4-22-1

 ☆石川康宏氏は、唯物史観を認識の中心に据えるべきではないのか

石川康宏氏の唯物史観を欠落させた資本主義発展論について

(その1)

 

 

 

4-22は、ボリュームが増えたので

4-22-1と4-22-2の

二つのページに分かれています。

 

兵馬俑

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4-22石川康宏氏は、唯物史観を認識の中心に据えるべきではないのか.pdf
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石川先生のマルクス・エンゲルス・レーニンの歪曲と唯物史観を欠いた「資本主義発展論」を批判する

〈目次〉

その1
Ⅰ石川康宏氏のエンゲルスとレーニンの思考への幾つかの正しくない言及について
 ①国家独占資本主義を「資本主義の最後の段階」とよんだということについて(P20-21)
  ⓐ石川康宏氏がまとめた「レーニンの議論のあらまし」には、レーニンの思想が反映されていない
  ⓑ私が説明してきたレーニンの認識のなにが問題なのか
 ②「全般的危機」論の克服と帝国主義論の発展にかんして(P22~23)
ここまでが、HP4-22-1「☆石川康宏氏は、唯物史観を認識の中心に据えるべきではないのか(その1)」の内容です。

その2
 ③独占と計画性について(P20、25、26)のトンチンカンな独り相撲
 ④「最後の段階」規定が先にあり、「独占」段階論は後になって発見したという、レーニンの人格をゼロに低める暴論(P27)
 ⑤エンゲルスは「生産の無政府性」を資本主義の矛盾と捉えたという(P28-29)
 ⑥レーニンはエンゲルスの「資本主義」論に依拠したから誤ったという(P28-29)
 ⑦マルクスの資本主義発展論について(P34~35)
  ⓐマルクスの資本主義論とエンゲルスの資本主義論とは違うという
  ⓑ石川先生は「資本家」なのか、「労働貴族」なのか、「不破さんの小判鮫」なのか
  ⓒマルクスの資本主義発展論について
Ⅱ資本主義の発展・成熟度をとらえる基準とは
 ①石川先生は、「国民による資本主義の民主的な管理がどこまで達成されているか」が資本主義の歴史的発展の度合いをはかる尺度だと「直感」でいう。
 ②それでは、これから資本主義はどのように発展するのか
  ⓐ世界はどうなるか
  ⓑ日本はどうなるのか
  ⓒ資本主義から社会主義への発展をどのように準備するのか
Ⅲ絶望的な感想
PDFファイルの引用文中で丸ゴシック・青色で表示されている文字は全集等で異字体で表記されているものです。

 〈目次〉のカッコ内の文字は『経済』No232のページです。

石川先生の「論文」を取り上げた理由

  石川康宏氏の『経済』2015年1月号の「資本主義の発展段階を考える」という「論文」は、レーニンを意図的に「引用」しつつ、マルクス・エンゲルスの時代の〝恐慌〟やレーニンの時代の〝帝国主義〟のもつ特別な意味を無視して、自らの「資本主義の発展段階」についての「直感」が「マルクスの資本主義論」に 近いというもので、不破さんの「資本主義観」に沿った「論文」です。
  石川先生はレーニンの著作から、不可欠な論旨を除外したり、「言葉」を断片的に取りだし、前後を逆にしたりして、自分の独自の解釈ができるように繋ぎ合わ せ、「プロクルストゥスの寝台」のように、レーニンを、無理矢理、自らの「レーニン像」の型にはめようとして、レーニンの足を自分のベットに合わせるよう に、レーニンの豊かな思想を石川先生の都合のいいように切断してしまいます。
  私たちが或る思想家から学んだり、その思想家を乗り越えたりして、理論を発展させようとするとき、その人が何を言っているのかを正確につかみ、それが事実 を反映したものであるかどうかを明らかにすることは、研究の態度として、最も大切な出発点の一つです。そのような最低限の条件を満たさない──不可欠な論 旨を除外したり、「言葉」を断片的に取りだし、前後を逆にしたりして、自分の独自の解釈ができるように繋ぎ合わせて引用された──石川先生の書いた文章を もとに引用された人の思想を復元することは不可能なことです。
  そのような事情の結果、私の、石川先生の「論文」内容の検討事項が、①レーニンの言っていることは何か、そしてそれは正しいのかということを、原典を引用 して説明するということと、それを踏まえて②石川先生の主張の誤りを証明するということの二つの作業を必要とするものとなり、みなさんにとっても大変わか りづらい、面倒なものとなってしまいました。
  しかし、この「論文」の批判がいかにやりがいのない、面倒な作業であるにしても、私がこの作業に取りかかったのは、『経済』読者のみなさんに、①この文章 から受けるレーニンに対する誤った認識を払拭するため、レーニンが何を言い、それが当時の時代の中で正しい認識だったのか、それとも誤りだったのかを、 レーニンの著作にもとづき、あきらかにすること、②石川康宏氏の「資本主義の発展段階」のとらえ方がいかに科学的社会主義の思想からかけ離れたものである かをあきらかにすること、そのことが、科学的社会主義の思想を確信するものの義務であると思ったからです。そして、この「論文」を取り上げることとしたも う一つの理由は、この「論文」が不破哲三氏の謬論に依拠しているところが多くあり、不破さんの謬論に依拠するとどうなるかの一つのサンプルとしての意味を持つと思ったからです。

Ⅰ 石川康宏氏のエンゲルスとレーニンの思考への幾つかの正しくない言及について

①国家独占資本主義を「資本主義の最後の段階」とよんだということについて(P20-21)

ⓐ石川康宏氏がまとめた「レーニンの議論のあらまし」には、レーニンの思想が反映されていない

 石川先生は、『経済』のP20~21で、レーニンの資本主義の発展段階論として、(1)から(5)に分けて「レーニンの議論のあらまし」を述べています。
 (1)では、レーニンがした「帝国主義」の「定義」について、(2)では、レーニンが「帝国主義」を「死滅しつつある資本主義」と理由が述べられ、だんだん「レーニンの議論のあらまし」の本題に入っていきますが、ここまでの私のコメントは省略させていただきます。
 石川先生は、(3)として、レーニンの「立論」が「エンゲルスの議論を継承したもの」であるとして、自分の論旨に沿うような印象を与える「言葉」をピックアップして並べ立てて、レーニンとエンゲルスが同じことを言っているように思わせようとします。
 不破哲三氏とそのお友だちたちにとって、マルクスの理論を必死で防衛することに人生の大半を捧げたエンゲルスは、「誤り」の塊ですから、レーニンがエンゲルスと同じ考えだというレッテルを貼ることが重要なのです。
 ここでは、マルクスやエンゲルスやレーニンが言っていることが正しいかどうかが判断基準ではありません。だから石川先生の「引用文」でレーニンが言って いることが正しいのか、正しくないのか、などということは問題ではないのです。レーニンとエンゲルスが同じことを言っていると思わせるだけで十分なので す。
 しかし、私たちは、まずはじめに、(3)で石川先生が「抜粋」した文章で、レーニンは何を訴えようとしたのか、見ることにしましょう。

レーニンはこの演説で何を言っているのか、見てみましょう。

 石川先生が「編集」したこの文章は、『現在の情勢についての決議』の決議案を擁護するレーニンの演説の一部で、その「第一部」に関わるものです。レーニンはこの演説で何を言っているのか、見てみましょう。
 「第 一部」は当時の世界資本主義経済の諸条件を特徴づけたもので、レーニンは「資本の集積と国際化は、巨大な成長をとげている。独占資本主義は国家独占資本主 義に移行しつつあり、情勢の圧力のもとに、生産と分配にたいする社会的統制が幾多の国で実施されており、その一部の国では、全般的な労働義務制にうつりつ つある」ことを述べています。
  そして、先生が引用したP21上段四行目の文と文の間には、「戦時国家──国家独占資本主義の存在する現在では、このことを指摘することはいっそう適切で ある。計画性の導入は、労働者を奴隷の状態からすくいだすものではなく、」という文章があり、「戦時国家──国家独占資本主義」の本質を曝露しています。 レーニンは、この中で、資本主義のもとでの「計画性の導入」が「労働者を奴隷の状態からすくいだすものではなく、資本家がいっそう『計画的に』利潤を手に 入れるようになる」ものであることを、エンゲルスを引用して説明し、計画性が国家独占資本主義によって、トラストよりも「いっそう高度の計画的形態へと成 長転化しつつある」ことを説明しました。
 この認識のどこに事実認識の誤りがあるのでしょうか。
 レーニンがエンゲルスと同じ考えだというレッテルを貼るために、『現在の情勢についての決議』の決議案を擁護するレーニンの演説の文章の断片を継ぎ合わせ、あたかもどこかに誤りがあるかのように読者をミスリードするのは、少しばかり品性が欠けているのではないでしょうか。
  つ いでに申し上げると、この決議案には「ヨーロッパのもっともおくれた国の一つで、小農民的住民大衆のあいだで活動しているロシアのプロレタリアートは、社 会主義的改造の即時の実現を目標とすることはできない」と、日本共産党綱領の手本となる民主主義革命から社会主義革命への道すじが示されており、「以上の 諸方策を実施するにあたっては、なみなみならぬ慎重さと細心さをもって行動し、住民の安定した多数者を獲得し、あれこれの方策が実践的に機が熟していると いうこの多数者の自覚した確信をかちえることが必要」であると「住民の安定した多数者を獲得」することの必要性を述べています。これが、不破さんの言う 「レーニンのあれた時期」にレーニンの指導する党が、活発な議論を通じて、練り上げた決議案です。

石川先生は、ある時代の特徴まで、レーニンのせいにするのか

  石川先生は、次に(4)で、『戦争と革命』と『国家と革命』の中の「言葉」を抜粋して、あたかも〝イデア〟が発展するかのように「言葉」をならべて、「こ れによって帝国主義は、独占資本主義の時代から『独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代』に発展する時代になったとされたのです」と、レーニ ンが神に代わって歴史をでっち上げたかのように文章を結んでいます。
 私たちの検証のルールに従って、レーニンの原典を確認してみましょう。
 最 初の、「全集 第24巻 429ページ」として抜粋されている文章は、1917年5月14日(27日)のレーニンの講演の内容が『プラウダ』に『戦争と革命』として掲載されたもの の一部です。この中でレーニンは、今日の戦争が「最大の資本主義的巨人」の二つのグループ(一方がイギリスとフランスを主とするグループでもう一方がドイ ツを中心とするグループ)の経済競争から不可避的に導かれることを述べ、イギリスとフランスを主とするグループの説明をしたあと、ドイツを中心とするグ ループについて、このグループが「資本主義的生産の発展の新しいやり方」、「資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構に結合するという原理」を もちこんだことを述べています。
 これを石川先生は「議論」と言っていますが、これは「議論」でも何でもなく、事実を正しく述べたものです。
 続 いて、石川先生は、(4)の結びとして、「これによって帝国主義は、独占資本主義の時代から『独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代』に発展 する時代になった(全集 第25巻 442-3ページ)とされたのです」と、今度は『国家と革命』の「言葉」をツギハギします。
 読者のみなさんの理解をたすけるためにこの部分──「独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代」という言葉──が、どんな文脈の中で、どのような文章の一部として出てきたのかを見てみたいと思います。
 『国 家と革命』で、レーニンはまず、一九世紀末と二十世紀初頭の先進諸国の歴史を概観して、共和国でも君主国でも、「議会権力」が完成され、ブルジョア政党や 小ブルジョア政党が官吏の地位という「獲物」の配分を巡って権力闘争を行うなかで、「執行権力」とその官僚的および軍事的機関がいっそう完全なものになり 強化したこと、そしてこれが、資本主義国家一般の最近の進化全体の一般的な特徴であることを述べます。続いて、「だがとくに帝国主義──銀行資本の時代、 巨大な資本主義的独占体の時代、「独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代」──は、君主制の国々でも、もっと自由な共和制の国々でも、プロレタリアートにたいする弾圧の強化と関連して、『国家機構』の異常な強化、国家機構の官僚的および軍事的機関の前代未聞の拡大をしめしている」と、当時の「帝国主義」を曝露して、国家機構の官僚的および軍事的機関を「破壊する」ためにプロレタ革命の「力をことごとく集中」する必要がますます高まっていることを述べています。
 石川先生が結びに使った「言葉」はこの文章の中の「青字」で示した部分です。
 こ のように、レーニンは『国家と革命』で〝事実〟に基づいて、当時の「帝国主義」の特徴の一つとして「独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代」 と述べたのであって、仮説を立てたり、〝イデア〟の発展を論証したりしたのではありません。当時のこの認識のどこに誤りがあるというのでしょうか。なぜ、 論文の主旨を正しく伝えようともせず、「とされたのです」などと言うのでしょうか!? 先生には歴史の発展の中で物事をみるという視点はないのでしょう か。
 「とされたのです」などと言って、読者をミスリードすることが科学的社会主義の理論を発展させようと真剣に考えている人のやることなのでしょうか。

