レーニンの発見のポイント・その3

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レーニンは国家と社会を民主的に組織することこそが社会主義社会への途であることを示した

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レーニンは国家と社会を民主的に組織することこそが社会主義社会への途であることを示した

 

〝資本主義的生産様式から結合労働の生産様式への移行〟の意味

 マルクスとエンゲルスは、「資本主義的生産様式から結合労働の生産様式への移行」(大月版『資本論』⑤ P783)に関し、以下のように述べています。

 「生産手段が資本に転化しなくなれば(このことのうちには私的土地所有の廃止も含まれている)、信用そのものにはもはやなんの意味もないのであって、……資本主義的生産様式が存続するかぎり、利子生み資本はその諸形態の一つとして存続するのであって、実際にこの生産様式も信用制度の基礎をなしているのである。」(同前⑤P784)

 「およそ権利をつくりだしたものは生産関係である。この生産関係がある一点に達して脱皮せざるをえなくなれば、権利とそれにもとづくいっさいの取引との物質的な源泉、経済的および歴史的に是認される源泉、社会的な生命生産の過程から発する源泉は、なくなってしまう。」(同前⑤ P995)

 資本主義的生産様式の社会は、「生産手段」が「資本」に転化し、「資本」の所有者が労働者を賃金奴隷として搾取する「権利」を持つように作られた社会です。だから、〝資本主義的生産様式から結合労働の生産様式の社会へ移行する〟ためには、国法をもって〝資本〟による生産手段と企業の支配を廃止させなければなりません。

 それでは、国法をもって「資本」による「生産手段」と企業の支配を廃止させた〝社会と企業〟はどのように運営されるのか。〝結合労働の生産様式の社会〟とはどのような社会なのか、その実践の緒に就いたのがレーニンでした。

 

政治的民主主義の道をとおらずに社会主義にすすむことはできない

 マルクス・エンゲルスから正しく学んだレーニンは民主主義とは何かをよく理解していました。だから、レーニンは、ロシア革命の10年以上前の1905年6~7月に執筆した『民主主義革命における社会民主党の2つの戦術』(第9巻 P16~17、)で次のように述べています。

「われわれはみな確信している。

──労働者の解放は労働者自身によってしか行われえない、大衆の自覚と組織がなくては、また全ブルジョアジーとの公然たる階級闘争によって大衆を訓練し教育しないでは、社会主義革命は問題になりえない、と。……(略─青山)……政治的民主主義の道をとおらずに別の道をとおって社会主義にすすもうとするものは、かならず、経済的な意味でも、政治的な意味でも、愚劣で反動的な結論に達するのである。」

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「C-1、各論その1(8)」の「8-9政治的民主主義の道をとおらずに」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 この文章は、レーニンの真骨頂を示す文章の一つです。

 いくら「共産党」を名乗っても、また、いくら主観的に新しい生産様式の社会を目指しても、国民が主体的に一致団結して「社会主義にすすむ」道を歩まなければ「愚劣で反動的」な道を歩むことになります。レーニンは、そのことを「ソ連」や「中国」に警告していたのです。

レーニンが示した新しい生産様式の社会への道

☆それではレーニンは、どのように〝社会主義〟への道をすすもうとしたのか、時系列に従って、レーニンの考えを見ていきましょう。

レーニンは、国家と社会を民主的に組織することこそが社会主義社会への途であることを示した(1916年8月~9月)

 社会変革の担い手である労働者階級は、新しい生産様式の社会をつくるためにどのように団結し、社会をどのように組織しなければならないのか。レーニンの考えを聞こう。

 レーニンは、民主的な生活の乏しい封建的なロシアで、その変革を武力によって成し遂げた十月革命の前から、一貫して民主主義の重要性を訴え続け、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」、革命に勝利することができず、「プロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーすなわち国民のなかの少数者にたいする暴力と、民主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展とを結びつけるのである。」(全集 第23巻P16~20『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』、1916年8月~9月に執筆)と述べて、社会主義社会を作る保証が〝民主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展〟であることを明らかにしました。

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「C-2、各論その2(9~12)」の「9-4 社会主義革命と民主主義のための闘争Ⅱ」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 この文章で、レーニンは二つの大切なことを言っています。

 一つは、「あらゆる国事への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展」によって「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する」こと、つまり、政治の民主化です。そして、もう一つは、「資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展」によって「生産手段にたいする全人民の民主主義的管理を組織する」こと、つまり、社会と経済活動の民主化です。

