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70年代の始め以降、財界がすすめた政策

産業の空洞化への歩み

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〈70年代の始め以降、財界が進めた主な政策〉

 

産業の空洞化への歩み〈概要〉

1970年代中盤以降、日本の資本は自己資本比率を高めるとともに海外で利益を上げることに一層重心を移しはじめた。

1981年に発足した第二臨調は政府開発援助の規模の一層の拡大を前提に、資本の海外展開を積極的に支援する方針を明確にした。

プラザ合意(1985年)を受けて1986年に報告された前川リポートは、「国際的に調和のとれた産業構造への転換」として、直接投資の促進等を提言した。

1992年版『通商白書』は、企業活動の国際的展開が進むと、企業の利益が国民の利益と一致する度合いが減少することを正しく指摘している。

1995年以降、設備投資は低迷し、GDPは伸びず、雇用需給が変化し、労使の力関係が変わり、輸出拡大を口実に賃金は抑制され、非正規雇用が激増しはじめ、長く続く国民生活の低迷が本格的に始まった。

1996年、豊田章一郎経団連会長が発表した「豊田ビジョン」は、「生産拠点の海外移転、海外生産比率の引き上げ」を行うことによって国内産業の空洞化を促進した。同時に、正規雇用から非正規雇用へと「雇用政策のパラダイム転換」をすすめることとした。

2003年、奥田碩日本経団連会長が発表した「奥田ビジョン」は、資本が一層海外に出て行くために『第三の開国』を進めていく強い意志を表明した。

2007年、御手洗冨士夫経団連会長の「御手洗ビジョン」は、FTA/EPAの範囲を「奥田ビジョン」の東アジアから、インド及びオーストラリア、ニュージーランド、そして、米国とアジア太平洋地域にまで拡大した。

このように、資本は、国内の雇用や産業を犠牲にして海外での利潤拡大を図るという一貫した戦略によって、今の日本(日本国民)の危機を作り出してきました。

上記の資本の政策のより詳しい説明

1970年代中盤以降の資本の動き

先進資本主義国の生産力が高まり、脱工業化(資本主義の歴史的使命の基本的な終了)がブルジョア経済学者から叫ばれはじめた1970年代中盤以降、日本の資本は自己資本比率を高めるとともに海外で利益を上げることに一層重心を移しはじめた。

「第二臨調」、資本の海外展開を積極的に支援を明確化

1981年に発足した第二臨調は「①活力ある福祉社会の建設 ②国際社会に対する積極的貢献を今後の行政のめざすべき目標として」、国民福祉に係る行政サービス全般の切り下げと負担の引き上げをはかる一方で、すでに政府の定めた五年倍増の中期目標にもとづく政府開発援助の規模の一層の拡大を前提に、資本の海外展開を積極的に支援する方針を明確にした。

前川リポート、直接投資の促進等を提言

そして、プラザ合意(1985年)を受けて1986年に報告された前川リポートは、内需拡大のために、後の不動産バブルのもととなる「住宅対策及び都市再開発事業の推進」や地方を借金づけにする「地方における社会資本整備の推進」をかかげ、企業の儲けを目的とした「土建国家」の推進を図るとともに、「国際的に調和のとれた産業構造への転換」として、①国際分業を促進するための積極的な産業調整②直接投資の促進③基幹的農産物を除く、農業の切り捨てを提言した。これによりグローバル企業の製品、資本両面の輸出が加速され、産業の空洞化が促進されるとともに日本はアメリカの景気浮揚のための「世界の機関車」の役割を担わされた。その結果、企業と資産家たちはバブルに酔いしれたが、労働者は、交際費を自由に使うことのできる一部の人たちや僅かばかりの投機資金を持つめざとい小金持を除き、当然のことながら、その恩恵に浴することはなかった。

『通商白書』が企業の利益と国民の利益との相反を告白

九二年版『通商白書』は、「企業活動の国際的展開が進むにつれ、従来の国家と企業との関係にも変化がみられるようになってきている。……ある国の資本による企業の利益がその国民の利益と一致する度合いが減少しつつある」とし、「国際展開が進んだ企業は資本の国籍にかかわらず、現地の雇用者を多数擁し、現地の市場を中心として財・サービスを提供する。したがって自国籍企業の収益向上が直接に国民生活と関係するところは、収益の分配が主として当該国の投資家にたいして行われるという点に限定されていく傾向を有する。さらに投資家が国際的に分散していけば、その意味すら失われる」ことをのべている。

1995年以降、長く続く国民生活の低迷が本格的に始まった

バブルが崩壊すると、厚化粧がはがれ、『通商白書』で述べられていることが顕在化した。1995年以降、国内設備投資は低迷し、GDPは伸びず、雇用需給が変化し、労使の力関係が変わり、輸出拡大を口実に賃金は抑制され、非正規雇用が激増しはじめ、長く続く国民生活の低迷が本格的に始まった。

1996年

経団連「豊田ビジョン」で国内産業の空洞化を促進

1996年、豊田章一郎経団連会長が発表した「豊田ビジョン」は、「大競争時代に対応して地球的規模で最適な事業体制を構築することも重要であり、海外調達の拡大、製品・半製品の海外調達や生産委託、合弁・業務提携等による開発輸入、技術移転にとどまらず、生産拠点の海外移転、海外生産比率の引き上げ、現地化の推進、販売・サービス拠点の拡充、海外メーカーとの分業・共同研究開発等を進める。とりわけ、アジア諸国との分業ネットワークを推進する」として、「生産拠点の海外移転、海外生産比率の引き上げ」を行うことによって国内産業の空洞化を促進した。同時に、「今後のメガ・コンペティション(大競争)の時代にあって、……人材の流動化は避けられない」、「雇用政策のパラダイムをこれまでの同一企業グループにおける雇用の安定から、社会全体における就労機会の確保に転換する必要がある。」として、正規雇用から非正規雇用へと「雇用政策のパラダイム転換」をすすめることとした。

経団連「奥田ビジョン」

資本が一層海外に出て行くための『第三の開国』を表明

2003年、「豊田ビジョン」から七年ぶりに奥田碩日本経団連会長が発表した「奥田ビジョン」は、「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑む」として、「日本には、自らの手で市場開放を行うという『第三の開国』を進めていく強い意志が求められる」とし、資本が一層海外に出て行くために『第三の開国』を進めていく強い意志を表明した。

2007年

経団連「御手洗ビジョン」で資本のグローバル展開を促進

2007年、御手洗冨士夫経団連会長の「御手洗ビジョン」は、10年後の姿として「日中韓、ASEAN、インド、オーストラリア、ニュージーランドからなる包括的で質の高いEPAが成立して」おり、「域内でシームレスな経済環境が整備され、企業の自由な取引が保証されている。取引コストは大幅に低下し、徹底的な最適地生産が進み、より、強力なバリューチェーンが構築されている」として、FTA/EPAの範囲は、「奥田ビジョン」の東アジアから、インド及びオーストラリア、ニュージーランド、そして、米国とアジア太平洋地域にまで拡大された。

 

だから、資本の悪事を暴いて、資本と闘う以外に日本再生の道はない

このように、資本は、国内の雇用や産業を犠牲にして海外での利潤拡大を図るという一貫した戦略によって、今の日本(日本国民)の危機を作り出してきました。だから、「なぜ空洞化するのかというと、日本の国内の需要が冷えているからですよ。だから外に出て行っちゃう。」(「共産党」志位委員長)などというデマに騙されてはなりません。