自分の意見をもった〝新しい人〟が作る〝新しい社会〟

    ──私たちは世界をどう認識すればよいのか、何処に向かって何をすればよいのか──

3-2

〝新しい社会〟をつくるために〝新しい人〟が生み出される理由

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〈目次〉

はじめに、どうしたら〝新しい人〟を生み出すことができるのか

Ⅰ、新しい社会を作る〝新しい人〟は、どのように作られるのか

ⅰ、〝新しい人〟

ⅱ、〝新しい人〟はどのようにつくられるのか

ⅲ、〝新しい人〟の出現を妨げるもの

Ⅱ、〝新しい社会〟を作る〝新しい人〟を育む組織の資質

ⅰ、〝新しい人〟を育む組織が持つべき認識

①社会・経済状況に対する正しい認識

②〝新しい社会〟に対する正しい認識

③〝新しい社会〟へ行く過程の正しい認識

ⅱ、〝新しい人〟を育む組織が持つべき資質

①正しい認識をもてるような認識の方法を持っていること

②主体性が培われるような組織であること

Ⅲ、〝新しい人〟がつくる〝共同社会〟の政治システム

〝新しい人〟がつくる〝共同社会〟の政治システム

おまけ(その1)

生まれたばかりの〝革命ロシア〟で、レーニンは青年たちに何を求めたのか

おまけ(その2)

〝新しい人〟の形成過程についての不破哲三氏とマルクス・エンゲルス・レーニンとの間の違い

3-2

〈〝新しい社会〟をつくるために〝新しい人〟が生み出される理由〉

 

はじめに

どうしたら〝新しい人〟を生み出すことができるのか

自分の意見を持った〝新しい人〟とは、今の自分のおかれている〝世界〟についての正しい認識を持ち、その認識に基づいて臆することなく社会と向き合うことのできる自律的な個人のことです。なぜ、〝世界〟についての正しい認識をもった人は、〝新しい人〟──臆することなく社会と向き合うことのできる自律的な個人──へと成長することができるのか、成長せざるを得ないのか。

 その疑問を解き明かす鍵は、どうしたら〝新しい人〟を生み出すことができるのかということの中にあります。どうしたら〝新しい人〟を生み出すことができるのか、一緒に考えていきましょう。

Ⅰ、新しい社会を作る〝新しい人〟は、どのように作られるのか

 

〝新しい人〟

新しい社会を作る〝新しい人〟は、自分が社会的な存在であることを自覚し、これまで見てきたような社会の仕組みの理解を深め、社会的な存在としての行動を通じ、人間として成長するなかで作られていきます。そして、〝社会的な存在〟としての〝人間の成長〟とは、資本主義のもとでのあるがままの「社会的な存在」としての自分を見直すことです。

 資本主義社会は、すべてのものを商品とし、労働者の労働力をも商品とすることによって搾取を隠蔽し、商品によって社会は高度に結びつけられ、すべての成員がその一翼を担っています。しかし、その商品世界を支配しているのは利己的な行動をとることを本質とする〝資本〟という名の私的財産権です。資本主義社会は、資本が利己的に行動することを正当な行為として認め、社会の有り様は「神の手」という、物神化された〝資本〟の〝行動〟に委ねられています。

 労働者の、資本主義のもとでのあるがままの「社会的な存在」、つまり、商品としての存在というブルジョア民主主義社会の考え方を見直し、資本の行動を直視し、資本主義的生産様式の社会の歴史に於ける一過性を理解し、資本を社会を支配する〝神〟の座から引きずり下ろし、社会を担うのは自律的な個人であるという人民民主主義の考え方への〝成長〟、それは同時に、地球と調和した人間社会をめざす方向へと〝成長〟することですが、それが〝社会的な存在としての人間の成長〟です。

 〝社会的な存在としての人間の成長〟とは、経済が資本のためにある資本主義社会において、職場の労働者として、不破哲三氏が理想とする「オーケストラの指揮者」のいる「民主的」な職場環境のもとで、企業に隷属して働く労働者から、企業の「ステークホルダー」の一員として労働者階級へと、その地位を獲得するための努力を重ねて、その自覚と能力を身に付けていくことであり、労働者階級が主権者として、国民のための経済を保証するために〝全人民の民主主義的管理〟によって運営される社会の実現をめざして行動するなかで培われるものです。

