もっとレーニンの考えを知りたい人たちのために

☆レーニンの著作の抜粋(その5)

C・各論(その1)〈8経済闘争・政治闘争・理論闘争、改良と革命、修正主義・日和見主義との闘争

C・各論(その1)

〈8、経済闘争・政治闘争・理論闘争、改良と革命、修正主義・日和見主義争〉

レーニン全集のなかから、みなさんにお読みいただきたいと思う文章と私が興味をもった文章を、上記のテーマにまとめ、年代順に抜粋しました。 各タイトルのPDFファイルをクリックして、お読み下さい。

8 経済闘争・政治闘争・理論闘争、改良と革命、修正主義・日和見主義争

8-1

素町人的社会主義者と社会民主主義者
第一巻『「人民の友」とはなにか』P302~303、311(1894年春~夏)

「向上」とか「改善」等々の、万能の一般的方策によって事態を改善できるかのように論じ、労働者を現状に反対してもっとも断固として行動することのできる人間としてだけ見るのではなく、社会・経済関係におけるブルジョアジーとプロレタリアートの敵対を明らかにし、「労働運動を通じる以外には、社会主義への道はほかにありえないこと」、「労働者を社会主義体制のための唯一の戦士と見る」ことの必要性を述べている。

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8-2

「こまごました努力」に対する態度とその位置付け

 第一巻『ナロードニキ主義の経済学的内容』P393~394

ブルジョア的改良は根本的解決ではないことを常に明らかにして、資本主義体制の廃止以外にその根本的解決はないことを表明し、そのため(根本的解決)力を尽くすこと。

 また、「部分的改良」が、勤労者にたいして、彼らの状態の若干の改善をもたらしうるだけでなく資本主義の廃止を促進するが故にその意義を認めるということを私たちははっきりと認識しておく必要がある。

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8-3

ナロードニキ主義の3つの特徴
第二巻『どういう遺産をわれわれは拒否するか』P512~515(1897年末に流刑地で執筆)

私たちは没階級的な「民主主義」というイデアの発展に社会の進歩を託すのではなく、労働者階級の歴史的使命に社会の進歩を託さなければならない。そのために、学び、宣伝し、組織しなければならない。

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8-4

グレード(経済主義者)のポイント
第四巻『 ロシア社会民主主義者の抗議』P183~189(1899年8~9月執筆)

単一の階級闘争はかならず政治闘争と経済闘争とを結合しなければならない、という確信は、国際的な社会民主党の血となり肉となっている。マルクス主義は政治の意義の過大視や陰謀主義、政治の軽視、政治を日和見主義的・改良主義的な社会的弥縫策に狭小化ししてはならない。

  私たちはプロレタリアートの闘争の階級性をぼかし、なにか無意味な「社会の承認」といったような、支配階級によってつくられた常識に迎合する形でこの闘争を無力化し、革命的マルクス主義を狭小化して月なみの改良主義的潮流にかえようとする志向と闘い、 「(プロレタリアートの)党の主要な目標は、社会主義社会を組織するために、プロレタリアートに政治権力を奪取させることでなければならない」、そのために「学び、宣伝し、組織する」ということを片時も忘れてはならない。

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8-5

経済闘争を階級闘争に!
第四巻『われわれの当面の任務』P230~231(1899年の後半に執筆)

労働者の闘争が階級闘争となるためには、個々の労働者が全労働者階級の一員であることを自覚することが必要である。個々の雇主や個々の役人にたいするその日常の小さな闘争を、ブルジョアジー全体と政府全体とにたいする闘争と考えるようになるとき、そのときにはじめて彼の闘争は階級闘争となる。そして、それが階級闘争となるならば「いっさいの階級闘争は政治闘争」となる。そのためには自然発生的な闘争を全階級の闘争に、特定の政治(新しい人民の民主主義革命)的理想と社会主義的理想とのための闘争に転化させるために私たちは学び、宣伝し、組織しなければならない。

