マルクスとエンゲルスの発見のポイント(その1)

2-1

マルクスとエンゲルスは人間社会の発展法則を発見した

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マルクスとエンゲルスは人間の社会の発展の法則を発見した

 

真理を求めるマルクスとエンゲルスの研究態度

☆マルクスとエンゲルスは、事実に立脚した考察、物事を変化・発展のなかで見ることによって唯物史観を発見し、私たちに科学的なものの見かた、科学的な社会の見かたを提供してくれました。

 エンゲルスは、「われわれがここで考察するのは、われわれの頭のなかだけに生じる抽象的な思考過程ではなく、いつか実際に起こったか、あるいはいまなお起っている現実の事象である」り、「この方法においては、論理的展開は純粋な抽象の領域にとどまる必要がまったくな」く、「それは、歴史的例証を、現実との不断の接触を、必要とする」ことを述べるとともに、「マルクスの見解全体が、一つの教義ではなくて、一つの方法です。……それより進んだ研究のよりどころであり、またこの研究のための方法なのです。」と言っています。そして、マルクスは『資本論』の執筆にあたり、金融に関する部分で、自分の研究が事実に符合しているかを、実務に詳しいエンゲルスに再三確認していますが、『資本論』は、まさに、ふたりの二人三脚による「歴史的例証、現実との不断の接触」に依拠した、真理を求める曇りのない研究の成果です。

  なお、レーニンも『111イネッサ・アルマンドヘ』(第35巻P262~263)でマルクス主義の全精神、その全体系について次のように述べています。

「マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を、(α)歴史的にのみ、(β)他の諸命題と関連させてのみ、(γ)歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています」と。

Ⅱ、唯物史観の成立史の概略

 マルクスが発見した唯物史観の成立史を、簡単に、見てみましょう。

 

仕事の序説、1844年『独仏年誌』への掲載

☆マルクスは言う。「1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえなくなって、困惑した。……

 私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった。すなわち、法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものではなく、むしろ物質的な生活諸関係に根ざしているものであって、これらの生活諸関係の総体をヘーゲルは、18世紀のイギリス人およびフランス人の先例にならって、「市民社会」という名のもとに総括しているのであるが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学のうちに求められなければならない、ということであった。」(マルクス『経済学批判』(序言)、「全集」13巻、5-6ページ)

 

1845年、『ドイツ・イデオロギー』での展開

☆エンゲルスは『資本論』第3巻の序文で「どこでもいつでも政治的な状態や事件はそれに対応する経済状態によって説明されるという発見」が「マルクスによって1845年になされた」ことを述べています。内容は、次の「唯物史観の内容」の「項」を参照して下さい。

 

1847年、マルクス『哲学の貧困』で基本点を整えおえる

☆マルクスは、「われわれの見解の決定的な諸点は、プルードンに反対して1847年に刊行した私の著書『哲学の貧困』のなかで、たんに論争のかたちでではあったが、はじめて科学的に示された。」(『経済学批判』(序言)、全集13巻の8ページ)と述べ、エンゲルスは『哲学の貧困』について、「本書は、1846-1847年の冬、マルクスが彼の新しい歴史・経済観の基本点をはっきりと整えおえた時期に書かれたものである。」 (『「哲学の貧困」ドイツ語第1版への序文』)と言っています。

 そしてマルクスは、1865年1月24日付けのシュヴァイツァーあての手紙(『プルードンについて』)で、マルクスが『哲学の貧困』で、㋐経済的諸範疇を、物質的生産の一定の発展段階に照応する歴史的な生産諸関係の理論的表現と見ていたこと、㋑マルクスは、プルードンのように、ユートピア主義者のやり方で、「社会問題の解決」のための公式を先験的にひねりだすのではなく、解放の物質的諸条件をつくりだす運動の現在の生産諸関係に対する批判的な認識のなかから科学をくみださなければならないと考えていたこと、を述べています。マルクス・エンゲルスは『哲学の貧困』を、その見解を展開する機会としました。

 なお、プルードンの、ユートピア主義者のやり方で、「社会問題の解決」のための公式を先験的にひねりだす手法は、2019年の参院選の選挙政策の作成手法であり、「マルクス修正主義者・改良主義者」の不破さんの手法です。