 それでは、このような〝新しい人〟はどのようにして形成されるのか、一緒に、見ていきましょう。

 

〝新しい人〟はどのようにつくられるのか

これまで見てきたように、資本主義的生産様式の社会は──労働者階級と資本家階級との非和解的な対立を含む──矛盾を抱えた歴史上の一過渡期の社会です。だから、そのような社会を肌で感じ、そのことを独力で認識し、科学的社会主義の思想にすすんで触れてくる人もいるでしょう。しかし、〝新しい人〟となる多くの人は社会と人々とのふれあいの中で、自らの認識を深め、〝新しい人〟となるための入り口に立ちます。

 搾取する者と搾取される者の二大勢力によって成り立っている資本主義社会は、資本家階級の団体と資本家階級のためのイデオロギーとともに労働者階級のための団体と労働者階級のためのイデオロギーを生みだし、資本主義社会から社会主義社会への社会変革の必然性を理解した人たちが社会を変える助産師として、労働者階級の前衛として、〝新しい人〟を生み出すために尽力します。〝新しい人〟は、多くの場合、このような資本家階級と労働者階級のせめぎ合いのなかで、労働運動が広範な層の階級的自覚を高め、労働者こそが社会を動かす原動力であり社会の中心にいるべき存在であるという〝民主主義思想〟の発展とともに生まれてきます。

 だから、労働運動を担う労働組合や政党の責務は重大です。しかし、そのことについては、もう少しあとで考えることにします。

 

〝新しい人〟の出現を妨げるもの

資本主義社会は資本主義的生産関係にもとづく資本主義的生産様式の社会です。労資関係から社会・経済のしくみ全般にいたるまで資本主義的に組成され、法制化され、金とペテンと歪められた選挙制度によって正当化されています。

 労働者が作った富は、資本家に買われた労働力の価値が「労働の価格」=「貨幣で表現された労働の価値」として資本主義的生産関係のなかで現わされることによって、資本主義的生産様式の社会は、──富を生み出す労働者が賃金奴隷として資本家に使われ、生産者である労働者に寄生して生きている資本家が労働者を支配するという仕組みの──魔法にかけられ転倒され逆立ちした世界として、資本─利子、土地─地代、労働─労賃という「経済的三位一体」が「定式」として承認されます。つまり、資本主義的生産様式の社会は、不正義が正義になり、非常識が常識となって、支配階級の思想が支配的な思想として社会を覆って社会を支配しています。

 それに輪をかけて、マスメディアが毎日、毎時間、毎分、毎秒、資本主義的生産様式の社会のルールに則って資本主義を擁護し、資本主義の矛盾をすり替えたり隠蔽したりするのに手を貸しています。私たち国民はそれに慣れ、鈍感にされてしまっていますが、もう一度、マスメディアに対し厳しい視線を向けなければなりません。

 加えて、それに正しく抗う勢力が、今の日本には、ないことです。〝新しい人〟の出現を妨げるものの最大の原因はここにあります。このことが、日本の未来を絶望的なものにしています。だから、次の「章」で、資本主義的生産様式の社会に抗う労働運動を担う労働組合や政党の〝資質〟について、一緒に考えていきましょう。

Ⅱ、〝新しい社会〟を作る〝新しい人〟を育む組織の資質

 

〝新しい人〟を育む組織が持つべき認識

労働運動を担って資本主義的生産様式の社会に抗い、〝新しい人〟の輩出を主要な目的とする労働組合や政党の責務は重大です。

 資本主義的生産様式の社会に抗い、〝新しい社会〟を作ろうとする人たちは、①現在の社会・経済状況に対する正しい認識と②〝新しい社会〟に対する正しい認識、そして、③〝新しい社会〟へ行く過程の正しい認識を持っていなければなりません。

 

社会・経済状況に対する正しい認識

現在の社会・経済状況に対する正しい認識とは、最小限、次のことをしっかりと認識することです。

㋐グローバル資本を中心とする私企業は社会的生産を担っているにもかかわらず、社会的責任を果たすための資質を持たず、私的利益の追求を唯一の目的として労働者を搾取し、マルクスが『資本論』で「われ亡きあとに洪水はきたれ!これが、すべての資本家、すべての資本家国の標語なのである。」(大月版① P353)と述べているようにまったく社会的責任を果たすことができないということ。