  そしてなによりも、プロレタリアートの階級闘争を組織することがわれわれの任務であるという点でほんとうに意見が一致し、そのために党全体の努力の集中がなされることが、現在、特に求められている。

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8-6

まだ政治闘争をするまでに成熟していない!
 第四巻『プロフェシオン・ドゥ・フォア〔信仰告白〕』についてP308(1899年末に執筆)

「たしかな野党」とかいうスローガンではなく、民主連合政府の明確な政治目標を人民に提起し、民主連合政府がなぜ必要か、私達は民主連合政府を経て、どこへ向かおうとしているのかをはっきりと表明しなければならない。そうしなければ「確かな支持・共感」は得られない。科学的社会主義の党の政治闘争は、常に社会主義と結びついていなければならない。

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8-7

政治的、民主主義的課題の闘い方─「憲法」とさけぶ前提と意義─

第四巻小冊子『ハリコフのメーデー事件』序文 P397~399(1900年11月初めに執筆)

国家体制全体を変えるような、あるいは反動化を阻止するような要求は、孤立的に表明したのでは力とならない。私たちの周りの諸矛盾とこれらの要求との結びつきを大衆に理解させるために努めなければならない。そのためには、私たちは、完全な意識性と不動の確固さをもって、何のために闘っているのかを国民に理解させなければならない。

「旗幟」は鮮明でなければならない。

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8-8

「終局目標」をつねに念頭におき……
第五巻 『ゼムストヴォの迫害者たちと自由主義のハンニバルたち』P65(1901年6月に執筆)  

革命家はけっして改良のための闘争を拒否しない。 「終局目標」をつねに念頭におき、「運動」の一歩一歩と改良の一つ一つが、たとえ重要でない、部分的な敵の陣地であっても、もしその陣地が革命家の攻撃をつよめ、完全な勝利を容易にするなら、それを占領することを拒否しない。 革命家は、全般的な革命闘争の見地から評価してはじめて、運動が誤った歩みを取ったり、恥ずべき誤謬に陥らないように保障することができるということをけっしてわすれてはならない。

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8-9

政治的民主主義の道をとおらずに
第9巻 「民主主義革命における社会民主党の2つの戦術」P16~17(1905年6-7月に執筆)

政治的民主主義の道をとおらずに別の道をとおって社会主義にすすもうとするものは、かならず、経済的な意味でも、政治的な意味でも、愚劣で反動的な結論に達するのである。

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8-10

働きかける対象の重心を移すこと
第9巻『 ねむっているブルジョアジーと目ざめたブルジョアジー』P362~363(1905年9月末に執筆)  

働きかける対象の重心を〝全体―→真の味方〟に、〝民主主義者―→プロレタリアートと農民(貧農)〟に移す。

  そして、党を建設する場合、第一に、目ざめる能力をもった人人。第二に、首尾一貫した闘争の思想を受けいれる能力をもった人々。第三に、真剣に、最後までたたかいぬく能力をもった人々に働きかけることが重要である。

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8-11

経済闘争、政治闘争、理論闘争の結びつき
第34巻『エス・イ・グセフヘ』P394~398

「武装蜂起」を「選挙闘争」におきかえてみよ!「選挙闘争」を「職業的闘争」(経済闘争)と同じレベルに捉え、「選挙闘争」を優先させるのは誤りだ。

 そして、「職業的闘争」は「一瞬間も政治闘争をわすれたり、労働者階級に社会民主主義思想全般を教育することをわすれたりしてはならないこと、全一的な、真に社会民主主義的な労働運動を生みだすために労働運動のすべての現れのあいだに緊密な、引きはなすことのできない結びつきをつくりだすように努める必要がある」ことをはっきり認識する必要がある。

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8-12

目先の成果への見方
第10巻「カデットの勝利と労働者党の任務」 P262(1906年3月28日) 

