3-3-4B

科学的社会主義の党の選挙政策

このページのPDFファイルはこちら:ダウンロードして、落ち着いてお読み下さい。

ダウンロード
3-3-4B科学的社会主義の党の選挙政策 .pdf
PDFファイル 284.6 KB

このページの添付のPDFです合わせてダウンロードしてお読み下さい。

ダウンロード
3-3-4B添付PDF.pdf
PDFファイル 375.7 KB

科学的社会主義の党の選挙政策

日本共産党が科学的社会主義の党に甦り元気になることを願って、2016年と2019年の参議院議員選挙の選挙政策を例にとって、そのウイークポイントを、検証いたしました。

はじめに

 

日本共産党の選挙政策を見る理由

1981年3月16日に発足した第二臨調(土光敏夫会長)は、資本の復権をめざす新自由主義の影響のもと、「①活力ある福祉社会の建設②国際社会に対する積極的貢献を今後の行政のめざすべき目標」とし、国民福祉に係る行政サービス全般の切り下げと負担の引き上げ、そして、資本の海外展開を積極的に支援する方針を明確にし、その後の自民党と財界の政治と経済の向かうべき方向を定めました。この流れの中で、1995年頃には「産業の空洞化」とその影響が社会の隅々に現れはじめ、社会・経済にたいする国民の閉塞感も増幅されていきます。

 こうした中で、〝自民党をぶっ壊す〟と言って颯爽と現れた小泉内閣(2001年~2006年)は、〝聖域なき構造改革の断行〟という「大義名分」のもとに、3公社5現業の民営化策の最後としての郵政民営化をおこない、「小泉改革の柱」とまでいわれた〝社会保障費の大幅抑制〟など、土光「臨調」路線に沿った様々な悪政をおこないます。そして、この「聖域なき構造改革」の中には、水戸黄門が必ず見せる印籠のような、自民党政権のお決まりの実態のない産業政策、〝新規産業創出のための規制緩和〟も含まれています。

 「産業の空洞化」による中間層の没落で分裂の危機にある米国は、「産業の空洞化」からの脱却策として、トランプ大統領もバイデン大統領も自国のグローバル資本の行動を規制するのではなく、外国企業の半ば力ずくでの「誘致」と中国製品に対する高い関税によって国内産業の育成を図ろうとしていますが、グローバル資本の行動を規制することもせず、米国のようなことも出来ない日本は、「規制緩和」と「新規産業創出」という実態のない「イデオロギー」で、国民を煙に巻いています。

 「産業の空洞化」が深刻で、日本経済と国民生活が深刻な危機に見舞われている日本が、なぜ、現在のような政治状況を保っていられるのか、財界と自民党に最も耳の痛いことをいうと見られている「日本共産党」の2016年と2019年の参議院選挙の選挙政策を検証することを通じて、その謎を解き明かしていきましょう。

 これから見ていく、税制のあり方について、経済のあり方について、「財界中心の政治」の〝ゆがみ〟をただすということについて、この科学的社会主義の思想に基づく検証を通じ、カッコ付きの「共産党」が真の科学的社会主義の党に蘇るために多少の力を得ることが出来れば幸いです。

Ⅰ、民主税制のあり方について

「共産党」の「税制改革」提案

日本共産党は2016年7月の参議院選挙政策で、「税制改革」の視点として、所得が高くなると負担率が下がる等の「不公平税制をあらため、『能力に応じた負担』の原則に立って、『税金の集め方』を抜本的に改革す」るとして、概ね下記のような「税制改革」提案をおこないました。

法人税減税のばらまきを中止し、大企業優遇税制をあらため、将来的には国際協調で法人税率を引き上げ

所得税・住民税の最高税率(現行55%)を98年以前の65%に戻し、相続税・贈与税の最 高税率(現行55%)を70%に戻す。なお、将来、社会保障の抜本的な拡充を行うため、所得税の税率を、累進的に1.5~15%の上乗せ