 

1859年6月、マルクス『経済学批判』(序言)で唯物史観の定式化

☆物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、既存の生産諸関係、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときから社会革命の時期が始まる。マルクスは『経済学批判』(序言)で唯物史観をこのように定式化しました。

 なお、『経済学批判』(序言)での唯物史観の定式化の詳しい内容については、次の「唯物史観の内容」の「項」を参照して下さい。

 以上が、唯物史観の定式化の経緯とその大雑把な内容ですが、より詳しく『資本論』等の文献で知りたい方は、マルクス・エンゲルスの著作の重要な部分を抜粋したホームページ「Bものの見方、考え方」を、是非、参照して下さい。

Ⅲ、唯物史観の内容

 それでは、唯物史観の内容を『ドイツ・イデオロギー』等で見てみましょう。

1845年、マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』

ア、マルクス=エンゲルスの歴史観の結論

☆「けっきょくのところ、これまで述べてきた歴史観から、なおつぎの結論が得られる。1.生産諸力の発展においてある段階に達すると、生産諸力と交通手段は既存の諸関係のもとでは、ただわざわいのもととなるだけで、もはや生産諸力ではなくて破壊力(機械装置と貨幣)となる──そしてこのことと関連して、社会のあらゆる重荷をになわされながらいかなる利益にもあずからず、社会から迫害され他のあらゆる階級と決定的に対立せざるをえない一階級が呼びだされる。この階級は全社会成員の大多数を構成する階級であり、そしてこの階級から根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識が出てくる。この階級の地位を見てとることができれば、この意識が他の諸階級のうちにも形成されうるのは勿論である。2.一定の生産諸力は一定の諸条件のわく内でしか用いられえないのであるが、この諸条件は社会の或る一定の階級の支配の諸条件であり、この階級の所有から生じる、この階級の社会的な力は、そのときどきの国家形態のうちに実践的・観念論的に表現されるのであり、それゆえにどの革命的闘争も、これまで支配してきた一つの階級にほこ先を向ける。3.あらゆる従来の革命においては、活動のあり方には一指もふれられないままで、ただこの活動の分配を変えること、労働を他の人々に新しく分配することが問題とされたのにたいし、共産主義革命は従来の活動のあり方を槍玉にあげ、労働を取り除き、そしてあらゆる階級の支配を階級そのものとともに廃止する。なぜならこの革命を成就する階級は、社会のなかでもはや階級という意味をもたず、階級とは認められず、すでに今日の社会の内部でのあらゆる階級、あらゆる国籍等々の解体の表現であるからである。そして、4.この共産主義的意識の大量産出のためにも、また事柄そのものの成就のためにも、人間の大衆的な変化が必要なのであって、このような変化はただなんらかの実践的運動、なんらかの革命のなかでのみ行われうる。したがって革命が必要なのは、支配階級を倒すにはそれ以外に方法がないからというだけではなく、また倒すほうの階級はただ革命のなかでのみ古い垢をわが身から一掃して、社会を新しくつくりうる力量を身につけるようになるからである。」(レキシコン④-[10]P63上2~65上7)

※この文章はホームページ「マルクス・エンゲルスの考えの紹介」→「Bものの見方、考え方」の「6-2」です。この続きの「6-3」も是非、参照して下さい。

 

イ、マルクス=エンゲルスの歴史観の基礎

上部構造と土台、交通形態・市民社会と宗教・哲学・道徳等々

 

☆「したがってこの歴史観は、次のことにもとづいている──すなわち、現実的生産過程を、しかも直接的生の物質的生産から出発して展開すること、そして、この生産様式と結びついていて生産様式によって生みだされた交通形態を、つまりさまざまな段階の市民社会を、全歴史の基礎として把握すること、そして、市民社会をその国家としての行動において示すとともに、宗教・哲学、道徳等々、意識のあらゆるさまざまな理論的な産物と形態を市民社会から説明し、それらのものの成立過程を市民社会のさまざまな段階から跡づけることである。こうすれば、おのずからまたことがらをその全体性において(それゆえこれらさまざまな側面の相互作用をも)示すことができるのである。」(レキシコン④-[10]P65上8~下8)※上記「6-3」。

