AZ-2-3

『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏

その3

このページでは、不破さんの「『資本論』刊行150年に寄せて」の⑧及び⑨で書かれている謬論の批判を掲載します。なお、不破さんは、⑨の中で、共産党が輝きを増してきた60年代後半の理論的到達点を否定し、当時から不破さんの謬論に共産党が汚染されていて、レーニンの誤りをただしたかのような党史の改ざんをおこないます。絶対に許せません。

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⑧「資本主義は人類史の過渡的一段階(3)」に見る不破さんの歪んだ「革命観」

『資本論』と資本主義の一面しか見ない不破さんの主張

 不破さんは、第8回連載冒頭の「民主主義の政治体制が可能に」という小見出しの箇所で、マルクスが『資本論』の『57~58年草稿』で、資本主義が以前の搾取制度とくらべ「個人の『人格的独立』が承認されたところに質的な最大の違いがあることを強調し」たことを述べ、資本主義の発展とともに、「国民に平等の権利を与える民主主義の体制、共和制あるいは議会制民主主義の実現が可能とも必然ともなってくることを示すものでした」と、不破さんらしい感性をもって、言っています。

資本主義が発展すればするほど資本の支配は強まり巧妙になる

 『資本論』の初版の序文には、近代社会の経済的運動法則を暴露し、分娩の苦痛を短くし緩和すること、が『資本論』の最終目的であることが述べられています。

 読者の多くが科学的社会主義の思想(マルクス・エンゲルス・レーニンの思想)を学びたいと願う『赤旗』紙上で、「『資本論』刊行150年に寄せて」と銘打った寄稿をするのであれば、「プロクルステスの寝台」のように自分の意図に合う文だけ拾いだすのではなく、著者・編者の意図を汲んで文章を組み立てるのが礼儀だと思う。

 マルクスは、「個人の『人格的独立』」に関して次のように述べています。

 「貨幣が資本に転化するためには、貨幣所持者は商品市場で自由な労働者に出会わなければならない。自由というのは、二重の意味でそうなのであって、自由な人として自分の労働力を自分の商品として処分できるという意味と、他方では労働力のほかには商品として売るものをもっていなくて、自分の労働力の実現のために必要なすべての物から離れ解き放たれており、すべての物から自由であるという意味で、自由なのである。……そして、この一つの歴史的な条件が一つの世界史を包括しているのである。」(大月『資本論』①P221-223)、と。

 このように、資本主義的生産様式が存立するための条件としての自由な労働者は、人格的な自由と生産手段からの自由という二つの自由をもっています。「人格的な自由」=「人格的独立」は、国民の戦いによって、「国民に平等の権利を与える民主主義の体制、共和制あるいは議会制民主主義の実現」の可能性を現実に転化させる条件をつくり出しました。もちろん、それは戦いなしの「必然」などではありません。しかし同時に、自由な労働者の「生産手段からの自由」は資本主義社会の経済的運動法則によって、資本の強化・増大に比例して、労働者は資本への一層の従属を強いられます。

『資本論』から関連する幾つかの文章を紹介します。

11-7 資本主義的生産における労働の生産力の発展の目的

「労働の生産力の発展は、資本主義的生産のなかでは、労働日のうちの労働者が自分自身のために労働しなければならない部分を短縮して、まさにそうすることによって、労働者が資本家のためにただで労働することのできる残りの部分を延長することを目的としているのである。」(大月版『資本論』①P422 F9-11)

11-8 機械の資本主義的充用は労働者の地位低下のテコ

「労働時間を短縮するための最も強力な手段が、労働者とその家族との全生活時間を資本の価値増殖に利用できる労働時間に変えてしまうための最も確実な手段に一変する、という経済的逆説が生ずるのである。」(大月版『資本論』①P532 F7-B6)

13-2 機械の資本主義的充用の結果

「機械は、それ自体として見れば労働時間を短縮するが、資本主義的に充用されれば労働日を延長し、それ自体としては労働を軽くするが、資本主義的に充用されれば労働の強度を高くし、それ自体としては自然力にたいする人間の勝利であるが、資本主義的に充用されれば人間を自然力によって抑圧し、それ自体としては生産者の富をふやすが、資本主義的に充用されれば生産者を貧民化する」(大月版『資本論』①P577 B3-P578F2)

*引用文に付いている番号は、ホームページ「温故知新」→「マルクス・エンゲルスの大事な発見」のマルクス・エンゲルスの著作の抜粋の文章番号です。参照して下さい。

『資本論』は資本主義社会を根源からシャープに捉え、今に生きる、読む価値のある古典

 資本主義的生産様式のもとでの自由な労働者は、富の不平等のもとで、「国民に平等の権利を与える民主主義の体制」を享受することができます。資本主義的生産様式のもとでの自由な労働者は、資本が社会システムを支配し、マスコミを支配する中で、金権政治の基で、「国民に平等の権利を与える民主主義の体制」を享受することができるのです。

 不破さんは、資本主義社会における「個人の『人格的独立』」の問題を語るにあたって、上記について、まったく触れません。これで、マルクス・エンゲルスの意を汲んだ「『資本論』刊行150年に寄せて」の文章と言えるでしょうか。この文章をよんだ『赤旗』読者に、『資本論』の内容を正しく伝え、『資本論』が資本主義社会を根源からシャープに捉えた今に生きる読む価値のある「古典」であるということをアピールすることができた、ということができるでしょうか。

不破さんは、マルクスが1878年に多数者革命論を提起したと読者にウソをつく

 不破さんは、続けて、「民主主義革命の先頭に立つ」と「マルクス、多数者革命論を提起する」いう小見出しの箇所で、概ね次のことを述べています。

 ①マルクスは、1840年代に民主主義革命の先頭に立つたこと②社会主義をめざす変革の問題で、「マルクスが発展的な見解を示したのは、1870年代の中頃」だったこと③不破さんは、米国の1860年の大統領選挙で反奴隷制派のリンカーン勝利し、大統領選挙の結果が、国の政治・経済の根本問題を解決したことを述べ、アメリカでのこの事件が「マルクスの革命観に大きな影響を及ぼした」と推測していること④1878年に、「多数者革命論を、マルクスがはじめて提起した」こと。

 なお、「多数者革命論を、マルクスがはじめて提起した」という文章は、「社会主義者取締法にかんする帝国議会討論の概要」という文章で、不破さんの抜粋文は下記のとおりです。

「時の社会的権力者のがわからのいかなる強力的妨害も立ちはだからないかぎりにおいて、ある歴史的発展は『平和的』でありつづける。たとえば、イギリスや合衆国において、労働者が国会(パールメント)ないし議会(コングレス)で多数を占めれば、彼らは合法的な道で、その発展の障害になっている法律や制度を排除できるかも知れない。……それにしても、旧態に利害関係をもつ者たちの反抗があれば、『平和的な』運動は『強力的な』ものに転換するかも知れない。その時には彼らは(アメリカの内乱やフランス革命のように)強力によって打倒される、『合法的』強力にたいする反逆として」(1878年9月『マルクス・エンゲルス全集』34巻412ページ)

 このように、不破さんは、議会で多数を獲得することを「多数者革命論」と言い、マルクスが1878年までそのような考えを持っていなかったかのように言い、マルクスの「革命観」が変化したかのように言います。

