3-1-1

不破さんと志位さんの「共産党100年」史

──科学的社会主義の大地に「資本主義発展論」の種を蒔く──

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不破さんと志位さんの「共産党100年」史

目次

Ⅰ、民主主義と社会主義を「水」と「油」のように捉えて、資本主義内での「民主主義」の実現に汲々とし、資本主義の矛盾の暴露を放棄する

Ⅱ、根拠もないのに米国を美化

Ⅲ、階級社会が世界を覆っていることを見ない世界観

Ⅳ、中国共産党とのたたかいをめぐる〝党史〟と〝レーニン〟の改竄

Ⅴ、「分配」をめぐる〝党史〟と〝レーニン〟の改竄

Ⅵ、資本の行動と現実の経済を見ない、資本を免罪し全ての罪を政治になすりつける「新自由主義」暴走論

Ⅶ、「60年代の初心」を捨て去り、「資本主義発展論」の種を蒔く不破さんと志位さん

はじめに

 

はじめに

「共産党」の志位委員長は、1966年以降で最低水準の党勢(党員約26万、機関紙読者約90万)で創立百周年をむかえた「共産党」の「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」と題した「記念講演」の「結び」で、「1960年代の初心にたって、党づくりに取り組む」と言いました。

 このページの最後の項で改めて触れますが、〝1960年代の初心〟を、最近の二十年間で、ことごとく捨て去ってしまった不破さんとその追従者である志位さんが「1960年代の初心にたって、党づくりに取り組む」と言のですから、〝ペテンの極み〟と言ったら表現がきつすぎるとお叱りを受けるかもしれませんが、何ともいいようがありません。

 不破さんとその追従者である志位さんが、どのように〝1960年代の初心〟を捨て去り、科学的社会主義の大地に「資本主義発展論」の種を蒔き、党員と党の支持者を惑わせてきたのか、「記念講演」の内容に沿って、みなさんと一緒に見ていきたいと思います。

民主主義と社会主義を「水」と「油」のように捉えて、資本主義内でのカッコ付きの「民主主義」の実現に汲々とし、資本主義の矛盾の暴露を放棄する

志位さんは、独占資本主義の支配を打ち破るたたかいの〝革命の性格〟について、「民主主義革命ととらえるか、社会主義革命ととらえるか」という問題であると、共産党員なら誰でも認めることを述べ、だから、「独占資本主義──大企業・財界の横暴な支配をただすたたかいが、社会主義の課題でなく、民主主義の課題であることは、今では論じる必要もない」と言って胸を張ります。

 しかし、待って下さい。「民主主義革命」か「社会主義革命」かという問題から、なぜ、「社会主義の課題」と「民主主義の課題」とを「水」と「油」のように対立させなければならないのか。レーニンも、「全人民の民主主義的管理を組織する」ことを通じて〝民主主義の完全な発展〟を図ることにより社会を「社会主義的経済的有機体に組織する」ことを目標にして社会主義社会の建設を進めましたが、「民主主義の課題」と「社会主義の課題」とは分かちがたく結びついています。

 そもそも日本共産党の「反独占」の民主主義革命とは、労働者階級を「革命の指導階級」とする民族民主統一戦線を「革命の原動力」(教育要綱:第一課日本革命の性格)としており、「独占資本主義の段階にある日本での反帝反独占の民主主義革命は、客観的には社会主義革命へと移行する基礎をきりひらく役割をはたしうる」(講師資料No1:中央委員会教育局)性格のものです。つまり、独占資本の「産業の空洞化」などを規制し〝経済は国民のため、社会のためにある〟という〝民主主義〟の社会を実現するたたかいは社会主義日本に、シームレスにつながるものです。(この考えが「1961年綱領」以来二十一世紀になるまで日本共産党が堅持してきたものであることは、あとでふれます。)

 しかし、不破さんと志位さんの言う「民主主義」は違います。志位さんが、選挙の街頭演説で「自民党政治を大本から変えるという大目標を背負っている。ただ、今度の選挙でそれを目指すのはちょっと早いですね」(「日経」志位委員長の東京都三鷹市での街頭演説)というように、不破さんと志位さんの言う「民主主義」は、資本主義のもとで、資本主義が容認する「生活防衛のためのバリケード」としてのカッコ付きの「民主主義」であり、「自民党政治を大本から変えるという大目標」を実現する本当の〝民主主義〟ではありません。

