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マルクスとエンゲルスは搾取の仕組みを明らかにし、資本主義の矛盾を明らかにした

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〈目次〉

Ⅰ、二つの偉大な発見によって、社会主義は科学になった

Ⅱ、マルクスは搾取の仕組みを解明した

Ⅲ、マルクスは資本主義的生産様式の存立条件を明らかにした

Ⅳ、マルクスとエンゲルスは、資本主義的生産様式の矛盾を明らかにした

Ⅴ、私たちは、今ある搾取の仕組みを明らかにし、資本主義の矛盾を明らかにしなければならない

Ⅵ、最大の障害物はなにか

マルクスとエンゲルスは搾取の仕組みを明らかにし、資本主義の矛盾を明らかにした

 

Ⅰ、二つの偉大な発見によって、社会主義は科学になった

  エンゲルスは、『反デューリング論』で次のように述べています。

「これらの新しい事実(プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争が歴史の前面に現れ、ブルジョア経済学の学説のいつわりが事実によってますます曝露されたこと──青山の注)にせまられて、これまでの歴史全体が新しく研究しなおされた。その結果明らかになったのは、次のことであった。すなわち、これまでのすべての歴史は(、原始状態を別とすれば、──とエンゲルスは『空想から科学へ』で厳密化──青山)階級闘争の歴史であったこと、これらのあいたたかう社会階級は、いつでも、その時代の生産および交易の関係、一言でいえば経済的諸関係の産物であること、したがって、社会のそのときどきの経済構造が実在的な基盤をなしており、それぞれの歴史的時期の法的および政治的諸制度、ならびに宗教的、哲学的その他の考え方からなる上部構造全体は、終局的にはこの基盤から説明さるべきものだということである。こうして、観念論はその最後の隠れ場所であった歴史観から追い出されて、唯物論的な歴史観が生みだされ、これまでのように人間の存在をその意識から説明するのではなくて、人間の意識をその存在から説明する道が見いだされたのである。

 しかし、従来の社会主義がこういう唯物論的な歴史観とあいいれなかったことは、フランス唯物論の自然観が弁証法や近代の自然科学とあいいれなかったのとまったく同じであった。従来の社会主義は、なるほど現存の資本主義的生産様式とその諸結果とを批判したけれども、それらを説明することができず、したがってまた、それらをかたづけることもできなかった。すなわち、従来の社会主義は、この生産様式を単純に悪いものとして非難することしかできなかった。だが、肝心なことは、一方では、この資本主義的生産様式をそれの歴史的関連において示すこと、それが一定の歴史的時期にとって必然的なものであり、したがってその没落もまた必然的であることを示すことであったし、他方では、この生産様式の内的な性格をあばきだすことであった。それまでの批判は、ことがら自体の道すじにたいするよりも、むしろそれの悪い諸結果にたいするものであったから、この内的な性格はまだ隠蔽されたままだったのである。この仕事は剰余価値の発見によってなされた。……こうして、資本主義的生産の由来も、資本の生産の由来も説明されたのである。

 この二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、われわれがマルクスに負うものである。これらの発見によって、社会主義は科学になった。いまさしあたって肝心なことは、この科学をそのあらゆる細目と関連とにわたってさらに仕上げていくことである。」※……は青山の省略。(マルクス経済学事典、④-[54]P315~317下線から下線まで。エンゲルス『反デューリング論』)

 エンゲルスは、この中で、マルクスが唯物史観と剰余価値の発見という「二つの偉大な発見」によって、資本主義的生産の由来と資本主義的生産の秘密を明らかにしたことを述べています。

 この〝二つの偉大な発見〟のうち唯物史観については、前のページ5-2-1「マルクスとエンゲルスは人間の社会の発展法則を発見した」で見てきたので、ここでは〝剰余価値〟が資本主義的生産様式のなかでどのように生み出されるのか、資本主義的生産における搾取の仕組みを明らかにし、同時に、資本主義的生産様式がもつ矛盾について、一緒に見ていきたいと思います。

 

Ⅱ、マルクスは搾取の仕組みを解明した

 エンゲルスは、『資本論』第2巻の序文で次のように述べています。

「マルクスの言う剰余価値は、生産手段の所有者が等価なしに取得する価値総額の一般的な形態なのであって、この形態が、マルクスによってはじめて発見されたまったく独特な諸法則に従って、利潤や地代という特殊な転化した諸形態に分かれるのである。」(大月版③P17)「……彼は、不変資本と可変資本とへの資本の区別を確認することによって、はじめて剰余価値の形成過程をその現実の過程の最も微細な点にいたるまで示し、こうしてそれを解明することに成功した。……さらに彼は剰余価値そのものの研究を進めて、その二つの形態、絶対的剰余価値と相対的剰余価値とを見いだした。そして、これらの形態が資本主義的生産の歴史的発展のなかで演じてきた別々な、しかし両方とも決定的な役割を明らかにした。彼は、剰余価値の基礎の上に、労賃に関してわれわれのもっている最初の合理的な理論を展開し、また、はじめて資本主義的蓄積の歴史の輪郭とこの蓄積の歴史的傾向の叙述とを与えた。」(大月版③P24-26)