㋑資本主義的生産様式の社会とは、人間が民主的に社会のために企業を運営するのではなく、資本が専制的に企業を運営することが公認された社会であるということ。

㋒その結果、現在の日本は、労働者階級が創った富と雇用が海外に持ち出され、未曾有の危機に陥っていること。

※詳細は、ホームページ2-1「二一世紀は何処に向かって進んでいるのか」の各ページ及びホームページ5「温故知新」の各ページを参照して下さい。

 

〝新しい社会〟に対する正しい認識

次に、〝新しい社会〟に対する正しい認識とは、最小限、次のことをしっかりと認識することです。

㋐社会的生産を担う事業体は私的資本主義的な企業ではなく、協同組合的な社会的性格の事業体であるということ。

㋑資本に内在化された権利が社会を支配するのではなく、人民が社会を支配し、社会は人民の総意で運営されするということ。

㋒このように、生産関係の変化に着目した未来社会の姿を正しく提示すること。

※詳細は、前記の各ページのほか、ホームページ2-3「パラダイムシフトとは何か、その結果、どんな社会が現われるのか」を参照して下さい。

 

〝新しい社会〟へ行く過程の正しい認識

そして、最後に、〝新しい社会〟へ行く過程の正しい認識とは、最小限、次のことをしっかりと認識することです。

㋐現在の私的資本主義的企業を担うのも、〝新しい社会〟の協同組合的な社会的性格の事業体を担うのも労働者階級ですが、資本主義社会では〝資本に内在化された権利〟が社会を支配しています。その結果、労働者は賃金奴隷の地位に貶められ経済を担う正当な地位を〝資本〟に奪われています。〝新しい社会〟へ行く過程の闘いは、その不当性を改めていく闘いだということです。それは、人民の人民による社会──by the peopleの社会──をつくる運動であり、それは労働者階級が生産機構をコントロールする手段を獲得する運動を通じてしか実現しないということ。

㋑それは、労働者階級が生産機構をコントロールするために、〝民主主義〟を生産機構のなかに確立していく過程そのものだということ。

㋒同時にそれは、労働者階級が生産機構をコントロールする〝民主主義〟を社会が認める過程であり、資本主義のもとでの金権・フェイク・いかさま選挙制度を土台とする狭い政治的「民主主義」を打ち破り、社会の〝資本〟による支配を人民の〝民主主義〟に置き換える過程そのものだということ。

㋓これらを通じて、労働者は賃金奴隷から〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟へ、その自覚を高めていくいうこと。

㋔このように、社会主義への途は、〝民主主義〟を築いていくことであり、「自由の国」とは「自由な時間」のことであり、資本主義社会にも余暇はあり、「自由な時間」があり、「自由の国」があるなどと、寝言を言って〝民主主義〟を築いていく闘いから労働者のめを逸らせてはならないということ。

※資本主義社会の余暇も「自由の国」だなどという寝ぼけた発言については、ホームページAZ-2-2「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏」(その2)を、是非、参照して下さい。

 

〝新しい人〟を育む組織が持つべき資質

このように、労働運動を担って資本主義的生産様式の社会に抗い、〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟の輩出を主要な目的とする労働組合や政党は、どうしたら組織として上記のような認識をもつことができ、組織のなかに〝新しい人〟の集団を雲霞の如く輩出することができるのか、一緒に考えてみましょう。

 〝新しい人〟を育む組織が持つべき資質は、①正しい認識をもてるような認識の方法を持っていること、②〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟にふさわしい主体性が培われるような組織であること、の二点が必要です。

 

正しい認識をもてるような認識の方法を持っていること

社会と自然のしくみの正しい認識の獲得には、個人に於ける〝探究心と批判的精神のかん養〟と集団に於ける〝異なる考え・意見を含んだ社会的検討〟が必要であり、正しい認識は、それらの知識・認識の実践による試行錯誤と検証によって獲得されていきます。

 2020年9月28日の決裁で日本学術会議の会員の任命を拒否された東京大学社会科学研究所教授(政治学)宇野重規氏は、少数派の意味について、次のように述べています。

「かつて自由主義思想家のジョン=スチュアート・ミルは、言論の自由が重要である理由を以下のように説明しています。

 もし少数派の意見が正しいとすれば、それを抑圧すれば、社会は真理への道を自ら閉ざしたことになります。仮に少数派の意見が間違っているとしても、批判がなければ多数派の意見は教条化し、硬直化してしまいます。」(『赤旗』2020/10/03付け)

