国民一人ひとりが主体的に動く〝by the people〟の思想であが、不破さんは「指揮者はいるが支配者はいない」という請負の思想を理想とする、と。

 そして、これらの結果、不破さんが絶大な影響力をもつ現在の「共産党」は、資本主義的生産様式全般の国民に向けての直接の曝露の必要性の認識がきわめて希薄となり、綱領路線は歪められ、中華人民共和国という、〝民主主義〟が欠如し、社会主義的結合労働のない、利己的な競争心がますます増幅しているような現実がある、そういう国さえ、「社会主義をめざす国」などと平然と言うようになっていることを述べました。

  このパリ・コミューンについてのマルクスの文章から引き出した教訓についての不破さんの認識能力とマルクス・エンゲルス・レーニンとの認識能力の差が、今の日本「共産党」の「民主主義と多数者革命」についての薄っぺらなとらえ方と科学的社会主義の正しい運動のしかたとの差となって現れます。

 不破さんは、「『奴隷制のかせ』とは」、「〝指揮者はいるが支配者はいない〟──生産現場でこういう人間関係をつくりあげ」ることだという、独自の誤った解釈の見地、「この見地から、党綱領」に「『生産者が主役』という問題を社会主義の原則として強調」させました。不破さんの努力で「生産者」は「生産現場」の「主役」に抜擢されましたが、「『奴隷制のかせ』からの解放」を「資本主義的生産関係からの解放」と見ることができない不破さんによって、労働者階級は社会変革の主役の座から降ろされ、綱領から労働者階級の歴史的使命が消え去ってしまいました。不破さんは、このように共産党に絶大な影響力をもち、「指揮者」としての不破さんの個人的な能力の程度が今の日本共産党の運動に反映さ、委員長を降りた今も共産党を「支配」し続けています。

 「指揮者」が「支配者」として「共産党」を支配する「現指導部」の体制は、党員一人ひとりが主体的に行動する〝by the people〟の思想が封じ込まれた中で花ひらきます。それは、体制的、思想的につくられています。まず第一に「体制」について言えば、「現指導部」と異なる意見を党内に表明し意見を交流する場は、蛸壺のように閉鎖された、支部以外にはありません。そして、「指導部」の選出に党員の意見を反映させるシステムもまったくありません。次に「思想」について言えば、「日本をよくしようと思っている人は党員になる資格がある」として、「健全で「単純な」(!)常識の騎士たち」が党員になり、唯一の意見交流の場である支部では討論が成り立ちません。難しいことは分からない、意見があるなら上に言ってくれ、と。支部はこんな状態で、『前衛』等でも、或る人がレーニンの悪口を言うとその人以外レーニンに触れることはない。その結果、「現指導部」に科学的社会主義が道を譲る。

 日本共産党には、〝by the people〟の思想をとり戻し、党内民主主義が発揮されるような組織になるよう、古い衣を脱ぎ捨て、脱皮されることを願ってやまない。

*なお、なぜ特定の「幹部」の考えが「党」を支配するのかのより詳しい説明は、ホームページ3-2-2「民主主義を貫く党運営と闊達な議論の場の設定を」を参照して下さい。

 

 

第12回連載「マルクスの未来社会論(4)」で、不破さんは中国を「社会主義をめざす」国だと言う

「『社会主義をめざす』国をどう見るか」というタイトルで何を言いたかったのか?!

  不破さんは、連載第12回「マルクスの未来社会論(4)」で、「『社会主義をめざす国』の最前線にある中国」と中国の名前をあげ、中国を「社会主義をめざす国」のトップランナーと位置づけて、「それらの国々をどう位置づけるのか」として次の「三つの点を挙げ」ています。

 ①経済発展が「どの国も、発達した資本主義国の到達している状態にくらべれば、まだおくれている状態にあ」ること、②「ソ連型の体制を、政治・経済の両面でモデルとしてかなり大幅に取り入れた歴史をもって」おり、「現在なお多くの影を落としているように見受けられ」ること、③「対外政策の問題では、覇権的大国の歴史を持つ国では、とくに覇権主義の再現を警戒する必要があ」ること。

 そして最後に、「マルクスの目で『社会主義をめざす国々』の現状と前途を考えるとき、これらの点が大きな意味をもつのではないでしょうか。」と結んでいます。

 以上、見たとおり、この第12回連載のタイトルは「『社会主義をめざす』国をどう見るか」ですが、「どう見る」のか、何の分析もありません。

 ①の「経済発展」の問題についていえば、レーニンが進めようとした労働者階級の権力の基での〝新経済政策〟のような観点からの評価はなく、GDPの順位について「よく見ておく必要がある」と述べているだけです。②については、「現在なお多くの影を落としている」とは何を意味しているのか不明であるが、「模索あるいは探求の過程にある」との表現からすると肯定的な評価と見ているように思われる。③については、言語道断。「覇権主義の再現を警戒する必要があ」るなどというレベルの話ではない。そのような国は「社会主義をめざす国」などではありません。