 

 

1847年、マルクス『哲学の貧困』のポイント

☆マルクスのシュヴァイツァーあての手紙。(『プルードンについて』1865年1月24日)

「……、他方、彼(プルードンのこと──青山)が経済的諸範疇を、物質的生産の一定の発展段階に照応する歴史的な生産諸関係の理論的表現とは解さないで、先在する永遠の諸理念に仕立てあげているのは、思弁哲学の幻想をともにするものだということ、そして、こういう回り道をして彼はふたたびブルジョア経済学の立場にたどりついている、ということです。」「……、また彼は、歴史的運動の、すなわちみずから解放の物質的諸条件をつくりだす運動の批判的な認識のなかから科学をくみだそうとはしないで、ユートピア主義者のやり方で、「社会問題の解決」のための公式を先験的にひねりだすのに役だつような、いわゆる「科学」を追い求めているのだということです。」(④-[37]P191の最初と二番目の下線部)

 

1859年6月、マルクス『経済学批判』(序言)

唯物史観の定式化

☆マルクスは、『経済学批判』(序言)で次のように述べています。

「私の専攻は法律学であったが、しかしそれを私は、哲学と歴史を研究するかたわら副次的な学科として学んだにすぎない。1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえなくなって、困惑した。……

 私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった。すなわち、法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものではなく、むしろ物質的な生活諸関係に根ざしているものであって、これらの生活諸関係の総体をヘーゲルは、18世紀のイギリス人およびフランス人の先例にならって、「市民社会」という名のもとに総括しているのであるが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学のうちに求められなければならない、ということであった。この経済学の研究を私はパリで始めたのであるが、ギゾー氏の追放命令でブリュッセルに移り、そこでさらに研究をつづけた。私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単に次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に照応する生産諸関係をとり結ぶ。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法的かつ政治的な上部構造がそびえたち、そしてこの土台に一定の社会的意識諸形態が照応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときから社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、徐々にであれ急激にであれ変革される。このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における、自然科学的に正確に確認できる物質的な変革と、人間がそのなかでこの衝突を意識し、それをたたかいぬくところの法的な、政治的な、宗教的な、芸術的な、あるいは哲学的な諸形態、簡単にいえばイデオロギー的な諸形態とをつねに区別しなければならない。ある個人がなんであるかは、その個人が自分自身のことをどう思っているかによって判断されないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を、物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない。それだから、人間はつねに,自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。というのは、詳しく考察してみると課題そのものが、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生成の過程にある場合にかぎって発生する、ということが、つねにわかるであろうから。大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式を、経済的社会構成が進歩していく諸時期としてあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがって、この社会構成でもって人間社会の前史は終わるのである。」(④-[52]P297-301、マルクス『経済学批判』(序言) 全集、13巻、5-7ページ)

〈ポイント〉「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、……既存の生産諸関係と、……所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときから社会革命の時期が始まる。」

 このマルクスの『経済学批判』(序言)の「私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単に次のように定式化することができる。」以下が唯物史観を定式化したものです。

 

新しい共同社会は人民が築くもの、革命は人民がおこなうもの

☆マルクス・エンゲルス・レーニンは、マルクスの発見した〝唯物史観〟を導きの糸として、新しい共同社会の担い手について、そしてたたかい方について、そして、社会変革の運動の環の捉え方について、明らかにしてきました。詳しくは、ホームページ5-1「マルクス・エンゲルスとレーニンが共通して訴えていること」→1-2「社会変革の担い手を明確にし、その団結・組織化に努めた」、1-1「資本主義的生産様式(賃金奴隷制)の改善の意義と限界を明らかにし、労働者党のたたかい方を示した──労働者の階級的自覚はどうすれば高まるのか──」及び1-3「社会変革の運動の環の捉え方を示した」を参照して下さい。