(4)のおまけ。レーニンの洞察力の凄さ。

  レーニンは石川先生が取り上げた1917年5月14日の講演のなかで、アメリカの「未来の対日戦争の準備」について次のように述べており、その洞察力の凄さに驚かされます。以下がその部分です。ぜひご一読して下さい。
 「アメリカの参戦については、私はつぎのように言おう。人々は、アメリカには民主主義があり、そこにはホワイト・ハウスがあるということを引合いにだし ている。だが、奴隷制がたおれたのは半世紀まえのことであった。奴隷解放戦争は1865年におわった。そして、それ以来、そこでは億万長者が成長した。彼 らは、その金融でアメリカ全体をにぎりしめており、メキシコの圧殺を準備しており、また不可避的に、太平洋の分割をめぐる日本と戦争するようになるだろ う。この戦争は、すでに幾十年ものあいた準備されている。あらゆる文献が、そのことをものがたっている。そこで、アメリカの参戦の真の目的は、未来の対日 戦争の準備である。とはいえ、アメリカの人民は、やはりかなり大きな自由をもっているので、彼らが、なにか侵略的な目的のための、たとえば日本との闘いの ための強制的な兵役義務や軍隊の創設をあまんじて受けいれるとは、ちょっと考えられない。アメリカ人にはヨーロッパの実例で、これがどういうことになる か、わかっている。そこで、アメリカの資本家にとっては、弱小民族の権利をまもる闘いという崇高な理想のかげにかくれて、強大な常備軍を創設する口実をえ るために、この戦争に介入することが必要になったのである。」(第24巻 『戦争と革命』P444)
  そして、おまけの続きとして、レーニンは、1920年12月6日のロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説で、将来の日米戦争が避けられないことを、次のように述べていますので、これも是非ご一読下さい。
「こんにちの資本主義世界には、利用すべき根本的対立があるであろうか? 三つの基本的な対立がある。私はそれをあげてみよう。第一の、われわれにもっと も近い対立――それは、日本とアメリカの関係である。両者のあいだには戦争が準備されている。両者は、その海岸が3000ヴェルスタもへだたっているとは いえ、太平洋の両岸で平和的に共存することができない。この競争が彼らの資本主義の関係から生じてくることは、争う余地がない。将来の日米戦争という問題 をあつかった膨大な文献がある。戦争が準備されつつあること、それが避けられないということ、このことには疑いの余地はない。平和主義者はこの問題を回避 し、きまり文句でそれを塗りつぶそうとつとめているが、経済的諸関係と外交の歴史を研究しているすべてのものには、戦争が経済的に成熟しており、政治的に 準備されつつあることは、一点の疑いもありえない。この問題をあつかったどの本をとってみても、戦争が成熟したことを見ないわけにはいかない。地球は分割 ずみである。日本は、膨大な面積の植民地を奪取した。日本は5000万人の人口を擁し、しかも経済的には比較的弱い。アメリカは1億1000万人の人口を 擁し、日本より何倍も富んでいながら、植民地を一つももっていない。日本は、4億の人口と世界でもっとも豊富な石炭の埋蔵量とをもつ中国を略奪した。こう いう獲物をどうして保持していくか? 強大な資本主義が、弱い資本主義が奪いあつめたものをすべてその手から奪取しないであろうと考えるのは、こっけいで ある。こういう事態のもとで、アメリカ人は平然としていられるであろうか? 強大な資本家と弱い資本家とが隣りあわせていながら、前者が後者から奪取しな いと考えることができるであろうか? もしそうだったら彼らになんの値うちがあるだろうか? しかし、このような情勢のもとで、われわれは平気でいられる だろうか、そして共産主義者として、「われわれはこれらの国の内部で共産主義を宣伝するであろう」と言うだけですまされるであろうか。これは正しいことで はあるが、これがすべてではない。共産主義政策の実践的課題は、この敵意を利用して、彼らをたがいにいがみ合わせることである。そこに、新しい情勢が生ま れる。二つの帝国主義国、日本とアメリカをとってみるなら──両者はたたかおうとのぞんでおり、世界制覇をめざして、略奪する権利をめざして、たたかうで あろう。日本は、あらゆる最新の技術的発明と純アジア的拷問とを結びつけた前代未聞の残虐なやり方で朝鮮を略奪しているが、この略奪をつづけるためにたた かうであろう。つい最近われわれは、日本人がなにをやっているかをかたっている朝鮮の一新聞を受けとった。ここにはツァーリズムのあらゆる方式、あらゆる 最新の技術的進歩と、純アジア的拷問制度、前代未聞の残虐性との結合がある。しかし、この朝鮮というおいしいご馳走を、アメリカ人はもぎとろうと考えてい る。」(第31巻『ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説』P449~450)
 三つの基本的な対立とは①日本とアメリカとの矛盾②アメリカと、残りの資本主義世界全体との矛盾③協商国とドイツとのあいだの矛盾のことで、この眼力も凄い。

レーニンの思想も当時の政策課題も無視して切り貼りされた(5)の「議論(?)」

 石川先生は(5)として次のように述べています。
「(5)国家独占資本主義を、レーニンは、これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な段階ととらえます。資本主義の経済を『数百万の 人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること』──これは社会主義革命が直面するもっとも困難な課題の一つだが、それは 『資本主義のもっとも発達した諸形態』つまり『記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関』を手がかりに実現することができる(全集第27巻、84-85 ページ)。国家独占資本主義は、そのために必要な『高度な技術を装備した機構』をもたらすもので、『社会主義のためのもっとも完全な物質的準備であり、社 会主義の入口であり、それと社会主義と名づけられる一段のあいだにはどんな中間的段階もないような歴史の階段の一段』(全集第25巻 386ページ)であるというのです。
 以上が、レーニンの議論のあらましです。」と。
 最初 に「(全集第27巻 84~85ページ)」として抜粋、引用(?)したのは、ロシア社会民主労働党(ボ)の第七回大会でのレーニンの「戦争と講和についての報告」の一部で、内 容は、生まれたばかりのソヴィエト政権の喫緊の課題である、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織する」こと について訴えたものです。それに続けて石川先生がシームレスに「(全集第25巻 386ページ)」として引用したのは『さしせまる破局、それとどうたたかうか』の一部で、資本主義の発達の遅れたロシアが共和制と民主主義を革命的な方法 でたたかいとり、二つの帝国主義陣営の世界大戦争のまっただ中にいて、一箇所に足ぶみをしていることができない状況のもとで、社会主義へ向かっての〝旗幟 鮮明〟な闘いの方向を示したものです。
 こ れらは、その時々のロシアの未来を左右するきわめて重要な実践的課題の提起であり、石川先生が机上でレーニンの言葉を切り張りしたり、「直感」的に推測し たりする材料ではありません。これらの文章を通じて、私たちがやるべきことがあるとすれば、それは、ここに書かれていることが当時の状況の中で正しい判断 であったかどうかということの検証です。現実に基礎を置く検証を机上で行うのであれば、それは石川先生にとっても私たち読者にとっても意味のある行為とな り得るものです。

石川先生は抜粋で私たち読者になにを訴えたいのか

㋐石川先生の「戦争と講和についての報告」からの抜粋、引用文について

  まずはじめに、石川先生が「国家独占資本主義を、レーニンは、これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な段階ととらえます」として、 ロシア社会民主労働党(ボ)の第七回大会でのレーニンの「戦争と講和についての報告」からフレーズを拾い、石川先生の意図に合わせて「編集」した文章につ いて、そこでレーニンがなにを言っているのか、より詳しく、見てみましょう。
 こ の党大会は、10月社会主義革命後、はじめてひらかれたもので、国内の反革命勢力が息を潜め、その後の激しい内戦がはじまるまえの国内的には比較的平和な 時期に、当初ドイツとの戦争に積極的だったレーニンが兵士(農民)が疲弊しきっていることをアンケートで知り、ドイツとの屈辱的な講和によって、なにがな んでも、息継ぎをしなければならないことを痛感している時期に、ペトログラードでひらかれたものです。
 大会の主要な議題のひとつは、ソヴェト共和国が当面する二つのきわめて困難な任務、ソヴェト共和国を「社会主義的経済的有機体に組織すること」と「国際 問題」(ドイツとの講和の問題の解決)で、レーニンはこれらの問題を「戦争と講和についての報告」として党を代表して報告しまた。
  石川先生が拾ったフレーズがどんな文脈で使われた言葉か、レーニンはこの『報告』で何を言っているのか、いっしょに見てみましょう。
 *なお、「青字」の文字の部分が石川先生が拾ったり、アレンジしたフレーズです。
『戦争と講和についての報告』の関係する部分の抜粋。
「 ……ブルジョア革命が当面したただ一つの任務は、以前の社会のすべてのきずなを一掃し、すて去り、破壊するということであった。あらゆるブルジョア革命 は、この任務を遂行することによって、この革命にもとめられているいっさいのことを遂行する。すなわち、それは、資本主義の成長を強めるのである。
 社会主義革命はこれとはまったく異なった状態にある。歴史のジグザグによって、社会主義革命をはじめなければならなかった国にとって、その国がおくれて いればいるほど、古い資本主義的関係から社会主義的関係への移行は、それだけ困難である。ここでは、破壊という任務のうえに、新しい、前代未聞の困難な任 務、──組織的任務がつけくわわる。
 ……ソヴェト共和国は一挙に生まれた。だがまだ、二つのきわめて困難な任務(「社会主義的経済的有機体に組織すること」と「国際問題」──注青山)がの こっていた。その解決は、わが国の革命が最初の数カ月におこなったような凱旋行進ではけっしてありえなかった。──これからさき社会主義革命が、巨大な困 難を伴う任務に当面するだろうということについては、われわれには疑問はなかったし、また、ありえなかった。
 第一に、それは、あらゆる社会主義革命が当面する内部的組織という任務であった。社会主義革命がブルジョア革命と異なる点は、後者のばあいには、資本主義的関係のできあいの形態があるが、ソヴィエト権力──プロレタリア権力──は、「資本主義のもっとも発展した諸形態」をとりあげないとすれば、これらのできあいの諸関係をうけとるわけではないということにある。それも、このもっとも発展した諸形態も、実は、工業の小さな上層をとらえていただけであって、農業にはまだほんのわずかしかふれていない。「記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関」全体を、一つの巨大な機構に、「数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること」、 ──これこそわれわれの肩かかっている巨大な組織上の任務である。この任務は、現在の労働条件のもとでは、われわれが首尾よく内乱の任務を解決したときの ように、けっして「ウラー」をさけんで解決することをゆるさなかった。問題の本質そのものが、このような解決をゆるさなかった。……わが革命の任務にたい して考えぶかい態度をとろうとした人には、だれの目にも、自己規律という困難な、長い道によってのみ、戦争が資本主義社会にもたらした腐敗にうちかつこと ができるということ、また、きわめて困難な、長い不屈の道によってのみ、この腐敗を克服し、増大していく腐敗分子を征服できるということが、ただちに明ら かとなった。この腐敗分子は、革命とは、それからできるだけ多くのものをとりこんでおいて、古いきずなからのがれる方法であるとみなしたのである。こうい う連中が数多く出てくることは、信じられないくらいの崩壊の時期の小ブルジョア的な国では、避けられないことであった。そして彼らとの、百倍も困難な、すこしも目ざましい立場をあたえてくれる見込みのない闘争がひかえている──われわれはたったいまこのたたかいを開始したばかりである。」(P83-85)
 石川先生は、この「戦争と講和についての報告」から、下記のような文章をつくり上げました。
「資本主義の経済を『数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること』──これは社会主義革命が直面するもっとも 困難な課題の一つだが、それは『資本主義のもっとも発達した諸形態』つまり『記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関』を手がかりに実現することができ る(全集第27巻、84-85ページ)。」
  こ の石川先生の文章は、ご覧のとおり、原文の最後のゴシックのセンテンス「記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関全体を、一つの巨大な機構に、数百万の 人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること」という文章を、「記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関」と「数百万 の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること」との二つに分けたうえで、それを前後を逆にし、その間に「社会主義革命 が、巨大な困難を伴う任務」であるということと「資本主義のもっとも発達した諸形態」という言葉を挿入してできており、あたかも、レーニンが「国家独占資 本主義を、これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な段階ととらえ」た「議論」の一部ででもあるかのように書かれています。し かも、「『資本主義のもっとも発達した諸形態』つまり『記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関』」とストレートに結びつけることによって、レーニンが この報告のなかで「資本主義のもっとも発達した諸形態」ですら「実は、工業の小さな上層をとらえていただけであって、農業にはまだほんのわずかしかふれて いない」と指摘していることを無視しています。同時 に、「数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化する」課題に不可欠な、レーニンが『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴ フ)への回答』(1916年執筆 全集 第23巻P16~20)で述べた「銀行をにぎらないでは、生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない。しかし、ブルジョア ジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには、全勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、半プロレタリアを も、小農民をもひきいて、彼らの隊列、彼らの勢力、彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには、これらの革命的措置を実行することはできない。」という言葉などまったく眼中にありません。
 こ のように石川先生は、『戦争と講和についての報告』を、レーニンが「国家独占資本主義を、これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な 段階ととらえ」た「議論」の一部のように読者に思わせ、「『記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関』を手がかりに」いとも簡単に「資本主義の経済を 『数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化すること』」ができると主張しているかのような印象を読者に与えようとし ています。
 し かし、この『戦争と講和についての報告』のこの部分は、読んでお分かりのとおり、ソヴェト共和国を「社会主義的経済的有機体に組織すること」について述べ たもので、「国家独占資本主義を、これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な段階ととらえ」た「議論」の一部などではありません。
 レー ニンは、ここで、ロシア革命に「新しい、前代未聞の困難な任務、──組織的任務」がつけくわわったが、それは想定内のことであること、そして、この「あら ゆる社会主義革命が当面する内部的組織という任務」は、ソヴェト共和国の人民の肩かかっている巨大な組織上の任務であり、資本主義的な「記帳の組織、巨大 企業の統制、国家経済機関全体」を、一つの巨大な機構に、数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有機体に転化することであるこ とを述べています。
 そして、「記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関全体を、一つの巨大な機構に、数百万の人々が一つの計画に指導されるような仕方で活動する経済的有 機体に転化すること」、このことを実現するためには、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織すること」、「全 勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、半プロレタリアをも、小農民をもひきいて、彼らの隊列、彼らの勢力、彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向 にむかわせること」が必要不可欠な条件なのです。
  レーニンの「戦争と講和についての報告」のこの部分は、ソヴェト共和国の最も焦眉な実践的課題として、このことを言っているのです。
  そし て、「資本主義のもっとも発展した諸形態」さえも「実は、工業の小さな上層をとらえていただけであって、農業にはまだほんのわずかしかふれていない」こと を述べている(それも、資本蓄積を目的として──青山注)レーニンが、「これ以上ないほどに社会主義の準備を完了した資本主義の歴史的な段階」などという とらえ方をするのでしょうか。
 石川先生の引用がいかに滑稽か、簡単な例を示しましょう。
 ある料理研究家が講演で「十分ではないがここにある野菜などの材料をじっくり煮込めばマイルドな美味しいスープができる」と言ったらそれを聴いた石川記 者が文章を二つに分けて前後を逆にして、「ある料理研究家は「マイルドな美味しいスープ」は「野菜」という「材料」で出来ていると言った」と書いたとした ら、石川先生はどんな感想をもつのだろうか。
 ある作家の本の紹介、批判をする場合、まず一番大切なことは、著者に言っていることを正しく伝えることではないのか。こんなペテン師かマジシャンがやるようなことを学者がやってはいけないと思います。
 同じように「ひとまとまりの文章」を「二つに分ける」やり方は不破さんが使った手法ですが、その点についてはあとで触れたいと思います。
 な お、石川先生の「資本主義のもっとも発達した諸形態」=「記帳の組織、巨大企業の統制、国家経済機関」として、この「記帳と統制」によって社会主義を建設 するという薄っぺらな「記帳と統制」の捉え方の源流は、「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそのまま社 会主義経済の建設につながる、という路線」をレーニンが取ったと言いう(『前衛』No904 2014年1月号参照)不破さんのつくった新「定説」にあります。