 この社会と経済活動の民主化は、不破さんの言う〝生産現場で指揮者はいるが支配者はいないという人間関係をつくりあげる〟などという「生産現場」での「生産の進め方」における「人間関係」の問題などとは、次元が異なります。不破さんや人事院や財界がいう個別企業での「民主的な職場づくり」などではなく、日本の総「企業」の最大のステークホルダーである労働者階級の「企業のあり方」への関与を含む〝社会と経済活動の民主化〟を図るための国民的合意づくりに、私たちは力を尽くさなければなりません。しかし、不破さんの矮小化された「多数者革命論」にはそのような観点がまったくありません。だから、目先の選挙で何とかして票を取ろうとして、根本を忘れた「たたかい」を党員に強いることになるのです。

ソヴェト組織の官僚主義的歪曲との闘争(1918年3~4月)

 レーニンは、1918年3~4月に執筆した『ソヴェト権力の当面の任務』で、ソヴェト組織の官僚主義的歪曲との闘争に関して、次のように述べています。

「われわれはソヴェト組織とソヴェト権力とを発展させるように、うまずたゆまず活動しなければならない。ソヴェトの代議員を「国会議員」に変えようとし、他方では、官僚に変えようとする小ブルジョア的な傾向かある。このような傾向とは、ソヴェトのすべての代議員を実際に管理に参加させることによって、たたかわなければならない。多くの地方では、ソヴェトの各部局が、しだいに委員部と合体しつつあるような機関に変ってきている。われわれの目的は貧民をひとりのこらず実際に管理に参加させることである。そしてこれを実現するためのあらゆる方策──それは多様であればあるほどよい──は詳細に記録され、研究され、体系化され、より広範な経験によって点検され、法制化されなければならない。われわれの目的は、勤労者各人が八時間の生産的労働の「日課」をおえたあとで国家的義務を無償で遂行することにある。こういうことにうつるのはきわめて困難であるが、この移行のなかにこそ、社会主義を最後的に確立する保障があるのである。こういう転換が目新しく困難であるために、当然、多くの、いわば暗中摸索的な行動や多くの誤り、ためらいを呼びおこしている。だが、こういうことなしには、急激な前進はなに一つありえない。……(略──青山)

 ソヴェト組織の官僚主義的歪曲との闘争は、ソヴェトが、勤労被搾取者という意味での「人民」とかたく結びついていることによって、またこの結びつきが融通性と弾力性とをもっていることによって、保障される。」(第27巻 P276~277)

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「A-1、1科学的社会主義の理論」の「1-28 鎖全体を左右する一環をつかめ」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 ここでレーニンは「社会主義を最後的に確立する保障」が「貧民をひとりのこらず実際に管理に参加させること」であることを述べ、「ソヴェト組織の官僚主義的歪曲との闘争は、ソヴェトが、勤労被搾取者という意味での「人民」とかたく結びついていることによって、またこの結びつきが融通性と弾力性とをもっていることによって、保障される」ことを強く訴えています。

正しいことを主張しても、それを押し付けるな(1918年11月6~9日)

 しかし、〝経済活動の民主化〟を進め、革命を発展させるうえで最も重要なのは、正しい主張であてもそれを押し付けてはいけない、ということです。

 レーニンは、「どんなばあいにも、大衆の発展に先ばしってはならず、この大衆自身の経験から、大衆自身の闘争から、前進運動が成長してくるのを待たなければならない。」(第28巻『労働者・農民・カザック・赤軍代表ソヴェト第六回臨時全ロシア大会』P142~144)と言い、正しい主張でもそれを押し付けることは、「少数者が自分の意志を多数者におしつける企て」であり、「マルクス主義をブランキ主義的にゆがめること」だと言っています。

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「A-1、1科学的社会主義の理論」の「1-29 運動の進め方──正しいことを主張しても、それを押し付けるな」のPDFファイルでお確かめ下さい。

社会主義社会は単一の大きな協同組合(1918年11月27日)

