6A-1-6

国民の資産形成をNISAに賭ける日本資本主義の末路と日本の未来への展望

マルクスの目で見る〝投資とNISA〟と〝日本資本主義の明日〟

このページのPDFファイルはこちら

ダウンロード
6A-1-6国民の資産形成をNISAに賭ける日本資本主義の末路と日本の未来への展
PDFファイル 213.8 KB

6A-1-6

国民の資産形成をNISAに賭ける日本資本主義の末路と日本の未来への展望

岸田首相の「新しい資本主義」の目玉の一つ、国民の資産形成手段としての〝新NISA〟が2024年1月1日から始まります。マルクスの目で資本主義を発展させるうえでの「銀行の役割」、「投資とNISA」の関係、そして、国民の資産形成をNISAに賭けざるを得ない「日本資本主義の現状」について、みなさんと一緒に見ていきましょう。

1、資本主義と銀行

 

資本主義を発展させる原動力

資本主義経済を発展させる原動力は個別企業の資本が大きくなることです。そして、個別企業の資本を大きくするためには、内部で資本を増やすか、外部から融資や投資にを受けて資本を大きくするか、その二つに一つです。だから、資本主義的生産様式の社会は、内部で資本を増やすために資本に企業の支配権を与えて、企業(資本)が富を生み出す主体である労働者を搾取することを合法化し、資本が労働者を搾取することによって資本を拡大することを前提とした仕組みで作られています。

 

資本主義を発展させた銀行制度

銀行は、外部から資本を大きくするための手段として、資本による国民の搾取と収奪とともに、資本主義を発展させるうえでの重要な原動力の一つとして機能してきました。銀行は、資本のための社会的生産のシステムである資本主義社会において、個々人の小さな財産をひとまとめにして大きな社会的な富として資本家に供給し、生産力を上げ富を増大させて資本主義社会を発展させるのに大いに貢献し、資本主義にとって不可欠の存在です。

 

資本は儲けを借金返済へ

日本の企業も設備投資の大きな部分を銀行の融資で賄い、国民総中流(一億総中流)ともいわれた1970年代の75~76年には、日本の資本金10億円以上の企業の自己資本比率は15%前後でした。しかし、その後、企業は儲けた金を労働者に還元したり国内での投資にまわすではなく借金返済にまわした結果、自己資本比率は30年以上にわたりほぼ一貫して上昇し続け、2010年には43%にまで上昇しました。

2、NISAは投資ではない

 

投資とNISA

このような背景のなかで、融資から投資へ、間接金融から直接金融へということが叫ばれ、金融機関の護送船団方式は廃止されます。投資とは、企業に直接お金を提供して資本金を増やすことで、公開しておこなわれているものに「新規公開株」(IPO)や公募増資があります。しかし、NISAは既存の公開された株式や投資信託に「投資」するもので、本来の〝投資〟ではありません。NISAを始めるということは、株式市場という〝鉄火場〟に首を突っ込むということです。

 

株式市場とNISA

株式市場は、株が「上がる」と思う人と「下がる」と思う人がその思惑をぶつけ合う〝鉄火場〟です。そして、その日本の株式市場での株価の上がり下がりの目安となる日経平均株価は、1989年末の38915円から2009年3月の7054円になるまで、上下動を繰り返しながら19年3カ月の間、下がり続けてきました。NISAを始めるということは、このような鉄火場に国民の富をつぎ込ませることなのです。

 

NISAによって多くの富が米国に持ち出される

株は一般的に言って、企業が成長すれば上がります。米国は、さまざまな口実をつけて自国の産業の発展を図り、経済覇権を維持し続けようとしています。対する日本は「産業の空洞化」でGDPは低迷し、経済は地盤沈下し続けています。こうした中でNISAで運用益を出そうとすれば、日本の労働者が汗水垂らして生み出した多くの富が米国に持ち出されることになります。

3、日本資本主義の現状にひれ伏す岸田政権

 

岸田政権は、なぜ、国民の資産形成をNISAという博打に頼るのか

株は、売買によって、需要と供給によって上下し、株の値段が上がったからといって価値を生みだすものではなく、ネズミ講にように株式市場にお金が流入し続けなければ株式市場全体の株価は上がりません。その株式の運用によって資産を増やそうとするNISAは、価値を生みだすものではなく、株式の需要と供給の上下にかける博打です。その賭博の中心地である米国のウオール街に国民の少なくない富がNISAで持ち出されるのです。それではなぜ岸田政権はNISAという博打で国民の資産形成をしようとしているのか。

 

日本資本主義の現状にひれ伏す岸田政権

日本は企業の儲けのために富と雇用を海外に持ち出されて、「産業の空洞化」で国民生活は疲弊し、GDPは、遅くない時期にドイツやインドに抜かれ、世界第3位から第5位に転落することが見込まれています。この日本資本主義の現状にひれ伏し、資本をコントロールして日本に再び活力を取り戻すことのできない〝資本の走狗〟ともいうべき岸田政権には、NISAという博打で国民の資産形成する以外に道はないのです。今後とも米国の経済覇権が続き、資本主義が危機に見舞われることのないよう祈るばかりです。