革命的社会民主主義派は、ブルジョア・イデオロギーのマルクス主義的分析を行わなければならない。

  小ブルジョア日和見主義者はつねに目さきの成果に、最新の趣好のはなばなしさに、「進歩」の一瞬間に満足する。われわれはもっと遠く、ふかくを注目し、この進歩のなかに、退歩の基礎となり、保障となるいろいろな面、達成されたものの一面性、せまさ、不確かさを表現し、またことなった形で、ことなった条件のもとで、さらに闘争する必要を呼びおこすいろいろな面を、いますぐ、ただちに示さなければならない。

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8-13

ブルジョア的「改良」と革命的社会民主主義者の改良

第11巻『エーホ』第六号(1906年6月28日)

ブルジョア哲学者の学説によれば、進歩の推進力は、あれこれの制度・施設の「不完全なこと」を意識した社会のすべての分子の連帯性であるという。そして、日和見主義者と改良主義者は、闘争の進め方を、反動をえらぶか、それとも改良をえらぶか、の二者択一で考える。そして、大きな事がらを目標とするさいには、空想家であってはならない。敏腕な政治家となって、ささいな事がらにたいする要求に同意する能力をもたなければならない。なぜなら、このささいな事がらは、大きな事がらをめざす闘争を容易にし、大きな事がらをめざして闘争するさいのもっとも確実な一段階となる、とみる。

  しかし、実際には、改良は、ほかならぬ革命的な階級闘争によって、その自立性によって、その大衆的な実力によって、その頑強さによって、よぎなくされるものである。自分のスローガンを改良主義的ブルジョアジーのスローガンと融合させるとき、革命の事業はよわめられ、したがってまた改良の事業もよわめらることになる。なぜなら、われわれは、それによって革命的階級の自立性、根気づよさ、勢力をよわめるからである。この改良の現実的な意義をわすれることは、マルクス主義を、自由主義的ブルジョアの進歩の哲学とおきかえることを意味する。このような改良を支持し、それを自分のスローガンのうちにくわえることによって、われわれは、プロレタリアートの革命的意識の明確さをも、プロレタリアートの自立性をも、その戦闘能力をも、よわめることとなる。

 マルクス主義者は、革命的な階級闘争を歴史の真の推進力とみる。そして、改良は、この闘争の副産物であるとみる(副産物というわけは、改良は、この闘争をよわめ、にぶらせようとする試みが成功しなかったこと、等々をあらわしているからである)。だから、自分の古くからの革命的スローガンを完全に支持することによって、われわれは現実の闘争をつよめ、したがってまた、改良を実現する公算をも、改良を反動に役だてずに、革命に役だてる可能性をも、つよめる。われわれは、革命的闘争の利益にとって無条件に有利で、プロレタリアートの自主性と自覚と戦闘力を無条件にたかめるような改良のスローガンだけをかかげながら、自主的な政策を行う。このような戦術によってのみ、われわれは、いつも中途半端で、いつも偽善的で、いつもブルジョアのわなか警察のわながしかけてある、上からの改良を、害のないものにするのである。

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8-14

アンテグラリスト社会主義者
 第14巻  事項訳注  P443~444

PDFを直接読んで下さい。

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8-15

修正主義について
第15巻『マルクス主義と修正主義』 P20~22おそくも1908年4月3(16)日に執筆

「修正主義が不可避であるのは、現代社会におけるその階級的根源によるものである。」あらゆる資本主義国において、プロレタリアートとならんで、小ブルジョアジー、小経営主の広範な層がつねに存在し、これらの小生産者等が、たえず不可避的に、プロレタリアートの隊列になげこまれ、その結果、小ブルジョア的世界観が、広範な労働者党の隊列のなかにくりかえしくりかえし現れざるを得ない。日和見主義的修正主義(右翼日和見主義)は、その現れである。