株式配当は少額配当を除き総合課税とし、株式譲渡益は高額部分に30%の税率とする

相続税評価基準で5億円を超える資産を持つ富裕層(全世帯の0.1%程度)の5億円を超える資産に対して、1~3%程度の累進課税の「富裕税」を創設

タックスヘイブン税制の適用要件の拡大など「課税逃れ」をやめさせるための措置の強化、実態の徹底調査と公表、世界各国の協力の推進

年金、医療、介護の保険料上限の引き上げ

「為替投機課税」の新設

「環境税」を強化

  この提案は、直近の国政選挙である衆院選(2014年12月)での提案、「消費税にたよらない別の道」に「・タックスヘイブン税制の適用要件の拡大など「課税逃れ」をやめさせるための措置の強化、実態の徹底調査と公表、世界各国の協力の推進」を加えたものですが、このようなスタンスはその後の国政選挙でも基本的に変わっていません。(2022.7.1現在)

科学的社会主義の党が提起する〝税制改革〟案とは

上記の「共産党」の提案を踏まえ、科学的社会主義の党が提起する〝税制改革〟案とはどのようなものでなければならないのか、一緒に考えてみましょう。

 「大企業」が社会・経済の中心となって社会が動かされている資本主義的生産様式の社会は、資本が労働者から富を搾取し、労働者から横取りした富を拡大再生産と経営者報酬、株主への配当等に当てることにより、資本と資本の所有者、資産の所有者に富が集まり、搾取された多くの勤労者が将来の不安を抱えながらぎりぎりの生活を強いられて生きるという社会です。

マルクスは『資本論』で〝資本主義的な性格をはぎ取った〟(*)社会的生産で成り立っている社会での富の分配について、大雑把に言うと、概ね次のように述べています。

 労働者が産みだし企業に集積した富は、「労働者の個人的消費のための費用」+「保険・予備財源」+「再生産の維持・拡大の費用」+「労働能力のまだない者やもはや労働能力のない者のための費用」(+「社会インフラのための費用」──青山補足)等になる、と。

 つまり、社会的生産で成り立っている社会では、労働者が産みだし企業に集積した富は、「労働者の個人的消費のための費用」と企業が持っておくべき費用を除いて国に収められ、

国の様々な施策の運営は、この企業から国に収められた富を使うことによって成り立っています。だから、本来ならこれで済むのですが、資本主義社会では資産家や経営者が企業の富を不当に横取りしているので、その分を国は徴収しなければなりません。

しかし、「共産党」は、残念ながら、「不公平税制をあらため、『能力に応じた負担』の原則に立って、『税金の集め方』を抜本的に改革す」ると言って、「資本主義的な性格をはぎ取って」得られる社会的生産で成り立っている社会でのあるべき富の分配方法を否定し、資本主義的な富の分配関係を隠蔽するブルジョア学者が作った「応能原則」なるものを吹聴して、国民・労働者階級の闘うエネルギーを眠り込ませています。

 だから、科学的社会主義の党は、まず、ブルジョア学者が作った「応能原則」なるもののペテン性を暴露し、このような社会を変えることを考えるきっかけを国民に与え、社会の変革に資するような「税制改革」の提案をし、国民のコンセンサスを得る努力のために汗をかかなければなりません。

 具体的には、資本主義的生産様式によって、国民の平等がいちじるしく損なわれ、一部の人に富が集中することによって国民が等しく社会の恩恵を受けることができず、その結果、社会全体の活力も削がれるという資本主義社会の構造的欠陥を補正して、国民すべてが同じスタートラインに立って、自由に能力が発揮でき、活力の溢れる社会を実現し、生まれながらの資本家、不労所得者(国民に吸いつく寄生虫)が出ることを防止することが、健全な社会を発展させる上で必須の課題であることを国民が考え気付くきっかけを与え、その実現をめざすことが目に見える形で明らかな提案でなければなりません。そして、それは、同時に、社会・経済の中心となって社会を動かしている「大企業」=グローバル資本の反国民的な行動を「税制」面からコントロールすることをも含んだものでなければなりません。