㋑『さしせまる破局、それとどうたたかうか』でレーニンはなにを言っているのか

 次に、「(全集第25巻 386ページ)」として抜粋している「文章」、10月社会主義革命前夜の1917年9月10~14日に書いた『さしせまる破局、それとどうたたかうか』の中から抜粋したフレーズに係る部分でレーニンが何を言っているのか見てみましょう。
『さしせまる破局、それとどうたたかうか』の関連する部分の抜粋。
「一般に歴史では、とくに戦時には、一箇所に足ぶみをしていることはできない。前進するか、それとも後退するか、どちらかにしなければならない。共和制と 民主主義を革命的な方法でたたかいとった二十世紀のロシアでは、社会主義にむかってすすまないでは、社会主義にむかって何歩かすすめないでは、前進するこ とはできない(この何歩かは、技術と文化の水準によって制約され、規定される。農民の農業に大規模機械経営を「導入」することはできないが、砂糖生産で は、それを廃止することはできない)。
 もし前進をおそれるとすれば、それは、ケレンスキーらの諸君が、ミリュコフやプレハーノフらを狂喜させながら、ツェレテリやチェルノフらの愚かな手助けをうけて、やっているように、後退することを意味する。
 戦争は、独占資本主義の国家独占資本主義への転化を異常にはやめ、それによって、人類を社会主義にむかって、異常に近づけたが、これこそ歴史の弁証法である。
 帝国主義戦争は、社会主義革命の前夜である。そしてこれは、戦争がその惨禍によってプロレタリアの蜂起を生みだすからだけではなく──もし社会主義が経済的に成熟していないならば、どのような蜂起も社会主義を生みだしはしないであろう──、国家独占資本主義が、「社会主義のためのもっとも完全な物質的準備であり、社会主義の入口であり、それと社会主義と名づけられる一段のあいだにはどんな中間的段階もないような歴史の階段の一段」であるからである。 ◇◆◇◆◇
 わがエス・エルとメンシェヴィキは社会主義の問題を、空論的に、棒暗記したがよく理解できなかった教義の立場からとりあげている。彼らは、社会主義をなにか遠い先の、不明な、もうろうとした未来のことと考えている。
 ところが社会主義は、いまや、現代資本主義のすべての窓からわれわれをながめている。社会主義は、この最新の資本主義にもとづく一歩前進をなす一つ一つ の重大な方策から、直接に、実践的に、うかびあがっている。」(レーニン全集 第25巻 『さしせまる破局、それとどうたたかうか』 P386~387)
   こ の文章は、二つの帝国主義陣営の世界大戦争のまっただ中で、資本主義の発達の遅れたロシアが、共和制と民主主義を革命的な方法でたたかいとり、一箇所に足 ぶみをしていることができない状況、さしせまる破局とたたかい、社会主義にむかって一歩でも前へすすむ以外に選択の余地がないなかで、図らずも歴史のトッ プランナーに立たされようとしているときに、〝旗幟鮮明〟な闘いの方向を示したものです。
 このレーニンの認識が正しかったのか、誤っていたのか、見てみましょう。
 当時、 「戦争は、独占資本主義の国家独占資本主義への転化を異常にはやめた」という認識は、各国が「戦時国家──国家独占資本主義」化を強めており、正しい事実 認識であった。先進国の「国家独占資本主義が、社会主義のためのもっとも完全な物質的準備であり、社会主義の入口である」という認識も、基本的に正しい。 なぜなら、先進国の「国家独占資本主義」は共産主義社会に直結する「完全な物質的準備」はできていないが、社会主義建設の基盤はできていた。共産主義社会 に直結する「完全な物質的準備」と言う点で言えば、現代の日本ですら、かなり近づいていると思うが「完全」ではない。そして、「国家独占資本主義と社会主 義とのあいだにはどんな中間的段階もないような歴史の階段の一段である」という認識も、新経済政策での「国家独占資本主義」と同様の認識であるならば「物 質的準備」という点で誤りではない。だから、「帝国主義戦争は、社会主義革命の前夜である」というレーニンが『さしせまる破局、それとどうたたかうか』で 述べた認識は正しかった。もちろん、プロレタリアートの政治的団結力は不十分だったが。
 私は、このように、当時のレーニンの認識は基本的に正しかったと思います。詳しくは、「②「全般的危機」論の克服と帝国主義論の発展にかんして(P22~23)」とHP「4-13☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」参照して下さい。
 しかし、石川先生は、「以上が、レーニンの議論のあらましです」というだけで、これら二つの文章で述べられていることが、当時、正しい認識・主張だったのか誤りだったのか、誤りだとすればどう考えればよかったのか、何の意見も述べない。
 これは本来なら不思議なことだが、石川先生(たち)にとっては、当時、正しい認識だったかどうかなどということは、どうでもいいことなのかもしれません。
 なぜなら、当時の資本主義の発展段階と恐慌に対する政府・中央銀行の対応状況のもとで、マルクスとエンゲルスが「恐慌」は「政治的変革の 最も強力な槓杆のひとつである」というと、不破さんはマルクスが「恐慌=革命」説をとっていたと言い、レーニンが「帝国主義戦争は、社会主義革命の前夜で ある」といえば、不破さんは「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」、「『革命近し』という世界的危機論の裏付けにもなった」と言って、 「それらの発言からもうほぼ百年たちましたからね」とレーニンを揶揄する。そして、石川先生は「直感」で、資本主義の歴史的発展の度合いをはかる尺度は 「国民による資本主義の民主的な管理がどこまで達成されているか」だと、資本主義の特殊な歴史的段階のなかでの資本の行動などお構いなしに言う。
  し かし、科学的社会主義の思想は、資本主義の歴史的発展度合をはかる尺度を「新たな社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」の発展の中に見ます。そして、 資本主義の特殊な歴史的段階の時々に応じて、「古い社会の変革契機」となる〝運動の環〟を正確にみさだめて、運動を提起します。
 マルクスやエンゲルスやレーニンを笑った人たちは、「国民による資本主義の民主的な管理がどこまで達成されているか」だと言い、「ルールある資本主義」の実現の夢を追いかけて、グローバル資本の行動によってもたらされた日本の惨憺たる状況を見ようともしません。
 このような人たちにとっては、当時、正しい認識だったかどうかなどということは、どうでもいいことなのでしょう。

 

 

 

 

ちょっと

 

ひと休み。

ちょっと、脇道にそれますが

 なお、石川先生がおこなった、ひとかたまりの文章を二つに分けて、その間に他の文章を挿入するというトリックと似たようなことを不破さんがおこなっていることはまえに述べましたが、どのようなものか、ちょっと脇道にそれますが、紹介します。
  2014年9月9日に行われた「理論活動教室」第2講「マルクスの読み方」③で、不破さんは『資本論』から「独占資本は、それとともに開花しそれのもとで 開花したこの生産様式の桎梏になる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破 される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(大月『資本論』② P995F6-9)という文章を引用して、次のように講義をしたとのことです。
 ま ず、「独占資本は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏になる。」で文章を切り、「私たちの経験のなかでも『桎梏』化はものすごい 形で現れています」と述べ、日本共産党綱領を紹介し、その後で、「『資本論』の有名な一文」として後半部分を読み上げたそうです。二つに分離しなければ ちゃんと意味の通じる文章を分離して、日本共産党綱領の何を紹介したのかは不明ですが、文章の流れからして、不破さんが最近よく言っている、「ものすごい 形で現れている『桎梏』化」の例として「温暖化」等のみが語られ、「独占資本」の力の増強が歪んだ「生産手段の集中」と歪んだ「労働の社会化」をもたら し、現代日本で言えば、「産業の空洞化」によって社会全体が崩壊の危機に瀕しつつあることが説明されていないとしたら、「マルクスの読み方」として大まち がいであり、マルクスを修正し、受講生を真理から遠ざける講義であるといえるでしょう。二 つに分離された文章を合体させれば、独占資本が資本主義的生産様式の「桎梏」であり、独占資本によって、資本主義的に歪められ、一層発展した生産の社会的 性格(生産手段の集中と労働の社会化=社会的生産力)と資本の私的資本主義的性格とが和解できないレベルに達することを述べていることは、誰にでも分かる ことです。不破さんは、資本主義の矛盾は「利潤第一主義」からくるものだ、「生産の社会的性格と資本の私的資本主義的性格」との矛盾などない、エンゲルスの誤った理論だとエンゲルスを攻撃しています。しかし、この文章は不破さんのこのような主張を真っ向から否定するものです。だからといって、世の中にはやっていいことと、やってはいけないことがあると思う。ペテン的な手法は科学とは無縁です。詳しくはHP4-3「☆「桎梏」についての不破さんの仰天思想」を参照して下さい。

