4-13

☆不破さんの、レーニンの資本主義観・社会主義経済建設の取り組み・革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか

1、三文反共文筆家のようなレーニンの歪曲
2、「資本主義の特殊な歴史的段階である」帝国主義の三つの特殊性の一つである「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移   行しつつある資本主義である」というレーニンの特徴づけを、「資本主義の取得形態の変化」や「社会主義の経済形態への重要な接近」と  歪曲する、無知な党員を前提とした無責任な放言

 A.〈歴史的な状況の中で「帝国主義」を捉えるレーニン〉

 B.〈「帝国主義」の三つの特殊性の青山の要約と不破さんがえがくレーニンの「国家独占資本主義」像〉

 C.〈不破哲三氏の『記帳と統制』についての浅薄な理解と、それに基づく的外れな非難〉

 D.〈マルクス・エンゲルスは「記帳と統制」についてどう考え、レーニンは社会主義経済をどう建設しようとしたか〉

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三文反共文筆家のようなレーニンの歪曲

 『前 衛』No904(2014年1月号)の不破さんと山口富男氏と石川先生との鼎談で、石川先生の「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟 という規定が現実によって裏切られ」、「間違いに陥った」(P103)との発言をうけ、不破さんのレーニンの歪曲が始まります。
 不 破さんは、レーニンのとらえ方は「国家独占資本主義のもとでは、資本主義の取得形態の変化が、国家の管理という形で経済全般に広がった、それが社会主義の 経済形態への重要な接近だという見方でした」と言い、レーニンは「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそ のまま社会主義経済の建設につながる、という路線」を取ったと言います。そして、この見方が「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」、 「『革命近し』という世界的危機論の裏付けにもなった」と述べ、「それらの発言からからもうほぼ百年たちましたからね。」と言ってレーニンを揶揄していま す。
 まるで三文反共文筆家のようです。これがコミュニストとして、激動の二〇世紀前半を見てきたひとの発言でしょうか。不破哲三氏は、コミュニストの目でレーニン全集を読んだことがあるのでしょうか。

「資本主義の特殊な歴史的段階である」帝国主義の三つの特殊性の一つである「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」と いうレーニンの特徴づけを、「資本主義の取得形態の変化」や「社会主義の経済形態への重要な接近」と歪曲し、無知な党員を前提とした無責任な放言

 石川康宏氏の「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定が現実によって裏切られ」、「間違いに陥った」との発言をうけ、不破さんはレーニンの歪曲に移る。不破さんはレーニンが「国家独占資本主義のもとでは、資本主義の取得形態の変化が、国家の管理という形で経済全般に広がった、それが社会主義の経済形態への重要な接近だという見方」をしていたと言います。

〈歴史的な状況の中で「帝国主義」を捉えるレーニン〉

 当時、レーニンは「日和見主義(社会排外主義の形をとった)がヨーロッパの労働運動にたいしてかちとった奇怪な、いまわしい勝利」と、世界を覆う「帝国主義」との関連を正しく見ることが「今日の社会主義の根本問題である」と捉え、帝国主義を全面的に捉えるため1915-1916年にかけて集中的な研究・整理を行います。 レーニンは「現代が帝国主義時代であり、いまの戦争が帝国主義戦争である」という、当時の、歴史的な状況の中で「帝国主義」の定義づけをおこないます。レー ニンは1916年10月執筆の『帝国主義と社会主義の分裂』(全集 第23巻P112~114)で、「帝国主義のできるだけ正確で完全な定義からはじめなければならない。帝国主義とは、資本主義の特殊な歴史的段階である。 この特殊性は三とおりである。」として、青山が以下に要約した「帝国主義の三つの特殊性」の内容を、詳しく述べています。

〈「帝国主義」の三つの特殊性の青山の要約と不破さんがえがくレーニンの「国家独占資本主義」像〉

青山の要約

(一)独占資本主義(=独占が自由競争にとってかわったことが、帝国主義の根本的な経済的特徴であり、その本質である)。独占主義は、五つの主要な形態をとって現われる。

  1. カルテル、シンジケート、トラスト。生産の集中。
  2. 大銀行の独占的地位。三つないし五つの巨大銀行が、アメリカ、フランス、ドイツの経済生活全体を支配している。
  3. トラストと金融寡頭制とによる原料資源の占取。
  4. 国際的カルテルによる世界の(経済的)分割がはじまっている。
  5. 世界の地域的分割(植民地)は終了した。

