4-11

☆不破さんは「資本主義の矛盾」を『利潤第一主義』に変え、社会主義革命を「資本主義の害悪」の改善に変えようとするのか

  1. 「利潤第一主義」に資本主義的生産を矮小化してはならない
  2. 「資本主義的生産関係」を廃止して、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」を解消する。
  3. 「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」と「唯物史観」という「二つの偉大な発見」によって、「社会主義が科学になった」意味と、そのことをまったく理解しない不破さん

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4-11 不破さんは「資本主義の…….pdf
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 『前 衛』No904P102-103で、不破さんは、マルクスの言う「基本的矛盾」をマルクスが「資本主義の本来の限界とか、資本主義の矛盾」といっていると 言い、「より大きい剰余価値の獲得、…(略)…、『利潤第一主義』の問題を中心にすえることなしに、資本主義の害悪を語ることはできない」と述べ、資本主 義的生産様式を視野の外におき、「『利潤第一主義』の問題を中心にすえる」ことによって、マルクス・エンゲルスとの違いを際立たせた。

「利潤第一主義」に資本主義的生産を矮小化してはならない

  たびたび引用するが、マルクスは「資本家は、ただ人格化された資本であるかぎりでのみ、一つの歴史的な価値とあの歴史的な存在権…をもっているのであ る。……このようなもの(価値増殖の狂信者)として、彼は貨幣蓄蔵者と同様に絶対的な致富欲をもっている。だが、貨幣蓄蔵者の場合に個人的な熱中として現 れるものは、資本家の場合には社会的機構の作用なのであって、この機構のなかでは彼は一つの動輪でしかないのである。」(『資本論』第一巻 第2分冊 大月『資本論』② P771-772 )と述べています。
 こ のように「価値増殖への狂信」、『利潤第一主義』は資本主義に固有のものではありません。だからこそ、資本主義社会に生きている私たちは、資本主義的生産 関係を捨象して「『利潤第一主義』の問題を中心にすえる」ような問題の捉え方をしてはなりません。資本主義と結びついた「利潤第一主義」が問題なのです。 資本主義的生産関係のもとでの「剰余価値」の生産と取得が問題なです。不破さんが言うまでもなく、〝資本〟の資本たるゆえんは、その飽くなき自己増殖(利 潤第一主義)にあることは論を待ちません。資本の飽くなき自己増殖は、資本主義的生産関係(資本家が労働力以外なにも持たなくされた労働者を雇用し、必要 最小限の労働力の再生産費を労働者に支払い、労働者の作りだした富を搾取するという取得の形態をとった生産の仕方)が一般的で主たる形態になっている資本 主義社会で合法的におこなわれているのです。それが「剰余価値」の取得です。くどいようですが、「資本主義的生産関係」あっての「利潤第一主義」であり、 「剰余価値」の取得なのです。ここが肝心な点です。
 こ の「剰余価値」の取得は、社会的生産の進展とそれにともなう生産力の発展、商品市場の発展、資本主義の発展の中で行われ、その伸展に応じて社会的生産力は 益々強まり、社会的生産はより一層広範になり深化させられます。これらはマルクス・エンゲルス・レーニンを含めた私たちの共通理解です。(どうも不破さん の理解とは違うようだが。)
 し かし、資本主義的生産から「利潤第一主義」を抽出して、「利潤第一主義」のみを強調し、一人歩きさせてはなりません。そうすると、木も森も見えなくなり、 葉っぱしか見えなくなります。そうすると、「資本主義社会の利潤第一主義が引き起こす衝突が、現在では恐慌だけでなく地球温暖化の問題ともなっている」と か、「利潤第一主義」からくる「人間社会の存続をおびやかす」「すべての事態」が「桎梏」(『前衛』No903P111上段後ろから4行目から2行目)だ とか、「資本主義が生産力の発展を制御できなくなって、」(もともと資本主義は「生産力の発展を制御できない」と思うので、どんな状態を言おうとしている のかよく分からないが)「そのことが社会に大きな危機をもたらす場合には、」(まえの文の意味がよくわからないのでこの文章もよく掴めませんが、 No903を踏まえると「利潤第一主義からくる人間社会の存続をおびやかすすべての事態」のことかと思われる)「それも資本主義的生産関係の「桎梏」化の 一つの深刻な表れ」(『前衛』No904)だなどと、訳の分からないことを言い出すようになり、資本主義の改善が「桎梏」の除去ということになり、社会主 義の「社」の字も出てこなくなります。