 このような私の認識を踏まえて、不破さんが中国をなぜ「『社会主義をめざす国』の最前線にある」国と言うのかを見てみましょう。

 

不破さんが中国を「社会主義をめざす国」と言う理由

  不破さんが中国を「社会主義をめざす国」と言うのにはちゃんとした理由があります。 不破さんの「マルクスの目」とは、先ほど、未来社会に関する科学的社会主義の思想と不破さんの「思想」との違いを述べましたが、不破さんの独自「思想」のことで、科学的社会主義の思想(=マルクス・エンゲルス・レーニンの思想)とは大きく異なります。先に挙げた、未来社会に関する科学的社会主義の思想と不破さんの「思想」との違いは下記のとおりです。より詳しくは、ホームページ「不破さんの思い違い」の各ページを、是非、参照して下さい。

 ①不破さんは、最も大切な「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置く、②科学的社会主義の思想が「民主主義を徹底的に発展させること」を通じて未来社会に接近すると考えるのに対して、不破さんは、個人の労働時間の短縮による「自由の国」を未来社会としている、③科学的社会主義の思想は未来社会では「精神労働と肉体労働との対立」がなくなり、「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこと」となると考えるのに対して、不破さんは、労働を「社会の構成員にとって義務的な活動」と捉え「結合社会」の理想的な人間関係は「指揮者はいるが支配者はいない」という社会と考えている、④科学的社会主義の思想は国民一人ひとりが主体的に動く〝by the people〟の思想であが、不破さんは「指揮者はいるが支配者はいない」という請負の思想を理想とする。

 不破さんは、①のように、最も大切な「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置いてしまいます。だから、日本の変革についても、「資本主義的生産様式の変革」の課題と切っても切り離せない「産業の空洞化」など眼中になく、「賃金を上げれば経済は成長する」と言います。そして、②③④と関連して、「未来社会では発展の推進力が上部構造に移ってゆきます」という独自の観念論「歴史観」を持っています。これらが融合して、不破さんの判断が形成されます。

 中国(中華人民共和国)は、中国共産党という勢力が国家権力を握り、その国家が持つ資本を中心とする〝資本〟と〝国家〟とが結びついた「国家独占資本主義」の国です。そこには、科学的社会主義の思想の主役である人民はいません。「民主主義を徹底的に発展させること」を通じて社会を変え、自分を変え、「資本主義的生産様式」を社会主義的生産様式に変え、共産主義社会に近づいていくという思想がありません。社会の「上部構造」の頂点にいる習近平という「指揮者」の号令一下に動く「国家独占資本主義」の国です。社会主義のための物質的条件はほぼ整っていますが、「社会主義をめざす国」ではありません。「社会主義をめざす国」になるためには、科学的社会主義の思想を持った勢力が国家権力を握らなければなりません。

 れなのになぜ、不破さんは、中国を社会主義をめざす国というのでしょうか。それは、不破さんが、「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置き、「民主主義を徹底的に発展させること」を新しい社会をつくるために決定的に重要なこととは考えていないからです。不破さんは、「上部構造」の頂点にいる「指揮者」の「指揮者はいるが支配者はいない」という請負の思想によって「社会」は「発展」すると思っているのではないでしょうか。

  つまり、不破さんには、レーニンが『国家と革命』で言った、「民主主義を徹底的に発展させること、このような発展の諸形態を探しだすこと、これらの形態を実践によって点検すること」によって、国民一人ひとりが主体的に動き、そのことによって、新しい共同社会と新しい人を生みだしていくという〝by the people〟の思想が欠落していて、だから、〝民主主義〟が欠如し、利己的な競争心がますます増幅しているような現実がある、そういう国を「社会主義をめざす国」などと平然と言うことができるのではないでしょうか。

 なお、不破さんに〝by the people〟の思想が欠落していことが「共産党」の党運営や国民との接し方に重大な欠陥となって現れていることはこれまでのページで述べてきたとおりです。

 

 

第13回連載「革命家マルクスの決断(上)」でのマルクスと「自由の国」の不破さん

不破さんが述べていること

 連載第13回、「革命家マルクスの決断(上)」には、①『資本論』は、「生活のためほとんど毎日のようにいろいろなテーマでの新聞論説の執筆にかかり、たえず起きてくる運動上の課題もこなしながら」書かれたこと、②「『資本論』の仕事と運動上の任務と、どちらを選ぶか、その選択をせまられた時期が2回あ」ったことが述べられています。