不破さんの寄稿文を見ているのは、科学的社会主義の「カ」の字も知らない、日本を良くしようと思って入党した「『単純な』(!)常識の騎士たち」だけではない

 不破さんは、マルクスの未熟さを示して、数々の「発見」をした自分の偉大さを示そうとすればするほど、不破さんが科学的社会主義の思想から遠ざかっていくことを、そろそろ悟るべきだと思います。

 下記の文章を読んで下さい。

「労働者は、新しい労働の組織をうちたてるために、いつかは政治権力をにぎらなければならない。労働者は、古い制度を支えている古い政治をくつがえさなければならない。そうしなければ、このことを怠り軽んじた古代のキリスト教徒と同様に、この世で天国を得る機会を喪失することになるであろう。

 しかし、われわれは、この目標に到達するための方法がどこでも同じだと主張したことはない。

 われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮にいれなければならないことを知っており、アメリカやイギリスのように──そしてもし私があなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、あるいはオランダもここにつけくわえたかもしれないが──、労働者が平和的な方法によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。だが、このことが正しいとしても、われわれはまた、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。強力こそ、労働の支配をうちたてるためには、いつかはそれに訴えなければならないものなのである。……

 市民諸君、インタナショナルのあの基本原理、すなわち連帯を、忘れないようにしよう。活力を与えるこの原理を万国のすべての労働者のあいだに、強固な基礎のうえで確立したときにのみ、われわれは、われわれがかかげた偉大な終局目標を達成できるであろう。革命は連帯しあったものでなければならない。このことは、パリ・コミューンの偉大な戒めが教えている。パリ・コミューンは、すべての中心地で、ベルリンで、マドリード等々で、パリのプロレタリアートのこの最も壮大な蜂起に匹敵する大きな革命的運動が起こらなかったために、倒れたのであった。」レキシコン⑤-[136]P253-255の下線部 (『マルクス・エンゲルス全集』18巻157-9ページ、マルクス『ハーグ大会についての演説』)

 この文章は、「1870年代の中頃」でも「1878年」でもない、1872年9月8日のアムステルダムの大衆集会でのマルクスの演説の新聞通信員による記録で、『ハーグ大会についての演説』といわれるものです。ホームページ「温故知新」→「マルクス・エンゲルスの著作の抜粋」→「H、闘争・団結・未来」の「24-1 革命の(平和的または強力による)方法と国際連帯」を参照して下さい。

 このように、マルクスは、これまで「この目標に到達するための方法がどこでも同じだと主張したことはない」ことを、1872年9月8日の時点で、述べています。その理由として、「われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮にいれなければならないことを知って」いるからだといいます。科学的社会主義の思想の持ち主なら当然の思考です。しかし、不破さんは、マルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆のひとつ」だというと「恐慌=革命」説だと言い、レーニンが当時の帝国主義を「死滅しつつある資本主義」だというとレーニンは「革命近し」と言い「それらの発言からからもうほぼ百年たちましたからね」と揶揄して自分の認識能力の貧しさをひけらかします。マルクス・レーニン主義(=科学的社会主義)の思想に立脚し、情勢と戦術との関係を熟知しているマルクス・エンゲルス、レーニンと不破さんとでは認識の仕方がまったく異なります。(不破さんの「恐慌=革命」説については、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった」を、レーニンに対する不破さんの揶揄に関しては、ホームページ4-13「☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」を参照して下さい。)

 このように、不破さんは字づらだけを自分の都合のいいようにとらえる人なので、この『ハーグ大会についての演説』の演説の中でマルクスが「強力がわれわれの革命のてこ」と言っているので、マルクスは「暴力革命」説に立っていると判断して、触れてはいけない文章と考え、あえて触れなかったのかも知れません。

 しかし、上記の文章は、不破さんの「多数者革命論」が、その可能性の有無にかかわらず、議会で多数を獲得することのみを「多数者革命」と言って科学的社会主義の〝革命観〟を歪曲し、矮小化しようとする意図を打ち砕き、マルクスもエンゲルスも〝革命観〟の変化などなかったことを言明した文章です。そして、この文章は、私たちが学ぶべき、科学的社会主義(=マルクス・レーニン主義)の情勢の見方、歴史観・革命観と思考方法とを示した、不破さんが煎じて飲むべき、立派な文章です。

 このように、⑧「資本主義は人類史の過渡的一段階(3)」は、「民主主義の政治体制が可能に」という小見出しの箇所での資本主義の一面的評価に加えて、「推測」を交えて不破さんが述べている、不破さんの一面的で歪んだ「革命観」、独自の「多数者革命論」なるものが、マルクス・エンゲルス・レーニンの認識方法や思想とは「似て非なるもの」どころか、科学的社会主義の思想と認識方法とまったく無縁のものであることを明らかにしました。

⑨「マルクスの未来社会論(1)」でのレーニンへの誹謗と不破さんが壊してしまった「共産党」の自慢話

不破さんの発見した「自由の国」

 不破さんは、第9回連載「マルクスの未来社会論(1)」で「未来社会論が百年以上も見落とされてきた」と言いますが、不破さんが大「発見」した「未来社会論」とは、「自由の国」とは「自由な時間」のことで、〝余暇〟のことだというものです。

 この、マルクス・エンゲルスもビックリな不破さんの創作については、ホームページ「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏(その2)」をもう一度ご覧下さい。より詳しくはホームページ4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」と4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を参照して下さい。

不破さん以外に「未来社会論」を発見できなかったのはレーニンの『国家と革命』のせいだという

 そして不破さんは、不破さんが発見(捏造)したニセ「未来社会論」が、「ほとんど誰からも注目されず、見落とされてきた」「その最大の原因は、レーニンがその著作『国家と革命』で展開した議論にありました」と、レーニンに濡れ衣を着せます。

 しかし前掲のホームページでも明らかにしたように、不破さんの発見なるものが、科学的社会主義の思想とは相容れない「珍論」であり、「世界の共産主義運動」の担い手たち全員が馬鹿で気づかなかったからではありません。

 不破さんは、『国家と革命』には「マルクスの見解の大きな誤解」があったとして、二つの点をあげます。一つは、「マルクスが、議会での多数を得ての革命の可能性を重視するようになったことを無視し」て、「武力による革命を社会主義革命の普遍的法則として定式化したこと」だと言い、もう一つは、『ゴータ綱領批判』を読み誤って、「生産力の増大に応じて『労働に応じた分配』から『必要に応じた分配』に発展するのが未来社会の発展法則だという定式化をおこなった」ことだと言います。

 不破さんのこの主張とこれまでの言動をもとに、不破さんが『国家と革命』を書くと概ね次のようなものになるのではないかと思います。

 「ツァーリに、男女平等の普通選挙権と『権力をもつ人民代議機関』としての国会の開設を求め、そこで人民に余暇時間を与えるための『社会的バリケード』を築き余暇=『自由の国』をつくろう。(あくまでも議会をつうじての革命)生産物の分配など『経済的土台の変化』に目を向けた『未来社会』などあまりうらやましくない。『人間の発達という肝心なこと』を中心に置かなければならない。『巨大な生産力の発展がなければ、搾取社会が共同社会に変わっても、個々人はわずかの「自由な時間」しか与えられず、社会変革が「個々人の完全な自由な発展」と結びつくことなど起こりえない』。(「経済的土台の変化」より「自由な時間」の実現)これが私がマルクスの著作から発見した輝かしい『未来社会』論だ。」