「資本主義的生産関係」を廃止して、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」を解消する。

 このような、不破さんの混乱の根底には、マルクスの言う「基本的矛盾」とエンゲルスの言う「根本矛盾」の意味が理解できていないことにあると思われます。
 マルクスが執筆し、エンゲルスが編纂した『資本論』(第3巻 第2分冊 大月版『資本論』⑤P1124~P1125)は、「資本主義的生産様式をはじめから際立たせる二つの特徴」として、次のように述べられています。
「資本主義的生産様式をはじめから際立たせるものは、次の二つの特徴である。
  第一に。この生産様式はその生産物を商品として生産する。商品を生産するということは、この生産様式を他の生産様式から区別するものではない。しかし、商 品であることがその生産物の支配的で規定的な性格であるということは、たしかにこの生産様式を他の生産様式から区別する。このことは、まず第一に、労働者 自身がただ商品の売り手としてのみ、したがって自由な賃金労働者としてのみ現われ、したがって労働が一般に賃労働として現われるということを含んでい る。……資本主義的生産様式を特に際立たせている第二のものは、生産の直接的目的および規定的動機としての剰余価値の生産である。資本は本質的に資本を生 産する。そして、資本がそれをするのは、ただ、資本が剰余価値を生産するかぎりでのことである。すでに相対的剰余価値を考察したときにも、さらにまた剰余 価値の利潤への転化を考察したときにも見たように、この点にこそ、資本主義時代に特有な生産様式はもとづいているのである。」と。※PDFファイルでの青字は原典で異字体のもの
 資 本主義社会における「価値増殖への狂信」、『利潤第一主義』をなくすにはどうしたらよいのか。それは、資本主義社会の第二の特徴である「生産の直接的目的 および規定的動機としての剰余価値の生産」をやめることです。そのためには、資本主義社会の第一の特徴である「生産の社会的性格」を「取得の私的資本主義 的形態」から解き放ち、「取得の私的資本主義的形態」を廃止して、「社会化された生産」を全面的に発展させることです。つまり、「生産の社会的性格と取得 の資本主義的形態の矛盾」を解消し、資本主義的生産様式を社会主義的生産様式に変革することです。

「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」と「唯物史観」という「二つの偉大な発見」によって、「社会主義が科学になった」意味と、そのことをまったく理解しない不破さん