 そして、『資本論』の仕事を中断させたことの一つがフォークトによる共産主義者同盟──1848年のドイツ革命の時代のマルクスを中心とする「党」で、フォークトが攻撃した1860年にはすでに解党している──の活動についての誹謗・中傷に対する反撃の仕事で、「〝党全体にたいする大打撃には、一大打撃をもって答えるべきだ〟(2月3日の手紙)とし」てたたかったことが述べられています。

私が感じたこと

 私が不破さんの、フォークトによる共産主義者同盟への攻撃に対するマルクスの「党」を擁護する文章を読んで、すぐ頭に浮かんだのは、1913年10月17日付けの『ザ・プラウドゥ』第12号に掲載されたレーニンの『拙劣な行為の拙劣な擁護』の中の、党はどこになければならないかを述べた次の文章でした。

 「善良なゴロソフはここで、党はどこにあるかという、もっとも興味ある、またもっとも重要な問題を提起して不愉快な目にあっている。そして、グリ・ゴロソフ自身に考える能力がないにしても、すべての労働者はこれについて考えてきたし、また考えている。

 党は、政治生活に参加している自覚したマルクス主義的労働者の大多数がいるところにある。

 …………

 第四国会選挙も、『プラウダ』の創刊と成長の歴史も、金属労働組合の指導部の選挙も、保険闘争も、六名の労働者議員に有利な労働者の諸決議も──すべてこれらは、党が六人組のがわにあり、彼らの方針のがわにあることを証明した。彼らのスローガンは、うけいれられ、労働運動のすべての分野で労働者の大衆行動によって点検されている。

 …………

 党は、もっとも重要な諸問題に完全な、系統的な、正確な答をあたえる党の決議のまわりに、労働者の大多数が結集したところにある。党は、これらの決議の統一性と、それを誠実に実行しようとする単一の意志とによって自覚した労働者の大多数が統合されている

ところにある。」(全集第19巻P473~474) 詳しくはホームページの「温故知新」→「レーニンの大切な考え方」→「B・党」の「4-21 党はどこにあるか」を参照して下さい。

 すでに解党してもマルクスが擁護した「党」とは、レーニンが言っているように「自覚したマルクス主義的労働者の大多数がいるところにある」、「ものごとを「一般論」ではなく、現実の矛盾を根底において(ラディカルに)つか」む(マルクス『ヘーゲル法哲学批判』)がゆえに、労働者階級のなかで必ず復活することのできる労働者階級の党であるからこそ、マルクスは「フォークト君」が許せなかったのでしょう。

 私がこのホームページを開き、不破さんたちを厳しく批判するのも、「党」とはそのようなものだと思い、そのような「党」の復活を心から願うからです。

 

不破さんもマルクスを語るならマルクスを見習うべきではないのか

 不破さんは、マルクスが「生活のためほとんど毎日のようにいろいろなテーマでの新聞論説の執筆にかかり、たえず起きてくる運動上の課題もこなしながら」『資本論』の執筆を行っていたことを紹介していますが、このようにマルクスを語る不破さんはマルクスから何を学んだのか、見てみましょう。

 不破さんは、日本の社会・経済が急速に崩れ落ちようとする前夜にいて、マルクスのように時代が突きつける課題と格闘するのではなく、『赤旗』や『前衛』でマルクス・エンゲルス・レーニンを誹謗・中傷して自分の書いた本の宣伝をしたり、『前衛』を長期にわたり占拠して趣味の「スターリン秘史」──なぜ「趣味」かと言うと、不破さんの言う「社会主義をめざす」国とスターリンによって作り替えられた国家と党の組織論との関係や現在の日本共産党の組織論との関係という現代的課題を扱うのではなく、前党委員長であることを忘れ、「多くの謎を解決し世界史の『常識』を書き換えた大作」の「研究」にふけっているからです──を連載したり、安保条約に基づいて通告すれば条約は破棄できる、これが伝家の宝刀だ、と沖縄の人たちの苦悩への理解をまったく欠いた沖縄那覇市内での講演(2016年3月16日)を行うなど、「自由の国」を自由に生きています。

 「社会の現状がわからないようなものには、この現状をくつがえそうとする運動や、この革命運動の文献上の表現は、なおさら理解できないはずだ、という私の意見」(アンネコフあてのマルクスの手紙 1846.12.28)といってしまえばそれまでだが、この方が「共産党」の委員長をしていた人だと思うと、あまりにも悲しい。

 たこ壺に閉じ込められた「民主集中制」の「党」は代々木の中央委員会の中にある、しかし、本当の〝党〟はマルクス・エンゲルス・レーニンの思想を受け継ぐ労働者階級の中に、必ずつくられる。その時、私のこのホームページが、大河の一滴にでもなれれば、そんな嬉しいことはない。