 1916年のロシアでこんなことを言ったら、不破さんは、労働者に会場からつまみ出されてしまうだろう。

『国家と革命』は、何のためになぜ書かれたか

 不破さんは、『前衛』の2014年1月号でも、「レーニンが『国家と革命』で示した未来社会の定式というのは、結局、生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくかがすべてなのです」と述べて、「従来の社会主義論」の筆頭に『国家と革命』をあげています。

  不破さんから再三やり玉にあがる『国家と革命』とはどんな情勢のなかで、何のために書かれた文章なのか見てみましょう。

 『国家と革命』は、「1917年の今日」、「労働者が決戦を強いられて」、「蜂起が事実」となる数ヶ月前、ヨーロッパの革命の一環としてのロシア革命のまっただ中で、全権力をソヴェトに移すべき時に、「国家の問題について」、「国家機構」のあり方について、既存の「機構」をどうすべきか、新しい「機構」はどうあるべきかを、「国家についての革命の諸任務を」、「国家にたいするプロレタリア革命の関係」にテーマを絞って、「国家が死滅するさいの政治と経済との関係」までについて書かれたパンフレットです。

 だから、『国家と革命』に、「1917年の今日」の情勢のもとで、「暴力革命」によって「官僚的=軍事的国家機構をうちくだく」ことが書かれ、「人間の全面的な発達が保障される社会」について章を改めて詳細に書かれていないからと言って、その不備を指摘するのは筋違いの話です。「不破さんは『国家と革命』で私が言いたかったことをごまかしているか、あるいはまったく理解しなかったかである」とレーニンに言われそうです。

 以下で、不破さんの言う、『国家と革命』でのレーニンの「マルクスの見解の大きな誤解」についての不破さんの大きな誤解を見ていきましょう。

社会変革の方法についてのマルクス・エンゲルス・レーニンの考え方に違いはない

 「新しい労働の組織をうちたてるため」に「政治権力」をにぎるための方法についてのマルクス・エンゲルスの考え方については、先に、マルクスの『ハーグ大会についての演説』で見てきましたが、その内容は、概ね次のとおりです。

 ①われわれ(マルクス・エンゲルス)は、この目標に到達するための方法がどこでも同じだと主張したことはない。②われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮にいれなければならないことを知っている。だから、アメリカやイギリスのように労働者が平和的な方法によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。③だが、われわれはまた、この大

陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。④強力こそ、労働の支配をうちたてるためには、いつかはそれに訴えなければならないものなのである。⑤パリ・コミューンは、ヨーロッパのすべての中心地で、ベルリンで、マドリード等々で、パリのプロレタリアートのこの最も壮大な蜂起に匹敵する大きな革命的運動が起こらなかったために、倒れたのであった。

 このマルクス・エンゲルスの考えと『国家と革命』の中でのレーニンの考えとに、どのような違いがあるのか見てみましょう。

 『国家と革命』の中から、「強力」をてことする「革命」に関する主要な記述を拾って見ます。

 ①「ブルジョア国家が、プロレタリア国家と『死滅』の道を通じて交代することは不可能であり、それは、原則としては、暴力革命によってのみ可能である。」(1964年新訳、国民文庫P35)

 ②マルクスは、1871年には、イギリスでは「革命は、人民革命でさえ、『できあいの国家機構』の破壊という前提条件がなくても当時は可能であると思われたし、また実際に可能であった」。しかし、「1917年の今日、第一次帝国主義的大戦争の時代には、マルクスのこの限定はなくなっている」。(同上P57-58)

 ③「エンゲルスは、自分の手をしばらないように十分用心している。彼は、共和制の国々または非常に大きな自由のある国々では、社会主義への平和的発展が『考えられる』(『考える』だけである!)ことをみとめている。」(同上P101)

 この代表的な三つの文章から言えることは、①マルクスもエンゲルスも「社会主義への平和的発展」の可能性を条件付きで認め、それをレーニンも肯定的に捉えていたこと。②そのことをレーニンは「原則としては、暴力革命によってのみ可能である」と言ったこと。③しかし、「1917年の今日」、つまり、「第一次帝国主義的大戦争の時代には」、マルクス・エンゲルスのいう例外はなくなっているということ。

 これらの文章とマルクスの『ハーグ大会についての演説』を比較すると、「1917年の今日」における情勢の捉え方がレーニンの指摘するとおりであるならば、まったく同じことを言っていることになる。

1917年4月、レーニンは、多数者を味方に獲得しての平和革命以外に道はない、と考えていた

 不破さんは、レーニンが「武力による革命を社会主義革命の普遍的法則として定式化した」から誤りだと言うが、「1917年の今日」を判断材料に加えるレーニンの判断の仕方に誤りがあるというのか、それとも、レーニンが「1917年の今日」における情勢の捉え方を誤っているというのか、何も語らない。私は、レーニンの判断の仕方も、レーニンの「1917年の今日」における情勢の捉え方も正しかったと思う。

 その理由を示そう。

 不破さんが「レーニンの荒れた時期」と誹謗している時期に開かれた、共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)でのドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団員との会議で、レーニンがおこなった演説の中に、1917年4月時点でのレーニンの革命観と現状認識をよくあらわす文章がありますので紹介します。(なお、会議の詳しい内容はホームページ「レーニンの大切な考え方」→「D・ロシア革命」の13-7「総攻勢が近ければ近いほど」を参照して下さい。)

 レーニンは、当時、党内の左派・「冒険主義者」にむけて、「臨時政府は倒さなければならない。なぜなら、それは人民的な政府ではなく、寡頭支配的な政府だからであり、われわれに、パンも、平和も、あたえることができないからである。しかし、この政府をただちに倒すことはできない。なぜなら、それは、労働者ソヴェトに基礎をおいており、いまのところまだ労働者の信頼を得ているからである。われわれは、ブランキ主義者ではなく、労働者階級の多数者に反対して、その少数者にたよって統治するつもりはない」(全集P23?24参照)、「『臨時政府を倒せ』というスローガンは正しくない、なぜなら、人民の多数者を味方にもたなければ、このスローガンは空文句か、でなければ冒険になってしまうからである」(第42巻『共産主義インタナショナル第3回大会』P434~440、1921年7月11日を参照)といっています。

 このようにレーニンは、革命運動において、人民の多数の意志に従うことを基本と考えており、そのことの重要性をドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団員に話しています。当然のことですが革命には多数の支持と同意が必要だと考えていました。

 そして、上記の「われわれは、ブランキ主義者ではなく、労働者階級の多数者に反対して、その少数者にたよって統治するつもりはない」という文章は、会議の中では要約してこのように話したような記述になっていますが、もとになる文章は、1917年4月9日の『プラウダ』によれば、レーニンは、労働者代表ソヴェトが「権力となるためには、自覚した労働者は、多数者を味方に獲得しなければならない。大衆にたいする暴力が存在しないあいだは、これ以外に権力に到達する道はない。われわれは、ブランキ主義者ではなく、少数者による権力の奪取を支持するものではない」(同前P23-24)と言っています。

 つまり、レーニンは、1917年4月9日の時点では、「大衆にたいする暴力が存在しないあいだは」、「労働者と農民の大多数の意識と意志を直接に表現する」(同前P5)「ただ一つ可能な革命政府の形態」(同前P5)である労働者代表ソヴェトへ「多数者を味方に獲得」する「以外に権力に到達する道はない」と考えていました。このようにレーニンは、多数者による権力の平和的な移行による革命、平和革命以外に権力に到達する道はないという確固たる考えを持っていました。しかしその後、レーニンも間一髪の危機に見舞われるような「大衆にたいする暴力」が社会を覆い、10月革命へとロシアは導かれました。