補足説明

当時のソヴェト共和国の最も焦眉な実践的課題についてのより詳しい説明
  せっかくですから、読者のみなさんの正しい理解のために、石川先生が『戦争と講和についての報告』から抜粋した箇所の本当の意味をやや詳しく説明させていただきます。
レーニンが「記帳と統制」でやろうとしたこと
 次 にとり上げる、石川先生の(注)とも関連しますが、レーニンが「記帳と統制」でやろうとしたことは、「資本主義のもっとも発達した諸形態」のなかの「社会 主義的経済有機体」づくりに必要な要素も活用しながら、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織する」ことでし た。
 このことについて、『綱領の改正と党名の変更についての報告』の中に関連する記述があるので見てみましょう。
「われわれがいますぐ綱領を作成できないことは、明らかである。われわ れは、綱領の基本的諸命題をつくりあげ、それを小委員会か中央委員会に付託して、基本テーゼを作成させるようにすべきである。あるいは、もっと簡単に、す でにテーゼをつくりあげたブレスト-リトウスク会議についての決議をもとにして、それを作成してもよい。ロシア革命の経験にもとづいて、ソヴェト権力につ いてのそういう特徴づけをあたえ、つぎに実践的改革の諸提案をおこなわなければならない。ここで、歴史的部分で、土地と生産の収奪がいまはじめられている ことを、指摘しておく必要があるとおもわれる。ここで、われわれは、消費を組織したり、銀行を普遍化し、住民自身がおこなう公共の簿記、計算、統制のための国家施設の全国的な網に、この銀行を変えたりする具体的な任務を提起する。この公共の簿記、計算、統制は、社会主義がさらに歩をすすめる基礎となるものである。このもっとも困難な部分は、わがソヴェ ト権力の具体的な諸要求の形で定式化すべきだと、私は考える。すなわち、われわれが現在なにをしようとしているか、銀行政策の分野で、また物資の生産の組 織や、交換、計算および統制の組織や、労働義務制の実施等々の仕事で、どういう改革をおこなうつもりでいるか、ということである。われわれは、できるよう になりしだい、われわれがこの方向でとったいろいろの措置を、小さなものも極小のものもふくめて、これにつけくわえよう。ここでは、われわれがなにをはじ めたか、なにが未完成になっているかを、完全に、正確に、明瞭に規定しなければならない。われわれのはじめた仕事の大部分が未完成であることを、われわれ はよく知っている。われわれは、綱領のなかで、現にあるもの、われわれがこれからやろうとしているものを、すこしも誇張せずに、完全に客観的に、事実から はなれずに叙述しなければならない。われわれは、ヨーロッパのプロレタリアートにこの真実をしめして、これをやらなければならないのだと言おう。これは、 彼らが、ロシア人はこれこれのことをまずいやり方でやったが、われわれはそれをもっとうまくやりとげる、と言うようにするためである。そして、この努力が 大衆を熱中させるなら、社会主義革命は不敗となるであろう。(このゴシックは青山のもの)」(P138)
 こ のように、レーニンは、ソヴェト権力がおこなうべき実践的改革の諸提案として、「記帳と統制」の問題を提起し、これは、「われわれが社会主義の課題を、 『収奪者の収奪』という一般的抽象的な定式から銀行および土地の国有化のような具体的な定式に翻訳したこと」であることを述べています。
このような課題を実践する「ソヴェト権力」とはどのような機関なのか
 それでは、このような課題を実践する「ソヴェト権力」とはどのような機関なのか、「報告」の続きを見てみましょう。
「つぎに、ソヴェト型の国家の特徴づけをあたえることが、われわれの任務である。この問題については、私は、『国家と革命』という著書のなかて理論上の見解を述べようと努力した。
……ソヴェト権力は一つの機関である。すなわち、大衆がただちに全国的な規模で国家の統治と生産の組織とをまなびはじめるようにさせるための機関である。これははなはだ困難な任務である。……市民は一人のこらず裁判や国の統治に参加しなければならない。そして、われわれにとって重要なことは、勤労者の全員を一人のこらず国家の統治に引き入れることである。これは、はなはだ困難な任務である。しかし、社会主義を少数者の手で、党の手で導入することはできない。社会主義を導入することは、幾千万人が自分でそうすることをまなびとったときに、彼らだけがなしうることである。……われわれは、たぶん自分のしなければならないことをまずいやり方でやっているだろうが、しかし、われわれは大衆に、しなければならないことをするよう促している。もし、わが国の革命がおこなっていることが偶然ではなく──われわれは、それが偶然ではないことを、深く確信しているが──、またわが党の決定の産物でもなくて、マ ルクスが人民革命と名づけたあらゆる革命、すなわち、人民大衆が、古いブルジョア共和国の綱領を繰りかえすことによってではなく、彼ら自身のスローガンに より、彼ら自身の奮闘によって、みずからおこなうあらゆる革命の不可避的な産物であるなら、もしわれわれがこのように問題を提出するなら、われわれはもっ とも重要なものをなしとげることができるであろう。」(全集第27巻P138)
 このように、ソヴェト権力は大衆が国家の統治と生産の組織とをまなびはじめるよう にさせるための機関として位置づけられていました。すくなくとも、レーニンと当時の党はこのような方向にソヴェト権力を発展させることをめざしていまし た。「国家の統治と生産の組織」、「記帳と統制」はそのように位置づけられていたのです。このように、レーニンの思想には、マルクス・エンゲルスがパリ・ コミューンから学んだ、〝by the people〟の思想が息づいていたのです。
  これがレーニンの考えていた〝社会主義革命〟です。しかし、残念ながら、不破さんの近くにいる人たちは、不破さんの政治的影響を受けてか、そのことを理解しようとしません。詳しくはHP4-24「マルクス・エンゲルス・レーニンへの誹謗中傷から現れる不破哲三氏の革命論」を参照して下さい。
 そ して、レーニンはロシアで革命をつづけることの困難さについて、「ヨーロッパにおける社会主義革命の経済的前提についてよく考えていた人にとっては、ヨー ロッパで革命をはじめることははるかに困難であり、われわれのところでは、はるかに容易だが、革命をつづけることはヨーロッパよりもいっそう困難であろう ということは、だれの目にもはっきりしないわけにはいかなかった。そしてわれわれがまれにみる困難な、歴史における急転換を体験しなければならないのは、 こういう客観情勢の仕業である」(P87-88)、「……もしヨーロッパ革命の生まれるのがおくれるならば、われわれを待っているのは、もっともいたまし い敗北であるだろう。なぜなら、われわれには軍隊がないからであり、われわれには組織がないからであり、そしてまた、この二つの任務を、いま解決すること はできないからである。」(P97)と述べています。
 こ のように、「記帳と統制」はロシア革命にとって死活的に重要な問題であり、「勤労者の全員を一人のこらず国家の統治に引き入れる」運動の一環として位置づ けられていました。だから、「わが国でいまおきていることは狭い党員グループのあいだにのこっていた古い革命前の討論のようなものでなく、いっさいの決議 は大衆の討議にかけられる。大衆は、これらの決議を自分の経験によって、事実によって点検することを要求しており、けっして軽々しい言説に熱中もしないし 事件の客観的な進行によってしめされる道からふみはずさせられることもない」(P95)と、レーニンは確信していました。
 な お、「記帳と統制」について、マルクス(エンゲルスが改ざんしたのかどうかは私にはわかりませんが)は『資本論』で「資本主義的生産様式が解消した後に も」「労働時間の規制やいろいろな生産群のあいだへの社会的労働の配分、最後にそれに関する簿記が以前よりもいっそう重要になる」(第3巻第2分冊大月版 P1090)ことを述べています。
 レーニンも10月社会主義革命以前から、『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』(1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P16~20)で、次のように述べています。
「一般に資本主義、とくこ帝国主義は、民主主義を幻想に変える──だが同時に資本主義は、大衆のなかに民主主義的志向を生みだし、民主主義的制度をつくり だし、民主主義を否定する帝国主義と、民主主義をめざす大衆との敵対を激化させる。資本主義と帝国主義を打倒することは、どのような、どんなに「理想的 な」民主主義的改造をもってしても不可能であって、経済的変革によってのみ可能である。しかし、民主主義のための闘争で訓練されないプロレタリアートは、 経済的変革を遂行する能力をもたない。銀行をにぎらないでは、生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない。しかし、ブ ルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには、全勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、半プロレタ リアをも、小農民をもひきいて、彼らの隊列、彼らの勢力、彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには、これらの革命的措置を実行 することはできない。…………社会主義は、あらゆる国家の死滅へ、したがってあらゆる民主主義の死滅へ導く。しかし社会主義は、プロレタリ アートの独裁を通じるよりほかには実現されない。ところでこのプロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーすなわち国民のなかの少数者にたいする暴力と、民 主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完 全な発展とを結びつけるのである。」と。
 こ のようにレーニンは「十月革命で政権をとる」まえから、「生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない」こと、「ブルジョア ジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせ ることなしには」、資本主義に打ちかつことはできないことを述べていますこれがレーニンの〝革命論〟です。
 不 破さんは、レーニンが「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそのまま社会主義経済の建設につながる、とい う路線」を取った、と「記帳と統制」がそろばん教室でマスターできるかのような粗雑な単純化をおこない、石川先生は、「記帳と統制」を「資本主義のもっと も発達した諸形態」とまったく同列に扱う。自 分たちの貧困な思想で、豊かな思想を「貧困」なものに「変革」して、自慢する。これでは、マルクスもエンゲルスもレーニンも、あまりにも可哀想だ。マルク スは「無知は十分な根拠になる」(『資本論』大月版①P404)と言ったが、科学的社会主義を自らの指針とするものにとって「無知は害悪」だ。
  マルクスが『資本論』で述べ、レーニンが「記帳と統制」でやろうとしたことは、「資本主義のもっとも発達した諸形態」のなかの「社会主義的経済有機体」づくりに必要な要素も活用しながら、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織する」ことでした。繰り返しますが、これがマルクス・エンゲルス・レーニンの〝革命論〟です。
 不破さんと石川先生に共通しているのは、このようなレーニンの真剣な探求に対する無理解と「記帳と統制」についての自分たちの誤った主張を正当化するための歪曲です。
  ソヴェト共和国での「記帳と統制」の重要性を述べているところから、都合のよい言葉をピックアップして、自分の論旨に合うように並べ替えて、「記帳と統制」は「国家独占資本主義」を手がかりに「実現することができる」とレーニンは言っている。これが「レーニンの議論」だ、では、不破さんなみの浅はかさではないでしょうか。
 不破氏の関連する謬論については、HP4-12「☆不破哲三氏によるレーニンの「記帳と統制」の概念の歪曲」及び4-13「☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」を参照して下さい。