 

第14回連載「革命家マルクスの決断(下)」でのマルクスと不破さん

 前の「革命家マルクスの決断(上)」では、『フォークト君』執筆のために『資本論』の仕事を中断せざるを得なかったことが述べられていますが、今回の「革命家マルクスの決断(下)」では、「資本論=経済学批判」の「第2草案」──いわゆる「1861~1863年草稿」──を書き終えて『資本論』の第1部の「初稿」の執筆を終え、第3部の「最初の部分の執筆」に進んだとき、マルクスは1864年9月に創立した「国際労働者協会」のリーダーを務めることになり、「運動指導と『資本論』の両立に苦労」したことが述べられています。

 

第2巻の刊行は「イギリスの産業恐慌が頂点に達する以前には」しないというマルクスの決意

 『資本論』の理解を深めるために、『資本論』の内容と執筆過程についての不破さんの寄稿の補足と補修、それから、第2巻(第2部と第3部)の刊行は「イギリスの産業恐慌が頂点に達する以前には」しないというマルクスの決意についての私の〝想像〟について述べたいと思います。

 『資本論』は、第一草案の『経済学批判要綱』、第二草案の『1861~1863年草稿』(23冊のノート)──実は、この完全原稿を遅くとも1865年の5月までに出版業者に渡すはずでした──、それから直接『資本論』につながる第三草案という三次にわたる研究の集大成で、その内容は、「資本の生産過程」、「資本の流通過程」および「総過程の諸形象化」という三つの部からなっています。

 『資本論』は、「資本の一般的本性」を究明し、「三つの階級の、すなわち資本家、土地所有者および賃労働者の経済的な諸関連を暴」き、──マルクスのエンゲルスあて1868年の手紙によれば──「資本主義的生産様式の『解体』を、ブルジョア社会の克服にまでいたるべき階級闘争として論じるつもりであった」といいます。(大谷禎之介『マルクスの利子生み資本論』2MEGA「成立と来歴」P401)

 そして、「第一草案・第二草案」と『資本論』の草稿である「第三草案」の違いは、「第一草案・第二草案」では、「資本一般」と「資本の『実在的な』運動」とを分離して考えていたこと、『資本論』の草稿である「第三草案」は、「歴史的・文献的な論述」(=歴史的諸章)は続いて書かれるべき第4部の諸部分とされたこと、等があります。

 マルクスは、「1861~1863年草稿」を書き終えたあと『資本論』「第1部」の「初稿」を1864年の夏頃には書き終え、1864年の夏頃から「第3部」を第2章→第1章→第3章の順に書き、その後、1865年の前半に「第2部」の草案を書きました。

 なぜ、「第1部」の執筆のあと「第2部」ではなく「第3部」を書いたのか。MEGA「解題」によれば、「第1部」第6章のあと「第3部」を書ことによって、「本質と直接的な現象との、問題を孕んだ関連を矛盾なく説明すること、運動法則それ自体を暴くばかりでなく、同じくこの法則の貫徹メカニズムを証明することにも努めていたことに帰せられるべきものであった」(同前 P389-390)と述べられています。

 その後「第3部」の執筆にもどって第4章を書き、1865年の8~10月中旬に第5章、1866年1月には第6章、第7章の草稿を書き終えたものと思われます。

 そして、1866年1月1日から『資本論』第一巻(「第1部」)の清書を開始し、1867年9月に『資本論』第一巻を刊行しました。

 マルクスは、1878年11月には第2巻(第2部と第3部)の刊行が1879年の末には可能だと考えていたが、1879年には「『現在のイギリスの産業恐慌がその頂点に達する以前には』第2巻を刊行しない、と言明し」、1880年には「『ちょうどいましがた、若干の経済現象が新しい発展段階にはいった』ところであり、これらの現象が、新たな仕上げを要求していたのである」(大谷禎之介『マルクスの利子生み資本論』2MEGA「解題」P383)と述べています。

 残念ながら、私には、「若干の経済現象が新しい発展段階にはいった」という言葉の中身は掴めません。もともと、「恐慌」を含む資本主義的生産様式の現象のより具体的な諸形態の論述は『資本論』のプランの外にあり、諸資本の現実的運動である競争と信用(制度)の詳しい記述は、「あるいは書かれるかもしれない『資本論』の続編に保留されてい」ました(同上MEGA「解題」および「成立と来歴」参照)。しかし、「信用制度と経済恐慌との相互連関については、彼はすでに、50年代の初頭に一定のイメージを得て」おり(同上P392、マルクス『受救貧困と自由貿易──迫りくる経済恐慌』『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1852.11.1付等を参照して下さい。)、1868年11月に書いたエンゲルスあての手紙に「第2巻は大部分があまりにも高度に理論的なので、ぼくは信用に関する章を、ぺてんと商業道徳との実状の告発に利用するだろう」(同上P393)と述べているマルクスにとって、「若干の経済現象が新しい発展段階にはいった」ことは、「理論的内容と内的構造とは主要な点においてすでに与えられて」いるが「もともとはあらゆる研究がもっている……荒削りの形態」(同上P408)である草稿を仕上げる絶好の好機が到来したと思われたのでしょう。