 このように、レーニンの革命観も、レーニンの「1917年の今日」における情勢の捉え方も、まったく正しかったと思います。だから、千歩も万歩も譲って、『国家と革命』に誤りがあったとしたら、それは革命観ではなく情勢認識についてですが、革命の推移が情勢認識の正しさと革命観の正しさを証明しています。

 なお、レーニンはどんなときでも、資本主義国における「民主主義的改造」と「議会制度の利用」をけっして軽んじることはありませんでした。その良い例として、1916年10月末~11月初めに執筆したスイス社会民主党内のツィンメルヴァルド左派への提案があります。その中に、「三 とくに緊切な民主主義的改造と、政治闘争と議会制度との利用」という項に「 17 男子の政治的権利に比較して、婦人のそれにくわえられている制限を例外なくすべて撤廃すること。戦争と物価騰貴が広範な人民大衆を動揺させ、とくに婦人の関心と注意とを政治へ引きつけているような時には、この改造がとくに緊切なものであることを大衆に説明すること。」(第23巻 「スイス社会民主党内のツィンメルヴァルド左派の任務」P150~155)というのがありますが、そのほか、「税」に関する提案等たいへん参考になる文章がありますので、ホームページの「温故知新」→「レーニンの大事な発見」→「B・党」の4-22「党の任務……大衆の主要な根本的な不幸を取り除く運動」を是非お読み下さい。

 このようなレーニンの生きた時代の現実を見ない不破さんの、もっともらしい、なんの役にも立たない一般論の絶対化にだまされてはなりません。

『ゴータ綱領批判』にかこつけて、レーニンを揶揄する不破さんの前歴

 不破さんは、レーニンが『ゴータ綱領批判』を読み誤って、「生産力の増大に応じて『労働に応じた分配』から『必要に応じた分配』に発展するのが未来社会の発展法則だという定式化をおこなった」ことだと言い、「レーニンが『国家と革命』で示した未来社会の定式というのは、結局、生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくかがすべてなのです」(『前衛』2014年1月号)と、唯物史観を無視して、「経済的土台の変化」の意義をわきに置こうとします。

 不破さんは、かつて、『経済』2000年2月号では、マルクスの『ゴータ綱領批判』を引き合いに出し、「これはあくまで私の推測ですが、もしレーニンが、そのこと(共産主義社会における生産物の分配──青山注)から、共産主義の第一段階(社会主義社会)への中心問題は分配の問題にあるという結論を引きだし、それを自分の『記帳と統制』論と結びつけたのだとしたら、そこにもまた、一つの問題があることを指摘しなければなりません」と、見当外れの「推測」をして、それをもとに「問題」を「指摘」するというスーパープレイを演じたことがあります。(詳しくはホームページ4-12「☆不破哲三氏によるレーニンの「記帳と統制」の概念の歪曲」を参照して下さい。)それから17年経ったら、「これはあくまで私の推測です」とされたものが、レーニンが『ゴータ綱領批判』を読み誤ったことになってしまいました。

 しかし、だれがどう『ゴータ綱領批判』を読み誤っても、不破さんのように、マルクスの未来社会論の「自由の国」とは「自由な時間」=〝余暇〟のことで、「経済的土台の変化」があっても「自由な時間」がなければ駄目だなどと本末転倒な、唯物史観も階級闘争も、へったくれもないようなことを言う人は、不破さんをおいてほかにはいないでしょう。

 もう一度、『経済』2000年2月号で不破さんが言っていることを見てみましょう。

 不破さんは、『ゴータ綱領批判』の内容の一部に触れたあと、「ここで注意する必要があるのは」として、『ゴータ綱領批判』のなかの文章、「これまで述べてきたことは別にしても、いわゆる分配について大さわぎをしてそれに主たる力点をおくことは、なんといっても誤りであった」という文章を引用し、あたかもレーニンが「分配」にこだわっており、マルクスはそれを批判しているかのような、読者に誤解を与えかねないような中途半端な解説をおこなっています。しかし、不破さんはこの文章の肝心なところ、つまり、だれが誤っていたのかを明確に述べず、誤っている理由について(それはこの文章に続く文章でマルクスが明らかにするのだが)も何も触れていません。その結果、不破さんの文章は、事情に精通していない読者には、レーニンの「誤り」と関連するかのように思えるような書きかたになっています。

 そして、このような文章に続いて、「ですから、もしレーニンが、『ゴータ綱領批判』における分配論から、共産主義の第一段階についてのマルクスのそこでの記述を『記帳と統制』の決定的な重要性を指摘したものだとの結論を引きだし、それを『記帳と統制』の組織化を通じて社会主義への移行という構想と結びつけたのだとしたら、そこには、一つの理論的な錯覚があったと言わざるをえません。」と、不破さんの勝手な推測を根拠に、レーニンを断罪します。

  不破さんが何を推測しようがそれは本人の勝手ですが、不破さんは、自ら矮小化した「記帳と統制」とまったく関係のない『ゴータ綱領批判』の文章の一部を、トリックまがいの書き方で、「推測」と絡ませて、レーニンがマルクスを読み誤ったかのように結論づけます。こんな「推測」の濫用は絶対に許されません。

「ゴータ綱領批判」でマルクスが言っていること

 不破さんがとりあげた箇所でマルクスが言っているのは、①ラサールが「労働収益」という曖昧な概念をつかって「公平に分配する」という、日本共産党の「ルールある資本主義」という言葉と同じような、「きまり文句」で綱領の記述をするのは誤っているということ②資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会では、個々の生産者は、彼が社会にあたえたのときっかり同じだけのものを受けとる、つまり労働に応じて受けとる。能力の違う諸個人が不平等な条件で不平等に受けとるということ③労働者は、これこれの量の労働を給付したという証書を社会から受けとり、その証書で同じ労働量の必要な消費手段を取得するということ④ここで支配しているのは、商品交換を規制するのとあきらかに同一の原則であるということ、です。

 17年前、不破さんは、ここからレーニンが「配給」と「市場の廃止」を読みとったと「推測」しましたが、今度は「生産力の増大に応じて『労働に応じた分配』から『必要に応じた分配』に発展するのが未来社会の発展法則だという定式化をおこなった」と断言します。

 「経済的土台の変化」があっても「自由な時間」がなければ駄目だと言い、「賃金が上がれば日本は良くなる」と言う不破さんには、「これまで述べてきたことは別にしても、いわゆる分配について大さわぎをしてそれに主たる力点をおくことは、なんといっても誤りであった。」に続く次の文章をよく噛みしめていただきたいと思います。

 引用します。「どんなばあいにも、消費諸手段の分配は生産諸条件の分配そのものの結果にすぎないのであって、生産様式そのもののひとつの特徴をなすのは生産諸条件の分配のほうである。たとえば資本主義的生産様式の基礎は、物象的な生産諸条件が資本所有と土地所有という形態で働かざる者たちに分配されている一方、大衆は人格的な生産条件つまり労働力の所有者でしかない、ということにある。生産の諸要素がこのように分配されているからこそ、消費手段の今日のような分配方式がおのずからうまれているのである。」(マルクス『ゴータ綱領批判』(ドイツ労働者党綱領評注)岩波文庫P39-40)という文章です。