石川先生の「新経済政策」と「記帳と統制」とにかかわる謬論について

 次に、(注)での石川先生の「新経済政策」と「記帳と統制」とに係わる謬論を見てみたいと思います。
 レーニンは10月社会主義革命を、次のように、科学的社会主義の正しい歴史観で捉えています。
 「わが国の革命がおこなっていることが偶然ではなく──われわれは、それが偶然ではないことを、深く確信しているが──、またわが党の決定の産物でもなくて、マルクスが人民革命と名づけたあらゆる革命、すなわち、人民大衆が、古いブルジョア共和国の綱領を繰りかえすことによってではなく、彼ら自身のスローガンにより、彼ら自身の奮闘によって、みずからおこなうあらゆる革命の不可避的な産物であるなら、もしわれわれがこのように問題を提出するなら、われわれはもっとも重要なものをなしとげることができるであろう」(P138)と。(繰り返しますが、これがマルクス・エンゲルス・レーニンの革命論です。)
 このように、未来への確信を持って、社会主義の勝利のために不眠不休の活動をつづけたレーニンも、当時、残念ながら、市場の廃止の方向をめざすことが科学的社会主義のただしい道であると考えていました。
 し かし、革命直後、市場の廃止の方向をめざしたレーニンも、その誤りをいち早く気づき〝新しい経済政策〟を実施し、商品も貨幣も市場も残して、「記帳と統 制」=全人民の民主主義的管理を組織することを通じて社会主義を組織すること、労働者階級の権力のもとでの外資導入による国家独占資本主義の構築による社 会主義の基盤づくりへのみちを試みたのです。
 レー ニンは実践の中で学びました。しかし、それは、石川先生が、「この転換は、少なくとも、国家独占資本主義の特質を『記帳と統制』の強化に見て、これを社会 主義の『完全な物質的準備』だとする議論に、大きな見直しをせまるものでした」と言うようなものでは、まったく、ありませんでした。それは、当時、「われ われは、十分な考慮もせずに、小農民的な国で物資の国家的生産と国家的分配とをプロレタリア国家の直接の命令によって共産主義的に組織しようと、考えてい た」ことを改め、「個人的利益に、個人的関心に、経済計算に立脚して、小農民的な国で国家資本主義を経ながら社会主義に通じる堅固な橋を、まずはじめに建 設する」。そのためには、「プロレタリア国家は、慎重で、勤勉で、手腕のある「経営主」、実直な卸商人にならなければならない」し、労働者階級の国家とし て「小農民経済から国家資本主義を経て社会主義に導くような」「記帳と統制」の仕方を学び、「社会主義的経済有機体」づくりのために、「新しい社会主義の建築物の経済的土台をすえる」ということでした。
 そのことをレーニンは1921年10月14日の演説、「十月革命四周年によせて」で次のように述べています。
「最後の──だがもっとも重要でもあれば、もっとも困難でもあり、またもっとも未完成でもあるわれわれの事業、それは経済建設であり、破壊された封建制の 建築物と半ば破壊された資本主義の建築物とのあとに、新しい社会主義の建築物の経済的土台をすえることである。このもっとも重要で困難な事業において、わ れわれはこのうえなく多くの失敗やこのうえなく多くの誤りをおかした。このような全世界的に新しい事業を、失敗もなく誤りもなくはじめることなど、どうし てできよう! だがわれわれは、それをはじめた。われわれはそれをやっている。われわれはまさに現在、多くのわれわれの誤りを、わが「新経済政策」によっ て是正しており、今後どうしたらこういう誤りをおかすことなく小農民的な国に社会主義的建築物を建てることができるかを、まなんでいるのである。
 困難はかぎりない。しかしわれわれは、かぎりない困難とたたかうことに慣れてしまった。われわれの敵は、なにかにつけて、われわれのことを「石のように 堅い」とか「骨折り政治」の代表者だと、アダナした。だが、われわれもまた学びとった──すくなくとも、革命に必要な別のギリョウを、ある程度まで学び とった。すなわち、これまでの道が当面の時期に不適当であり、不可能であるとわかれば、変化した客観的諸条件を考慮にいれ、われわれの目的にかなった別の 道をえらんで、自分の戦術をすばやく急転換するだけの柔軟性、手腕を学びとったのである。
 熱狂の波にのって、最初は一般政治的な、のちには軍事的な、人民の熱狂を呼びおこしたわれわれは、こんなにも大きな(一般政治的な任務とも、また軍事的 任務ともおなじくらい大きな)経済的任務を、直接この熱狂にのって実現しようと、あてこんでいた。あてこんでいた、――と言うより、つぎのように言ったほ うが正しいかも知れない。すなわち、わ れわれは、十分な考慮もせずに、小農民的な国で物資の国家的生産と国家的分配とをプロレタリア国家の直接の命令によって共産主義的に組織しようと、考えて いたのである。実生活は、われわれの誤りをしめした。一連の過渡的段階が必要であった。すなわち、共産主義への移行を準備する――長年にわたる努力によっ て準備する――ためには、国家資本主義と社会主義とが必要であった。直接に熱狂にのってではなく、大革命によって生みだされた熱狂の助けをかりて、個人的 利益に、個人的関心に、経済計算に立脚して、小農民的な国で国家資本主義を経ながら社会主義に通じる堅固な橋を、まずはじめに建設するよう努力したまえ。 さもなければ、諸君は共産主義に近づけないであろう。さもなければ、諸君は幾百万幾千万という人々を共産主義に導くことができないであろう。実生活はわれ われにこうかたった。革命の発展の客観的な経過は、われわれにこうかたったのである。
 そしてわれわれは、三年か四年のうちにいくらか急転換を学びとった(急転換が必要となると)が、このわれわれは、また新しい転換、「新経済政策」をも熱 心に、注意ぶかく、根気よく(とはいえ、まだまだ熱心さもたりなければ、注意もたりないし、また根気もたりないのだが)学びはじめた。プロレタリア国家 は、慎重で、勤勉で、手腕のある「経営主」、実直な卸商人にならなければならない。――そうするよりほかには、プロレタリア国家は、小農民的な国を経済的 にひとり立ちさせることはできないし、またいまのところ、現在の条件のもとでは、資本主義的な(ここ当分は資本主義的である)西ヨーロッパと肩をならべて 共産主義に移行する道はない。卸商人というものは、共産主義から、天と地ほどかけはなれた経済的類型であるかのようである。だが、これは、生きた生活のな かで、小農民経済から国家資本主義を経て社会主義に導くような、まさにそのような矛盾の一つである。個人的関心は生産をたかめる。われわれに必要なこと は、まず第一に、ぜひとも生産を増強することである。卸商業は、幾百万という小農民に関心をもたせながら、彼らを結合させて、つぎの段階へ、すなわち、生 産そのもののなかでの結合と団結のいろいろな形態へと導く。われわれはすでに、わが経済政策の必要な建てなおしを開始した。われわれはすでにこの分野で、 若干の──たしかにたいしたものではなく、部分的なものではあるが、しかし、それにしてもやはり疑いない──成功をおさめている。われわれはこの新しい 「科学」の分野では、すでに予科を終了しつつある。しっかりと、たゆまず学びながら、実際の経験によって自分の一歩一歩を点検しながら、すでにはじめたこ とを何度やりなおしても自分の誤りを是正することをおそれず、誤りの意義を注意ぶかく探究しながら、われわれは、つぎの学級にすすもう。世界経済と世界政 治の諸事情は、この「課程」をわれわれの望んでいたよりもはるかに長く、はるかに困難なものにしたけれども、われわれはその全「課程」をおさめよう。過渡 期の苦悩、貧苦、飢餓、崩壊がどんなに苦しくても、どんなことがあっても、われわれは落胆せずに、自分の事業を最後の勝利をおさめるまでおしすすめよ う。」注)……は本文中の略  (1921年10月14日、第33巻「十月革命四周年によせて」(P44~46)「プラウダ」第234号、1921年10月18日)
 また、レーニンは1922年2月20日に執筆したクルスキーへの手紙『新経済政策のもとでの司法人民委員部の任務について』で、新経済政策にかんして、次のように述べています。
「 同志クルスキー!
 司法人民委員部の活動は、どうやら、新経済政策にまだ全然適応していない。
 これまではソヴェト権力の戦闘機関は、主として陸軍人民委員部と全ロシア非常委員会であった。いまではとくに戦闘的な役割は、司法人民委員部がになっている。残念ながら、司法人民委員部の指導者たちや、主要な活動家たちはこのことを理解しているようにはみえない。……
 新経済政策の分野での司法人民委員部の戦闘的な役割もそれに劣らず重要であるが、この分野での司法人民委員部の弱さと半睡状態は、いっそう言語道断である。われわれが認めたし、また認めていくのは、国家資本主義だけであること、国家とはつまりわれわれであり、われわれ意識的な労働者、われわれ共産主義者である、ということを理解している気配が見られない。したがって、われわれが国家の概念と任務とを理解しているとおりの、国家資本主義のわくからはみだしているあらゆる資本主義を制限し、抑制し、統制し、犯罪を現場でとらえて、こっぴどく処罰することを自分の任務として理解しなかった共産主義者たちは、役だたずの共産主義者だと認めなければならないのである。
 ここでは司法人民委員部こそ、人民裁判所こそ、とくに戦闘的な、とくに責任のある任務をになっているのである。この任務を理解している気配が見られない。新聞では、新経済政策の悪用について騒ぎたてている。こうした悪用にははてしがないくらいである。
 ところが、新経済政策を悪用している卑劣漢どもにたいする模範的な裁判についての騒ぎはどこにあがっているだろうか? こうした騒ぎは起こっていない。 そのような裁判がないからである。司法人民委員部は、これがその仕事だということ、――人民裁判所をひきしめ、ゆすぶり、はたきをかけ、彼らに新経済政策 の悪用にたいしては銃殺をもふくめて、容赦なくすばやく処罰することを教えることができないのは、司法人民委員部の責任だということを「忘れている」。こ の責任は司法人民委員部にある。この分野での司法人民委員部の活動には、生きいきとしたものはいささかも見うけられない。そういう活動がないからである。  ……
 新しい民法の編纂がおこなわれている。司法人民委員部は、「流れのままに泳いでいる」。私はそれを知っている。 だが司法人民委員部は、流れにさからっ て戦わなければならない。民法についての古いブルジョア的概念を取りいれるのではなく(というよりも、彼らが見ならっている愚鈍な、古いブルジョア法律家 たちにだまされるのでなく)、新しいものを創出しなければならない。「職務上」「ヨーロッパヘの順応」方針をとっている外務人民委員部に譲歩するのではな く、この方針と戦い、新しい民法、「私的」契約にたいする新しい態度、等々をつくりあげなければならない。われわれは、「私的なもの」をなにも認めない、 われわれにとっては、経済の分野に見られるものはすべて、公法的であって私法的なものではない。われわれはただ国家資本主義を容認するにすぎず、国家と は、前に言ったとおり、われわれである。だから、「私法的」諸関係への国家介入をいっそう広くしなければならない。「私的な」諸契約を取り消す国家の権利 を拡大しなければならない。corpus juris romani[ローマ法大全]ではなく、われわれの革命的法意識を「私法関係」に適用しなければならない。このことをどのように賢く、精力的におこなわな ければならないかを、系統的に執拗に、ねばりづよく、一連の模範的な裁判によって示さねばならない。このことを学ばず、このことを理解したがらない革命裁 判所員や人民裁判官は、党をとおして烙印をおし、追放しなければならないのである。……
 商売したまえ、儲けたまえ、われわれは諸君にこれは許そう。だが、われわれは、正直にやる諸君の義務、正しい、正確な報告を出す義務、わが共産主義的立 法の文面だけでなく、趣旨を重視する義務、わが国の法律からいささかも逸脱しない義務を、三倍も高めよう──これこそ新経済政策についての司法人民委員部 の基本的ないましめとならねばならないのである。わが国で資本主義が「きびしいしつけをうけ」、「礼儀正しく」なるようにさせることが司法人民委員部にで きなければ、司法人民委員部がこの法規の違反を取り締り、恥ずかしいほどばかばかしい、「共産主義的に愚鈍な」一億ルーブリとか二億ルーブリといった罰金 で処罰するのではなく、銃殺で処罰することができるのを、一連の模範的な裁判で示さなければ──司法人民委員部はなんの役にも立たないことになり、そうな れば私は、中央委員会に司法人民委員部の責任ある指導者たちを完全に更迭させることを自分の義務と見なすだろう。」(第45巻P611-617『新経済政 策のもとでの司法人民委員部の任務について』1922年2月20日に執筆、1964年に『レーニン全集』第五版、第44巻に全文発表、手稿によって印刷)
  科 学的社会主義の見解(マルクス・エンゲルス・レーニンの見解)に身をおく者が「記帳と統制」というとき、それは、「社会主義的経済有機体」をつくるための アプローチの一つを意味します。そしてレーニンは、当時の「帝国主義」の特徴の一つとしての「国家独占資本主義」ではなく、労働者階級の権力のコントロー ルのもとでの「国家資本主義」によって「完全な物質的準備」を経て、「新しい社会主義の建築物の経済的土台をすえる」ことによって、革命ロシアを社会主義 に導くような道を模索していたのです。レーニンは労働者階級の権力のコントロールのもとでの「国家資本主義」の正しい発展のために、石川先生が言うように 「記帳と統制」の「大きな見直しをせまるもの」どころか、その強化のために「司法人民委員部」の力も総動員するよう求めたのです。詳しくは前出HP「4-13☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」も参照して下さい。

〈参考〉

「貨幣」・「商品」・「市場」についての考え方の、私なりの雑ぱくな整理。

  ご承知の通り、商品経済が発展して、商品が資本として資本主義的生産の環の中に組み込まれると、「市場」は資本主義にとって必須のプラットホームとなり、「商品」は必須のアイテムとなります。
 「資本主義」を解明したマルクスは社会主義社会での消費財の取得方法について、「生産者たちは、たとえば指図証を受け取って、それと引き換えに、社会の 消費用在庫のなかから自分たちの労働時間に相当する量を引き出すことになるかもしれない。この指図証は貨幣ではない。それは流通しないのである」(大月 『資本論』③P438)と述べていますが、これが、マルクス経済学を学ぶ人たちにとって、「社会主義国」での市場の廃止の根拠になったのではないかと思わ れます。しかし、マルクスは「貨幣を貨幣として特徴づけ商品を商品として特徴づける独自な諸属性や諸機能を貨幣や商品の資本性格から導き出そうとするの は、まちがいなのであり、また逆に生産資本の諸属性を生産手段としてのその存在様式から引き出すのも、やはりまちがいなのである。」(『資本論』第2巻 大月版 ③P99B3-101F1)とも述べています。
 「商品」交換は経済の技術的側面であり、「資本主義」のもとで、貨幣は「貨幣資本」なり、商品は「商品資本」となるが、社会が「社会主義」に生まれ変 わったときには、その資本主義的な性格から解放され、貨幣は貨幣に、商品は商品にもどり、「市場」は価値実現の場から純粋に交換の場にもどる。つまり、資 本主義が廃止され、商品資本も貨幣資本も廃止されても、商品も貨幣も市場(配給でなく選択の場)も廃止されることはない。
 このように、社会主義社会では貨幣の形態をとった搾取の手段としての資本であるところの貨幣資本はなくなる。合理的な生産のために、当該商品の生産のた めに投入された労働量を測る価値尺度としての貨幣、商品(購入する財)の交換手段としての貨幣は社会主義の低い段階では存在する。そして、商品は社会主義 社会でも残るので、交換の場としての市場も残る。ただし、商品の価格は社会的に統制された額で設定される。また、社会主義の比較的早期に日用品の多くは貨 幣との交換なしで取得できるようになるかもしれない。
 私はこのように、考えています。

関連するマルクス・エンゲルス・レーニンの見解の抜粋等を〈参考〉に掲示します。

・資本主義的生産関係のもとでの貨幣制度
  資本主義的生産関係のもとでは、「交換価値が資本に発展しないように、とか、あるいは、交換価値を生産する労働は賃労働に発展しないように、とかいうのは、かなわぬ願いであるばかりか、ばかげた願いでもある。」
 レキシコン⑤-[70]P167下線部 (マルクス『経済学批判要綱』ⅡP169)
・共産主義の社会では貨幣資本はなくなる
「資本主義のではなく共産主義の社会を考えてみれば、まず第一に貨幣資本は全然なくなり、したがって貨幣資本によってはいってくる取引の仮装もなくなる。」
 〈『資本論』大月版③P385B11-10〉 
・社会的生産では貨幣資本はなくなる 
「社会的生産では貨幣資本はなくなる。社会は労働力や生産手段をいろいろな事業部門に分配する。生産者たちは、たとえば指図証を受け取って、それと引き換 えに、社会の消費用在庫のなかから自分たちの労働時間に相当する量を引き出すことになるかもしれない。この指図証は貨幣ではない。それは流通しないのであ る。」(大月『資本論』ⅡP437-8)
・価値は商品生産とともに消滅する  
 レキシコン②-[77](カウツキーあてのエンゲルスの手紙 1884.9.20)
・商品だから商品資本なのではない
「貨幣を貨幣として特徴づけ商品を商品として特徴づける独自な諸属性や諸機能を貨幣や商品の資本性格から導き出そうとするのは、まちがいなのであり、また 逆に生産資本の諸属性を生産手段としてのその存在様式から引き出すのも、やはりまちがいなのである。」 〈『資本論』大月版③P99B3-101F1〉
・「市場」と社会的分業
第一の結論は、「市場」の概念は、社会的分業――マルクスが言っている「あらゆる商品生産《したがってまた資本主義的生産--と、私から付けくわえよ う》の一般的基礎」――の概念と、まったく不可分のものである、ということである。社会的分業と商品生産とがあらわれるところに、また、あらわれるかぎり で、「市場」があらわれる。そして市場の大きさは、社会的分業の専門化の程度と、不可分にむすびついている。」(レーニン全集 第一巻「いわゆる市場問題について」P96~103 1893年秋)
・「商品」と資本主義経済
「商品経済は資本主義経済であるという法則、すなわち、ある発展段階で不可避的に資本主義経済に転化するという法則」(レーニン全集 第一巻「人民の友」とはなにか P214)