 マルクスは、恐慌の進展をつうじて、「信用に関する章」で、資本の「ぺてんと商業道徳との実状の告発」し、「イギリスのプロレタリアートの労働条件や生活条件に関する諸事実」を「資本主義批判の『例証』とし」(同上P408)、「恐慌」を革命の「槓杆」として「活用」しようとしたのではないでしょうか。

 なお、不破さんは、「第2部」は「1868~82年に執筆した」草稿から「エンゲルスが編集・刊行したもの」と述べていますが、大谷禎之介氏は「マルクスは1881年に第2部第8稿で『資本論』の執筆を最終的に打ち切」った(『マルクスの利子生み資本論』3P402)と言っています。*この項の『資本論』の各章の執筆時期の記載の大部分は大谷禎之介氏の『マルクスの利子生み資本論』に負っています。

 

「『資本論』刊行150年に寄せて」に忍び込ませる不破さんの「新たな理論的発展」

 不破さんは、「第二部の最初の草稿を書きあげ、その中で、例の新しい恐慌論を発見したのです。そして、その年の6月には、その発見をふまえた最新の到達点で、労働者運動の当面の任務と社会変革の闘争の展望を語ったのでした。(『賃金、価格および利潤』)」と述べ、『資本論』の「新構想」の「社会変革の展望では、労働者階級の『訓練・結合・組織』の過程が変革の主体的条件として大きく位置づけられることになりました。」といい、「65~67年」を「新たな理論的発展の」時期だと言っています。

 果たして「新たな理論的発展」をしたのは、それまで「ぼんくら」だったマルクスなのか、それとも21世紀になって「恐慌の運動論」を大発見し「激しい理論的衝撃」を受けた不破さんなのか、見てみましょう。

 

不破さんは、「第二部の最初の草稿」から何を発見したのか?

 ここで不破さんの言う、「例の新しい恐慌論」とは何なのか、それはどのように「発見」されたのか、『前衛』(2015年1月号)の「マルクスの恐慌論を追跡する」で見てみましょう。

 『前衛』によると、不破さんは「かなり以前から、これまで〝これがマルクスの恐慌論だ〟として説明されている〝恐慌論〟について、どこかに理論的な欠落があるのでは、という違和感を持ち続けていました」とのことです。「どこかに理論的な欠落があるのでは」という違和感とは、いささか薄弱な思想の持ち主のつきつめて考えようとしない態度で、多くのまじめな党員がそういう人の書いた文章を真剣に読んでいたと思うと、なんとも気の毒です。

 それはさておき、不破さんは、『レーニンと「資本論」』(1998-2001年)を書き終えて、『資本論』の「草稿の全体を読む仕事を始め」、第二部第一草稿で「マルクスの発見」のヒントを発見し、「激しい理論的衝撃」を受け、「ここを理解して『資本論』を読むと、多くの点で、『資本論』の解釈がこれまでのそれとはまったく違って」きたそうです。不破さんは、「恐慌を資本の現象的な流通形態から説明すること」から、信用や商業が恐慌の可能性を拡大させ恐慌をより一層深刻なものにさせることを知った(21世紀になってこんなことを知るとは、ずいぶん大器晩成ですね!)ことが、「激しい理論的衝撃」を受け、「ここを理解して『資本論』を読むと、多くの点で、『資本論』の解釈がこれまでのそれとはまったく違って」きたと言います。

 不破さんは、『レーニンと「資本論」』の執筆当時、「恐慌論解決のヒント」を求めて勉強したときは気付かなかったが、「最近」、レーニンが20代のとき書いた『ロシアにおける資本主義の発展』に「『資本論』全体のなかで恐慌論を代表する文章」が入っていることに最近気づいたそうです。(やはり、大器晩成です!! 同時に、私は『レーニンと「資本論」』を読んでいませんが、『資本論』の誤った解釈をしていて、レーニンをよく読みこなせなかった不破さんがもっともらしく書いた『レーニンと「資本論」』には一体どんな内容が書かれていたのか、宣伝に乗って買わされてしまった人は何を学んだのか心配でなりません。)