 レーニンは、新しい生産様式の社会について、「われわれが規律をもち、すべての所有物を人民に組織的に移譲し、富のすべての源をソヴェト共和国の手に移譲し、それを厳重に規律正しく管理すること、これが基本条件である。」(第42巻『人民委員会議の会議での発言』P46~47、1918年3月4日)と述べ、「協同組合機構は、資本家の私的なイニシァティヴではなく勤労者自身の大衆的参加に期待した物資供給機構である。カウツキーが、背教者になるずっとまえに、社会主義社会は単一の大きな協同組合であると言ったのは、正しかった。」(第28巻『モスクワ党活動家会議』P234)と言っています。

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「C-2、各論その2(9~12)」の「9-8 社会主義社会は単一の大きな協同組合」PDFファイルでお確かめ下さい。

 〝社会主義社会は単一の大きな協同組合である〟。まさに、そのとおりだと思います。もしも、あなたの属している協同組合が、〝社会主義〟を感じさせない協同組合であるならば、猛省すべきではないでしょうか。

社会主義の完全な勝利をもたらしうる変革、そして、資本主義でのたたかいはシームレスに社会主義社会に結びついている(1919年1月20日)

 〝社会主義の完全な勝利をもたらしうる変革〟とは何か。レーニンの言葉を聞いてみましょう。

「いま人類史上はじめて、社会主義の完全な勝利をもたらしうる変革がはじまっている。ただそれには、新しい膨大な大衆が自主的に統治の仕事にとりかかることが条件となる。社会主義的変革が意味しているものは、国家形態の変更ではないし、君主制を共和制に代えることでもないし、人々の新しい投票でもない。……(略──青山)ブルジョア社会では、ブルジョアジーが勤労大衆を統治してきた。少数者が、有産者が、すなわち資本主義文明の最高の防塞であり最高の精華である教養と科学を搾取の道具に変え、圧倒的多数の人間を奴隷状態に引きとめるための独占物に変えた資本主義的所有の参加者たちが、多少とも民主主義的な、あれこれの形態の助けを借りて統治してきた。われわれが開始した変革、われわれがすでに二年間も遂行しており、最後まで遂行しようとかたく決意している変革(拍手)──この変革は、われわれが新しい階級への権力の移行をなしとげるばあいにだけ、ブルジョアジー、資本主義的奴隷所有者、ブルジョア・インテリゲンツィア、すべての有産者の、すべての所有者の代表者にかわって、新しい階級が、あらゆる行政分野で、下から上まで、国家建設の全事業に、新しい生活の指導という全事業に参加するばあいにだけ、可能であり、実現できるのである。

 これが、現在われわれの当面している任務である。この新しい階級が本や集会や演説によってではなく、自分の統治の実践によって教育されるときにはじめて、この階級がこの統治にもっとも広範な勤労大衆を参加させるときにはじめて、国家を統治し国家秩序を創設する仕事にすべての勤労者がたやすく順応することを可能にするような諸形態をこの新しい階級がつくりだすときにはじめて、社会主義的変革は強固なものとなりうるのである。……(略──青山)

 これが、一般的にいって、階級的見地からみて、勝利の社会主義的変革の条件として、われわれが当面している任務である。この任務は資本主義社会の枠内にあってさえ資本主義社会の廃止のためのもっとも広範な大衆闘争をめざしてきた諸組織の任務と、きわめて緊密に、また直接に接合している。」(第28巻『労働組合第二回全ロシア大会での報告』P452~453、1919年1月20日)

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「D-1、ロシア革命その1(13~14)」の「14-14 社会主義の完全な勝利をもたらしうる変革」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 レーニンはここで、「社会主義の完全な勝利をもたらしうる変革」のためには「新しい膨大な大衆が自主的に統治の仕事にとりかかることが条件となる」ことを指摘し、その変革とは、たんなる「国家形態の変更」ではないことを述べ、「新しい階級が、あらゆる行政分野で、下から上まで、国家建設の全事業に、新しい生活の指導という全事業に参加するばあいにだけ、可能であり、実現できる」ことを力説しています。

 そして、私たちにとって、一層重要なのは、レーニンの「この任務は資本主義社会の枠内にあってさえ資本主義社会の廃止のためのもっとも広範な大衆闘争をめざしてきた諸組織の任務と、きわめて緊密に、また直接に接合している」という指摘です。資本主義でのたたかいは、まさに、シームレスに社会主義社会に結びついているのです。

政治体制は改造すべき多くのことがあり、経済的基礎のもっとも重要なものがまだ未完成である(1921年11月6~7日)