 科学的社会主義の党が提起する資本主義的生産様式の基での「税」による〝富〟の再配分についての提案は、このような観点から具体的に提起することが求められています。

(*)詳しくは「温故知新」→「マルクス・エンゲルスの考えの紹介」→「H闘争・団結・未来」の「25-7 分配の資本主義的な性格を剥ぎ取った姿」を参照して下さい。

科学的社会主義の党を体現しない「共産党」の「税制改革」提案

このような観点から、先の「税制改革」提案を見ると、「共産党」の「税制改革」提案が科学的社会主義の党を体現したものでないことが、残念ながら、よくわかります。

まず第一に、税は、社会的生産によって労働者が産みだした富が集積する企業が負担すべきことを国民・労働者に明確に訴え、「応能原則」の階級性を暴露しなければなりません。そして、資本主義社会で企業の富を不当に横取りしている資産家や経営者から、その分を国は徴収しなければならないことをはっきりと主張すべきです。

第二に、企業のあり方を問うのではなく、「法人税減税のばらまき」とか「大企業優遇税制」とか、ミソもクソも一緒にして増税を主張し、国内投資を増額したり、賃金を上げたりした企業には特別措置として減税する等の考えがまったくありません。だから、「共産党」は企業敵視・大企業敵視だと攻撃されたり、身内からも「大企業や金持ちなど亡国の輩は、海外にでていってもらったらいい」などと言う者さえ出る始末です。

次に、この間の法人税、所得税の減税が企業の自己資本比率を40%を超える水準に高め、国民の富を海外に持ちだし産業の空洞化を促進して、今日の劣悪な国民生活と富裕層への富の集中をもたらしているにもかかわらず、「安倍政権以前の水準に戻す」とか「所得税・住民税の最高税率55%を98年以前の65%に戻し、相続税・贈与税の最高税率55%を70%に戻す。なお、将来、社会保障の抜本的な拡充を行うため、所得税の税率を、累進的に1.5~15%の上乗せ」するというのでは、まったく、不十分です。「第一に」で述べたことを明確にして、レーニンが「スイス社会民主党内のツィンメルヴァルト左派の任務」(『レーニン全集』第23巻P150~155参照)で述べているように、働く者の観点をはっきりさせ、社会保障の抜本的な拡充を「将来」の問題などとすることなく、所得税と住民税をあわせた最高限界税率を明言するなど国民に抜本的な政策を分かりやすく提起すべきです。そして大きな声で堂々と言うべきです(全党の力で大宣伝すべきです)。

最後に、国民の平等をいちじるしく損ない、社会の活力を削ぐ生まれながらの資本家、不労所得者(国民に吸いつく寄生虫)が出ることができないような資産相続制度を実現し、所得税は、新規の投資におけるキャピタルゲインについては、新産業、新技術の育成の観点から分離課税とすることに合理性があるが、それ以外はすべて総合課税にすべきです。そして、「富裕税」の創設とあわせて、「消費税」の廃止、高額な奢侈商品への課税を行うべきです。そのことを大きな声で堂々と言うべきです。

 これらを含むより詳しい説明は、別添のPDFファイル3-2-7「科学的社会主義の党の選挙政策」をご覧ください。

ダウンロード
3-2-7 PDF.pdf
PDFファイル 375.7 KB

Ⅱ経済のつくり方──「共産党」の誤った政策

政府・自民党の経済政策(アベノミクスの顛末)

アベノミクスの「三本の矢」に象徴される政府・自民党の経済政策は、①金融緩和で流通するお金の量を増やす②土木工事中心に財政出動をする③「規制緩和」と「新産業の育成」による「成長戦略」に集約されます。しかし、①と②はカンフル剤のようなもので、③の「規制緩和」は、「規制」一般に〝悪〟のような印象をあたえ、「規制」を「緩和」すれば何か「問題」が解決するかのような印象を国民に植えつけて漠然とした期待を持たせたうえで、財界等が「緩和」を望む「規制」を〝悪〟として責め立てる魔女狩りのような手法ですが、社会にとって必要な「規制」の「緩和」も「強化」もあり、「規制緩和」が「成長戦略」の〝肝〟のように言うのは誤りです。また、「新しいビジネス」の発見に努め、果敢にチャレンジする人も必要だし、大学等での基礎的な研究も欠かせません。しかし、ほとんどの発明は「既存の知識の新しい組み合わせ」によるもので、まったく新規の発明はノーベル賞なみに希有なもので、そうそうでるものではありません。「成長戦略」を〝期待〟や〝願望〟に任せても成果は期待できません。

