4-17

☆マルクスのサン・シモンに対する評価へのエンゲルスの優しいまなざし、レーニンのエンゲルスへの優しいまなざしと不破哲三氏


「マルクスの『恐慌=革命』説は誤りだ」とマルクスに勝手にレッテルを貼り
レーニンが当時の「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」てから「ほぼ100年たちましたからね」と

20世紀初頭の世界情勢を茶化し
時代々々の運動の〝環〟 を摑む努力など眼中になく
マルクスの〝恐慌〟に関する多面的な研究を単なる上向線をたどる「景気循環」論に還元して
現代のクローバル経済の日本におけるあらわれの現状を見ようともせず
国民の閉塞感・自民党政治への一定の期待の分析もせずに
「ルールある資本主義」の実現にバラ色の夢を託す人たち
そんな人たちが
生きた科学的社会主義の実践者たちを
溺れた犬をむち打つように誹謗・中傷する

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どうして、不破さんは、同志的なあたたかい眼差しでエンゲルスやレーニンを見ることができないんでしょうか。

  エンゲルスはマルクスがサン・シモンについて、オーエンと対比して、厳しい評価をしていることに関して、文中の注(『資本論』第3巻 第2分冊『資本論』⑤ P780F1-782F6)で、サン・シモンに対するマルクスのその後の評価を踏まえ、優しいまなざしで、訂正している。このことを不破さんは『前衛』2014年1月号で「相当なサン・シモンびいきでしたね。」(P89)と述べています。
  また、エンゲルスが不正確な表現を用いた場合(『国家と革命』国民文庫P98参照)でも、レーニンはそれを責めることなどしていない。しかし、不破さんは、議会を通じての「革命」などできない情勢、歴史的な時期に、そのことを明確にしたレーニンを全否定してレーニンの悪口を言っています。
 マルクスのサン・シモンの評価へのエンゲルスの優しいまなざし、レーニンのエンゲルスへの優しいまなざしと不破哲三氏のマルクス・エンゲルス・レーニン研究の方法とは大きく異なる。
 どうして、不破さんは、同志的なあたたかい眼差しでエンゲルスやレーニンを見ることができないんでしょうか。そもそも、私たちが科学的社会主義の理論をマルクス・レーニン主義と誇らしく言い、情熱を持ってマルクス・エンゲルス・レーニンから学んだ60年代末の頃から、社会主義が〝人間の全面的な発達が保障される社会〟への入口であるということ、社会主義から「共産主義社会の高い段階」へ行く民主主義の長い過程があることを、私たちは共通認識として持っていました。だから、エンゲルスやレーニンの悪口を言って自慢するほどの大発見ではありません。
 神の手を持たない不破哲三氏がおこなった「発掘」は科学的社会主義の発展の歴史を歪曲し、日本の革命運動の桎梏となり、産業空洞化から目をそらせて国民経済の破滅を座視させるものです。それを阻止し、克服するのは「秩父原人」の処理に追われた「埼玉県教育委員会の文化財保護課」の仕事ではない。
 自覚的民主勢力の一人ひとりの〝自覚〟度が問われている。