 不破さんは、レーニンが不破さんのように、それが「大発見」であることに「気づかなかった」と、「気づいた」自分の偉大さを誇示しています。不破さんは、10年以上前に『レーニンと「資本論」』を書くに当たって「恐慌論解決のヒント」を求めてレーニンを勉強したときには気づかなかった「発見」を、「大発見」かどうかは別として、「最近」気づいたといい、自分の感度の鈍さを棚に上げて、レーニンが不破さんのように「大発見」などという認識を持っていなかったことをとらえて、レーニンは「気づかなかった」と中傷します。

 しかし、不破さんが最近気づいたという文章は、レーニンにとっては当然のことで「大発見」でもなんでもないし、レーニンは他人(マルクス・エンゲルス)の考えを歪曲して自分を誇示することを旨とするような人間ではないから、不破さんのように「大発見」して「激しい理論的衝撃」を受けたなどと大騒ぎをしなかっただけです。不破さんらしいと言えば不破さんらしいが、一般的には、こういうのを天にツバする行為というのではないでしょうか。

 不破さんの知ったは「新しい恐慌論」とは、「恐慌を資本の現象的な流通形態から説明すること」で、信用や商業が恐慌の可能性を拡大させ恐慌をより一層深刻なものにさせるが、恐慌は、「資本主義が循環的に運動してゆく一局面であること、一回ごとに資本主義の危機が深まるわけではなく、恐慌は、前よりも高い所で経済的発展が進む新しい循環の出発点になる」(『前衛』2013年12月号P97)と、マルクスが資本主義観の大転換をおこなったというものです。「」内のようにマルクスが資本主義を捉えたとしたら、確かに〝資本主義観の大転換〟です。資本主義が進んでも、「資本主義の危機」は深まらないというのですから。

 

マルクスもエンゲルスも〝資本主義観の大転換〟などしていない

 しかしマルクスとエンゲルスは、すでに『共産党宣言』で次のように述べます。

「……──ブルジョア階級は恐慌を、何によって征服するか?一方では、一定量の生産諸力をむりに破壊することによって、他方では、新しい市場の獲得と古い市場のさらに徹底的な搾取によって。要するにどういうことか?要するに、もっと全面的な、もっと強大な恐慌の準備をするのである。そしてまた恐慌を予防する手段を減少させるのである。……

 だが、ブルジョア階級は、みずからに死をもたらす武器をきたえたばかりではない。かれらはまた、この武器を使う人々をも作り出した──近代的労働者、プロレタリアを。」(岩波文庫P47-48)、と。

 つまり、『共産党宣言』は、資本主義は恐慌を含む循環的な運動をしていること、ブルジョア階級は、一方では、一定量の生産諸力をむりに破壊することによって、他方では、新しい市場の獲得と古い市場のさらに徹底的な搾取によって恐慌を征服するが、それは、もっと全面的な、もっと強大な恐慌の準備をすることであり、社会的生産とあい対立する資本主義的生産様式を発展させることによって、みずからに死をもたらす武器をきたえたばかりでなく、かれらはまた、この武器を使う人々・近代的労働者、プロレタリアをも作り出すことを述べています。

 マルクスもエンゲルスも、この時から、その生涯を終わるまでこの〝資本主義観〟は変わっていません。そしてエンゲルスもベルンシュタインあての手紙(1882年1月25-31日)で、「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆のひとつであることは、すでに『共産党宣言』のなかにも述べられており、『新ライン新聞』の「評論」でも1848年までを含めて詳論されています。しかし同時にまた、そのあとの繁栄の回帰は革命を挫折させて反動の勝利を基礎づける、ということもそこに述べられています。」(レキシコン⑧-[279] P289)と述べていますが、マルクスもエンゲルスも「恐慌」は「政治的変革の最も強力な槓杆のひとつである」と考えており、不破さんがデッチあげたような「恐慌=革命」説などとっていません。

 より詳しくは、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった」を参照して下さい。

 

不破さんの「新しい恐慌論」は『賃金、価格、利潤』をどう変えたか

 「新しい恐慌論」を発見した不破さんは、「その年の6月には、その発見をふまえた最新の到達点で、労働者運動の当面の任務と社会変革の闘争の展望を語ったのでした。(『賃金、価格および利潤』)」と言い、マルクスの講演『価値、価格、利潤』(日本語版『賃金、価格、利潤』)を持ち出します。