 もう一度、社会主義を科学にした、唯物史観と剰余価値の発見の意味を見てみましょう。
 『空 想から科学へ』(新日本文庫)のP48には、「これら二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露はマルクスのおか げである。これらの発見によって社会主義は科学になり、いまやなによりもまず問題なのは、この科学のあらゆる細目と関連をさらに仕上げることである。」と 述べられている。
 それではなぜ、「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」と「唯物史観」という「二つの偉大な発見」によって、「社会主義は科学に」なったのか。
 「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」とは何か
 「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」とは、第一に、マ ルクスの言う「基本的矛盾」の成り立ちを曝露することです。つまり、資本主義社会は、「剰余価値」を資本が合法的に自分のものとし、労働者を合法的に搾取 することによって、一方の無政府的に拡大される生産・無政府的に増大する諸商品と他方の生産者大衆の制限された最終消費という「基本的矛盾」を抱えた社会 として存在しているということ、その一時的な解決手段として〝恐慌〟が起こることをを曝露することです。同時に資 本主義的生産は、「剰余価値」を資本が合法的に自分のものにする「分配関係、したがってまたそれに対応する生産関係の特定の歴史的な姿と、他方の生産諸 力、その諸能因の生産能力および発展とのあいだの矛盾と対立」を生みだし、エンゲルスの言う「根本矛盾」を持った社会であることを曝露すること。「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」とは、この二つのことを曝露することです。そして、「剰余価値」は資本主義的生産の秘密を解く、最小単位のカギです。* マルクスの言う「基本的矛盾」とエンゲルスの言う「根本矛盾」とに関する詳しい説明はHP4-9「不破さんは、『生産の社会的性格と取得の資本主義的形態 の矛盾』という形で資本主義 の矛盾をとらえることは誤りだと、マルクス・エンゲルス・レーニンを否定する」を参照して下さい。
 それでは、次に、「唯物史観」の発見とは何か
  唯物史観について、エンゲルスは『資本論』第3巻 第1分冊(大月『資本論』④ P23-24)の序文の中で、ローリア氏が1886年に「マルクスの歴史理論(=唯物史観)を彼自身の発明として」述べていることへの反論として、「マル クスによって1845年になされた」「どこでもいつでも政治的な状態や事件はそれに対応する経済状態によって説明されるという発見」と述べています。ま た、マルクスはアンネコフあての手紙(1846.12.28)で、「人間の生産諸力の一定の発展状態」により「生産・交易・消費の発展の一定の諸段階」が つくられ、「それに照応する社会秩序、家族・諸身分・諸階級のそれに照応する組織=社会〔市民社会〕」がつくられ、社会は「社会〔市民社会〕の公的表現に すぎない、政治的秩序〔状態〕を受けとる」ことを述べています。
 そ して、エンゲルスは、唯物史観についてのボルギウスの質問に答えて、彼あての手紙(1894.1.25)で、①土台(経済的諸関係=「一定の社会の人々が 彼らの生活資料を生産し、また(分業があるかぎりは)生産物を相互に交換する、その仕方」)に立脚して上部構造はあるが、それらは相互に作用しあって、そ のなかで、経済的必然性は究極的に常に貫徹される。②人間の歴史は(歴史の進み方は)偶然性を通じて貫かれる必然性が支配し、その必然性はけっきょく経済 的必然性によって生まれる。(要約-青山)ことを述べています。
 『資 本論』第3巻 第2分冊では、「不払剰余労働が直接生産者から汲み出される独自な経済的形態は、支配・隷属関係を規定するが、この関係は直接に生産そのものから生まれて きて、それ自身また規定的に生産に反作用する。しかしまた、この関係の上には、生産関係そのものから生じてくる経済的共同体の全姿態が築かれ、また同時に その独自な政治的姿態も築かれる。生産条件の所有者の直接生産者にたいする直接的関係──この関係のそのつどの形態は当然つねに労働の仕方の、したがって また労働の社会的生産力の、一定の発展段階に対応している──、この関係こそは、つねに、われわれがそのうちに社会的構造全体の、したがってまた主権・従 属関係の政治的形態の、要するにそのつどの独自な国家形態の、最奥の秘密、隠れた基礎を見いだすところのものである。」(『資本論』⑤ P1014B3-1015F7)と述べられています。
 これを、資本主義社会にあてはめてみると、次のようになります。
  「剰余価値」として「不払剰余労働が直接生産者から汲み出される」搾取の資本主義的形態は、資本主義的な「支配・隷属関係」を生みだす。「この関係の上に は」、資本主義的生産関係そのものから生じてくる資本主義的生産様式が築かれ、資本主義的民主政治も築かれる。資本主義的生産関係は、「労働の社会的生産 力の」、現在の「発展段階に対応している」。「この資本主義的生産関係と労働の社会的生産力との関係こそは」、資本主義社会全体の基礎をなしているもので ある。
 こ のように、「唯物史観」は、「剰余価値」という資本主義的生産の秘密を解く最小単位のカギが解き明かした、「分配関係、したがってまたそれに対応する生産 関係の特定の歴史的な姿と、他方の生産諸力、その諸能因の生産能力および発展とのあいだの矛盾と対立」=「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛 盾」(エンゲルスの言う「根本矛盾」)は「労働の社会的生産力の一層の発展段階に対応して」解消されなければならないことを示しています。その最終的な解 決手段として〝革命〟が起こる。そのことを不破さんが理解できていないとしたら、「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」と「唯物史観」という「二つの偉大な発見」によって、「社会主義は科学に」なったということの意味をまったく理解していないことになります。
  不破さんは、エンゲルスが「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだと言い、資本主義的生産様式 を視野の外において、「『利潤第一主義』の問題を中心にすえる」ことによって、「資本主義の矛盾」を「利潤第一主義」に変え、「利潤第一主義」からくる 「人間社会の存続をおびやかす」「すべての事態」が「桎梏」だと言うことによって、社会主義革命を「資本主義の害悪」の改善に変え、科学的社会主義の思想 をすて去ってしまった。