 このように、マルクスは、「経済的土台の変化」こそ必要だとその重要性を強調しているのです。

 ただ、ここで不安なのは、不破さんが今回の寄稿では『ゴータ綱領批判』のどこをレーニンが「誤読」しているか示していないことです。「未来社会論」という点でいえば、『ゴータ綱領批判』には、次のような有名な文章があります。

「共産主義社会のより高度の段階において、すなわち諸個人が分業に隷属的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれてかれらの生産諸力も成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧きでるようになったのち──そのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏みこえられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて!」(岩波文庫P38)。

 ここで思い出すのが、この前のページ(「その2」)で紹介した『前衛』の2014年1月号での──不破さんが「従来の社会主義論」について、「たいていが、生産物の分配どまり、経済的土台の変化だけに目を向けて、人間の発達という肝心なことが出てこないのです。だから「未来社会」といってもあまりうらやましくない」というと、石川康宏氏がそれに応えて、「そういうテーマでの学習会では、そんなにいっぱい物を消費しなくてもいいじゃないかとか、むしろ環境によくない、無駄じゃないか、という意見がよく出たものです」とトンチンカンな言葉で応じた──エピソードのことです。

 もしかしたら、石川先生は不破さんにトンチンカに応じたのではなく、『前衛』の編集過程でレーニンと『ゴータ綱領批判』のこの文章との関係がカットされたために、『前衛』の「編集」が「トンチンカ」に行われたのかも知れません。そうであるならば、ちゃんとメールで伝えていただければ、今後、石川先生に対して「トンチンカ」などと失礼なことは言いません。

 そういう文脈で『ゴータ綱領批判』のこの文章をうがった目でみると、マルクスは富が「すべての泉から溢れるばかりに湧きでる」「必要に応じて」「いっぱい物を消費」する社会を未来社会とみる「未来社会論」をもっていた、マルクスは「生産物の分配」のしか方を「未来社会論」の中心に置いていたと非難する人もいるかもしれません。

 しかし、不破さんが「自由の国」が述べられている箇所として取り上げた『資本論』(大月版⑤ P1050B3-1051B6)も『空想から科学へ』(P71-72、75)も、「自由の国」とは「自己目的として認められる人間の力の発展が」保障される国、「ただ物質的に十分にみち足りており、日に日にますます豊かになっていくだけでなく、肉体的、精神的素質の完全で自由な育成と活動を保障するような生活を、社会的生産によってすべての社会の成員にたいして確保」された国のことで、「それはただかの必然性の国をその基礎としてその上にのみ花を開くことができ」ることを述べており、『ゴータ綱領批判』のこの文章で述べていることと同じことを述べています。未来社会とは、資本主義的生産様式を変革して、社会主義の過渡期をへて実現される「肉体的、精神的素質の完全で自由な育成と活動を保障するような」社会のことです。

 そして、『国家と革命』を真摯な態度で読めば、『ゴータ綱領批判』の前述の部分が引用されていることや、社会主義建設での民主主義の発展の重要性について、自覚的な個人の社会への参加の重要性や条件について、「新しい自由な社会状態のもとに成長してきた一世代」について、「社会主義が労働日を短縮し、大衆を新しい生活へひきあげ」ること等について、『前衛』の2014年1月号の不破さんたちの鼎談で「人間の発達」「人間の力の発達」と抽象的に語られている程度の内容ならば、十二分に含まれていることは、誰にでもわかることです。だから、『国家と革命』が未来社会を矮小化して、「生産力の増大に応じて『労働に応じた分配』から『必要に応じた分配』に発展するのが未来社会の発展法則だという定式化をおこなった」などと言うのは、まったくの誤りです。

 また、革命以前にもレーニンは社会主義への道の多様性と社会主義の多様性について、社会主義革命にとって欠くことのできない民主主義について、機会あるごとに述べています。その幾つかを紹介しますので、是非、ご覧下さい。

①〈革命前、1916年8月、社会主義への道の多様性と社会主義の多様性について〉

「発展した資本主義のもとでは一様に避けられない、こんにちの帝国主義のもとでのトラストや銀行でさえ、国が異なれば、具体的な形としては同一ではない。まして、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツのような先進の帝国主義国の政治形態は、だいたい同質であるにもかかわらず、なおさら同一ではない。このような多様性は、人類がこんにちの帝国主義からあすの社会主義革命へすすんでいく道の上にも現れるであろう。すべての国民は社会主義へ行きつくであろう。それは避けられない。しかし、すべての国民がまったく同一のやり方で行きつくとはかぎらない。それぞれの国民は、民主主義のあれこれの形態に、またプロレタリアートの独裁のあれこれの変種に、また社会生活のいろいろの側面の社会主義的改造のあれこれの速度に、独特なものをもたらすであろう。「史的唯物論の名のもとに」、この点て未来を灰色がかった一色でえがきだすほど、理論的に貧弱で、実践的にこっけいなことはない。これはスズダリ〔の聖像画家〕式のぬたくり絵であって、それ以上のものではない。社会主義的プロレタリアートが最初の勝利をおさめるまでに、解放され分離するのがこんにちの被抑圧民族の五〇〇分の一にすぎず、社会主義的プロレタリアートがこの地球上で最後の勝利をおさめるまでに(すなわちすでに開始された社会主義革命が幾多の転変をとげるあいだに)分離するのが、同じく被抑圧民族の五〇〇分の一にすぎず、それもほんのしばらくの間であることを現実がしめすようなばあいでさえ──そういうばあいでさえ、抑圧民族の社会主義者ですべての被抑圧民族の分離の自由を承認せず、またそれを宣伝しないものを、われわれがもういまから自分たちの社会民主党に寄せつけないように労働者に勧告するのは、理論的にも実践的=政治的にも、正しいことであろう。なぜなら、民主主義の形態の多様性と社会主義への移行の形態の多様性とにささやかな寄与をするためには、被抑圧民族のどれだけのものが分離する必要があるかを、われわれは実際のところ知らないし、また知ることもできない。しかし、われわれは、こんにち分離の自由を否定することが、はてしない理論的虚偽であり、実際には抑圧民族の排外主義者にたいする奉仕であるということを知っているし、毎日のように見たり、感じたりしているからである。(第23巻P70~72『マルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』1916年8月~10月執筆 )

②〈ロシア革命のまえ、1916年8月、社会主義革命にとって欠くことのできない民主主義〉

 レーニンは「社会主義は、つぎの二つの意味で、民主主義がなければ不可能である。(一)プロレタリアートは、民主主義のための闘争によって社会主義革命の準備をしていなければ、この革命を遂行することができない。(二)勝利をしめた社会主義は、民主主義が完全に実現しなければ、自分の勝利を維持し、人類を国家の死滅へ導くことができない」(第23巻P76~77『マルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』1916年8月~10月に執筆)と述べ、『国家と革命』でも「われわれがみな知っているように、この時期の「国家」の政治形態は、もっとも完全な民主主義である」と述べています。

 同時期に書いた『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』(1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P16~20)でも、「資本主義と帝国主義を打倒することは、どのような、どんなに「理想的な」民主主義的改造をもってしても不可能であって、経済的変革によってのみ可能である」こと、「しかし、民主主義のための闘争で訓練されないプロレタリアートは、経済的変革を遂行する能力をもたない」こと、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」、資本主義に打ちかつことはできないことを述べています。