4、日本資本主義の現状を打破する新しい経済システムへの道を

 

日本には、まだ力が残っている

日本には、まだ力が残っています。日本は「産業の空洞化」が深刻ですが、日本企業は、まだまだ、高い生産技術を持ち、大企業(資本金10億円以上、金融・保険業含む)は511.4兆円(2022年度)もの内部留保を〝死蔵〟しており、銀行・信用金庫・信組には融資先のない470兆円ものお金が眠っています。これらを有効活用すれば、日本は、まだ、立ち直るチャンスがあります。

*資本主義社会は個別の企業が大きくなることを通じて経済が発展し、個別の企業は大きくなるために労働者を可能なかぎり搾取します。その搾取した富を使わず内部留保として持っているのは資本主義社会の発展にとってマイナスであり、使える富の〝死蔵〟であり、資本主義的生産様式の社会にとって、これは犯罪的な行為です。

 

企業と富を社会がコントロールして日本経済の復活を

個別企業が日本国民のためにその社会的役割を果たさない以上、政府が国民の支持を得て、大企業の内部留保と銀行の融資先のない眠った多額のお金を使って、現在不足している社会インフラの整備・中小零細企業の生産性向上のための設備投資・これから必要とされる技術の確立、そして、それらの運用主体の育成・基礎的な科学研究等のための組織の確立に一日も早く取りかかる必要があります。企業と富を社会がコントロールして日本経済の復活を図る必要があります。

補足

その1…餅はもち屋に

 

餅はもち屋に

新しい産業分野や新しい販売方法や新しい情報の伝え方などに基づいて新規の事業を起こそうとする者に投資する人をエンジェルと言いますが、そのようなスタートアップの企業を専門に〝投資〟する企業にベンチャーキャピタルがあります。私の友人が、今から30年ほど前、中小企業庁が始めたベンチャーキャピタルの真似事のような仕事に関わっていたとき、──リースの利益も5%、ベンチャーキャピタルの利益も5%、金融業の利益は平均5%──ということを、よく言っていました。このように、目利きのプロの集団であるはずのベンチャーキャピタルでも、〝投資〟はそうそう儲かるものではありません。多くの失敗、少しの失敗、或る程度の成功、そして少しの大成功によって、なんとか5%程度の利益を得ることができます。そんな不確実な「事業」に情報も資金も限られた個人が頭を突っ込むのは危険極まりないことです。

 

個人を破綻させる「新しい資本主義実行計画」

岸田内閣は、「新しい資本主義実行計画」におけるスタートアップ関連事業として「投資型クラウドファンディングの活性化」を掲げ、非上場企業が仲介業者を介しインターネットを通じて個人から資金を集める「投資型クラウドファンディング」の各個人の投資先ごとの年間の投資額の上限を、現在の50万円から2倍の100万円に引き上げようとしています。必要な情報を持たず、必要な情報の収集手段も持たない個人が個別の非上場企業に「投資」することを煽り、プロのベンチャーキャピタルでさえトータルで5%程度の利益しか得られず多くの個人が損失を出す可能性がある、「投資」に失敗したら「自己責任」と涼しい顔をする無責任な「新しい資本主義実行計画」、国民に不幸をもたらすだけのこんな事業はやめさせなければなりません。

責任ある政府は、融資先がなく銀行・信用金・信金に眠っている470兆円ものお金を有効活用して、トータルで5%程度のリターンが見込めるよう、国家プロジェクトとして責任をもって新事業・新産業の育成を図り、リターンを国民に還元して国民の虎の子の資産を守るべきです。頭を使うことも責任をとることもない、軍備の拡大だけの政治なら誰でもできることです。

その2…資本主義的生産様式を無視した「賃金・物価の好循環」の夢

 

渡辺努東大教授は国民を騙そうとしているのか、それとも資本主義を理解していないのか

「物価研究」が専門だという渡辺努東大教授は、あるTV番組で、──物価が上がり賃金上昇の足りない部分を政府の支出で補い、引き続き物価の上昇と賃金の上昇に弾みがつけば物価と賃金の好循環を取り戻すことができる、その好機が来ている──という趣旨のことを話していました。しかし、渡辺さんは、なぜ、1995年頃を境に日本経済の停滞が顕著に現れ、それが今に至っているのか──現在の日本経済の危機の原因──を黙して語りません。渡辺努東大教授は国民を騙そうとしているのでしょうか、それとも資本主義を理解していないのでしょうか。

 