(二)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義。

  1. 生産手段の私的所有のもとでのあらゆる独占の特徴である腐敗の傾向に現れている。
  2. 資本主義の腐敗は、金利生活者、すなわち「利札切り」で生活する資本家の膨大な層がつくりだされていることに現れている。
  3. 資本輸出は自乗(ママ)された寄生性である。
  4. 「金融資本は支配をめざすものであって、自由をめざすものではない」。全線にわたる政治的反動は、帝国主義の特性である。収賄、大じかけな買収、各種の疑獄。
  5. 領土併合と切りはなせないようにむすびついた被抑圧民族の搾取、「文明」世界の、幾億人の非文明民族の肉体にくっついた寄生虫化。

(三)死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義。
  独占と労働の大がかりな社会化は、資本主義から社会主義への移行しつつある資本主義である。


 レー ニンは、「帝国主義のこのような定義を述べることによって」「K・カウツキーと完全に対立」し、カウツキーが「帝国主義の政治を帝国主義の経済から切りは なし、政治における独占主義を経済における独占主義から切りはなすことによって、『軍備撤廃』とか、『超帝国主義』、等々のたわごとのような、その卑俗な ブルジョア改良主義への道をならしている」ことをあきらかにしました。レーニンは、カウツキーの「この理論上の虚偽の意味と目的は、まったく、帝国主義のもっとも深刻な諸矛盾をあいまいにし、こうして帝国主義の弁護論者、公然たる社会排外主義者や日和見主義者との『統一』という理論を合理化することにある」ことを曝露しました。
 こ のように、「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という定義は、「帝国主義とは、(一)独占資本主義、(二)寄 生的な、または腐敗しつつある資本主義、(三)死滅しつつある資本主義、である」という「帝国主義」の三つの特殊性のうちの一つを述べたものです。その内容について、レーニンは次のように述べています。
「帝 国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義であるという理由は、明らかである。資本主義から生じる独占は、すでに資本主義の死滅 であり、資本主義から社会主義への移行の始まりである。帝国主義による労働の大がかりな社会化(弁護論者のブルジョア経済学者が「絡み合い」と呼んでいる もの)も、やはりこのことを意味する」と。
 つ まり、独占(上記要約のとおり、資本の生産の集中、経済生活全体の支配、原料資源の占取)と労働の大がかりな社会化によって、生産の社会的性格が一層深化 し、すでに社会主義への移行の条件と資本主義の死滅の条件を整えたことを「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」 と述べたものです。不破さんの否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりを述べたものです。
 もちろん、レーニンが「帝国主義」を弱々しい、死に逝く存在とみた訳でも、「資本主義から社会主義への移行」が革命なしに実現するなどとも、まったく思っていなかったことは、ご承知の通りで、「K・カウツキーと完全に対立」の内容を見ても明らかです。
  「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」を「資本主義の根本矛盾」、体制的な矛盾と見ているマルクス・エンゲルスの思想を受け継ぎ、不破さんか ら「レーニンが『国家と革命』で示した未来社会の定式というのは、結局、生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくかがすべてなのです」と揶揄された レーニンが、「ルールある資本主義」の実現を目的とする不破さんならいざ知らず、「国家独占資本主義のもとでは、資本主義の取得形態(私的資本主義的所有にもとづく取得形態──青山)」が変化し、「社会主義の経済形態への重要な接近」という見方に陥るのか、納得できる説明をして欲しいものです。
 不破さんが言うように、「国家独占資本主義」のもとでは「資本主義の取得形態」が変化するのか。「国家と資本」が結びつくと、それがなぜ、「社会主義の経済形態」への「重要な接近」になるのか。まともにマルクス・エンゲルス・レーニンから学んでいる人間ならば、不破さんが言うレーニンの「帝国主義」に対する認識と、レーニンが「帝国主義」について持っていた認識とは、そうとうかけ離れたものであることは明らかでしょう。
  レーニンの新しい経済政策が成功し、労働者の権力のもとでの「国家独占資本主義」ならば、「資本主義の取得形態」は大きく変化するでしょう。しかし、私的資本主義的取得形態の「国家独占資本主義のもとで」、「資本主義の取得形態」がどうして変化するのか。レーニンはそんなことも理解できない、超歴史的な「利潤第一主義」を悪の根源と思っているような人たちと同様な馬鹿者だったとでも、不破さんは言うのでしょうか。不破さんは、なぜ、レーニンが「K・カウツキーと完全に対立」したのか、少しは勉強したほうがよいのではないのか。
 一般的に〝科学的社会主義〟について一定の理解をもつ人ならば、「国家独占資本主義」が「社会主義にむかっている」と言うとき、それは資本の有機的構成の高まりによる生産基盤の強化、生産力の向上、社会主義的生産を組織するための技術的条件が益々整いつつあり、独占資本が社会的支配力をますます強めていることをいうのであって、「資本主義の取得形態の変化」が起きているなどとは、誰も思いません。
 ここにも、不破哲三氏の資本主義の矛盾にたいする無理解と独自の研究(自分の主張に沿うように推測したり、言葉を繋ぎ合わせたり、断定したりして事実を捏造・歪曲すること)にもとづく自己顕示欲がとんでもない歪曲を生んでいる実例を見ることができます。
 な お、参考までに、『資本論』第3巻 第1分冊で指揮労働の歴史的意味について述べている中でマルクスが「資本主義的生産様式の胎内で発展した諸形態を俗物はその対立的な資本主義的な性格から 分離し解放して考えることができないということにほかならないのである」(大月『資本論』④ P485B9-486F10)と「資本主義的生産様式の胎内で発展した諸形態」の持つ意味について述べていることも付記しておこう。これは、鼎談参加者へ の当てこすりなどではなく、読者の理解をたすけるための付記である。
*不破さんが「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛 盾」を否定ことに関してはHP4-9「不破さんは、『生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾』という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだ と、マルクス・エンゲルス・レーニンを否定する」を、不破さんからレーニンの『国家と革命』での「未来社会」論について「生産物の生産と分配の仕方がどう 変わってゆくかがすべてなのです」と揶揄されたことに関してはHP4-16「不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空 想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」を、超歴史的な「利潤第一主義」を悪の根源とみなすことに関しては HP4-11「不破さんは「資本主義の矛盾」を『利潤第一主義』に、社会主義革命を「資本主義の害悪の改善に変えようとするのか。」を参照して下さい。