※詳しくは、ホームページ5-2「マルクス・エンゲルスの考えの紹介」→「E、資本主義社会Ⅲ(15、経済の基礎理論 16、農業 17、小経営)」の15-23、15-24等を参照して下さい。

 マルクスは、資本主義的生産様式のもとでの商品の研究を通じて、商品の価値の源泉が人間労働であることを明らかにしましたが、その「価値総額」から「不変資本と可変資本」の額を引いて「生産手段の所有者」が「等価なしに取得する価値」が〝剰余価値〟です。

 資本主義的生産様式の社会は、それ以前の階級社会での搾取方法と異なり、この剰余価値の搾取を労働者との〝雇用契約〟を通じておこないます。

 労働者が〝剰余価値〟を生み出しているにもかかわらず、その「いっさいの内的関連の消し去られている(資本─利子、土地─地代、労働─労賃という──青山)三位一体」という──支配的諸階級の利益に一致する──定式によって、剰余価値を生み出すものが雇われて搾取されるという〝あべこべの外観〟が、何の不思議もない自然の姿のように私たちに提供されます。

 このように、資本主義社会は支配的諸階級の利益に一致す「三位一体」定式が支配し、生産者が自分の生産物に支配される、魔法にかけられ転倒され逆立ちした世界です。転倒され逆立ちした世界だから、事態の進行にしたがって、矛盾はますます深まっていきます。

 だから、私たちは、マルクスが解明した資本主義的生産様式が剰余価値を生み搾取を生み出す仕組みであることを倦むことなく労働者・国民に伝え、「三位一体」定式のウソを暴露し尽くさなければなりません。

 マルクスは、このように、「資本主義的生産様式の内的編制」を明らかにするとともに、「剰余価値の生産」こそが「資本主義的生産様式」のもとでの「生産の直接的目的および規定的動機」であることを解明しました。

 

Ⅲ、マルクスは資本主義的生産様式の存立条件を明らかにした

 それでは、資本主義的蓄積の存立条件とは何でしょうか。

 資本は自己増殖できなければ、儲からなければ機能しません。「剰余価値の生産」こそが「資本主義的生産様式」のもとでの「生産の直接的目的および規定的動機」です。

 だから、〝拡大再生産〟が資本主義社会を発展させるための絶対条件で、大海を泳ぎ続けなければならないマグロのように拡大再生産をし続けることが資本主義的蓄積の存立条件となります。

Ⅳ、マルクスとエンゲルスは、資本主義的生産様式の矛盾を明らかにした

 

①マルクスのいう「基本的矛盾」に関して

 マルクスのいう「基本的矛盾」は、「一方では、生産力の無拘束な発展、および、同時に諸商品から成っていて現金化されなければならない富の増加、他方では、基礎(グルントラーゲ)として、必需品への生産者大衆の制限」という資本主義生産に内在する矛盾で、「社会の消費力は、資本の蓄積への欲求によって制限されている」という「資本主義的生産にとっての法則」そのものです。

 このように、利益の最大化を求める資本は「資本主義的生産にとっての法則」そのものとして上記のような行動を取らなければならないという、大きな矛盾を資本主義的生産様式は宿命的に抱えています。

 そしてまた、労働者を搾取することによって「資本の蓄積」を図る資本主義的生産様式は、資本の蓄積が進めば進むほど資本に占める生産設備の割合が高くなり、利潤率が低下しますが、資本は、儲けるために利潤率の低下を生産量の増加で補おうとして、市場での資本主義の矛盾を拡大させます。利潤率の低下を生産量の増加で補う行動は、景気の拡大期には利潤率の低下と生産量の増加が同時に進むことによって経済は順調に推移し景気をますます拡大させますが、景気拡大のピークが来ると生産量を増加させられなくなるだけでなく、低下した利潤率の資本にとっての負の影響が露呈し資本の過多が表面化します。「資本の過多」の深刻な現れが〝恐慌〟です。