国民を鼓舞しない「共産党」の「経済改革」の夢(空想)

「共産党」の「経済改革」の提言は、実にシンプルです。

 「共産党」の「提案」は「労働法制の規制緩和を根本から見直」すことによって、「大幅な賃上げと安定した雇用を増やす」ことができ、「国民の所得を増やし、経済の好循環を実現できれば、平均2%台の成長は可能です」と述べています。これがαでありωです。「資本主義発展論」者の不破さんの影響下にある「党」だけあって、見事なものです。

科学的社会主義の党が提起する〝経済政策〟

いまの日本に欠けているのは、分厚い中間層を擁することのできる分厚い産業構造です。利潤優先で海外に富を流出させ、雇用を海外移転させることによって「空洞化」した〝国内産業〟を正常な姿に戻すことです。自民党のように、「産業の空洞化」に目をつぶり、抽象的な「規制緩和」と蜃気楼のような「新しいビジネス」の発見に期待をかけても「成長」を保証することはできません。

  『前衛』や『赤旗』にも登場した故大瀧雅之氏は岩波新書『平成不況の本質』で「有効需要の不足は、国内投資が対外直接投資に呆れるほどの速度で代替されているからである」(P54)と述べ、「産業の空洞化が著しく進んだ時期」、「日本は失業と利潤を輸入し、雇用機会と資本を輸出していたわけである」と述べています。

 同様に、工藤昌宏氏も『前衛』のインタビューで「産業の空洞化」が最大の産業構造問題であることを指摘し、〝産業の空洞化〟によって産業構造が変化し、「経済循環構造の〝破断〟」(P87上段)がおこなわれたこと、「長期不況を打開するには」、「産業の空洞化を抑えることが必要」(P91下段)であることを述べ、北澤宏一東京都市大学学長も「製造業を営む企業の海外逃亡と若者の失業率の増大」について『前衛』2014年7月号で述べています。

  そして、深尾京司一橋大学教授も『日経』「経済教室」で「国内産業集積が重要 所得の海外流出を止めよ」として、経産省の14年度の重点政策である中小企業の海外展開支援を「正気の政策と言えるだろうか」と痛烈に批判しています。

 このように、「産業の空洞化」によって「雇用機会」が「輸出」され、労資の力関係が資本の優位になり、それを土台として、不安定雇用と低賃金が拡大していった。同時に、「産業の空洞化」と「資本装備率の低下」による「経済循環構造の〝破断〟」により、資本主義的生産様式においてあるべきまともな「景気循環」さえ出来なくなり、労働者は唯一好景気の時だけ受けられる恩恵さえも受けられなくなってしまいました。これらの結果、社会保障の財政的基盤は掘り崩され、日本は社会全体が危機的な状況におかれています。だから、日本経済の「構造問題」である「産業の空洞化と資本装備率の低下」を食い止めて国内経済を再生しないかぎり、「労働法制の規制緩和を根本から見直」すことも、「大幅な賃上げと安定した雇用を増やす」こともできません。「科学的社会主義の党」を自称する「党」が国民の所得が増えれば経済の好循環が実現し、平均2%台の成長が可能で、日本経済はバラ色になり、日本資本主義は万々歳だというのですから、驚きです。マルクスもエンゲルスもレーニンも、そういう思想と戦い続けて、科学的社会主義の思想を確立し、擁護してきました。