私たちのやるべきこと、『空想から科学へ』の結びの言葉の私たちへのメッセージ

1、私たちのやるべきこと、『空想から科学へ』の結びの言葉の私たちへのメッセージ

2、改良主義と科学的社会主義との違いとは

3、なお、蛇足ですが、唯物史観を正しく理解するためにして欲しいこととして

私たちのやるべきこと、『空想から科学へ』の結びの言葉の私たちへのメッセージ

  『空想から科学へ』は次のような言葉で結ばれています。
「こ の世界解放の事業をなしとげることは、近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件、およびそれとともにその本性そのものを究明し、そ して、行動の使命をおびた、今日のところ抑圧されている階級に、かれら自身の行動の条件と本性とを自覚させることは、プロレタリア運動の理論的表現であ る、科学的社会主義の任務である。」と。
 そ して、不破さんのように日本共産党に最も影響力を持つ人がやるべきこと、現在の日本国民にとって大切な焦眉の課題は、エンゲルスを歪曲して、当たり前のこ と=科学的社会主義のイロハの一部を取り出して、「その本性そのものを究明」することを放棄して、すべてを超歴史的な「利潤第一主義」に解消し、思考停止 した頭で自己顕示欲をあらわに、改良主義を語ることではありません。国民に展望を与え、〝by the people〟の力を引きだすことです。
  「資本主義的生産の直接目的でもあれば規定的動機でもある剰余価値の生産」のためのグローバル資本の傍若無人の行動の結果、日本経済が、日本の産業構造 が、国民の生活が、どうなっているかを曝露し、労働者階級の強力な団結を実現し、国民に展望を与えることです。それが『空想から科学へ』の結びの言葉の私 たちへのメッセージであり、コミュニストがマルクス・エンゲルス・レーニンから古典を学ぶ意義です。

改良主義と科学的社会主義との違いとは

  改良主義とは、一つ一つの改良の積み重ねで世の中は良くなり、社会主義に至るという考え方です。原発ゼロや地球温暖化防止は、地球の生命に関わる重要課題 ですが、資本主義を傷つけることなく内部のルール改正で実現できるものです。資本主義の仕組みそのものの矛盾の曝露し、「ルール改正」の運動と表裏一体に 「資本主義の仕組みそのもの変革」をめざすものでなければ、社会主義への道のたすけにはなりません。
  科学的社会主義者は、資本主義社会で資本主義の矛盾からひき起こされるあらゆる問題を資本主義の矛盾と関連づけて説明、曝露しますが、同時に、その時々で 最も重要な社会全体のポイントとなる事象を捉え、その解明と曝露に全力を尽くし、その克服を通じて社会主義への道に進むことを労働者階級に呼びかけます。
 〝そ の時々で最も重要な社会全体のポイントとなる事象〟をマルクスとエンゲルスは「恐慌」とみて、レーニンは「帝国主義」とみました。それは正しい認識でし た。そして、いま、〝その時々で最も重要な社会全体のポイントとなる事象〟は「傍若無人なグローバル資本の行動」であり、先進資本主義国においては「産業 の空洞化」です。この克服のための道を通る以外に〝国民の新しい共同社会〟へ近づく道はありません。

なお、蛇足ですが、唯物史観を正しく理解するためにして欲しいこととして

 そして、エンゲルスはヨーゼフ・ブロッホあての手紙(1890.9.21/22)で唯物論に関して、「歴史における究極の規定要因は、」経済的要因である。現実の世界にあるのは、「経済的な状態が土台ですが、しかし上部構造のさまざまの要因」の交互作用であり、「全ての無数の偶然事を通じて、終局的には経済的運動が必然的なものとして自己を貫徹します。」と述べ、この理論は、マルクス・エンゲルスの原典で研究してほしいこと、正しく理解しないと「おどろくべきがらくたをつくりだ」すことになることを述べています。
 私も、マルクス・エンゲルス・レーニンを不破さんの『古典教室』──それが「おどろくべきがらくたをつくりだ」したかどうかは、読者の判断にお任せいたしますが──からではなく、直接マルクス・エンゲルス・レーニンの原典から学ぶことを強く推奨します。