2-2-3 誤った意見(その3)

「浪費型の経済」なるものがあり、浪費的な部分が一掃されると、……

「浪費型の経済」なるものがあり、浪費的な部分が一掃されると、健康で文化的な生活が可能になる?!

 

日用品が大量に普及しているから「浪費型の経済」になるのか

確かに、私たちが暮らしている社会は、「浪費型の経済」そのものの社会だと思います。しかし、日用品が大量に普及しているから「浪費型の経済」になるのではありません。「浪費型の経済」の構造がつくられ、そのような生活に私たちが流されるような仕組みになってしまっているから「浪費型の経済」になるです。

 

資本が「浪費型の経済」の構造をつくる

それでは、なぜ「浪費型の経済」の構造がつくられるのでしょうか。

 それは、資本主義的な生産様式と深く係わっています。資本主義的生産様式の社会は〝資本〟が大きくなることによって社会が成長・発展していく仕組みの社会です。だから、〝資本〟を大きくするために、消費の現場では、価値実現(製品を売りさばく)のために不必要な消費を煽り、売れすじ商品を過大に生産し、製品寿命を必要以上に短くし、修繕できるものも粗大ゴミとして廃棄させ、売れ残り商品の山を築き、生産の現場では、より効率的に商品を作って他者より多くの利潤を得るために、まだ使える機械や設備を廃棄して新らしいものに交換します。

 このような消費と生産の仕方に問題があります。「浪費型の経済」なるものを生みだしている真の原因は、このような生産の仕方、つまり、価値増殖を唯一の目的とする資本主義的な生産様式にあります。〝資本〟が支配する資本主義的生産様式の社会だから、必然的に「浪費型の経済」がつくられるのです。

 

資本主義的生産様式の社会の弊害を隠蔽してはならない

 だから、私たちが「健康で文化的な生活」ができないのは、「浪費型の経済」なるものがあるからではなく、資本主義的生産様式の社会が「浪費型の経済」をつくっているからです。資本主義的生産様式の社会の弊害を「浪費型の経済」などという言葉で隠蔽し、曖昧にし、糊塗してはなりません。