  彼らの政策は、そのばあいばあいで自分の行動を決定し、日々の諸事件に、些細な政治の風むきに順応し、プロレタリアートの根本的利益と、全資本主義体制、全資本主義的進化の基本的特徴とをわすれ、目前の現実の利益または仮想された利益のためにこの根本的利益を犠牲にすることである。「終局目標は無であり、運動がすべてである」──このベルンシュタインの標語は、多くの長たらしい議論よりもずっとよく修正主義の本質をあらわしている。

  こうした政策は、大衆の意識をにぶらせるだけであり、戦闘的な分子をもっとも闘争力のない、もっともぐらついた、裏切的な分子にむすびつけることによって、大衆の闘争の真の意義をつよめずによわめ、その闘争のエネルギーを消失させるだけである。革命的マルクス主義と修正主義との思想的闘争は、自己の大業の完全な勝利にむかって前進しているプロレタリアートの偉大な革命的戦闘の序幕である。

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8-16

経済闘争の意義
第18巻『経済的ストライキと政治的ストライキ』P78~79(1912年5月31日)

ストライキの両形態が密接不可分に結びついていることは、ここからあきらかである。運動の最大の高揚期(1905年)には、闘争の経済的基礎がもっとも広いのが特徴である。この年の政治的ストライキは、経済的ストライキという強固な、確実な土台のうえに立っている。

 政治的ストライキと経済的ストライキとは、たがいに力の源となりながら、相互にささえあっているのである。ストライキのこの二つの形態に密接な結びつきがなければ、真に広範な、大衆的な──そのうえ全国民的意義をおびるような──運動はありえない。運動の初期には、経済的ストライキは、しばしば、おくれたものを目ざまし、ゆりおこし、運動を全般的にし、それをより高い段階にたかめていくという性質をもっている。

  勤労者大衆は、経済的要求なしには、自分たちの状態を直接即座に改善することなしには、国の全般的な「進歩」をけっして考えようとはしない。生活条件の改善をもとめてたたかううちに、労働者階級は、同時に、精神的にも、知的にも、政治的にもたかめられ、その偉大な解放目的を実現する能力を高めていくのである。

  労働者の攻撃が強ければ強いほど、彼らはますます多くの生活改善をかちとっている。「社会の同情」も、生活の改善も、闘争の高度な発展の結果である。自由主義者は(解党派も)労働者にむかって、諸君にたいする「社会」の同情があるとき諸君は強いのだ、と言っているが、マルクス主義者は労働者にむかって別なことを言う。諸君が強いとき諸君は「社会」の同情をえるのだ、と。

  だから、わたしたちは「社会」の同情を得るために、嫌われないように息を潜めて、くちをふさいで時がくるのを待つのではなく、資本主義の矛盾を、労働者の要求を、はっきりと大きな声で労働者に訴え、労働者の力を強めなければならない。

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8-17

階級闘争の客観主義──階級の利益と変革の力── 
第18巻P350~353『政治方針について』(1912年9月18日)

もし私が、たとえば真理だの、公正だの、勤労の平等などという見地から、まさにこれこれのやり方で新しいロシアを建設しなければならない、と言ったとすれば、それは、私を妄想の世界へつれていく主観主義であろう。実際には、新しいロシアの建設を決定するのは、私の最良の願いではなくて、現実に存在する階級の利益に基づく諸階級の闘争である。この現実に存在する階級の利益を表現するばあいにだけ、私の理想は妄想でなくなる。私は、この階級闘争の客観主義の見地に立ち、すこしも現実を弁護しないで、反対にこの現実そのもののなかに、それを改造するもっとも深い源泉と力を見るのである。

 「客観主義」の名において現実を弁護するブルジョア学者はこう言う、ビスマルクはマルクスにうち勝った。ビスマルクは、「さまざまな利害の闘争の複雑な過程で、新しいドイツが建設された」ことを、考慮にいれた。ところが、マルクスは、自由主義者にさからい、労働者と民主主義的(反動派との同盟に応じない)ブルジョアジーとの勢力によって、大ドイツ民主共和国を「建設しようという妄想計画に没頭した」と。