 日本経済停滞の最大の原因、国民を閉塞感に陥らせている真の原因は〝産業の空洞化〟にあります。70年代の始めに日本は資本主義的資本蓄積の限界に突き当たり、いわゆる「大企業」は海外での資本蓄積の道を選び、労働者の作った富の海外投資(持ち出し)を増加させ、国内産業の厚みをなくし、労働者の状態を悪化させました。すべての根源はここにあります。だから、いま、日本に求められているのは、国家の社会的役割も国民の生活もかえりみない、私的利益だけを追求する資本による「産業の空洞化と資本装備率の低下」をくい止めて、社会に真に必要な労働・サービスをつくり出し、安定した雇用を保障する、〝国民の新しい共同社会〟づくりにつながる〝経済改革〟が必要なのです。

不破さんの「共産党」から科学的社会主義の党へ

資本主義的生産様式のもとでの資本の賃金論は「トリクルダウン」の理論しかありません。そして、賃金を上げれば経済が成長し、資本主義的生産様式がうまくいくかのような議論も日本の資本主義的生産様式の構造と資本の行動を無視した、給料を上げれば消費が増え、消費が増えれば企業が儲かり、企業が儲かれば賃金も上がり、資本主義は発展するという「トリクルダウン」と同一線上の資本主義の発展を信じ、資本主義を擁護する理論です。だから、マルクスも、資本主義的生産様式の構造と資本の行動を無視して、資本主義のもとでも賃金を上げればすべてうまくいくように考える「健全で『単純な』(!)常識の騎士たち」(*)を厳しく批判しました。

 だから、安倍内閣も岸田内閣も「賃金を上げること」は〝資本主義を規制すること〟ではないので、財界にできる限りの配慮をお願いし、財界はそれに最大限応える素振りをみせ、連合の芳野会長は悪乗りして自民党にすり寄っています。

 だからこそ、「共産党」は、「賃金を上げること」を唯一の「経済政策」とし、その実現によって、日本経済を「健全な成長軌道にのせる」ことができるなどと吹聴することをやめ、科学的社会主義の党から「健全で『単純な』(!)常識の騎士たち」のレベルに転落していることを反省し、日本経済の「構造問題」である「産業の空洞化」を改める道をはっきりと示し、その決意を力強く訴える必要があるのです。

(*)は、ホームページ5「温故知新」→「1、マルクス・エンゲルスの考えの紹介」→「D、資本主義社会Ⅱ」の12-14を参照して下さい。

Ⅲ「財界中心の政治」の〝ゆがみ〟をただすとは──「共産党」の誤ったたたかい方

 

日本共産党の「経済政策」=「ルールある資本主義社会」への改革

2016年2月22日に行われた全国都道府県委員長・参院選候補者会議で、志位委員長は、日本共産党の「経済政策」の「すべてを貫いているのは「財界中心の政治」のゆがみをおおもとからただすという綱領的立場です」と言います。

 そして、2019年の参院選を前にして5月12日に開いた第6回中央委員会総会の報告で、志位委員長は、「『暮らしに希望を──三つの提案』を訴えてたたかう」という小見出しで、「希望」の中身が、①8時間働けばふつうに暮らせる社会②暮らしを支える社会保障③お金の心配なく学び、子育てができる社会の三つであることを明らかにし、この「『三つの提案』を実行することは、最も効果的な景気対策ともなり、日本経済の持続可能な成長をうながす本道ともなることを、強調したいと思います」と自信満々に「強調」し、「私たちがめざす未来社会の最大の特徴は、『人間の自由な全面的な発展』というところにあります。そして、その最大の保証は、労働時間の抜本的短縮です。生産手段の社会化によって、人間による人間の搾取を廃絶することで、労働時間が抜本的に短縮され、すべての人間が自由な時間をつかって、その潜在的能力を自由に全面的に発展させることのできる社会。ここに私たちのめざす未来社会の最大の魅力があります。」といい、未来社会は「『ルールある経済社会(ルールある資本主義社会のこと──青山)』への改革によって達成された成果の多く──労働時間の短縮、両性の平等と同権、人間らしい暮らしを支える社会保障など」と「『地つづき』でつながって」いると言います。