 この「資本主義的蓄積の歴史的傾向」である「利潤率の低下」は資本主義的生産様式に宿命する弱点です。だから、マルクスは、「リカードのように資本主義的生産様式を絶対的な生産様式と考える経済学者たち」の「利潤率の低下にたいする彼らの恐怖のなかで重要な」点として、かれらが「資本主義的生産様式は生産力の発展に関して富の生産そのものとはなんの関係もない制限を見出す」(大月版『資本論』④ P304)ことを挙げています。

 なお、マルクスが解明した〝利潤率の傾向的低下の法則〟(第三部第三篇)の持つ意味を理解できない不破さんは、第三篇について、最初の「第一三章」は、「マルクスの最大の経済学的発見を記録した輝かしい章」などと茶化し、最後の「第一五章」は、ここで「展開した理論の主要部分を以後の草稿で取り消した章」などとウソをつき、中間の「第一四章」は、「第一五章の準備のため」の章で、「不要になった章」、だと言います。しかし、「第一四章」は資本が利潤率の低下を防ぐための、「利潤率の傾向的低下の法則」に「反対に作用する諸原因」を述べたもので、労働者の搾取強化の手口を暴露したもので、「不要になった章」などではありません。

 マルクスとエンゲルスがこれらの言葉を聞いたら、草葉の陰で頭を抱えこんでしまうことでしょう。

※なお、第三部第三篇についての不破さんの謬論の詳しい説明は、ホームページAZ-3-3「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説(その3)「『資本論』探求」で欠落しているものと不破哲三氏の誤った主張(その3)③「『資本論』第三部を読む」を検証する。(1/3)」を、是非、参照して下さい。

 

②エンゲルスのいう「根本矛盾」に関して

 エンゲルスのいう「根本矛盾」とは、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態との矛盾」のことで、これまた資本主義を終わらせなければ解決しない資本主義的生産様式が抱える宿命的な矛盾のことです。

※「根本矛盾」を否定する不破さんの誤りの詳しい説明は、ホームページ4-9「不破さんは、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだと、マルクス・エンゲルス・レーニンを否定する」を参照して下さい。

 資本主義社会は生産が社会化されているにもかかわらず、社会的生産でつくられた富は私的資本の取得になります。そして、資本は儲けが出なければ資本として働きませんから、儲けの出ることしかしません。その結果、社会的に必要な商品やサービスでも儲けの出るものでなければ資本は手を付けず、国民の需要に応えることができません。このような「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態の矛盾」の現れの一つ一つを資本主義的生産様式の矛盾の現れとして暴露し、国民の要求・需要の正当性を明らかにして、新しい生産様式の社会の必要性を国民に理解してもらうことに力を注がなければ問題の解決はできません。

 

Ⅴ、私たちは、今ある搾取の仕組みを明らかにし、資本主義の矛盾を明らかにしなければならない

 「資本の儲け」と「社会的生産及び国民の生活」との矛盾の関連で、今、焦眉の問題は、グローバル資本による「産業の空洞化」です。グローバル資本は儲けのために富と雇用を海外に持ちだし、社会的生産を弱体化し、雇用を不安定にし、労働条件を悪化させ、社会保障の基盤を弱め、社会全体が衰退する方向に向かわせています。

 私たちは、この、今ある搾取の仕組みを明らかにし、資本主義の矛盾を明らかにしなければなりません。「賃金が上がれば、経済が良くなる」などと言っているだけでは世の中は変わらないし、暮らしもよくなりません。資本主義の本当の姿を労働者階級に明らかにして、労働者階級の資本主義とたたかうエネルギーに〝発火〟させなければなりません。

 社会が進めば進むほど、「資本の儲け」と「社会的生産及び国民の生活」との矛盾は明らかになり、「資本のために経済がある」社会から「経済は社会と国民のためにある」社会への変革を求める条件は成熟していきます。

 

Ⅵ、最大の障害物はなにか

 エンゲルスのいう「根本矛盾」を否定しマルクスのいう「基本的矛盾」だけにしか目がいかず、マルクスのいう「基本的矛盾」を「利潤第一主義」に置き換え「賃金が上がれば、経済が良くなる」などと〝マルクスを矮小化〟する不破さんを、エンゲルスのいう「根本矛盾」を克服して〝経済は社会と国民のためにある〟という社会の建設の方向に目がいかず、議会参加だけが民主主義への道ででもあるかのようなニセ「多数者革命」論を掲げて〝民主主義を矮小化〟する不破さんを、そして、科学的社会主義の思想を「ルールある経済社会」という良い資本主義をつくる思想に「変革」しようとしている不破さんを、もう一度、マルクス・エンゲルス・レーニンの目で吟味し直すことこそが、私たちに今求められている喫緊の課題である、私はそう確信します。