 志位さんが「社会主義の課題」と「民主主義の課題」とを「水」と「油」のように対立させるのは、資本主義の矛盾を暴露し「自民党政治を大本から変えるという大目標」を国民に明らかすするという科学的社会主義の思想を捨てて、「資本主義発展論」(*)の上で「共産党」をコントロールするための方便です。

  志位さんが科学的社会主義の思想の持ち主であるならば、ここで語るべきは「反独占」の民主主義革命における〝民主主義〟の意味と、日本共産党がめざしてきた〝社会主義〟と民主主義革命における〝民主主義〟との関わりです。

(*)詳しくは、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」を、是非、お読み下さい。

根拠もないのに米国を美化

志位さんは、「〝アメリカの実際の政策や行動をもとにアメリカをとらえる〟という」〝真っ当な「姿勢」〟を「発展させて」、2004年の党大会で「将来、アメリカの侵略的な政策と行動が変化することがありうるという解明を行いました」と言います。

 実際の政策や行動をもとに、米国を「まぎれもなく帝国主義である」と断言する志位さんが、〝実際の政策や行動をもとにとらえる〟という認識の「姿勢」を「発展」させると、なぜ、「将来、アメリカの侵略的な政策と行動が変化することがありうる」とアメリカ帝国主義の将来を占うことができるのでしょうか。このように、何の根拠も示さずに断言することを、世間では美化といいます。私たちは、実際の政策とそれにともなう行動により米国が「侵略的な政策と行動」を変化させたとき、米国は帝国主義国でなくなったと評価すればいいんです。

 志位さんは、「変化」の例らしきもの(?)として「オバマ米大統領が、プラハの演説で、『核兵器のない世界』を米国の国家目標にすると言明」したことをあげ、そして、この「オバマ米大統領の言明」が「その後うちすてられた」ことを述べています。

 オバマ米国大統領が、プラハで「核兵器のない世界」の演説をしたとき、米国は核の脅威で世界を脅し、核兵器も通常兵器も開発の手を緩めず、「政策と行動」の変化などまったくありませんでした。事実を見ずに、根拠もなしに、「将来、アメリカの侵略的な政策と行動が変化することがありうる」など予断と偏見をもって米国を美化してはいけません。

 米国を美化しなくても、科学的社会主義の思想の持ち主であるならば、例えリップサービスと思えるようなことであっても言質を取って、世界平和に貢献する行動を積極的に行なえばいいんです。米国を美化し過ぎるとCIAのまわし者と疑われますよ。

階級社会が世界を覆っていることを見ないノー天気な世界観

志位さんは、2004年の党大会の「綱領第三章第九節」の提案報告で、「一握りの大国が世界政治を思いのまま動かしていた時代は終わり、」「一握りの大国から、世界のすべての国ぐにと市民社会に、国際政治の主役が交代した──ここに二一世紀の世界の希望ある新しい特徴がある」と、主観的で誤ったことを言っていますが、この「記念講演」の「野党外交と世界論」というところでも、まったく同じことを言っています。

 しかし、「一握りの大国から、世界のすべての国ぐにと市民社会に、国際政治の主役が交代した」というのは、現実を無視した真っ赤なウソです。

 世界では、今、軍事力1位の米国と2位のロシアの両核超大国が軍事を巡って、経済力1位の米国と2位の中国が経済・技術覇権を巡って、米国の覇権を維持し強化するための攻撃が強まるなかで、火花を散らしています。そして、いまでも圧倒的な経済力と軍事力を武器に「国際政治」の様々な分野で覇権国家として主役を演じているのがアメリカ帝国主義であることは、だれが見ても明らかです。そして、日本がその従属的な同盟者であり、米国の帝国主義的な行動の一角を担わされていることもまた明らかです。希望的願望で虚勢をはるのは、展望のもてない弱虫のやることです。この現実を見ず、「一握りの大国が世界政治を思いのまま動かしていた時代は終わり」などと呑気なことをいって、願望で現実を塗り替えたら帝国主義者の思うつぼです。

 そしてこの誤った不破・志位路線の「世界論」における最大の誤りは、現在の世界がグローバル資本が支配する階級社会であり、科学的社会主義の党は世界の労働者階級と連帯して資本主義社会を変えるために力を尽くさなければならないという観点が欠落しているということです。

 

なぜ、そうなるのか?