 そして、5月24日の『赤旗』によれば、「比例候補の山下よしき副委員長は『過労死するほど働かされ、低賃金・不安定雇用の労働者もたくさんいる。8時間働けばふつうにくらせる社会をつくろう』と力を込め」たといいます。つまり、資本主義的生産様式の社会の持つ矛盾の問題を資本主義社会での生活改善の問題に矮小化して、それが未来社会へと「『地つづき』でつながって」いるというのです。これは、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想ではありません。これは、科学的社会主義の思想ではありません。

 

 

〝財界中心の政治・経済〟の〝ゆがみ〟をただすとは

まず、上記の志位さんの報告で、あらかじめご承知願いたいことがあります。それは、志位さんの言う「『財界中心の政治』のゆがみ」とは、資本主義的生産様式の社会が必然的にもたらす政治・経済・社会の〝矛盾〟根本的な〝ゆがみ〟を指しているのではなく、「ルールある資本主義社会」という不破さんたちが夢見る資本主義のユートピアからの「ゆがみ」であるということです。

 そして、志位さんたちの頭を混乱させているのは、不破さんの〝独走的〟な「未来社会」論(*1)、それは、マルクスの言う「自由の国」とは「自由な時間」(*2)のことで、資本主義社会にも「自由な時間」である〝余暇〟があり「自由の国」があり、これがマルクスの「未来社会」論の核心であるが、「従来の社会主義論」(*3)は、マルクスの言う「自由の国」をそのように理解せず、「経済的土台の変化だけに目を向けて」いるから夢がなく駄目だといって「経済的土台の変化」に「目を向け」させないという、不破さんが21世紀になって発見した〝独走的〟で〝画期的〟な、資本家達が大喜びするような、考えです。

 これらを踏まえて、「経済的土台の変化」どころか資本と経済の動きに「目を向け」ることを禁じられた志位さんたちが「『財界中心の政治』のゆがみをおおもとからただすという綱領的立場」から導き出した「『それではどうしたらいいのか』という展望」とは、上記の「暮らしに希望を──三つの提案」だというのです。

 しかし、待って下さい。志位さんの言う、①8時間働けばふつうに暮らせる社会②暮らしを支える社会保障③お金の心配なく学び、子育てができる社会という「三つの提案」の基礎を掘り崩し続けているのは、「資本が大きくなることが目的の社会」のために邁進しているグローバル資本を中心とする資本の行動なのです。

 グローバル資本による「産業の空洞化」が、富の流出・雇用の流出・市場の収縮・社会の収縮をもたらし、「産業の空洞化」の結果残された多くの生産性の低い企業を含む資本による「一円でも多く利益をあげる」という資本主義の「唯一無二の行動原則」が、低賃金と低価格商品をもたらし、日本経済の一層の弱体化をもたらしたのです。

 だから、志位さんのいう「『それではどうしたらいいのか』という展望」とは、彼らの行動を改めさせて、富を取り戻し、雇用を取り戻し、産業の層を厚くして消費を拡大し、社会を豊かにして社会保障を充実させることです。それこそが、日本の「希望が見えないという状況、閉塞感」を打破する道なのです。〝財界中心の政治・経済〟の〝ゆがみ〟をただすとは、そういうことです。

 この大本を変えなければ、現在の日本の危機的な状況から脱却することはできません。「暮らしに希望を──三つの提案」は単なる「希望」であって、そんな〝念仏〟を唱えたところで「産業の空洞化」が止まるわけではなく、「最も効果的な景気対策」でもなければ、「日本経済の持続可能な成長をうながす本道」などでもありません。今の社会の大問題は「資本が大きくなることが目的の社会」か「国民の生活の向上が目的の社会」かをめぐる選択の問題であり、私たちは資本が支配する階級社会で階級闘争をたたかっているのです。