〈不破哲三氏の『記帳と統制』についての浅薄な理解と、それに基づく的外れな非難〉

 不破さんは、レーニンが「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする「記帳と統制」を組織すれば、それがそのまま社会主義経済の建設につながる、という路線」を取ったと述べています。とんでもない薄っぺらで浅はかな見方です。と同時に、レーニンとソヴェトロシアの人民の経済建設における不屈なたたかいにたいするとんでもない歪曲と侮辱です。

〈マルクス・エンゲルスは「記帳と統制」についてどう考え、レーニンは社会主義経済をどう建設しようとしたか〉

 マ ルクスは『資本論』で、「資本主義的生産様式が解消した後にも、社会的生産が保持されるかぎり、価値規定は、労働時間の規制やいろいろな生産群のあいだへ の社会的労働の配分、最後にそれに関する簿記が以前よりもいっそう重要になるという意味では、やはり有力に作用するのである」(第3巻第2分冊大月版 P1090)と社会主義社会での価値規定役割について述べていますが、その理由は、社会主義社会では「労働時間の規制やいろいろな生産群のあいだへの社会 的労働の配分、最後にそれに関する簿記が以前よりもいっそう重要になる」からです。このように、マルクスは、価値規定に立脚した「記帳と統制」こそが社会 主義社会で重要であることを述べているます。
 そして、レーニンも『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』(1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P16~20)で、次のように述べています。
「一 般に資本主義、とくこ帝国主義は、民主主義を幻想に変える──だが同時に資本主義は、大衆のなかに民主主義的志向を生みだし、民主主義的制度をつくりだ し、民主主義を否定する帝国主義と、民主主義をめざす大衆との敵対を激化させる。資本主義と帝国主義を打倒することは、どのような、どんなに「理想的な」 民主主義的改造をもってしても不可能であって、経済的変革によってのみ可能である。しかし、民主主義のための闘争で訓練されないプロレタリアートは、経済 的変革を遂行する能力をもたない。銀行をにぎらないでは、生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない。しかし、ブルジョア ジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには、全勤労大衆を、すなわち、プロレタリアをも、半プロレタリアを も、小農民をもひきいて、彼らの隊列、彼らの勢力、彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには、これらの革命的措置を実行するこ とはできない。…………社会主義は、あらゆる国家の死滅へ、したがってあらゆる民主主義の死滅へ導く。しかし社会主義は、プロレタリアートの独裁を通じる よりほかには実現されない。ところでこのプロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーすなわち国民のなかの少数者にたいする暴力と、民主主義の完全な発展、 すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展とを結びつけ るのである。」と。
 こ のようにレーニンは「十月革命で政権をとる」まえから、「生産手段の私的所有を廃止しないでは、資本主義に打ちかつことはできない」こと、「ブルジョア ジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせ ることなしには」、資本主義に打ちかつことはできないことを述べています。このレーニンの見地をどう歪曲すれば、不破さんの言う、レーニンが「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそのまま社会主義経済の建設につながる、という路線」を取った、となるのでしょうか。