 レーニンは当時のソ連の政治体制の現状と経済建設の現状について、次のように述べています。

「これまでに十分になしとげられたことと言えば、わが国の革命のブルジョア民主主義的な仕事だけである。そしてそれをほこるもっとも正当な権利を、われわれは持っている。革命のプロレタリア的あるいは社会主義的な仕事は、三つのおもな種類に帰着する。すなわち、(一)帝国主義的な世界戦争からの革命的脱出。資本主義的略奪者の二つの世界グループの殺戮(さつりく)を暴露し、失敗させること。これは、われわれとしては、十分にやりとげている。しかしこれを、全面的にやりとげることができるのは、ただ一連の先進国における革命だけであろう。(二)ソヴェト体制、すなわちプロレタリアートの独裁の実現形態をつくりだすこと。世界的な急転換が生じた。ブルジョア民主主義的議会制度の時代はおわった。世界史の新しい章が、プロレタリア独裁の時代が、はじまった。ソヴェト体制とプロレタリア独裁のあらゆる形態とは、一連の国々によってはじめてつくりあげられ、完成されるものである。わが国では、この分野で完成していないものが、まだきわめて多い。それがわからないのは、ゆるせないことである。われわれは、まだ一度ならず完成し、つくりかえ、最初からやりはじめなければならないであろう。生産力と文化との発展で、われわれが一段一段と首尾よく前進し、たかまるたびに、それに伴ってわがソヴェト体制を完成させ改造していかなければならない。しかし、われわれは、経済的に、また文化的に、非常に低いところにある。改造すべき多くのことに当面している。しかしそれに「たじろぐ」ようでは、愚の骨頂であろう(ばか以上に悪くはないにしても)。(三)社会主義制度の経済的基礎の建設。この分野では、もっとも重要なもの、もっとも根本的なものが、まだ完成されていない。だが、これは──原則的な見地からしても、実際的な見地からしても、現在のロシア社会主義連邦ソヴェト共和国の見地からしても、また国際的な見地からしても──われわれのもっとも確実な基礎なのである。」(第33巻『現在と社会主義の完全な勝利ののちとの金の意義について』P102~103)

*この文章は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「D-2、ロシア革命その2(14)」の「14-34 革命の三つの社会主義的な仕事」の全文です。

 レーニンはここで、当時のソ連が「経済的に、また文化的に、非常に低いところにある」ので、その基での現在の「ソヴェト体制」という政治体制は、「生産力と文化との発展で、われわれが一段一段と首尾よく前進し、たかまるたびに、それに伴って」、「まだ一度ならず完成し、つくりかえ、最初からやりはじめ」、「完成させ改造していかなければならない」ことを述べるとともに、社会主義制度の経済的基礎の「もっとも重要なもの、もっとも根本的なものが、まだ完成されていない」ことを述べています。

 そして、「社会主義制度の経済的基礎の建設」こそが「社会主義的な仕事」の「もっとも確実な基礎」であることを言明しています。

新経済政策の諸条件のもとでの労働組合の役割と任務について(1921年12月30日~1922年1月4日)

☆レーニンは、1921年12月30日~1922年1月4日に執筆した『新経済政策の諸条件のもとでの労働組合の役割と任務について』で、「労働組合のあり方」について、「労働組合の活動が正しいかどうか、うまくいっているかどうかの基準」について、「この時点における労働組合と企業の管理」について、「プロレタリア国家の経済機関と国家機関への労働組合の参加とその役割」について、「労働組合と専門家」のあり方について、次の通り明らかにしています。

 労働組合の役割を考えるうえで、現在の私たちにとっても、大変重要な文章ですから、多少長くなりますが、是非、辛抱して、お読み下さい。

 

労働組合のあり方

「個人的な組合加入についても、集団的な加入についても自由加入制をどこまでも断固として実現しなければならない。労働組合員には、けっして一定の政治的見解をもつようにもとめてはならない。この意味では、宗教にたいする態度の問題のばあいと同様に、労働組合は無党派的でなければならない。プロレタリア国家の労働組合員にもとめるべきことは、同志的な規律を理解することだけであり、勤労者の利益をまもり、勤労者の権力、すなわちソヴェト権力をたすけるために、労働者の力を統一する必要があることを理解することだけである。プロレタリア国家は、法律的な点でも、物質的な点でも、労働者を労働組合に組織することを奨励しなければならない。だが、労働組合は、義務の伴わないどんな権利ももつべきではない。」