  ブルジョア学者の誤りはどこにあるのか? それは、階級闘争をおおいかくし、ぼかしていることにある。それは、彼らが、ビスマルクのドイツは、その「変節と裏切り」のために「貴族にたいして無力」となったブルジョアジーによって建設されたという真実を、(ドイツは、……過程で建設されたなどという、一見して深い意味をもつかのような言いまわしで)あいまいにしている点にある。

  だが、階級闘争の客観主義によって、マルクスは、政治的現実を百倍もよりふかく、より正確に理解することができること、プロレタリアートこそ歴史の推進者であることを示し、彼らを教育した。

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8-18

思想の社会的意義と言葉の外皮
第18巻『ナロードニキ主義について』P560~561(1913年1月20、22日)

私たちは、各政治グループの階級的利害を見ぬき、その現実的内容とその言葉の外皮とを区別することを学ばなければならない。

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8-19

資本主義社会における技術と科学の進歩:スエットシステム
第18巻『汗を搾りだす「科学的」方式』P642(1913年3月13日)

技術と科学の進歩は、資本主義社会では汗を搾りだす技倆の進歩を意味する。

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8-20

「改良」について
第19巻『ロシアのブルジョアジーとロシアの改良主義』P344(1913年8月27日)

世界史が何百回も確証した真理は、「改良は、改良主義のあらゆる狭隘さから完全に解放された運動の副次的結果としてのみ可能である」ということである。だから、なんでもお好みしだいの改良について大げさな、誇張した、はでなおしゃべりをやるよりも、改良主義的な道はないことを率直に指摘することに、はるかに多くの歴史的現実主義、歴史的な現実性と能動性がある。改良を競うよりも、「マニフェスト」のペテンを暴露せよ!

 この文章は、「マニフェスト」が一大ブームのとき書きました。

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8-21

プロレタリアートの階級闘争の戦術
第21巻『カール・マルクス』P63、67 (1914年7~11月に執筆)

今の私達は、先進的な階級の意識と力と闘争能力を発展させるために、政治的停滞の時期、または亀の歩みのようにのろくさい、いわゆる「平和的」発展の時期を利用する。

 その階級の運動の「終局目標」の方向で、「二〇年を一つに圧縮した」偉大な日々がきたとき偉大な任務を実践的に解決できる能力をこの階級のうちにつくりだす方向で、剛毅と堅固さと革命的精神をもって、この利用の活動全体をおこなわなければならない。

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8-22

日和見主義とは
第21巻『第ニインタナショナルの崩壊』P242~243(1915年5月後半~6月前半に執筆)

日和見主義の主要な点は、階級協力の思想である。日和見主義とは、大衆の根本的な利益を労働者のうちのとるにたりない少数者の一時的な利益の犠牲にすることであり、言いかえれば、プロレタリアートの大衆を敵として一部の労働者とブルジョアジーとが同盟することである。日和見主義は、特権的な労働者層の比較的に平和で文化的な生存が彼らを「ブルジョア化」し、彼らに自国の資本の利潤のおこぼれをあたえ、零落させられ貧窮している大衆の災厄や苦難や革命的気分から彼らを分離させた、資本主義発展の一時代の特殊性によって、数十年のあいだに生みだされたものである。

  習慣の力、比較的に「平和」な進化のしきたり、民族的な偏見、急転換にたいする恐怖と不信、すべてこういうことが、日和見主義をも、また日和見主義との偽善的で臆病な和解をもつよめる追加の事情としての役割をはたしている。

  そして、日和見主義思想は、不断に、私達の隊列に入り込み、思想闘争を怠ると、幹部の多数をも占めることがあることは歴史が示している。

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8-23

闘争の形態は変わっても、その階級的内容は変わらない
第22巻『資本主義の最高の段階としての帝国主義』P292~293(1916年1- 6月に執筆)

闘争の形態は、種々な、比較的部分的で一時的な原因によって変化しうるし、またたえず変化しているが、闘争の本質、その階級的内容は、階級が存在するかぎり、まったく変化しえない。  最近のアメリカ(オバマ大統領)の行動もこのような見方が必要。後のトランプ、バイデンも。(2021/06/22加筆)