 なおレーニンは「新経済政策」を採用してからも、社会主義建設のそう遠くない時期に「市場」の廃止をすることが正しい選択であると考えていたように思われます(これは、私の推測です)。

ⓑ私が説明してきたレーニンの認識の何が問題なのか

 これまで見てきたように、21ページで石川先生が言っている「レーニンの議論のあらまし」なるものは、レーニンの考えをただしく反映したものではありませんし、レーニンの考えを歴史のなかでとらえ、歴史のなかで評価するというものではありませんでした。

  レーニンは、これまで見てきたように、第一次世界大戦が、イギリスとフランスを主とするグループとドイツを中心とするグループという「最大の資本主義的巨 人」の二つのグループの経済競争から不可避的に導かれたものであること。この戦争がドイツを中心とするグループに「資本主義的生産の発展の新しいやり 方」、「資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構に結合するという原理」をもちこんだこと。この戦争の進展が、各国の「戦時国家──国家独占資 本主義」化を強め、独占資本主義の国家独占資本主義への転化を異常にはやめたこと。「国家独占資本主義」は、「帝国主義」の時代に国家と独占資本が結びつ いた、先進国の「社会主義のためのもっとも完全な物質的準備であり、社会主義の入口」であること。それによって、人類を社会主義にむかって、異常に近づけ たことを述べています。つまり、レーニンは、「帝国主義」という資本主義の特殊な歴史的段階における一つの傾向的な特徴である「国家独占資本主義」の「社会主義のためのもっとも完全な物質的準備」という、「社会主義のための物質的準備」における積極面を評価しています。
 レー ニンの時代の「帝国主義」、ドイツを中心とするグループが「資本主義的生産の発展の新しいやり方」、「資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構 に結合するという原理」をもちこみ「戦時国家──国家独占資本主義」化を強めたこと、これらをトータルに見て、歴史のなかで捉え、歴史のなかで評価しない で、第2次大戦後の「帝国主義」や「国家独占資本主義」と〝混同〟させる石川先生の論法は、次の「『全般的危機』論の克服と帝国主義論の発展」では自らに ツバを吐くことになります。

 

ちょっと、ひと休み。

 

 

 

 

 

道路が広場になった

ことわざ、名言集   「プロクルストゥスの寝台」

プ ロクルストゥスというのはギリシア神話中の強盗で、旅人を家に案内して鉄製の寝台に寝かせ、その旅人の身長が寝台よりも長ければあまった部分を切りとり、 短かければ引きのばして、ちょうど寝台の長さにあわせたと言いつたえられている。転じて、むりに規格、等々にあわせること。(全集 第一巻 P559~560 「人民の友」とはなにか)

自分の都合の良いように、古典を切り貼りするのはやめよう。 

②「全般的危機」論の克服と帝国主義論の発展にかんして(P22~23)

  石川先生は、先生たちが今のアメリカも「帝国主義」と呼び、そのアメリカが繁栄している、だから、レーニンの言う「帝国主義=最後の段階」論は乗り越えられた、と言う。これなら、論争に負けることはない。しかし、これでは、レーニンだけではなく、歴史上のあらゆる偉人があまりにも可哀想すぎないか。
 では、レーニンは「帝国主義」をどう定義しているのか。レーニンの「帝国主義」とはどのようなもので、それは歴史の真実を表現しているものなのか。いっしょに見てみましょう。
 当時、レーニンは「日和見主義(社会排外主義の形をとった)がヨーロッパの労働運動にたいしてかちとった奇怪な、いまわしい勝利」と、世界を覆う「帝国 主義」との関連を「今日の社会主義の根本問題である」と捉え、当時の「帝国主義」を全面的に捉えるため1915から1916年にかけて集中的な研究・整理 を行いました。レーニンは「現代が帝国主義時代であり、いまの戦争が帝国主義戦争である」という歴史的な状況の中で、当時の「帝国主義」の定義づけをおこ ないました。1916年10月執筆の『帝国主義と社会主義の分裂』(全集 第23巻P112~114)で、「帝国主義のできるだけ正確で完全な定義からはじめなければならない。帝国主義とは、資本主義の特殊な歴史的段階である。 この特殊性は三とおりである。」として、青山が以下に要約した「帝国主義の三つの特殊性」の内容を、詳しく述べています。
帝国主義の三つの特殊性の青山の要約
(一)独占資本主義(=独占が自由競争にとってかわったことが、帝国主義の根本的な経済的特徴であり、その本質である)。独占主義は、五つの主要な形態をとって現われる。
 (一)カルテル、シンジケート、トラスト。生産の集中。
 (二)大銀行の独占的地位。三つないし五つの巨大銀行が、アメリカ、フランス、ドイツの経済生活全体を支配している。
  (三)トラストと金融寡頭制とによる原料資源の占取。
  (四)国際的カルテルによる世界の(経済的)分割がはじまっている。
  (五)世界の地域的分割(植民地)は終了した。
(二)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義。
  第一に、生産手段の私的所有のもとでのあらゆる独占の特徴である腐敗の傾向に現れている。
  第二に、資本主義の腐敗は、金利生活者、すなわち「利札切り」で生活する資本家の膨大な層がつくりだされていることに現れている。
  第三に、資本輸出は自乗(ママ)された寄生性である。
  第四に、「金融資本は支配をめざすものであって、自由をめざすものではない」。全線にわたる政治的反動は、帝国主義の特性である。

       収賄、大じかけな買収、各種の疑獄。
  第五に、領土併合と切りはなせないようにむすびついた被抑圧民族の搾取、「文明」世界の、幾億人の非文明民族の肉体にくっついた

       寄生虫化。
(三)死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義。
  独占と労働の大がかりな社会化は、資本主義から社会主義への移行しつつある資本主義である。


 レー ニンは、「帝国主義のこのような定義を述べることによって」、カウツキーが「帝国主義とは金融資本の『このんで取る』政策」と見て「帝国主義の政治を帝国 主義の経済から切りはなし、政治における独占主義を経済における独占主義から切りはなす」のに対し、帝国主義を資本主義の特殊な歴史的段階、「資本主義の 一段階」と見ることによって、「帝国主義のもっとも深刻な諸矛盾」の曝露に努めました。
  そ して、これに続く、『国家と革命』と『さしせまる破局、それとどうたたかうか』では、「帝国主義」について、帝国主義は銀行資本の時代、巨大な資本主義的 独占体の時代、独占資本主義が国家独占資本主義へ成長転化する時代であり、帝国主義が「プロレタリアートにたいする弾圧の強化と関連して、『国家機構』の 異常な強化、国家機構の官僚的および軍事的機関の前代未聞の拡大をしめしている」(『国家と革命』)こと、「帝国主義戦争は、社会主義革命の前夜である」 こと、そしてそれは、「戦争がその惨禍によってプロレタリアの蜂起を生みだすからだけではなく」、「国家独占資本主義が、社会主義のためのもっとも完全な 物質的準備」をし、経済的に成熟していからである(『さしせまる破局、それとどうたたかうか』)ことを述べています。

レーニンの言う「帝国主義」とは

  これまで見てきたように、レーニンの言う「帝国主義」とは、事実にもとづき、当時の資本主義国の姿を曝露し、労働者階級のたたかう方向を明確にしたものです。
 だから、当時の「帝国主義」と米国が戦後とった「新しい帝国主義」政策とを同じ「帝国主義」で括って、レーニンの考察が誤りででもあるかのように言うのは、自らの頭の混乱にもとずきレーニンを誹謗するもので、まともな「議論」とはいえません。
 さきに引用したように、レーニンは『帝国主義と社会主義の分裂』で、「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義であるとい う理由は、明らかである。資本主義から生じる独占は、すでに資本主義の死滅であり、資本主義から社会主義への移行の始まりである。帝国主義による労働の大 がかりな社会化(弁護論者のブルジョア経済学者が「絡み合い」と呼んでいるもの)も、やはりこのことを意味する」と述べているのです。つ まり、当時の「帝国主義」が「国家独占資本主義」への傾向を強め、生産手段の独占と生産の社会化をすすめることによって、資本主義から社会主義への移行の 物質的準備を整えたことを「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義」、「資本主義から社会主義への移行の始まり」と言ったのです。レーニンの考察した「国家独占資本主義」は当時の「帝国主義」の特徴の一つで、戦時体制と結びついた国家と独占資本の一体化しつつある姿を表現したもので、社会主義社会で使える技術的な要素も少なからずあります。だから、レーニンも生産力と生産の社会 化の発展を図るために、「新経済政策」で国家(=労働者階級の権力)のコントロールのもとで「資本」を活用する「国家資本主義」による経済建設を社会主義 をめざす経済建設の中心に据えようとして、米国等から資本の導入を図るために尽力し、「国家資本主義」という言葉も使いました。 余談ですが、エンゲルスが資本主義の発展のなかで「プロレタリアートとブルジョアジーの対立」がますます明らかになることを述べたことにあげ足をとった(HP4-8「☆不破さんは、『プロレタリアートとブルジョアジーの対立』は『資本主義の発生の時点から』あるのに、事態の発展のなかで明るみに出るのは矛盾だと、自分の理解力のなさを根拠にエンゲルスを誹謗している。」 を参照して下さい。)、あげ足とりの不破さんに、レーニンの「国家資本主義」という言葉もあげ足をとられそうです。もっと危ない言葉は、まえにも、『新経 済政策のもとでの司法人民委員部の任務について』で出てきた「銃殺で処罰する」とか、任務を迅速・確実に遂行しない党員にたいする「死刑」判決なども、そ のうち不破さんの批判に晒されるかも知れません。
  レー ニンの言う「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義」とは、上記のような歴史の一コマのなかで、上記のような意味合いで使用された言 葉です。そして、レーニンは、当時の先進資本主義国を上記のような特徴を持つ「帝国主義」と規定し、「先進帝国主義諸国」と表現しましたが、その内容は事 実に即したものです。
  当 時の「帝国主義」段階が、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義」で あることは間違いありません。しかし、「帝国主義」化によって「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、労働者階級との矛盾が深まった ことと、「革命近し」という情勢認識とは、まったく、次元のちがうものです。
 また、「革命近し」という情勢認識と資本主義の「世界的危機」とも同一ではありません。だ から、現代のように資本主義が「世界的危機」に陥って、水野和夫氏のようなマルクスを知らない経済学者ですら資本主義の限界を悟り『資本主義の終焉と歴史 の危機』を感じるところまで経済が進んでも、しっかりした科学的社会主義の党がなけれ「革命近し」という情勢は生まれません。それは、いまの日本が示して います。