 そ して、「十月革命で政権をとったあと」も、レーニンはソヴェトロシアの経済建設について、「国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそのま ま社会主義経済の建設につながる」などという「記帳と統制」についての薄っぺらでノー天気な考え、内部留保の数%を賃上げに回せばバラ色の日本経済が実現 するなどというノー天気で薄っぺらな考え同様な、ノー天気な考えなど持っていませんでした。
 1921年10月18日付け「プラウダ」第234号の「十月革命四周年によせて」(全集第33巻P41~44)で、レーニンはソヴェトロシアの経済建設について、次のように述べています。少し長いが、辛抱して読んで下さい。
  「最後の──だがもっとも重要でもあれば、もっとも困難でもあり、またもっとも未完成でもあるわれわれの事業、それは経済建設であり、破壊された封建制の 建築物と半ば破壊された資本主義の建築物とのあとに、新しい社会主義の建築物の経済的土台をすえることである。このもっとも重要で困難な事業において、わ れわれはこのうえなく多くの失敗やこのうえなく多くの誤りをおかした。このような全世界的に新しい事業を、失敗もなく誤りもなくはじめることなど、どうし てできよう! だがわれわれは、それをはじめた。われわれはそれをやっている。われわれはまさに現在、多くのわれわれの誤りを、わが「新経済政策」によっ て是正しており、今後どうしたらこういう誤りをおかすことなく小農民的な国に社会主義的建築物を建てることができるかを、まなんでいるのである。
  困難はかぎりない。しかしわれわれは、かぎりない困難とたたかうことに慣れてしまった。われわれの敵は、なにかにつけて、われわれのことを「石のように堅 い」とか「骨折り政治」の代表者だと、綽名(あだな)した。だが、われわれもまた学びとった──すくなくとも、革命に必要な別の技倆(ぎりよう)を、ある 程度まで学びとった。すなわち、これまでの道が当面の時期に不適当であり、不可能であるとわかれば、変化した客観的諸条件を考慮にいれ、われわれの目的に かなった別の道をえらんで、自分の戦術をすばやく急転換するだけの柔軟性、手腕を学びとったのである。
  熱狂の波にのって、最初は一般政治的な、のちには軍事的な、人民の熱狂を呼びおこしたわれわれは、こんなにも大きな(一般政治的な任務とも、また軍事的任 務ともおなじくらい大きな)経済的任務を、直接この熱狂にのって実現しようと、あてこんでいた。あてこんでいた、――と言うより、つぎのように言ったほう が正しいかも知れない。すなわち、われわれは、十分な考慮もせずに、小農民的な国で物資の国家的生産と国家的分配とをプロレタリア国家の直接の命令によっ て共産主義的に組織しようと、考えていたのである。実生活は、われわれの誤りをしめした。一連の過渡的段階が必要であった。すなわち、共産主義への移行を 準備する――長年にわたる努力によって準備する――ためには、国家資本主義と社会主義とが必要であった。直接に熱狂にのってではなく、大革命によって生み だされた熱狂の助けをかりて、個人的利益に、個人的関心に、経済計算に立脚して、小農民的な国で国家資本主義を経ながら社会主義に通じる堅固な橋を、まず はじめに建設するよう努力したまえ。さもなければ、諸君は共産主義に近づけないであろう。さもなければ、諸君は幾百万幾千万という人々を共産主義に導くこ とができないであろう。実生活はわれわれにこうかたった。革命の発展の客観的な経過は、われわれにこうかたったのである。
  そしてわれわれは、三年か四年のうちにいくらか急転換を学びとった(急転換が必要となると)が、このわれわれは、また新しい転換、「新経済政策」をも熱心 に、注意ぶかく、根気よく(とはいえ、まだまだ熱心さもたりなければ、注意もたりないし、また根気もたりないのだが)学びはじめた。プロレタリア国家は、 慎重で、勤勉で、手腕のある「経営主」、実直な卸商人にならなければならない。――そうするよりほかには、プロレタリア国家は、小農民的な国を経済的にひ とり立ちさせることはできないし、またいまのところ、現在の条件のもとでは、資本主義的な(ここ当分は資本主義的である)西ヨーロッパと肩をならべて共産 主義に移行する道はない。卸商人というものは、共産主義から、天と地ほどかけはなれた経済的類型であるかのようである。だが、これは、生きた生活のなか で、小農民経済から国家資本主義を経て社会主義に導くような、まさにそのような矛盾の一つである。個人的関心は生産をたかめる。われわれに必要なことは、 まず第一に、ぜひとも生産を増強することである。