 不破さんが『賃金、価格、利潤』をどう理解し、どう私たちに伝えているのか、そしてマルクスは『賃金、価格、利潤』で何を私たちに訴えているのか、簡単に見てみましょう。

 不破さんは、『賃金、価格、利潤』をテキストに使っての自身の講義を礼賛する『前衛』2013年12月号での鼎談で、「……、マルクスが本格的な理論を説明する場ができた、……、後半の運動論は、搾取の仕組みをのみこんだ上で、では労働者はどうたたかうべきかという話をしているのです。……『資本論』にはここまで具体的なことは書いていません。マルクスが賃金闘争論の話をしているのは、この講演だけでしょう。……どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだという立場です。」(P90-91)と述べています。

 そして、不破さんが「マルクスの賃金闘争論は、どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだということ」に関して『前衛』の90-91ページで述べていることの要点を整理すると以下のとおりです。

①「日本では、後半の労働者の運動論の部分はあまり読まれていない」こと。

②「後半の運動論は、搾取の仕組みをのみこんだ上で、では労働者はどうたたかうべきか という話をしている」こと。それは、「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければ ダメだ」、「景気がいいときにはうんと賃上げをかちとっておかないと、不況のとき損 する」ということ。「こういうように」たたかうことを「きちんと教えている」という ことです。

③「搾取の仕組みが分かれば、余計な心配をしないで賃金闘争に取り組める」こと。

 つまり、『賃金、価格、利潤』の賃金論はこのような「根性論」だと言うのです。

 この不破さんの話を受けて、不破さんの講義の素晴らしさの「まとめ」として、この鼎談の司会役である山口氏は、次のように「太鼓持ち」ぶりを発揮します。

 「(不破さんは──青山が挿入)、資本主義世界でも異常な日本社会の状態を打開して、社会的バリケードをかちとり、「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだということを強調して、講義を終わります。……『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」(P99)と。

 不破さんの『賃金、価格、利潤』の学習は、「根性論」で始まり、「ルールある資本主義」への道で終わる。たしかに不破さんらしい講義ですが、『賃金、価格、利潤』を読んだことのない人がこの『前衛』を読んだら、『賃金、価格、利潤』とはそのような内容の書物で、社会変革について語る不破さんは大したものだと思うかも知れません。

 しかし、不破さんの『賃金、価格および利潤』の講義内容は、マルクスが『賃金、価格、利潤』で私たちに教えているものとは、正反対の内容です。

 

『賃金、価格、利潤』が私たちに教えていること

 『賃金、価格、利潤』(引用文のPは、大月書店国民文庫のページ)は、私たちに次の三のことを教えています。

①賃金が多くなれば剰余価値が減り、賃金が減らされれば剰余価値が増えるのであり、「賃 金が上がると物価が上がるから有害だ」とか「賃金を上げても物価が上がって取り戻さ れるから無駄だ」とかいう考えは誤りであること。

②好況のときは資本は一層の資本の拡大を図り労働需給が逼迫するので賃金を上げるが、 「賃上げ闘争は、たんにそれに先だつ諸変化の跡を追うものにすぎず」(P79)、「たん なる経済行動のうえでは資本の方が強い」(P84)から「超強力な社会的障害物の強要」 が必要性なのであり、労働者階級は「もろもろの結果とたたかいはしているが、それら の結果の原因とたたかっているのではない」こと。

※なお、エンゲルスは『オッペンハイムあての手紙』(1891年3月24日)で「好景気のとき」「不景気のとき」賃金がどうなるか、慢性的な経済停滞のとき賃金がどうなるか、について、不破さんがここで話されているよりも、より正確に言っているので、参照されたい。(ホームページの「温故知新」→「マルクス・エンゲルスの大事な発見」→「D資本主義社会Ⅱ」12-12PDFファイルがあります。)

③だから、「「公正な一日の労働にたいして公正な一日の賃金を!」という保守的なモッ トーのかわりに、彼らはその旗に「賃金制度の廃止!」という革命的な合言葉を書きし るすべき」(P88)であり、労働運動は「現存の制度の諸結果にたいするゲリラ戦だけに 専念し、それと同時に現存の制度をかえようとはせず、その組織された力を労働者階級 の終局的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのてことして使うことをしないなら ば、それは全面的に失敗する。」(P89)と。

 このようにマルクスは、『賃金、価格、利潤』で、不破さんとは正反対に、「超強力な社会的障害物の強要」としての「ルールある資本主義」だけでは「結果の原因とたたかっているのではない」から駄目だと言っており、資本主義的生産様式を変えることが労働者階級にとって死活的に重要だということを訴えています。

 

不破さんは、まえからこういう人だったのか

  不破さんは、21世紀になって『資本論』の「草稿の全体を読む仕事を始め」、第二部第一草稿で「マルクスの発見」のヒントを発見し、「激しい理論的衝撃」を受け、「ここを理解して『資本論』を読むと、多くの点で、『資本論』の解釈がこれまでのそれとはまったく違って」きたと言います。