レーニンは当時の情勢をどのようにみていたか

  レーニンは、「世界帝国主義」との「最後の決戦」について、10月社会主義革命直後の1918年2月25日の『プラウダ』(夕刊)の『きびしいが、必要な教訓』で次のように述べています。
「いまわれわれのまえに立ちはだかっているのは、文化のすすんだ、技術的には第一級の装備をほこる、組織的にりっぱに整備された世界帝国主義の巨人である。これとたたかわなければならないのだ。……
 この「最後の決戦」は、先進帝国主義諸国に社会主義革命が燃えひろがるときにはじめて燃えあがるであろう。このような革命は、疑いもなく月とともに、週 とともに、成熟し、つよまっていくであろう。この成熟していく勢力を援助しなければならない。これを援助する道をこころえなければならない。隣国のソヴェ ト社会主義共和国を、あきらかにそこに軍隊がないような時機に、潰滅にゆだねることは、それをたすけるどころか、危害をくわえることである。
 「わ れわれは、ヨーロッパにおける社会主義の勝利に賭ける」という偉大なスローガンを、空文句に変えてはならない。社会主義の徹底的な勝利という長期の困難な 道を考慮するならば、このことは真理である。全体としての「社会主義革命の時代」全体を取りあげるならば、それは、争う余地のない哲学史的な真理である。 しかし、あらゆる抽象的真理は、これをどれであれ(なんの分析もせずに─青山注)具体的情勢にあてはめようとするならば、空文句となってしまう」(全集 第二七巻『きびしいが、必要な教訓』P54~56『プラウダ』(夕刊)第三五号、1918年2月25日)、と。
 そして、1918年3月に開かれたロシア社会民主労働党(ボ)の第七回大会では、次のように述べています。
「革命は、われわれが待っていたように、早くはやってこないであろう。歴史はこのことをしめした。このことを事実として受けとることができなければならな いし、先進諸国における世界社会主義革命は、ロシアで──ニコライとラスプーチンの国で、革命がはじまったように、たやすくはじめることはできないという こと、このことを考慮にいれることができなければならない。ロシアでは、住民の大部分にとっては、辺境にどんな民族が住んでいようと、そこでなにがおころうと、どうでもよいことであった。こういう国では、革命をはじめることは容易であった。それは──羽毛をもちあげるようなものであった。
 し かし、資本主義が発達し、最後の一人まで民主主義的文化と組織性とがあたえられている国では、準備もなしに革命をはじめることは、まちがいであり、ばかげ ている。ここではわれわれは、社会主義革命の苦しみにみちた開始期にやっとさしかかったばかりである。これが事実である。われわれにわから ず、だれにもわからないことは、この社会主義革命が数週間中に、それどころか数日中に勝利できるものかどうかということである──このことは十分にありう ることであろう──、しかしこれを賭けてはならない。避けられない異常な困難、異常に苦しい敗北にたいする備えをもつことが必要である。なぜなら、ヨー ロッパでは、革命は、あすはじまるかもしれないとはいえ、まだはじまっていないからであり、いったんはじまるならば、もちろん、われわれの疑惑がわれわれ を苦しめることもないであろうし、革命戦争の問題もなくなるであろうし、そしてひとつづきの凱旋行進となるだろう。そうなるであろう、そうなることは避けられないであろう、しかしいまはまだそうではない。」(P93-95)
「……歴史というものは、革命がいたるところで同時に成熟するほどうまくできてはいないからである。
 事件は、帝国主義と衝突する試みとして内乱がはじまる、というような成行きをとってくるだろう。この試みは、帝国主義が腐敗してしまったこと、どの軍隊 のなかでもプロレタリア分子が立ちあがっていること、を証明したのである。たしかに、われわれは国際的・世界的な革命をみることであろう。しかしいまのと ころ、それは非常にきれいな、非常に美しいおとぎ話である」(P98)(第27巻ロシア共産党(ボ)の第七回大会でのレーニンの「戦争と講和についての報告」)、と。
 先進諸国における世界社会主義革命は、苦しみにみちた開始期にやっとさしかかったばかりである。先進諸国における世界社会主義革命は準備もなしに始まるものではない。これが、レーニンの「先進諸国における世界社会主義革命」についての考え方です。
 当 時、主要な資本主義国はみな帝国主義的な方向に突き進み、労働者の団結も強まり、ヨーロッパ全体を覆うような革命の可能性は十分に存在していました。だか ら、レーニンは、ロシア革命によって図らずもロシアが革命運動の先頭を走らざるを得なくなったとき、ドイツに革命が起きて遅れたロシアを助けてくれること に大きな期待をいだいていました。しかし残念ながら、第一次世界大戦終結後の「世界経済と世界政治の諸事情」の変化によって、「ここ当分は資本主義的であ る西ヨーロッパ」がつづき、ただちにドイツに革命が起きる可能性は遠のいてしまいました。
 そういう認識のもとで、共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)は開かれた。
 しかし、情勢は流動的である。大会中の7月11日、ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団員の会議において、レー ニンは「きのうの『プラウダ』で私が読んだ若干の報道は、攻勢の時機が大会でわれわれが予想したよりも近いかもしれないということを、私に納得させた」こ とを述べています。
 その理由として、三つの報道を示し、「このことは、ヨーロッパには、われわれが考えていたよりも大量の可燃性物質があることを証明している」こと、「主 要な諸国──ドイツ、チェコスロヴァキア、イタリア──における攻勢を互いに調整すること。この点では準備が、たえまない相互作用が、必要である。ヨー ロッパは革命をはらんでいるが、革命の日程をあらかじめ作成することはできない。ロシアにいるわれわれは、五年どころか、それ以上でももちこたえるであろ う」ことを述べ、「調整」とは、「どういう契機が重要かということを、他の諸国の同志たちが知る点になければならない」こと、「すなわち、すぐれた模範を もっとうまく、もっと速やかにまねるということである」として「ローマで、ファシスト反対闘争を組織するための大衆集会」をローマの労働者がおこなったこ とをすぐれた模範として学ぶ必要があることを強調しました。(第42巻『共産主義インタナショナル第3回大会』P434~440)
 それから4ヶ月後の1921年10月19日付けの「ポーランドの共産主義者への手紙」(第42巻『ポーランドの共産主義者への手紙』P484~486)では、今度はポーランドについて、レーニンは次のように述べています。
「親愛な同志諸君!
 ポーランドにおける共産主義運動の成長についてわれわれの新聞にときおりはいる断片的な情報から判断すると、また(それ以上に)ポーランドの若干の有力な同志の報道から判断すると、ポーランドでは革命が成熟しつつある。
 労働者革命が成熟しつつある。ポーランド社会党(ロシアふうにいえばエス・エルとメンシェヴィキ、ヨーロッパふうにいえば第二および第二半インタナショ ナル)の完全な崩壊。労働組合がつぎつぎと共産主義者の味方に移っていること。デモンストレーションの拡大、その他。さしせまった、避けることのできない 財政破綻。ポーランドで土地改革の面でブルジョア民主主義派(と小ブルジョアジー)がしでかす大失敗。この失敗はさしせまっており、避けることができな い。それは、農村住民の大多数──農民の貧困層全体──を必然的に共産主義者の側におしやる。
 財政破綻や、協商国(フランスその他の国)の資本によるポーランドの恥知らずな略奪にともなって、大国主義的、民族的な幻想の事実による暴露が、大衆の、一般の労働者の、一般の百姓の目にみえ、肌に感じることのできる暴露がはしまっている。
 も しすべてこのとおりだとすれば、ポーランドにおける革命(ソヴェト革命)は勝利するにちがいなく、それもまもなく勝利するにちがいない。こういう事情だと すれば、政府とブルジョアジーが時期尚早の蜂起を流血のなかで鎮圧することによって革命を圧殺するのを、許してはならない。挑発にのってはならない。完全 な波が成長してくるまで待つべきである。その波はすべてを一掃し、共産主義者に勝利をもたらすであろう。
 ブルジョアジーが100人から300人の人間を殺しても、事業はほろびない。だが、彼らが殺戮を挑発して、一万人から三万人の労働者を殺すことができるなら、革命が数年間遅らされることさえ可能である。
 国会(セイム)選挙をおこなうことが政府にとって重要であるとすれば、労働者革命と農民の不満との波が国会を征服するために、全力をかたむけなければならない。
 挑発にのってはならない。
 果実が完全に熟するまで、革命をぜひとも育てあげなければならない。ポー ランドで内部からソヴェト権力が勝利すれば、巨大な国際的勝利となる。私の考えでは、現在ソヴェト権力がおさめている国際的勝利が20ないし30%だとす れば、ポーランドで内部からソヴェト権力が勝利すれば、共産主義革命の国際的勝利は、40ないし50%に、おそらくは51%にも達するであろう。というの は、ポーランドは、ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリーと隣接しており、ソヴェト・ポーランドは、ヴェルサイユ講和のうえにきずかれた全体制を掘りく ずすだろうからである。
 だからこそ、ポーランドの共産主義者には、世界的な責任がかかっているのである。自分の船の舵をしっかりとらなければならない。挑発にのってはならない。
 ダシンスキー一派のドンバルにたいする暴行に報復するのは、骨おりがいのあることだろうか? もし報復するなら、銃を射たず、傷を負わせることなしに、ダシンスキーを打ちのめすというやり方でおこなうべきである。それ以外であってはならない。あ るいは、これは骨おりがいのあることかもしれない。つまり、もし労働者たちがこの厚かましい男をうまく懲らしめることができて、労働者の士気があがり、労 働者の犠牲(投獄または銃殺による)が5人ないし10人にとどまるとすればである。だが、あるいは、骨おりがいのないことかもしれない。われわれのドンバ ルが残虐な暴行をうけたということのほうが、農民のあいだでの扇動にいっそう役だつのではなかろうか? おそらく、これは、ダシンスキーの横つらをなぐり つけることよりも、おくれた農民の同情をわれわれの側に引きつけるうえで、いっそう効果的なのではなかろうか? もっと慎重に比較考量すべきである。
                   共産主義者の挨拶をもって  レーニン  」
 このように、レーニンは情勢抜きに「革命近し」などとノー天気なことを言ったことは一度もない。ましてや、帝国主義段階が『死滅しつつある資本主義』だから、『革命近し』などと観念的な結びつけなどしたことは一度もありません。事実に基づかない批判はケンカだ。科学的社会主義はケンカを売ってはならない。ケンカを売った時点で、その人は科学的社会主義から脱落する。
 そして、1921年10月14日の演説、「十月革命四周年によせて」では、以下のように述べています。
「帝国主義戦争の問題、現在全世界を制覇している金融資本の国際政治の問題──この国際政治が新しい帝国主義戦争を不可避的に生みだし、ひと握りの「先 進」強国が立ちおくれた弱小諸民族に加える民族的抑圧、略奪、強奪、絞殺の前代未聞の激化を不可避的に生みだすのである──、この問題は、1914年この かた地球上のすべての国々の政治全体の基本問題となった。これは、幾千万という人々の生死の問題である。これは、われわれの目のまえでブルジョアジーが準 備している、そしてわれわれの目のまえで資本主義のなかから成長してくる、つぎの帝国主義戦争では2000万の人間が(1914~1918年の戦争と、い まなお終っていない、これを補う、いくつかの「小」戦争では1000万の人間がころされたのにたいして)ころされるかも知れないという問題であり、この避 けがたい(資本主義が存続するかぎり)きたるべき戦争では6000万の人間がかたわになるかも知れない(1914-1918年には3000万の人間がかた わになったのにたいして)という問題である。この問題でも、わが十月革命は世界史の新時代をひらいた。ブルジョアジーの召使や、エス・エルとかメンシェ ヴィキというブルジョアジーの太鼓もち、全世界の小ブルジョア的なえせ「社会主義的」民主主義派という太鼓もちどもは、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」 というスローガンをばかにしていた。だが、このスローガンはただ一つの真理であることがわかった。──それは、不愉快な、味もそっけもない、むきだしの、 残酷な真理であるが、それにしてもやはり、このうえなく洗練された無数の排外主義的および平和主義的な欺瞞にたいして真理であることが、わかった。こうい う欺瞞は、くずれさってしまう。ブレスト講和は暴露されている。ブレスト講和よりいっそう悪いヴェルサイユ講和の意義とその結果は、日ましにますます容赦 なく暴露されている。そして、きのうの戦争の原因を考え、また迫りくるあすの戦争のことを考える幾百万、幾千万という人々のまえには、恐ろしい真理が、ま すますはっきりと、いっそう明確に、いよいよ避けがたく、たちはだかってくる。その真理とは、ボリシェヴィキ的闘争とボリシェヴィキ革命によるよりほかに は、帝国主義戦争とそれを不可避的に生みだす帝国主義的世界(ミール)(もしわが国に旧正字法があれば私はここで「ミール」という二つの言葉をその両方の 意味で書くところだが)から抜けだすことはできない。この地獄から抜けだすことはできない、ということである。
 ブルジョアジーや平和主義者たち、将軍連や小市民たち、資本家や俗物ども、敬虔なキリスト信者や第二インタナショナルおよび第二半インタナショナルのす べての騎士たちには、この革命を狂人のようにののしらせておくがいい。彼らが、どんな恨みごと、中傷、嘘八百を浴びせかけたところで、数百年、数千年以来 はじめて奴隷たちが、公然とつぎのようなスローガンを宣言することによって、奴隷所有者間の戦争にこたえたという事実を、くもらすわけにはいかないであろ う。そのスローガンとはすなわち、獲物の分配をめぐって奴隷所有者のあいだにおこっているこの戦争を、すべての国民の奴隷所有者に反対する、すべての国民 の奴隷(「解放」が落ちているのか?──青山)の戦争に転化しよう、というのである。
 このスローガンは、幾百年幾千年以来はじめて、漠然とした力のない期待から、はっきりしたわかりやすい政治的綱領に転化した。プロレタリアートに指導さ れる、幾百万というしいたげられた人々の能動的な闘争に転化した。プロレタリアートの最初の勝利に転化した。戦争の絶滅という事業の最初の勝利、いろいろ な国民(国々か…青山)のブルジョアジーの同盟にたいするすべての国々の労働者の同盟という事業の最初の勝利に転化した。ところで、このブルジョアジー は、和睦をするのも、戦争をするのも、資本の奴隷を犠牲にし、賃金労働者を犠牲にし、農民を犠牲にし、勤労者を犠牲にしてのことである。
 この最初の勝利は、まだ最後の勝利ではない。そしてそれは、未曾有の苦難と困難とを代償とし、前代未聞の苦悩を代償とし、われわれのしでかした多大な失 敗や誤りを代償として、わが十月革命にあたえられたのである。おくれた一国民が失敗や誤りをせずに、世界中でもっとも強力な、もっともすすんだ国々の帝国 主義戦争に首尾よく勝つことなど、どうしてできよう! われわれは自分の誤りをみとめることをおそれない。そしてその誤りをどのように是正すべきかを学ぶ ために、それを真剣に見つめよう。だが事実は依然として事実である。すなわち、奴隷所有者間の戦争には、ありとあらゆる奴隷所有者に反対する奴隷の革命で 「こたえ」ようという約束は、幾百年幾千年以来はじめて、完全にはたされたし、……また、あらゆる困難にもかかわらず、はたされつつある。
 われわれはこの事業をはじめた。いったいいつ、どれだけの期間に、どの民族のプロレタリアがこの事業を最後までやりぬくか、――それは本質的な問題ではない。本質的なことは、氷がくだかれ、行手がひらかれ、道がしめされているということである。
 すべての国々の資本家諸君、その偽善をつづけたまえ! 諸君は、アメリカにたいして日本を、日本にたいしてアメリカを、イギリスにたいしてフランスを、 といったぐあいに、それぞれの「祖国を防衛している」のだ! 第二インタナショナルおよび第二半インタナショナルの騎士諸君、また全世界のすべての平和主 義的素町人と俗物どもの諸君、帝国主義戦争に反対する闘争手段の問題にたいして、新しい「バーゼル宣言」(1912年のバーゼル宣言にならって)という 「形式的回答」をつづけたまえ! 最初のボリシェヴィキ革命は、この地上の最初の1億人という人間を、帝国主義戦争から、帝国主義世界から、救いだした。 つぎにくる諸革命は、こういう戦争から、こういう世界から、全人類を救いだすであろう。」注)……は本文中の略 (第33巻「十月革命四周年によせて」1921年10月14日P41~44)
 こ のように、レーニンは迫りくる第二次世界大戦を的確に予測し、『共産主義インタナショナル第三回大会』中のドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハン ガリーおよびイタリアの代表団員との会議では、ドイツ、チェコスロヴァキア、イタリアが連携して学び合うこと、「すぐれた模範をもっとうまく、もっと速や かにまねる」こと、特に、ローマの労働者のおこなった「ファシスト反対闘争を組織するための大衆集会」をすぐれた模範として学ぶ必要があること指摘し、 『ポーランドの共産主義者への手紙』では「ポーランドでは革命が成熟しつつある」との認識をもつとともに、「国会選挙をおこなうことが政府にとって重要で あるとすれば、労働者革命と農民の不満との波が国会を征服するために、全力をかたむけなければならない。挑発にのってはならない。果実が完全に熟するま で、革命をぜひとも育てあげなければならない。」と述べています。レーニンは冒険主義者でもないし議会を軽視しているわけでもなく、棚からぼた餅が落ちてくるように革命が起こるとも思ってはいませんでした。
  レーニンのこの考察に、「レーニンの『帝国主義=最後の段階』論」とか「帝国主義を『死滅しつつある資本主義』ととらえる」とかいうレッテルを貼って、内容の正しさも確認せずに、誹謗・中傷している人たちに聞きたい。
 レー ニンは当時の先進資本主義国が「帝国主義」国として、「戦時国家=国家独占資本主義」の色彩を強め、資本の独占と社会的生産が強化されたことを、「社会主 義のためのもっとも完全な物質的準備であり、社会主義の入口」といい、「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義」と言った。あなた方が、「レーニンの『帝国主義=最後の段階』論」とか「帝国主義を『死滅しつつある資本主義』ととらえる」とかいっているのは、このことなのか。そうであるならば、すでに見てきたとおり、曲解・捏造は明らかだ。し かし、そうでないならば、またく別の意味で、つまり、「帝国主義が世界史的には資本主義の『最後の段階』」であるという意味で「レーニンの『帝国主義=最 後の段階』論」なるものをいい、資本主義は「現在」も生き残っているではないか、だから、レーニンは間違っていると言っているとしたら、レーニンは、あな た方に、とんでもない濡れ衣を着せられたことになる。