 

労働組合の活動が正しいかどうか、うまくいっているかどうかの基準

「労働組合の活動が正しいかどうか、うまくいっているかどうかをはかるもっとも重要な、誤りのない尺度の一つは、労働組合が、労働者大衆の利益をほんとうに、あらゆる側面からまもり、紛争の原因を適時に取りのぞくための先見の明ある政策によって、どの程度国営企業の大衆的な紛争をうまく防止しているかを、測定することである。」

 

社会化された企業における労働組合の役割・義務

「社会化された企業についていえば、勤労者の利益をまもり、可能なかぎり彼らの物質的生活状態の向上をたすけ、経済機関の誤りと行きすぎが、国家機関を官僚主義的にゆがめることから出ているかぎり、これをたえず是正する義務が、無条件に労働組合に負わされる。」

 

この時点における労働組合と企業の管理

「国家権力を獲得したのちの、プロレタリアートのもっとも重要で、もっとも根本的な利益は、生産物の量をふやし、社会の生産力を大規模にたかめることである。ロシア共産党の綱領のなかにはっきりと立てられているこの任務は、いまわが国では戦後の荒廃、飢餓、経済的崩壊のためにとくに緊急なものとなっている。……(略──青山)このような成功をおさめるためには、いまのロシアの情勢のもとでは、全一の権力を工場管理部の手に集中することが無条件に必要である。……(略──青山)

 こういう条件のもとで、労働組合が企業の管理に直接に干渉することは、すべて無条件に有害で、ゆるしがたいものとみとめなければならない。

 だが、この争う余地のない真理をとらえて、工業の社会主義的組織と国営工業の管理とに労働組合が参加することを否定するものと解釈するならば、まったく誤りであろう。このような参加は、正確に決められた形、すなわちつぎの形で必要なのである。」

 

プロレタリア国家の経済機関と国家機関への労働組合の参加とその役割

「プロレタリアートは、資本主義から社会主義へ移行しつつある国家の階級的基礎である。……(略──青山)労働組合は、労働者階級の自覚した前衛――共産党――によってその政治的活動全体を指導される国家権力の、もっとも身近な、欠くことのできない協力者でなければならない。労働組合は、総じて共産主義の学校であるが、とくに、すベての労働者大衆のために、つぎに全勤労者のためにも、社会主義的工業を(ついで、徐々に農業をも)管理する学校とならなければならない。

 ……(略──青山)

 一、労働組合は、経済に関係のあるすべての経済機関と国家機関の設置に参加し、組合からの候補者をあげ、候補者の実務経歴、経験その他をしめすこと、……(略──青山)

 二、労働組合のもっとも重要な任務の一つは、労働者と勤労大衆一般から管理者を抜擢し、訓練することである。……(略──青山)

 三、労働組合がプロレタリア国家のすべての計画機関に参加し、経済計画、生産計画、労働者の物質的給与のためのフォンドの支出計画の作成に参加し、ひきつづき国家から供給を受ける企業、賃貸されるか、利権として引きわたされる企業の選定などに参加することを、強化しなければならない。……(略──青山)労働組合があらゆる文化=教育活動と生産宣伝に参加するのとあいまって、労働組合のこのような活動は、労働者階級と勤労大衆を国家経済のすべての建設に、ますますひろく、ますますふかく引きいれ、経済生活全般を彼らに知らせ、原料の調達から製品の市場販売までの工業活動全般を彼らに知らせ、社会主義経済の単一の国家計画についても、この計画の実現にたいする労働者と農民の実際の利害関係についても、ますます具体的な考えをあたえなければならない。

 四、賃金率、給与規準などを作成することは、社会主義を建設し、工業の管理に参加する労働組合の活動の欠くことのできない構成部分の一つである。とくに規律裁判所は、一般に人民裁判所の機能と工場管理の機能とにはけっして干渉することなく、確固として労働の規律をたかめ、労働規律と生産性向上とのための文化的な闘争形態をたかめなければならない。

 ……(略──青山)国民経済をたかめ、ソヴェト権力をつよめるうえにもっとも重要なことは、経済を組織し、管理するために労働組合のはたした大きな活動の経験を考慮にいれることであり、また直接に、無準備に、権限なしに、無責任に管理に干渉して、すくなからぬ害をおよぼした誤りを考慮にいれることであり、国全体の国民経済の管理の仕方を労働者と全勤労者に教えこむという、ねばり強い、実務的な、長い年月を見こんだ活動に、慎重に、断固として移っていくことである。」