 まさにそのとおりだと思います。多数意見とともに少数意見が同等のウエイトをもって反映されるような公開の場が設けられなければ、ジョン=スチュアート・ミルが指摘したような事態になる可能性は残ります。

 だから、労働運動を担って資本主義的生産様式の社会に抗い、〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟の輩出を主要な目的とする労働組合や政党は、多数意見とともに少数意見が構成員全員に見えるような民主的な討論の場を常に設置していなければなりません。

 

 

主体性が培われるような組織であること

〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟は主体性をもって行動する人たちでなければならず、そのような人たちの輩出を目的とする組織は、そのなかで人々の主体性が培われるような組織でなければなりません。

 〝主体性〟は、教える者と教えられる者、そして、話す人と聞く人という一方通行の関係のなかでは培われません。ましてや、一方的なプロパガンダの場だけしか与えられないとしたら、主体性を培うのはますます困難です。

 各人が自分の意見をもつためには、自らの知識を豊かにするとともに、教える者と教えられる者、話す人と聞く人という一方的な関係を打破して、全員が平等に議事に参加でき自由闊達な意見交換のできる自由な言論の場、考え学び合う場が必要です。

 〝主体性〟は、考え→意志→行動と高められていきます。だから、〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟の輩出を主要な目的とする労働組合や政党は、最大限の行動の自由を認め、より多くの人が何らかの行動に主体的に参加できるような組織の民主的な運営を保証することが必要です。

 そして、この〝主体性〟をもった〝新しい人〟の形成を万民に完全に保障するためには、資本主義を止揚して、①学習権の平等の確保と自由時間の平等の確保を保証し、②社会のあらゆる分野への国民の積極的な参加を促すことが不可欠です。

 そのような〝新しい社会〟をつくるために、〝新しい社会〟をつくる〝新しい人〟の輩出を主要な目的とする労働組合や政党が、すべての人の知恵と力を結集して生産の場と生活の場で資本主義の矛盾を徹底的に曝露して、社会に〝民主主義〟を築くために、〝新しい人〟の輩出を促すような組織のあり方や活動スタイルを追求することが、いまや、喫緊の課題として求められています。この〝喫緊の課題〟について、ホームページ3-3「共産党よ元気をとりもどせ。蘇れ!Communist Party。」で、見ていきます。ご期待下さい。

Ⅲ、〝新しい人〟がつくる〝共同社会〟の政治システム

 

 

〝新しい人〟がつくる〝共同社会〟の政治システム

〝新しい社会〟が産声をあげ、人々の社会や企業への民主的で重層的な参加ふえ、〝新しい人〟がますますふえて、情報技術が進歩してコミュニケーションツールが高度化すると、これまでの「民主政治」のスタイル(制度)──多数の市民の支持を得るための政策を一部の者が作り、多数が選挙でそれを支持(評価)するというという立て付けのもとでおこなわれてきた「財界」による「政治」の間接支配──の転換が起き、「政治・行政」と「経済・社会」とが目に見える形で統一され、これまでの欺瞞的な「民主政治」を克服した〝真の民主政治〟が幕を開けます。

 例えば、国の運営は、公選された長と理事(現在の国会議員)と経営者側代表と労働者側代表の三者を中心に意見調整され、国民に発議され、国民が高度化された情報技術を使って直接決定するというような仕組みになることでしょう。

 そして、市町村単位の自治体の運営においては、細々した問題の解決は学校区単位に設けられた地域住民によって組織される〝地域会議〟の決定に委ねられ、そのことによって、いわゆる「どぶ板議員」が不要となり、多数となった〝新しい人〟である市民(住民)が自治体運営の主体となってイニシアチブを発揮し、市民と議員──かつて、住民の代表を名乗っていて、いまや、多数が何を考えているのかを多数に問いかけ、市民をたばねるコーディネーターへと役割を変えた議員──と行政とが一緒に自治体の未来図を作り、直接市民に賛否を問うというような、重層的な民主主義の変化が起こることが予想されます。もちろん、企業の重要な決定については、自治体と経営者側代表と労働者側代表との十分な意見調整が行なわれるであろうことはいうまでもないでしょう。