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8-24

①改良主義的な改変と革命的な改変

 第22巻『自決にかかする討論の総括』P402~403(1916年7月に執筆)

②われわれが賛成する改良の綱領は、

第23巻『プロレタリア革命の軍事綱領』P88~89(1916年9月にドイツ語で執筆)

改良主義的な改変とは、支配階級がその支配を維持しながら行う譲歩にすぎず、支配階級の権力の基礎を掘りくずすことのない改変である。革命的改変とは、権力の基礎を掘りくずす改変である。 しかし、改良は、だれでも知っているように、実践のうえではしばしば革命への一歩にほかならない。

  だから、改良の要求は改良主義的にではなく、革命的に定式化して大衆に示すことが必要である。われわれが賛成する改良の綱領は、かならず日和見主義者にも鋒先を向けているような綱領でなければならない。

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8-25

改良主義者、エセ社会主義者

フェビアン派、デューリング、カール・オイゲン(1833~1921年)

改良主義者のフェビアン派とエセ社会主義者のデューリング、カール・オイゲン(1833~1921年)のみ掲載。

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8-26

①経済闘争の中から政治闘争の芽を!
第二七巻『きびしいが、必要な教訓』P55(1918年2月25日)
②改良と革命
第29巻『第三インタナショナルの任務について』P516(1919年7月14日)

文脈の中でレーニンが言っている意味とは違うが、私の言いたいこと。

  あらゆる経済事象を階級関係の中でときあかし、大衆の政治意識を啓発する必要がある。(啓蒙・組織の必要性)そのことをぬきに革命を言うのはバカげている。

改良主義に対立する革命の見地から宣伝煽動全体をおこない、議会活動や、労働組合、協同組合その他の活動の一歩ごとに、理論的にも実践的にも、系統的にこの対立を大衆に説明しなければならない。改良と革命の差異を説明しながら宣伝煽動全体をおこなわなければならず、革命にそなえて党をも大衆をもたゆみなく教育しなければならないということを理解する必要がある。

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8-27

共産主義内の「左翼的」な潮流への対応について
第31巻『共産主義インタナショナル第二回大会の基本的任務についてのテーゼ』P191—193(1920年7月4日) 

第31巻『共産主義インタナショナル第二回大会』P224(1920年7月19日-8月7日)

レーニンは、「共産主義内の『左翼的』な潮流の誤りをただすことは、」「改良主義者を装って第二インタナショナルの古い諸党にはいりこみ、それらの党のすべての活動を、プロレタリア的精神でなく、ブルジョア的精神で指導しているブルジョアジーとたたかうよりは千分の一もたやすい」ことを述べ、「政治的未経験」による「左翼的」な誤りをしている「共産主義的組織とグループ」に対して、「もっとも友好的な関係をたもち、それらの組織やそれに共鳴している大衆との接近をはかり、」「彼らの見解の誤りを、すべての革命の経験の見地から、友好的に彼らに説明してやる政策をとる」こと、そして、「第二インタナショナルの諸党の日和見主義や改良主義にたいするまったく正当な憎悪によって無政府主義のほうに押しやられたプロレタリア分子」を念頭に、「すべての大衆的なプロレタリア分子が無政府主義から第三インタナショナルのがわにうつるのを全力をあげてたすけることが、すべての同志諸君の義務である」ことを訴えています。

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8-28

革命前と後の改良と革命の位置づけ
 第33巻『現在と社会主義の完全な勝利ののちとの金の意義について』P106~107(1921年11月5日)

プロレタリアートが勝利するまえには、改良は革命的な階級闘争の副産物である。勝利したのちには、改良は、勝利をかちとった国にとっては、あれやこれやの移行を革命的に遂行するのに力のたりないことが明らかにわかっているばあいには、必要で正当な息継ぎでもある。

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