 

労働組合と専門家

「思想的には共産主義にまったく無縁であるにしても、自分の業務をよく知っていて、これに愛着をもち、良心的に働いているあらゆる専門家を、瞳のようにだいじにするように、われわれのすべての指導機関、つまり共産党も、ソヴェト権力も、労働組合もならなければ、社会主義建設でどのような大きな成功をおさめることも、問題になりえないのである。……(略──青山)

 労働組合は、一定の官庁の利益という見地からでなく、労働と国民経済全体の利益という見地から、こういうすべての種類の仕事をみなおこなわなければならない(あるいは、あらゆる官庁のそれぞれの仕事に系統的に参加しなければならない)。専門家について言えば、もっとも広範な勤労大衆と専門家との正しい相互関係を樹立するために、これらの大衆に日ごと働きかけるという、もっとも苦しい、骨のおれる仕事が労働組合に課されている。このような仕事だけが、ほんとうに重大な実際的成果をあげることができる。」(第33巻 P182~193)

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「D-2、ロシア革命その2(14)」の「14-36 新経済政策の諸条件のもとでの労働組合の役割と任務について」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 みなさんは、是非、現在の、そして、未来の、労働組合運動と労働組合の役割について、真剣に、熟考してみて下さい。

国家の人民統制の手段としての労農監督部(1922年12月29日)

 レーニンは、労働者階級が専門家から学び、国家を運営する中心になる方策について模索し、下記のような提案を行なった。

「(中央委員の増員について)

 私の意見では、中央委員の人数をふやすさいには、われわれのろくでもない機関の点検と改善をも──おそらくは、主として──、おこなわなければならない。このために、われわれは高度に熟練した専門家の助力をえなければならない。そして、これらの専門家を配置する仕事は、労農監督部の任務でなければならない。

 ……(略──青山)

 中央委員が適当に増員され、その中央委員たちが、このような高度に熟練した専門家や労農監督部各部門の高い権威をもった部員の援助をうけながら、年々国家行政の課程を修了していくなら、われわれは、こんなにも長いあいだ解決できなかったこの任務をうまく解決できるようになるだろうと、おもわれる。」(第36巻『(中央委員の増員について)』P713~714、1922年12月29日)

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「D-2、ロシア革命その2(14)」の「14-46 国家の人民統制の手段としての労農監督部」のPDFファイルでお確かめ下さい。

 

以上から言える、レーニンの一貫した思想とレーニンの早すぎる死

 このように、レーニンは、新しい生産様式の社会の存立要件として、「あらゆる国事への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展」によって「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する」こと、つまり、政治の民主化、そして、「資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展」によって「生産手段にたいする全人民の民主主義的管理を組織する」こと、つまり、社会と経済活動の民主化、この二つを常に念頭に置いて困難の克服に努めてきました。

 しかし、レーニンの早すぎる死は、レーニンをして、「スターリンは粗暴すぎる」、「粗暴な大ロシア人的デルジモルダなのだ」(※)と言わせたスターリンによる党の破壊と独裁をもたらし、そのことによって、新しい生産様式の社会の存立要件を粉砕してしまいました。