 いま、ここで私は、あえて不完全な粗雑な未来の〝政治システム〟を提示するという、傍若無人な暴挙をおこないました。その理由は、私的資本主義的生産を克服した、労働者階級が担う〝社会的生産〟が実現された時の〝政治システム〟について、少しでもイメージをもっていただくことができればと思ったからです。みなさんの現在の〝政治システム〟の創造的破壊に、多少でも、役立てればと思ったからです。ですから、みなさんも、是非、考えてみて下さい。

 いずれにしても、マルクスとエンゲルスがパリ・コミューンで、レーニンがソヴェートで、その生まれつつある姿を目にした真の民主主義が、自分の意見を持った〝新しい人〟たちによって、社会のあらゆる場所で花開かせ、名実ともに〝共同社会〟といえる社会が彼らによってつくられることだけは、間違いないでしょう。だからこそ、私たちは〝新しい人〟たちを雲霞の如く輩出するために、全力を尽くさなければなりません。

おまけ(その1)

 

 

生まれたばかりの〝革命ロシア〟で、レーニンは青年たちに何を求めたのか

レーニンは、生まれたばかりの〝革命ロシア〟で青年たちはどのようにして、新しい人、共産主義者へと成長することができると考えたのか、ちょっとだけ、一緒に見てみましょう。

  レーニンは『青年同盟の任務』(1920年10月2日)で、青年は、学習、教育、陶冶の一歩一歩を、古い搾取社会にたいするプロレタリアと勤労者とのたえまない闘争に結びつけてこそ、はじめて共産主義をまなぶことができること、青年共産同盟は生活体験・経験の中で学ぶことを全活動の基礎にしなければならないことを述べるとともに、新しい共同社会を作るために、いま欠けていることをなくす努力をすること、自分の活動、自分の力を共同の事業にささげるように仕事をすすめることを通じて、青年男女は真の共産主義者に変わることを述べています。

 そして、レーニンは革命まえに書いた『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』(1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P16~20)で、プロレタリアートが民主主義を身につける重要性について、次のように述べています。

「一般に資本主義、とくこ帝国主義は、民主主義を幻想に変える──だが同時に資本主義は、大衆のなかに民主主義的志向を生みだし、民主主義的制度をつくりだし、民主主義を否定する帝国主義と、民主主義をめざす大衆との敵対を激化させる。資本主義と帝国主義を打倒することは、どのような、どんなに「理想的な」民主主義的改造をもってしても不可能であって、経済的変革によってのみ可能である。しかし、民主主義のための闘争で訓練されないプロレタリアートは、経済的変革を遂行する能力をもたない」と。

  そしてレーニンは、革命後、いくつかの州がドイツ軍に占領されているなかで開かれた、ロシア社会民主労働党(ボ)第七回大会(1918年3月6~8日)の『戦争と講和についての報告』で、ソヴィエト政権の喫緊の課題として、民主主義を身につけた労働者階級が「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織する」ことによって〝経済的変革を遂行する〟ことを訴えました。

※参考に『青年同盟の任務』の該当箇所のPDFファイルを添付します。

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3-2-2〈参考〉 『青年同盟の任務』の該当箇所.pdf
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おまけ(その2)

 

〝新しい人〟の形成過程についての不破哲三氏とマルクス・エンゲルス・レーニンとの間の違い

〝新しい人〟の形成過程についての不破哲三氏とマルクス・エンゲルス・レーニンとの間には、埋めることのできない大きな違いがあります。それは、思想が地に足がついているかどうかの違い、空想家と実践家との違いであるとともに、新しい共同社会と民主主義は主体的に行動する人民の人民による(by the people)運動を通じてしか実現しないこと、そして、科学的社会主義の使命はこのような〝新しい人〟の形成にこそあることを理解しているか否かの違いにあります。

 猿が人間になるについての労働の役割と同様に、弱肉強食の野蛮な時代から等しく人々が幸福を享受できる文明の時代に移るためには、野蛮な資本主義を文明的な新しい生産様式の社会へ変えていく過程での〝新しい人〟の形成があります。しかし、残念ながら、未来社会とは「自由時間が増えることだ」などと言っている不破さんには、そのことがまったく理解できないようです。こんな人に牛耳られている共産党が不憫でならない。