卸商業は、幾百万という小農民に関心をもたせながら、彼らを結合させて、つぎの段階へ、すなわち、生産そ のもののなかでの結合と団結のいろいろな形態へと導く。われわれはすでに、わが経済政策の必要な建てなおしを開始した。われわれはすでにこの分野で、若干 の──たしかにたいしたものではなく、部分的なものではあるが、しかし、それにしてもやはり疑いない──成功をおさめている。われわれはこの新しい「科 学」の分野では、すでに予科を終了しつつある。しっかりと、たゆまず学びながら、実際の経験によって自分の一歩一歩を点検しながら、すでにはじめたことを 何度やりなおしても自分の誤りを是正することをおそれず、誤りの意義を注意ぶかく探究しながら、われわれは、つぎの学級にすすもう。世界経済と世界政治の 諸事情は、この「課程」をわれわれの望んでいたよりもはるかに長く、はるかに困難なものにしたけれども、われわれはその全「課程」をおさめよう。過渡期の 苦悩、貧苦、飢餓、崩壊がどんなに苦しくても、どんなことがあっても、われわれは落胆せずに、自分の事業を最後の勝利をおさめるまでおしすすめよう。」 と。
 「十 月革命で政権をとったあと」、レーニンたちは、「もっとも困難」な、「もっとも未完成」な事業である経済建設に、知恵を絞り、悪戦苦闘して、挑み、失敗や 誤りを繰り返しながらも実践を通じて「経済政策の必要な建てなおし」を行い、やっと「新経済政策」を学びはじめたのです。
 70(1970) 年代はじめと資本の蓄積行動がまったく変化しているにもかかわらず、抽象的に「大企業」と「アメリカ追従」を非難し、賃上げと「ルールある資本主義」に よって日本が再生されるかのような主張を繰り返す、のっぺらぼうの思想の持ち主でもないかぎり、「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳 と統制』を組織すれば、それがそのまま社会主義経済の建設につながる、という路線」を取ったなどという、現実を見ない、大胆な発言など到底できないだろ う。
 な お、レーニンも、当初、「記帳と統制」という概念を、「市場の廃止」と対になったものとして捉えていたと思われます。しかし、「市場の廃止」が小生産者の 労働意欲を低下させ、同時に、物資の流通を阻害し、ロシアの経済と国民生活に深刻な影響を与えていることを学んだレーニンは、「世界経済と世界政治の諸事 情」のもとで、「ここ当分は資本主義的である西ヨーロッパ」がつづき、世界革命の急速な発展が望めない中で、勇猛果敢に「新しい経済政策」を探求し、小生 産者のための市場を残し、労働者階級の権力が支配(コントロール)する〝国家資本主義〟をソヴェト経済の主要な構成要素と位置づけ、米国からの企業誘致等 に努力しました。この場合の「国家資本主義」に於ける資本=企業は〝国家の管理〟の中に位置づけられ、労働者階級の敵対物ではない、社会主義社会を建設す る上での推進力として位置づけられていました。残念ながら、その似て非なる姿が中国の「社会主義市場経済」です。か ら、私たちは、「記帳と統制」という概念を、不破さんのように薄っぺらなものと捉えるのではなく、小生産者のための「市場」の廃止の誤りを克服した新しい 目で、「生産の無政府性」をなくし、「労働時間の規制やいろいろな生産群のあいだへの社会的労働の配分」のための「統制」と「それに関する簿記」を、全勤 労大衆の国事参加を民主主義的に組織し、全人民の民主主義的管理を組織することを通じて実現していく過程と捉えることこそが、レーニンに対する、常識的 で、礼儀正しい接し方ではないでしょうか。
*「記帳と統制」に関する詳しい説明はHP4-12「不破さんによるレーニンの「記帳と統制」の概念の歪曲」を参照して下さい。
 ついでですが、資本主義的生産のベースである日用品の生産について、『前衛』13年9月号の吉村文則氏のレポートや党大会議案に正しくない考えが述べられていますので、「記帳と統制」との関連で簡単にふれさせていただきます。
  せまく、生産面だけ考えても、無駄のない効率的な生産を実現するためには「記帳と統制」が必要です。「セブンイレブン」や「ローソン」や「○△□」等々の 各企業のロジスティクスを統合し、日用品全体の「記帳と統制」を図ることは社会主義社会の技術的な基礎を築くことです。日用品の生産を悪と見るようなラダ イトまがいの時代錯誤の誤りを改め、「記帳と統制」の捉えかえしこそ必要なのではないでしょうか。