 このように、レーニンは「十月革命で政権をとる」まえから、「過渡期」の課題、社会主義建設の課題を正確に認識していました。

『国家と革命』から「過渡期」と「未来社会」を見るとマルクス・エンゲルス・レーニンと不破さんとの違いがハッキリする

  『国家と革命』でレーニンは「民主主義を徹底的に発展させること、このような発展の諸形態を探しだすこと、これらの形態を実践によって点検すること等々、すべてこうしたことは、社会革命のために闘争するという任務を構成するものの一つである」(国民文庫P113)と述べ、社会革命と民主主義との切っても切れない関係と民主主義の多彩な発展の必要性について述べるとともに、「エンゲルスは、習慣(人間は、暴力なしに、服従することなしに社会生活の根本的な諸条件をまもる習慣──青山)のこの要素を強調するために、新しい世代についてかたっている。新しい世代が、『新しい自由な社会状態のもとに成長してきた一世代が、ついに国家の』──民主的共和制をもふくめたあらゆる国家の──『がらくたをすっかりなげすててしまえるときがくるだろう』」(P119)と、エンゲルスを引用して、共産主義社会への「過渡期」に新しい習慣をもった新しい世代が生まれることを述べています。

 そして、不破さんが、「レーニンが『国家と革命』で示した未来社会の定式というのは、結局、生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくかがすべてなのです」と揶揄した『国家と革命』は「第5章 国家死滅の経済的基礎」で、マルクス・エンゲルスを引用しながら「未来社会」について必要・十分な説明をおこなっています。

 つまり、「共産主義社会の第一段階」=「過渡期」=「社会主義社会」は「あらゆる点で旧社会の母斑のくっついている」共産主義社会であるが、「すべての人が社会的生産を自主的に管理することをまなび」「生産力の巨大な発展」を図ることによって、「国家の完全な死滅の経済的基礎」が築かれ、「精神労働と肉体労働との対立」もなくなり、「自由の国」=「共産主義社会の高い段階」に到達する、と。

 このマルクス・エンゲルス・レーニンと不破さんとの「未来社会」論の決定的な違いは二つあります。その一つは、「国家死滅の経済的基礎」をしっかり見てその発展を通じて「共産主義社会の高い段階」を展望するのか、それとも、「未来社会では発展の推進力が上部構造に移ってゆく」として「国家死滅の経済的基礎」を「あまりうらやましくない」と言って捨て去るのかの違いです。そして二つ目は、不破さんのように「指揮者はいるが支配者はいない」といういわゆる「社会主義社会」を「未来社会」として捉えるのか、マルクス・エンゲルス・レーニンのように「精神労働と肉体労働との対立」もなくなり、「諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり」、恒常的な「指揮者」などいない「自由な結合的労働」の社会を「未来社会」として捉えるのかの違いです。

 これらの違いは、科学的社会主義がマルクス・エンゲルス・レーニンの思想であり、不破さんの付け焼き刃の考えとは異なることをよく示しています。

 不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると言いいます。しかし、いま見てきたように、マルクスにもエンゲルスにもレーニンにも、不破さんの言う「過渡期」論はあった。そして、マルクス・エンゲルス・レーニンの「未来社会像の核心」を欠いているのは、ほかならぬ不破さんでした。

  *これまでの論究の詳しい説明は、ホームページ4-12「☆不破哲三氏によるレーニンの「記帳と統制」の概念の歪曲」、4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」、4-18「☆「人間の発達」は資本主義を社会主義に変え、生産力を発展させなければ保障されない」及び4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を参照して下さい。

 このように、不破さんが第9回「マルクスの未来社会論(1)」でこれまで述べていることは、マルクスの〝未来社会論〟の話ではなく、不破さんの科学的社会主義(マルクス・エンゲルス・レーニンの思想)の革命の理論と未来社会論についての一知半解からくる、レーニンの『国家と革命』の歪曲・捏造と「自由の国」とは〝余暇〟であるという、世界の共産主義運動の活動家たちが100年ものあいだ「発見」できなかった、不破さんの「天才的」な〝発見〟の自慢話でした。

 そして、不破さんは、最後の「自主独立の立場でマルクスの本来の理論を解明」という小見出しの項では、共産党が輝きを増してきた60年代後半の理論的到達点を否定して「レーニンの誤解をただし」たとウソをつき、労働者階級を社会変革の主役の座から引きずり下ろしてその歴史的使命を消し去ってしまった2004年綱領の自慢話をします。

党員は不破さんのデマを曝露している「429(よんにいきゅう)論文」を読もう!!

 不破さんは、「マルクスの未来社会論(1)」のむすびの小見出し「自主独立の立場でマルクスの本来の理論を解明」の項で次のように述べます。

「革命論についてのレーニンの誤解については、1960年代に中国の毛沢東一派との闘争のなかで、レーニンの誤解をただし、多数者革命論にこそマルクスの理論的到達点があることを明らかにしました。」と。

 しかし、これは真っ赤なウソです。

 この数年間国会前に駆けつけている多くの高齢者の中のかなりの人たちが、青春時代に「429論文」や「10・10論文」を読み、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想と毛沢東の思想の違いを再認識し、日本共産党の路線の正しさに確信を持って活動してきた人たちです。この人たちのエネルギッシュな活動が、70年代から80年代の共産党の組織活動の黄金時代を築いたのです。この人たちが、「429論文」や「10・10論文」で共産党が「レーニンの革命論の誤解をただした」という言葉を聞いたら、今まで私の言うことを「眉にツバして」見ていた人たちも、その評価を変えることでしょう。

 不破さんは、これまでも、一つの文章を二つに分けてその間に自分の主張を入れたり、推測をもとにその推測に依拠して相手を論破したり、いろいろなテクニックを駆使して自らの尊大さを示そうとしてきました。不破さんが、21世紀になって、マルクスの本当の「恐慌論」を発見し、「激しい理論的衝撃」を受けて、資本主義の見方も、革命の見方も変わったのは本人の自由ですが、今度は、それに合わせて、共産党の過去の正しい主張までも無いことにして、「レーニンの革命論の誤解をただした」などと言い出してしまいました。党本部の中にこれを止める人は一人もいなかったんでしょうか。「貴の岩」が暴力を振るわれたときだれも止めなかったように、みんな見ているだけなのでしょうか。

 「429論文」とは、正式には「極左日和見主義者の中傷と挑発」というタイトルの『赤旗』評論員論文の略称で、1967年4月29日の『赤旗』に発表されたので一般に〝よんにいきゅう論文〟と呼ばれています。論文は、日本共産党の綱領路線が、「暴力革命」を「日本における革命のただ一つの道であることをみとめず、革命の平和的な発展の可能性」を革命の発展の「ひとつの可能な展望としてみとめている」ことについて、当時の中国共産党とその盲従分子が「これこそ『暴力革命がプロレタリア革命の普遍的法則である』というマルクス・レーニン主義の原則にたいする裏切りであり、ブルジョア議会を美化して『議会による革命』をとなえた第二インターナショナルの修正主義路線への転落だ、という」攻撃をしてきたことに対し、マルクス・エンゲルス・レーニンの著作とその時代背景を示して、マルクス・レーニン主義(=科学的社会主義)の旗を守った傑作論文です。