なぜ、そうなるのか?それは、不破さんと志位さんが2004年の党大会で綱領を変えてしまったからです。

 「2004年不破綱領」は、労働者階級の国際連帯の意義もその運動の立ち向かうべき相手も明らかでない、科学的社会主義の党の綱領としては致命的な欠陥をもつものとなりました。(*)そして、「2004年不破綱領」を「発展」させた「2020年『新綱領』」は、「民主主義と人権を擁護し発展させる闘争」や「気候変動を抑制し地球環境を守る闘争」など表面に浮かび上がった「国際連帯の諸課題」なるものを列挙しますが、その原因も、それに対して誰がどのように「連帯」するのかの条件や可能性も示さず、「世界史の進行には、多くの波乱や曲折、ときには一時的な、あるいはかなり長期にわたる逆行もある」と、お決まりの、責任放棄の、「山あり谷あり」論を述べたあと、「科学的社会主義の党」を装おうとして、取って付けたように何の理論的な脈絡もなく、「帝国主義・資本主義を乗り越え、社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向である」と「帝国主義・資本主義」や「社会主義」という宗教でいえば「地獄」や「天国」でもあらわすかのような言葉を散りばめて、最後に、信じるものは救われるといわんばかりに、「大局的には歴史の不可避的な発展方向である」と〝不破教の経典(「綱領」)〟を結ぶだけのものとして、見事に完成しました。

 このように、現在の「共産党」の「綱領」の「国際連帯の諸課題を主題」としているという「節」には、〝資本〟と〝労働者階級〟という資本主義的生産様式の社会の〝二大主役〟がまったく出てきません。主役なしに「国際連帯の諸課題」という「主題」を解決しようというのですから、「多くの波乱や曲折」どころか何が起きるかわかるはずがありません。それでも、「帝国主義・資本主義を乗り越え、社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向である」などというのですから、大した「信念」です。

(*)詳しくは、ホームページ3-3-1「『2004年綱領』にみる不破哲三氏の転落の証明」を、是非、参照して下さい。

 

グローバル資本とのたたかいが万国の労働者を団結させ未来を拓く

世界に災いを振りまいているのは、グローバル資本とその行動をサポートしている資本主義国家です。資本主義国家は、〝民主主義〟を少数者が多数者を支配するためのカッコ付きの「民主主義」に歪めて矮小化し「自由な契約」で人権を奪って搾取しており(*)、グローバル資本は一層の資本蓄積を求めて母国の労働者を捨て、産業の空洞化を進めることでその国の労資の力関係を資本優位にして労働者に低賃金を押しつけ、進出先の資本主義の発展が遅れた国ぐににおいては、労働者を低賃金で搾取し、知財権なる私的財産権で収奪し、地球環境を破壊しています。海外での搾取を円滑に進めるために、グローバル資本は、資本主義の発展が遅れた国ぐにに対し、かれらの母国の経済的優位性、軍事的優位性を武器に彼らに有利な条件を「国際ルール」として押し付けさせます。この自分たちに都合の良い「国際ルール」を先頭に立って作り押し付けてきたのがアメリカ帝国主義です。

 このような経済状態とそれに対応する政治的な状態があるからこそ、先進資本主義国の労働者も資本主義の発展が遅れた国ぐにの労働者も、団結して闘わなければならないし、団結して闘うための条件があるのです。

 しかし、現在の「共産党」にはそのような観点がまったく欠けています。〝万国の労働者は団結せよ!!〟という労働者階級と労働者党にとって非常に大切な、欠いてはいけない、国際連帯の精神と実践が、まったく、欠けています。だから、この「記念講演」からも、そのような思想のかけらすら見つけることはできません。

(*)詳しくは、ホームページ2-1-7「〝社会のあり方〟と〝自由と民主主義〟の現在・過去・未来」を、是非、参照して下さい。

※科学的社会主義の党のグローバル資本とのたたかいかたの詳しい説明は、ホームページ2-4「国際社会とどう向き合うか」及びホームページ2-1-2「「資本」のための経済から「人間」のための経済へ」を、是非、参照して下さい。

容量の都合上、このページの続きは添付のPDFで、是非、お読み下さい。