 そして、不破さんは、「65~67年」をマルクスの「新たな理論的発展の」時期といい、『資本論』の「新構想」の「社会変革の展望では、労働者階級の『訓練・結合・組織』の過程が変革の主体的条件として大きく位置づけられることになりました。」と言います。

 不破さんは21世紀になるまで、何を勉強してきたのでしょうか。不破さんは、『共産党宣言』さえも読んでいなかったのでしょうか。

 当時、マルクスもエンゲルスも「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆のひとつである」と考えていましたが、不破さんが言うように「革命は、労働者階級が無準備のままで始まるもの」などとは考えてはいませんでした。マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』(1847年)で次のように述べ、労働者の闘争の本当の成果は労働者のますます広がっていく団結であることを訴えています。

 「時々労働者が勝つことがあるが、ほんの一時的にすぎない。かれらの闘争の本当の成果は、その直接の成功ではなくして、労働者のますます広がっていく団結である。この団結は、大工業によって作り出される交通手段の成長によって促進され、異なる地方の労働者はそれによってたがいに結合される。そして、各地の一様な性格をもった多数の地方的闘争を一つの国民的な、階級闘争にまで結集するためには、この結合があればそれでよいのである。しかし、あらゆる階級闘争は政治闘争である。……

 階級としての、したがってまた政党としての、プロレタリアの組織は、労働者自身のあいだの競争によって、常にくりかえし破壊される。だがこの組織はそのたびに復活し、次第に強く、固く、優勢になる。そしてそれは、ブルジョア階級相互の分裂を利用することによって、労働者の個々の利益を法律の形で承認することを強制する。イギリスにおける十時間労働法はその一例である。」(岩波文庫P51-52)

 マルクス・エンゲルス・レーニンの思想において、「社会変革」のために「労働者階級の『訓練・結合・組織』の過程が変革の主体的条件として大きく位置づけられ」ていることを21世紀になって知ったという不破さんは、それまで、マルクス・レーニン主義(=科学的社会主義)についてどのようなイメージをもち、どのような「激しい理論的衝撃」を受けたのか、不破さんの「これまでの革命観」を含め、包み隠さず教えてもらいたい。

 同時に、不破さんの「太鼓持ち」が不破さんを持ち上げ、「『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」と「社会的バリケードをかちとり、『ルールある経済社会』へ道を開いてゆくこと」を褒め称えていますが、「太鼓持ち」氏も不破さんも、もしも『共産党宣言』を読んでいるが忘れたのだとしたら、もう一度、『共産党宣言』を読みなおすことをお勧めしたい。

 最後に、これで『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破さんの「『資本論』刊行150年に寄せて」の謬論の批判を終了するにあたって、不破さんのマルクスにたいする無理解の典型例を紹介したいと思います。

 不破さんは『前衛』(2014年12月号)で、「『恐慌=革命』説を背景に、利潤率低下の法則を資本主義の『必然的没落』の表われとする断定がさきにあり、そこから恐慌の運動論が引き出せるはずだという思い込みが、マルクスを、こうした無理な立論に固執させた」のではないでしょうかと言っています。

 科学的社会主義の研究方法は、事実を出発点にして、事実を積み重ねて真実を究明し、仕上げられた仮説は事実と照合され検証されます。不破さんは、つい自分の「立論」の仕方から、科学的社会主義の研究方法とは異なる「立論」の仕方をマルクスもすると思ったのかもしれませんが、この文章は科学的社会主義の研究方法の無理解を暴露するものであるとともにマルクスの研究態度を誹謗し人格を傷つける暴言です。

 『赤旗』読者のみなさんは、不破哲三氏のマルクスにたいする理解がこの程度であることを十分認識して、批判的精神をもって不破さんと接してください。

 これらの不破さんの謬論の詳しい検証はホームページの4-1「☆不破さんは、『賃金、価格、利潤』の賃金論を「「ルールある経済社会」へ道を開いてゆく」闘いに解消し、『賃金、価格、利潤』を労働運動にとって何の意味もないガラクタの一つに変えてしまった」と4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった」を、是非、お読み下さい。

 

私の、いま、したいこと。

  私は、不破さんの謬論に付き合うのにうんざりしています。しかし、科学的社会主義に最も近いところに「日本共産党」の党員のみなさんがいると思っていますので、そのみなさんが不破さんのウソにだまされて、科学的社会主義から遠ざかって行くのを座視できず、「うんざり」した仕事に人生を消費しています。

 しかし、この仕事もやっと終わりました。2月の中旬ごろには、白井さゆり氏の『東京五輪後の日本経済』をテキストに、みなさんと一緒に「日本経済の構造問題」を考えてみたいと思います。ご期待ください!!!