 「429論文」には、私が先ほど指摘した、レーニンは、1917年4月9日の時点では、「大衆にたいする暴力が存在しないあいだは」、「労働者と農民の大多数の意識と意志を直接に表現する」(同前P5)「ただ一つ可能な革命政府の形態」(同前P5)である労働者代表ソヴェトへ「多数者を味方に獲得」する「以外に権力に到達する道はない」と考えていたという指摘はないが、レーニンについての正しい評価をしています。

 論文は、まず、「議会の評価」について、「レーニンは、議会闘争を軽視しこれに否定的態度をとるこのような見解を、『反議会主義』と特徴づけ、マルクス主義とは無縁な『左翼』小児病的見解の典型として、徹底的に批判した」と、レーニンを擁護します。 そして、「『暴力革命唯一論』の誤り」について、この寄稿で不破さんが引用した『国家と革命』の部分も引用しながら、──私はまえに、「レーニンの革命観も、レーニンの『1917年の今日』における情勢の捉え方も、まったく正しかったと思います」と述べましたが、論文もまったく私と同じ認識で──次のように述べます。

「1917年の今日」における情勢の変化によって、レーニンは「イギリス、アメリカなどについてのマルクス、エンゲルスの留保はすでに意味を失ったとして、暴力革命の不可避性を、より一般的なかたちで主張した。

『ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交代するのは、「死滅」の道を通じては不可能であり、それは、通例、暴力革命によってのみ可能である』(レーニン「国家と革命」、全集二十五巻四三二ページ)

 しかし、レーニンは、こうした歴史的情勢のもとでさえ、プロレタリア国家の樹立は『通例』暴力革命によってのみ可能だとのべながらも、一定の条件の組みあわせのもとでは、暴力革命の不可避性に『例外』がうまれうることをけっして否定しなかった。実際、1917年のロシア革命の過程で、革命の平和的発展の可能性がうまれたときには、レーニンは、だれよりもさきにこれをとらえて、この歴史上『きわめて貴重な可能性』(「妥協について」、全集二十五巻三三五ページ)を実現するために、必要なあらゆる努力をおしまなかった。」と。

 そして、論文は、現在の不破さんたちの、マルクス・エンゲルス・レーニンに対する誹謗・中傷のやり方──情勢抜きに言葉尻をとらえるやり方──を見透かしたかのように、「だが、安斎(反党対外盲従分子の一人──青山の注)のこの努力は、『具体的な情勢の研究を引用文と経文読みにすりかえ』るかれの教条主義の実例として役だつにすぎない」と述べています。不破さんと安斎氏との違いは、安斎氏が「引用文」を矮小化して正しい「経文」だと言い、不破さんは、「引用文」を矮小化して誤った「経文」だと言い、二人とも情勢を無視して科学的社会主義の思想を否定することです。

 次に論文は、不破さんが「レーニンの荒れた時期」と「反党対外盲従分子」なみにレーニンを歪曲している時期のレーニンについて「『勤労者の多数者の共感』が投票によって証明される場合がありうることを、けっして否定していないのである」と断言しています。

 なお、私もこのページで、不破さんが「レーニンの荒れた時期」と誹謗している時期に開かれた、共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)の演説の一部を紹介して、レーニンが、1917年4月の時点でも1921年6月の時点でも、革命の平和的発展の可能性についての考えに揺らぎがないことを指摘していますので、思い出して下さい。

 以上、「429論文」を見てきましたが、「10・10論文」(「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」1967・10・10「赤旗」)にもマルクス・エンゲルス・レーニンを誹謗するような文章はありません。

 また、『日本共産党の六十年』も当時の闘いについて、「毛沢東盲従反党分子とのたたかいをゆるめず、評論員論文『極左日和見主義者の中傷と挑発』(『赤旗』一九六七年四月二十九日)などを発表して、高度に発達した資本主義国日本での議会活動の役割を否定するかれらの反議会主義や中国式『人民戦争』論を日本に機械的に導入しようとする極左冒険主義の挑発的くわだてをするどく暴露し、党綱領の見地を擁護してたたかった。」と述べ、マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)の正しい認識の仕方と思想に立っており、マルクス・エンゲルス・レーニンを誹謗するような文章は見あたりません。

 このように、不破さんが「革命論についてのレーニンの誤解については、1960年代に中国の毛沢東一派との闘争のなかで、レーニンの誤解をただし、多数者革命論にこそマルクスの理論的到達点があることを明らかにしました」と言うのは、真っ赤なウソで、輝いていたころの日本共産党の歴史の捏造です。

不破さんの誤った「未来社会論」が日本革命の展望の根底に据えられる

 不破さんは、60年代後半の党史の捏造に続いて、「未来社会論」についての自らの「理論活動」によって、2004年に不破さんの「未来社会論」が共産党の「社会変革の展望の根底にすえ」られたことを自慢して、第9回「マルクスの未来社会論(1)」を結びます。

現在の「共産党」を評価するうえでの科学的社会主義の思想の〝未来社会論〟と不破さんの「未来社会論」

 先に、「『国家と革命』から「過渡期」と「未来社会」を見るとマルクス・エンゲルス・レーニンと不破さんとの違いがハッキリする」で見てきたことと若干重複しますが、上記の観点からもう一度、科学的社会主義の思想にもとづく〝未来社会論〟と不破さんの「未来社会論」とを比べて見てみましょう。

 レーニンは『国家と革命』で、資本主義的生産様式を変革して、「民主主義を徹底的に発展させること、このような発展の諸形態を探しだすこと、これらの形態を実践によって点検すること」を述べています。これは、マルクス・エンゲルス・レーニンの歴史観・世界観の重要な構成要素の一つです。

 これに対し、不破さんは、エンゲルスもレーニンも配分方法(資本主義的生産様式か社会主義的生産様式か──青山の注)のみを問題にし「夢」がないと言い、マルクスは労働時間の短縮による「自由の国」を未来社会として描いたといって、資本主義的生産様式の要である私的資本主義的取得を変革することを「夢がない」と否定し、日本共産党の綱領から労働者階級の歴史的使命を取り除いてしまいます。

 マルクス・エンゲルス・レーニンは「民主主義を徹底的に発展させ」、「すべての人が社会的生産を自主的に管理することをまなび」「生産力の巨大な発展」を図ることによって、「国家の完全な死滅の経済的基礎」を築き、「精神労働と肉体労働との対立」もなくなり、「諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり」、「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこと」となる、恒常的な「指揮者」などいない「自由な結合的労働」の社会を〝自由の国〟=〝共産主義社会の高い段階〟=〝未来社会〟として捉えています。

 しかし不破さんは、「国家死滅の経済的基礎」をしっかり見てその発展を通じて「共産主義社会の高い段階」を展望するのではなく、「未来社会では発展の推進力が上部構造に移ってゆく」として「国家死滅の経済的基礎」を「あまりうらやましくない」と言って捨て去ります。そして不破さんは、「指揮者はいるが支配者はいない」といういわゆる「社会主義社会」での人間関係を「結合社会」の理想的な人間関係として発見します。これは、前にも見たとおり、第10回「マルクスの未来社会論(2)」の中で、不破さんは、労働について、「他人のための苦役ではなく、楽しい人間的な活動に性格が変わったとしても、この活動は、社会の維持・発展のためになくてはならないもの、そういう意味で、社会の構成員にとって義務的な活動となります」と言っているように、マルクス・エンゲルス・レーニンが言うように「生活にとってまっさきに必要なこと」という認識を持つことが出来ないためです。その結果、「未来社会では発展の推進力が上部構造に移ってゆく」という不破さんの言う「未来社会」は、マルクス・エンゲルス・レーニンが言うような「精神労働と肉体労働との対立」のなくなった社会ではありませから、「指揮者はいるが支配者はいない」社会とは、「自由な時間」をもった「指揮者」が「未来社会」の「発展の推進力」である「上部構造」を握って社会を支配する世界にたどり着いてしまいます。