 「暮らしに希望を──三つの提案」が資本の行動を野放しにして、「ルールある資本主義社会」を求めるだけのものであるかぎり、労働者階級のたたかうエネルギーを引き出すことはできず、自民党と財界の思うつぼです。いくら、「生産手段の社会化によって、人間による人間の搾取を廃絶する」などともっともらしいことを言っても、「財界」=資本の行動などまったく眼中になく、現在の日本の産業構造のもとでの労働者階級の状況などまったく眼中なく、不破さん自身が「〝資本主義の知恵〟の発揮」(*4)と認めるような「ルールある経済社会」に「希望」を見つけて満足し、それが「未来社会」と「『地つづき』でつながって」いるというのですから、「財界」も笑いが止まらないことでしょう。

“「共産党」員のみなさん、不破さんとその弟子である志位さんに従って、どんどんより良い資本主義を推進しましょう、私たちも出来る限りのことはします。その先に「地つづき」で「未来社会」があると、不破さんも、志位さんも、言っているんですから”と経団連会長に叱咤激励されそうです。

 「日本共産党」の最大の誤りは、「ルールある経済社会」を「『財界中心の政治』のゆがみ」を是正する〝ゴール〟にしている点にあります。国民が今の社会を「資本が大きくなることが目的の社会」であることを見抜き、国民の意識が「資本が大きくなることが目的の社会」を「国民の生活の向上が目的の社会」に変える方向に向いたとき、「ルールある資本主義社会」のでまかせは否定されます。その先頭に立って資本主義を暴露するのが科学的社会主義の党の役割です。共産党員のみなさん、たたかいの原点をもう一度思い出して、不破さんの「資本主義発展論」を乗り越えて、日本共産党をカッコ付きの「共産党」から科学的社会主義の党に蘇らせて下さい。

(*1)不破さんの「未来社会」論全般については、ホームページ4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する。」及び4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を、(*2)不破さんの「自由の国」とは「自由な時間」のことで、資本主義社会にも〝余暇〟があり「自由の国」があるという特異な考えについては、ホームページAZ-2-2「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏(その2)」を、(*3)「従来の社会主義論」は、「経済的土台の変化だけに目を向けて」いるという謬論については、ホームページ4-18「☆「人間の発達」は資本主義を社会主義に変え、生産力を発展させなければ保障されない〈階級社会の本質を曖昧にし、「生産物の分配の仕方」より「人間の発達」を重視する不破哲三氏〉」を、(*4)不破さんの「〝資本主義の知恵〟の発揮」発言については、ホームページ4-20「☆『社会変革の主体的条件を探究する』という看板で不破さんが『探究』したものは、唯物史観の否定だった」を、是非、参照して下さい。

むすびにかえて

 

プロローグ

これまで見てきた、この「共産党」の、〝誤った税の捉え方〟、〝誤った経済政策〟そして〝誤ったたたかい方〟は、不破さんの「資本主義発展論」(*)──資本主義は矛盾を含んでいるが、〝資本主義の知恵〟によって困難を乗り越え、困難を乗り越えたことによって、「前よりも高い所で経済的発展が進む新しい循環の出発点になる」──という〝資本主義発展論〟から導き出される、資本主義的生産様式に屈服した〝三位一体の運動論〟です。

 この誤った「三位一体の運動論」は、労働者階級を新しい生産様式の社会をつくる主役から排除した「2004年綱領」と「2020年綱領」から導き出される、資本主義社会を前提とした資本主義的エセ「民主主義」によって生み出されたイデア(理念)であり、資本主義社会のユートピア(実現不可能な理想)です。

 そして、このように〝革命〟を「改良」に変える不破さんは、資本主義的生産様式の社会から社会主義社会への変化の実態である〝生産手段の社会化〟の意味をまったく理解していません。そのために、一面的で歪んだ「多数者革命論」なるものを生み出し、労働運動を台無しにしています。現在の「共産党」のもう一つの弱点はここにあります。

 ホームページ3-3-2「党支部は、党を作り、草の根から民主主義を組織するよりどころ」以下で、一面的で歪んだ「多数者革命論」がもたらす弊害を一緒に見ていきましょう。

(*)不破さんの「資本主義発展論」についての詳しい説明は、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」を、是非、参照して下さい。