(※)なお、レーニンは、1922年12月24日付の手紙で、スターリンについて、「同志スターリンは、党書記長となってから、広大な権力をその手に集中したが、彼がつねに十分慎重にこの権力を行使できるかどうか、私には確信がない。」と述べ、1923年1月4日に書いたこの手紙への追記で、「スターリンは粗暴すぎる。そして、この欠点は、われわれ共産主義者のあいだや彼らの相互の交際では十分がまんできるものであるが、書記長の職務にあってはがまんできないものとなる。だから、スターリンをこの地位からほかにうつして、すべての点でただ一つの長所によって同志スターリンにまさっている別の人物、すなわち、もっと忍耐づよく、もっと忠実で、もっと丁重で、同志にたいしてもっと思いやりがあり、彼ほど気まぐれでない、等等の人物を、この地位に任命するという方法をよく考えてみるよう、同志諸君に提案する。この事情は、とるにたりない、些細なことのようにおもえるかもしれない。しかし、分裂をふせぐ見地からすれば、また、まえに書いたスターリンとトロッキーの間がらの見地からすれば、これは些細なことではないとおもう。あるいは、些細なことだとしても、決定的な意義をもつようになりかねないそういう種類の些細なことだとおもう。」と述べています。そして、レーニンは、「ソヴェト社会主義共和国連邦の結成」に関して、エリ・ベ・カーメネフヘあてた手紙(1922年9月26日)で、スターリンについて、「スターリンには事をいそぎすぎる傾向が多少ある。」と言い、1922年12月30日に書いた大会への手紙(覚え書)では、「スターリンの性急なやり方と行政者的熱中が、さらに評判の「社会民族主義者」にたいする彼の憎しみが、致命的な役割を演じたとおもわれる。総じて憎しみは、政治では、通常、最悪の役割をはたすものである。」と言い、12月31日の覚え書では、スターリンについて、「「社会民族主義」という非難を不注意に投げつけるグルジア人(ところが、彼自身がほんとうの、真の「社会民族主義者」であるばかりか、粗暴な大ロシア人的デルジモルダ(警察支配──青山)なのだ)は、実はプロレタリア的階級連帯の利益をそこなうものである。なぜなら、民族的不公正ほど、プロレタリア的階級連帯の発展と強固さを阻害するものはなく、また平等の侵害──たとえ不注意によるばあいでさえ、たとえ冗談としてでさえ──ほど、自分の同志であるプロレタリアによってこの平等が侵害されることほど、[侮辱された」民族の人々の心にするどくひびくものはないからである。」と言って非難しています。

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→「レーニンの考えの紹介」→「3-Fレーニンの人柄等、全集マメ知識」PDFファイルでお確かめ下さい。

 

〝論争点を公然と討議する〟ことと言論分野の民主化

 そして、社会主義社会への道でもう一つ大事なのは、〝論争点を公然と討議する〟こととイデオロギー分野の民主化です。

 レーニンは次のように述べて、「論争点を公然と討議する」ことを推奨しています。

 「われわれはマルクスの理論を、けっしてなにか完成された、不可侵のものとは考えていない。その反対に、この理論は、社会主義者が生活にたちおくれたくないならばこんごさらにあらゆる方向に前進させなければならない一つの科学のかなめ石をおいたにすぎないと、われわれは、確信している。われわれは、ロシアの社会主義者にとってマルクスの理論を自主的に仕上げることがとくに必要であると、考える。というのは、この理論は、一般的な指導的諸命題を提供しているだけで、それらの原理は個別的には、イギリスにたいしてはフランスとちがったふうに、フランスにたいしてはドイツとちがったふうに、ドイツにたいしてはロシアとちがったふうに、適用されるからである。だから、われわれは、理論問題をあつかった論文に喜んでわれわれの新聞の紙面を割こうし、すべての同志諸君に、論争点を公然と討議するようすすめるものである。」(第四巻 われわれの綱領 P225~226  1899年の後半に執筆)

*この部分の全集からの「抜粋」の全文は、ホームページ5「温故知新」→3「レーニンの考えの紹介」→「A-1、1科学的社会主義の理論」の「1-20 マルクスの理論を擁護するわけ」のPDFファイルでお確かめ下さい。

  このように「論争点を公然と討議する」ことは、私たちが真理に近づく最良の方法です。そして、この「論争点を公然と討議する」こととならんで重要なのは、言論分野の民主化です。

 言論分野の民主化のためには、①マスコミが一方の考えだけを流布したりフェイクニュースを拡めるのをチェックするための国民参加の仕組みを作るなどメディアの中立・公平性をたもつための国民の関与の仕組みづくりと、②行政機関等による「専門家」を隠れ蓑にした一方的な考えの流布による世論形成等を防止するための仕組みづくりが必要であり、真実に基づく、労働者階級を中心とする国民の声が正しく反映される思想状況をつくる努力が欠かせません。

 

マルクス・エンゲルス・レーニンが示したコミュニズムへの道

 このように、マルクス・エンゲルス・レーニンが示したコミュニズムへの道は、資本主義的生産様式の社会を卒業するために、①国法をもって「資本」が「生産手段」と企業を支配する権利を剥奪し、知的財産権等「財産」に基づく特権を廃止し、②〝生産手段にたいする全人民の民主主義的管理を組織すること〟と〝全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織すること〟を中心に、社会を民主的に組織することであり、これらのことを国民の合意にすることです。