どのような「濡れ衣」か、見てみましょう。

  レーニンは1922年5月26日、最初の発作に襲われる。同年9月7日、ほとんど健康になる。同年11月20日、レーニン最後の演説。同年12月16日、二度目の発作。1923年3月9日、三度目の発作、以降理論活動不能に。1924年1月21日、レーニン死去。
  レーニンの病状の悪化とともに、スターリン(=「『社会民族主義』という非難を不注意に投げつけるグルジア人」、実は「彼自身がほんとうの、真の「社会民族主義者」であるばかりか、粗暴な大ロシア人的デルジモルダ」)が、「世界史上の明日」、「呼びさまされた帝国主義抑圧下の諸民族が最後的にめざめる日、彼らの解放をめざす断固たる、長期にわたる、困難な戦闘がはじまる日」を控えて、「被抑圧民族にたいして帝国主義的な態度に陥り」、共産主義者としての原則的な誠実さと「帝国主義にたいする闘争の原則的な擁護とをまったく台なしに」し、「プロレタリア的階級連帯の利益をそこなう」行動をあらわにしはじめていた。(レーニン全集第36巻『少数民族の問題または「自治共和国化」の問題によせて』22年12月31日P715~722)
 第二次世界大戦により、国家独占資本主義を鮮明にしたドイツ・日本・イタリアを中心とするグループが敗れ、真の「社会民族主義者」であり陰謀家であるスターリンをリーダーとする勢力圏と英・米連合を中心とする勢力圏がヨーロッパにつくられます。
 ソ連を中心とするグループは、社会主義国家を建設することを目標とする国家群とみなされ、その強大な勢力があらわれることによって、米・英両国の支配層(資本の代理人)はこれまでの「帝国主義」路線の変更をよきなくされます。第二次世界大戦を経て資本主義諸国のリーダーとなった米国がとった戦略は、世界の資本主義体制をまもることと植民地の反乱をおさえ、それらすべてを自国の利益に結びつけることでした。そのために、ドルを増刷して、マーシャル・プランで西ヨーロッパの資本主義の復興を図り、新しい植民地政策を導入し、米国の権益を脅かすものは武力で粉砕する。「本源的蓄積」をやった資本が、「帝国主義」となって世界大戦をやり、「新しい帝国主義」として自国の権益をまもるために戦争をばらまいている。
  レーニンは、確かに、当時の「帝国主義」諸国が不可避的に戦争に突入すること、共産主義革命の国際的勝利はまちがいないこと、共産主義革命の国際的勝利なしにソヴィエト・ロシアの未来もないことを確信していました。レーニンの分析どおり「帝国主義」諸国は戦争に突入した。しかし、共産主義革命の国際的勝利はなかった。それは、レーニンの誤りなのか。そうではない。マルクスは歴史を動かす労働者階級の存在を発見した。資本の集中が進み、生産手段の集中と労働の社会化が進み、訓練され結合され組織された労働者階級が成長し、労働者階級が収奪者を収奪することを述べている。しかし、今、日本で「訓練され結合され組織された労働者階級」は成長していない。これは、マルクスの誤りなのか。そうではない。産業の空洞化によって、製造業の就業者数は減り続け、不安定雇用は増加し続け、近代経済学しか知らない人からも「資本主義の終焉」が指摘されるような現実があり、科学的社会主義の観点から事実を曝露し、ラディカルに労働者に訴えれば労働者階級がその本来の役割を発揮できる条件はある。しかし、「科学的社会主義」を自負している党が、綱領から「労働者階級」ということばの本来の意味と使命を消し去り、党員を、職場での「科学的社会主義の観点からの事実の曝露」はそっちのけで、党勢拡大と表面的な選挙運動に駆り立てている。誤りはここにある。それと同じだ。条件を生かしきれなかったことをレーニンのせいにして、自己分析を怠るのは誠実な態度とはいえない。
  当時の「帝国主義」段階が、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義」として労働者階級との矛盾が深まったことと、「革命近し」という情勢認識とは次元のちがうことであり、「革命近し」という情勢認識と革命が勝利するということとも同一ではない。
  レーニンは1922年2月時点で、世界情勢との絡みでロシア共産党(ボ)がどのような方針をとろうとしていたか見てみよう。レーニンは1922年2月23日に電話で口述した「三つのインタナショナルの会議への参加についてのコミンテルン執行委員会第一回拡大総会の決議案にたいする意見をふくむロシア共産党(ボ)中央委員会政治局員への手紙」で、当時の状況をふまえて次のように述べている。
「計画中の世界のすべての労働者党の会議にコミンテルンが参加する問題について、ジノヴィエフから送ってきた決議案につぎの変更をくわえるよう提案する。………
 私の提案するいちばん主要な変更点は、第二および第二半インタナショナルの指導者たちを世界ブルジョアジーの助手だと呼んでいる一節を削除することである。こういう言い方は、「がちょう」という言葉をつかうようなものである。われわれが別の場所で千度も罵倒しており、今後も罵倒するであろう卑劣漢たちを、いま一度余分に罵倒するという満足感を得るために、巨大な重要性をもつ実践的事業をぶちこわす危険をおかすというのは、まったく分別を欠いたやり方である。統一戦線戦術はわれわれが第二および第二半インタナショナルの指導者たちを打ち倒すたすけになるのだということを理解していない人間が、いまなお拡大執行委員会の会議にいるのだとすれば、そういう連中のために、平易な講義や講演を追加してうんと聞かせてやらなければなるまい。たぶん、彼らのためにとくに平易な小冊子を書き、たとえばフランス人がまだマルクス主義的戦術をのみこんでいないようなら、それをフランス語で出版することが必要であろう。最後に、あしたになればその小児病がなおるにきまっている数人の政治的幼児のために、重要な実践的事業をだいなしにする危険をおかすよりは、この決議を全員一致ではなく、多数決によって採択するほうがましである(反対投票者には、われわれはあとで特別の、詳細な常識教育をほどこすことにしよう)。」注)………は青山の略(全集第42巻『三つのインタナショナルの会議への参加についての手紙』P553~554)
 レーニンがこのような提案をしたのはなぜか、1922年2月24日執筆の「ジェノヴァにおけるソヴェト代表団の任務についてのロシア共産党(ボ)中央委員会の決定草案」でみてみよう。
「    政治局員だけの回覧のために中央委員会の決定草案
 一 中央委員会は、情勢と任務(ジェノヴァにおけるわれわれの代表団の)について同志リトヴィーノフのテーゼにあたえられている評価を正しいものとみとめる。
 ………
 五 われわれが自分のプログラムを説明するのを、ブルジョアが妨げようと試みる可能性があることを考慮して、最初の演説のさいにこのプログラムを説明しないまでも叙述あるいは指摘し、あるいはせめてその大要を示すこと(そして、すぐあとで、もっと詳しいかたちで公表すること)に、全力をそそがなければならない。
 六 われわれのプログラムは、われわれの共産主義的見解を隠しはしないが、それをもっとも一般的に、簡潔に指摘するにとどめて(たとえば、副文章のかたちで)、つぎのように率直に言明することにある。すなわち、ここでわれわれの見解を説くのは不適当だとわれわれは考えている。なぜなら、われわれがここへやってきたのは、通商協定を結び、他の(ブルジョア的)陣営の平和主義的部分と協定に達するよう試みるためだからである、と。
 われわれが他の陣営の平和主義的部分(あるいは、別の、とくに選んだ丁重な呼び方)とみなし、またそう呼ばなければならないのは、第二インタナショナルや第二半インタナショナル型の、それについではケインズ型等々の、小ブルジョア的な平和主義的および半平和主義的民主主義派である。
 ブルジョア陣営のこの一翼を彼らの陣営全体から区別すること、この一翼の機嫌をとるようにつとめること、彼らとの通商協定ばかりでなく、政治的協定もまた、われわれの見地からみて許されるし、のぞましいと言明すること(資本主義が新しい制度へ平和的に進化していく少数の可能性の一つとして。共産主義者としてのわれわれは、こういう可能性をたいして信じてはいないが、その試みを援助することには賛成であり、また一強国の代表者として、自分に敵対的な他の大多数の強国に対抗して、それを援助することが自分の義務だと考えている)、これが、ジェノヴァにおけるわれわれのもっとも主要な政治的任務といわないまでも、主要な政治的任務の一つである。
 ブルジョアジーの平和主義的な一翼を強化し、この一翼が選挙で勝利する可能性をすこしでも増大させるために、可能なことはなんでもやり、不可能なことでもあれこれとやること──これが第一である。第二には、ジェノヴァでわれわれに対抗して団結しているブルジョア諸国を離間すること──これが、ジェノヴァにおけるわれわれの二重の政治的任務である。共産主義的見解を説明することが任務ではけっしてないのである。
 七 ………                           レーニン     」
注)………は青山の略(第42巻『ジェノヴァにおけるソヴェト代表団の任務についての決定草案』P555~557)
 このように、レーニンは「帝国主義」を純経済的な意味で「死滅しつつある資本主義」と捉えていても、ノー天気に「革命近し」などとは考えていなかった。「資本主義が新しい制度へ平和的に進化していく」可能性が少しでもあるならば、「ブルジョアジーの平和主義的な一翼を強化し、この一翼が選挙で勝利する可能性をすこしでも増大させるために、可能なことはなんでもやり、不可能なことでもあれこれとやる」ことを「主要な政治的任務の一つである」と考えていた。
 「レーニンの『帝国主義=最後の段階』論」とか「帝国主義を『死滅しつつある資本主義』ととらえること」というレッテルを貼ることでレーニンの考察を歪曲・捏造するのは、自ら弁証法的な認識方法も正しい歴史認識も持ちあわせていないことを曝露するものである。科学的社会主義にとって「無知は有害」だ。
 余談だが、スターリンに踊らされて、「全般的危機」論に踊ったことや、不破さんが『資本論』のトンチンカンな勉強をして、21世紀になってから、「資本主義が発達し、最後の一人まで民主主義的文化と組織性とがあたえられている国では、準備もなしに革命をはじめることは、まちがいであり、ばかげている」ことを大発見し、革命観が変わった(それまでどんな革命観を持っていたのか不安のかぎりだが)たり、何か新しい発見や反省すべきことがでると、その都度名前を出されて、責任の一端があるかのように言われたのでは、レーニンもいい迷惑だと思う。
 なお、このページに関して、より一層理解していただくためにも、前出のHP4-13「☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」を、是非、参照して下さい。

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