 先ほど述べたように、レーニンには、「民主主義を徹底的に発展させること、このような発展の諸形態を探しだすこと、これらの形態を実践によって点検すること」によって、国民一人ひとりが主体的に動き、そのことによって、新しい共同社会と新しい人を生みだしていくという〝by the people〟の思想があります。しかし、不破さんにあるのは、「指揮者はいるが支配者はいない」という考えで、〝by the people〟の思想が欠落しています。

 この〝by the people〟の思想と関連して、前述の「429論文」は、『国家と革命』の中の文章、「真の『国家』活動は舞台裏でおこなわれ、各省や官房や参謀本部が遂行している。議会では、『庶民』をあざむこうという特別の目的でおしゃべりをしているにすぎない」という言葉を引用して、「わが国の国会もけっして例外ではない」ことを述べていますが、現在の「共産党」は資本主義的生産様式全般の国民に向けての直接の曝露の必要性の認識がきわめて希薄であることが、残念でなりません。

 以上をまとめると、①不破さんは、最も大切な「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置く、②科学的社会主義の思想が「民主主義を徹底的に発展させること」を通じて未来社会に接近すると考えるのに対して、不破さんは、個人の労働時間の短縮による「自由の国」を未来社会としている、③科学的社会主義の思想は未来社会では「精神労働と肉体労働との対立」がなくなり、「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこと」となると考えるのに対して、不破さんは、労働を「社会の構成員にとって義務的な活動」と捉え「結合社会」の理想的な人間関係は「指揮者はいるが支配者はいない」という社会と考える、④科学的社会主義の思想は国民一人ひとりが主体的に動く〝by the people〟の思想であが、不破さんは「指揮者はいるが支配者はいない」という請負の思想である、⑤これらの結果、不破さんが絶大な影響力をもつ現在の「共産党」は資本主義的生産様式全般の国民に向けての直接の曝露の必要性の認識がきわめて希薄である。

 そのために、不破さんが依然として絶大な影響力をもつ「共産党」の綱領路線は歪められ、同時に、〝民主主義〟が欠如し、社会主義的結合労働のない、利己的な競争心がますます増幅しているような現実がある、そういう国(中華人民共和国)さえ、「社会主義をめざす国」などと平然と言うようになります。

 なお、中華人民共和国の評価の問題点については、次のホームページの中の「マルクスの未来社会論(4)」で、詳しく触れます。また、不破さんが最も大切な「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置く点については、ホームページ「4-1」「4-2」「4-3」「4-11」「4-15」「4-16」、「4-18」及び「4-20」を、是非、参照して下さい。

不破さんの「革命論」、「未来社会論」によって「日本共産党」はどのように破壊されたか(その1)

 このような欠陥をもつ不破さんが絶大な影響力をもつ「共産党」の、不破さんの悪しき影響と思われる点の一部をみてみましょう。なお、「共産党よ元気をとりもどせ」のページで、現在の「共産党」の改善すべき点については、詳しく論及していますので、ここでは簡単にふれたいと思います。

科学的社会主義の思想に基づかない政治・経済闘争

 不破さんの「資本主義的生産様式の変革」の課題をわきに置き「社会的バリケード」による資本主義の改善をめざす「思想」は、党の綱領から労働者階級の歴史的使命を捨て去ってしまいました。「資本主義的生産様式」のもとでの資本のグローバルな行動を見ず、「資本の利潤第一主義」から国民生活を守り平和を守るという「政策」は、グローバル資本による「産業の空洞化」とその諸結果としての経済・福祉・社会の危機を見ることができず、国民への訴求力を欠いています。共産党の思想的影響力のある労働組合は、グローバル資本による「産業の空洞化」と闘うという喫緊の課題であり日本国民の将来を左右する課題を提起することができず、その結果の改善と平和運動の提起にとどまり、労働者の深部からのエネルギーを汲みだすことができないでいる

不破さんの「指揮者はいるが支配者はいない」という請負の思想

 

 

 国民一人ひとりが主体的に動き成長する〝by the people〟の思想とは無縁な不破さんの「指揮者はいるが支配者はいない」という「思想」は、現実の党運営の中で「指揮者」以外の者が「指揮者」の道具として働くように機能します。

 国民一人ひとりが主体的に動き成長する〝by the people〟の思想に基づいていないので、国民一人ひとりに訴えて深い理解と共感を得るための努力、国民への系統的な宣伝・曝露の手段である「赤旗」号外の全戸配布等は軽視され、国民は有権者として「党」への支持の対象として扱われ、党員は──多くの場合、無差別にかける1分程度の電話で──支持者を集めることに全力が注がれます。そこには、〝by the people〟の思想を育む視点などありません。「指揮者」の「票を取れ」という指示と、それに従う「党員」と「票」としての有権者である国民がいる、きわめて希薄な関係があるだけです。だから、結果的に、風をたよりに、負ければ、「体力不足」と「反共攻撃」のせいにされます。

 〝by the people〟の思想とは無縁な不破さんの「思想」は、〝コミュニストパーティー〟にとって最も大切な民主主義を欠き、民主主義とは何かもわからなくなってしまいます。組織も金も無い一般国民が政治に参加できるようにすることは民主主義の発展にとって非常に大切なことです。国民の声を反映させるシステムがなければ民主主義は絵にかいた餅です。その意味で、問題は多々ありますが、「政党助成金」はそれを、一定程度、保障しています。〝by the people〟の思想を育てようと思うなら、集金システムがある既成政党が集金システムのない国民の声を抑えてはいけません。「政党助成金」に反対することは、結果的に、国民の利益を抑えて「党」利に走ることです。なお、「政党助成金」問題の詳しい論及はホームページ3-2-4「民主主義の発展にブレーキをかける「政党助成金」への対応」をご覧ください。

 このように、マルクスそっちのけで「『資本論』刊行150年」にかこつけて、1960年代後半の党史をも捏造して自慢している不破さんの「理論活動」の成果なるものは、マルクス・エンゲルス・レーニンの科学的社会主義の思想とはまったく異なります。その「理論活動」の成果を「社会変革の展望の根底にすえ」られた現在の「共産党」の党員は、上記のような歪んだ活動をしいられています。

 この、不破さんの誤った「理論活動」は、党の民主的組織化と国家と社会の民主的組織化の理論と実践の妨げとなって、党のエネルギーを減退させます。不破さんの誤った「理論活動」が「党の民主的組織化」の桎梏となる点に関してはホームページ「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏 その4」の⑪「マルクスの未来社会論(3)」の中で、不破さんの誤った「理論活動」が「国家と社会の民主的組織化」の桎梏となる点に関しては⑫「マルクスの未来社会論(4)」の中で触れたいと思います。 

ホームページ「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏」(その4)へジャンプします。

好評連載中!!! 是非、お読み下さい。