 そして、マルクスは、『フランスにおける内乱』で、パリ市民がパリ・コミューンによって労働者階級の独裁の政治形態としてコミューン制度を発見したこと、このコミューン制度は共産主義社会をつくる槓杆となることを述べています。まさに、パリ・コミューンによって、マルクスが1852年にヴァイデマイヤーあての手紙で述べた──階級闘争は必然的にプロレタリアートの独裁に導くこと、この独裁は、いっさいの階級の廃止と無階級社会への通過点に過ぎないこと──が現実に起こりはじめました。

  マルクスとエンゲルスがパリ・コミューンから学び、それを踏まえてレーニンがパリ・コミューンから学んだことは、コミューンが、ソヴェートが、革命の権力に転化できるということと、革命の中で労働者・国民が社会の主人公として主体的に生きることの重要性でした。

 そのことをしっかりと理解していたレーニンは、封建的なロシアで、民主的な生活の乏しい社会で、その変革を武力によって成し遂げた十月革命の前から、一貫して民主主義の重要性を訴え続け、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」、資本主義に打ちかつことはできないことを訴え続けました。

 マルクス・エンゲルス・レーニンは、新しい社会は〝by the people〟の力による以外実現できないことを訴え、〝by the people〟の力によって実現できることを歴史とともに証明しました。

 

マルクスとエンゲルスの発見から学ぶこと

☆マルクスとエンゲルスの科学的な研究態度によって発見された唯物史観、そして、レーニンが『111イネッサ・アルマンドヘ』で述べている「マルクス主義の全精神、その全体系」に基づいて、歴史の大局をしっかりと捉え、現実をよく見ることが、私たちに求められています。

 マルクスの、「どこでもいつでも政治的な状態や事件はそれに対応する経済状態によって説明されるという発見」の意味をもう一度よく吟味してみましょう。グローバル資本の身勝手な行動が日本の「産業の空洞化」を生み、日本の「産業の空洞化」が労資の力関係を変え、日本経済の停滞と貧富の格差を生み、国民の閉塞感を生んでいます。だから、国会でも、街頭でも、「経済的土台」に目を向けて、グローバル資本の身勝手な行動がその元凶であることを訴え、資本主義の矛盾を明らかにし、資本のための経済から国民のための経済への社会の転換を図ることを、科学的社会主義の思想を信条とする党の代表者たちは、先頭に立って訴えなければなりません。資本主義によって今の日本の危機がもたらされていること、そして現在の資本主義はそれを乗り越えた新しい生産様式の社会をつくるためにその存在意義があること、その新しい社会をつくる担い手は労働者階級であること、マルクスが発見し、そしてマルクス・エンゲルス・レーニンが「導きの糸」とした唯物史観はそのことを私たちに教えています。

 しかし、「従来の社会主義論」は、「たいていが、生産物の分配どまり、経済的土台の変化だけに目を向けて、人間の発達という肝心なことが出てこないのです。だから『未来社会』といってもあまりうらやましくない」などと言って、「経済的土台」に目を向けることを否定し、唯物史観を否定して、賃金についても税についても、「プルードン」同様に「ユートピア主義者のやり方で、『社会問題の解決』のための公式を先験的にひねりだすのに役だつような、いわゆる『科学』を追い求めて」、資本主義のもとでの公平・公正を求めることに閉じこもる「従来の社会主義論」の反対者たち、彼らは「経済的土台」から目を背けるがゆえにグローバル資本の身勝手な行動の批判も、資本主義的生産様式に対する根本的な批判もまったくできなくなってしまっています。そのために、この人たちは、国会でも、資本主義の枠内で資本主義の改善を主張するのが精一杯です。「この人たち」とは日本共産党から科学的社会主義の思想を取り除くことに執念を燃やす不破さんとその助さん角さんたちのことです。

 私たちは、自分たちの町や村、都道府県、そして国の「経済的土台」が、グローバル資本の身勝手な行動によって、1970年代から2020年までにどのように変化し、衰退させられたのかを明らかにすることによって、資本主義的生産様式に対する根本的な批判の準備を整えなければなりません。

※「従来の社会主義論」云々についての詳しい説明は、ホームページ4-18「☆「人間の発達」は資本主義を社会主義に変え、生産力を発展させなければ保障されない」を参照して下さい。