資本主義的生産様式の基本構造

資本主義的生産様式は、個別企業が労働者を可能なかぎり搾取し、その利益を設備投資に回して生産性を高め規模を拡大して富の源泉を拡大し、そのおこぼれとして労働者の賃金も少し上げ、労働者の賃金が上がって儲けが少なくなったからといって商品の価格を上げ、その繰り返しで生産を拡大し、〝資本主義的生産様式がもたらす社会の消費能力の限界〟を超えようと〝資本主義的生産様式がもたらすバブル〟へと突き進み、破局して、労働者階級の大きな犠牲の上に資本は息を吹き返し、新たな景気循環が始まります。

しかし、日本経済は、1995年以降、大企業にとっての「好景気」が何回かありましたが、2002年1月を「谷」として始まった「いざなぎ景気」を超える戦後最長の景気回復でさえ、「産業の空洞化」の結果、グローバル企業が高度成長期並みの儲けを取り戻す一方、中小企業・非製造業は長期低迷のままで、名目雇用者報酬はマイナス、デフレも続き、景気回復局面でも国民のふところ潤わず、「好景気」のときに資本はわずかばかりの「アメ」をくれるという、マルクスも認めた資本主義的生産様式の常識・〝常態〟さえ実現することができなくなってしまいました。

資本主義の〝常態〟を失い、日本が約30年間経済が停滞し続けているのは、個別資本が1円でも多くの利益を求めて富と雇用を海外に持ちだし、「産業の空洞化」をもたらし、国内の設備投資を更新需要の範囲に留め、不安定雇用を増大させ、生産性の低い労働者にとって絶望的な産業構造の国にしてしまったからです。だから、しっかりした雇用環境のある生産性の高い産業構造をつくらなければ、日本は、今日の危機から脱却することはできません。

 

資本主義的生産様式での「賃金・物価の好循環」の条件

日本が資本主義的生産様式のもとでの「賃金・物価の好循環」を実現するためには、海外で稼いだ金を海外で再投資するのではなく日本に戻して①日本の労働者にばらまくか、②国内で稼ぐ力を高めて拡大再生産を実現しそのおこぼれを労働者に還元するかのどちらかです。

トマ・ピケティが『21世紀の資本論』で実証した、資本収益率(r)>経済成長率(g)という関係が資本主義的生産様式の本質である以上、拡大再生産がなければ、物価が上がり賃金が上がれば「賃金と物価の好循環」が実現するなどということはありえません。

 

日本での「賃金・物価の好循環」への道は社会主義への道

「科学的社会主義の党」を名乗る政党は、「賃金が上がれば経済が発展する」などと渡辺努東大教授なみのバカなことを吹聴せず、企業が日本国内に「投資」しなければ日本経済はよくならないということを声を大にして言うべきです。そして、企業にその気がないのなら、国家と労働者の力で企業が日本国内に「投資」するよう企業を導く以外に方法がないことを、国民・労働者に広く徹底的に訴えなければなりません。危機にある日本は、危機を脱出するためには、良し悪しにかかわらず、社会主義への道を歩むことを余儀なくされているのです。

 

社会主義は、いまや、現代資本主義のすべての窓からわれわれをながめている

レーニンは、『さしせまる破局、それとどうたたかうか』で「社会主義は、いまや、現代資本主義のすべての窓からわれわれをながめている。社会主義は、この最新の資本主義にもとづく一歩前進をなす一つ一つの重大な方策から、直接に、実践的に、うかびあがっている。」(全集第25巻P386~387、1917年9月10~14日)と言い、マルクスは、『資本論』第一部「第一三章 機械と大工業」で、資本主義の発展が「生産過程の物質的諸条件および社会的結合を成熟させるとともに、生産過程の資本主義的形態の矛盾と敵対関係とを(成熟させ──青山加筆)、したがってまた同時に新たな社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」と述べています。

 

「共産党」が真の科学的社会主義の党になるために

いま、日本は、〝新たな社会の形成要素〟を〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会(社会主義社会)をつくる方向に組織しなければ、危機はますます深まり、今日の危機から脱出することはできません。「科学的社会主義の党」を名乗る政党は、そのことをしっかりと理解し、労働者・国民に現在の自民党政治がもたらす経済と社会の行き着く先と社会主義社会へと通じる日本経済の復興と閉塞感に満ちた社会の克服の方法を明らかにし尽くさなければなりません。「共産党」は、不破さんの資本主義発展論に基づく「ルールある資本主義」づくりという資本主義の枠内での「改良」の積み重ね、そして、空虚な「社会主義」という念仏を唱えるだけの修正主義の上着を、キッパリと脱ぎ捨て、資本の行動とそのもたらす結果をしっかり考察し、労働者・国民に日本の未来の展望を指し示すべきです。そのために、「共産党」が真の科学的社会主義の党になるために、「民主集中制」に名を借りた党員の意見の「支部」というタコ壺の中への封印を解放するとともに、「共産党後援会」などという人民革命にとって本末転倒のほとんど党員だけの組織を解体し「革新懇」を発展的に解消して真に市民(労働者階級)と政党との統一組織・運動体の実現に目覚めるときです。そうすれは、結果として、立派な日本共産党員がしっかりと増えるはずです。