 

 

ちょっと、

ひと休み。

3、 1916年にレーニンが探究した「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という見方、つまり、不破さんの否定する 「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりという見方を、何の説明も無く「『革命近し』という世界的危機論なるもの」と結びつけ、 自分の力不足を棚に上げてレーニンを揶揄するという、不破哲三氏の天にツバするような発言

  1. 〈結びつかないものを結びつける、不破哲三氏の巧妙なトリック〉
  2. 〈レーニンは情勢をどう認識していたか〉
  3. 〈曝露したことが解決されないのは、曝露した人の責任なのではなく、それを真剣に受けとめなかった人たちの責任だ〉
  4. 〈しかし、残念ながら、これらの言動が天にツバはく行為だという認識がない〉
  5. 〈ついでに、レーニンの革命についての根本思想と民主的感覚について〉

1916 年にレーニンが探究した「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という見方、つまり、不破さんの否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりという見方を、何の説明も無く「『革命近し』という世界的危機論なるもの」と結びつけ、自分の力不足を棚に上げてレーニンを揶揄するという、不破哲三氏の天にツバするような発言

  不破さんは、この見方(「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という見方、つまり、不破さんの否定する「生産の 社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりという見方)が「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」、「『革命近し』という世界的危 機論の裏付けにもなった」と言い、「それらの発言からからもうほぼ百年たちましたからね。」とレーニンを揶揄しています。
 まるで三文反共文筆家のようです。自分の努力不足を棚に上げて他人を揶揄する。これがコミュニストとして、激動の二〇世紀前半を見てきた人の発言でしょうか。不破哲三氏は、コミュニストの目でレーニン全集を読んだことがあるのでしょうか。

〈結びつかないものを結びつける、不破哲三氏の巧妙なトリック〉

  帝国主義段階が、不破さんの否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、死滅しつつある資本主義であることは間違いない。しかし、帝国主義段階が「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、死滅しつつある資本主義であることと「革命近し」という情勢認識とは次元のちがう内容であり「裏付けに」になどならない。論理的に間違ったことを「裏付け」の根拠にしてレーニンが批判されたのでは、レーニンもたまったものではない。不破さんは、レーニンが煙たいために、ここまで冷静さを失ってしまったのでしょうか。同 様に、「革命近し」という情勢認識と資本主義の「世界的危機」とも同一ではない。だから、現代のように資本主義が「世界的危機」に陥って、水野和夫氏のよ うなマルクスを知らない経済学者ですら資本主義の限界を悟り『資本主義の終焉と歴史の危機』を感じるところまで経済が進んでも、しっかりした科学的社会主 義の党がなけれ「革命近し」という情勢は生まれない。それは、いまの日本が示している。不破哲三氏は、結びつかないものを、得意の、巧妙なトリックで一つに結びつけている。

〈レーニンは情勢をどう認識していたか〉

  当時、主要な資本主義国はみな帝国主義的な方向に突き進み、労働者の団結も強まり、ヨーロッパ全体を覆うような革命の可能性は十分に存在していました。だ から、レーニンは、ロシア革命によって図らずもロシアが革命運動の先頭を走らざるを得なくなったとき、ドイツに革命が起きて遅れたロシアを助けてくれるこ とに大きな期待をいだいていました。しかし残念ながら、第一次世界大戦終結後の「世界経済と世界政治の諸事情」の変化によって、「ここ当分は資本主義的で ある西ヨーロッパ」がつづき、ただちにドイツに革命が起きる可能性は遠のいてしまいました。そういう認識のもとで、共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)が開かれます。
  しかし、情勢は流動的である。大会中の7月11日、ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団員の会議において、レーニ ンは「きのうの『プラウダ』で私が読んだ若干の報道は、攻勢の時機が大会でわれわれが予想したよりも近いかもしれないということを、私に納得させた」こと を述べる。
  その理由として、三つの報道を示し、「このことは、ヨーロッパには、われわれが考えていたよりも大量の可燃性物質があることを証明している」こと、「主要 な諸国──ドイツ、チェコスロヴァキア、イタリア──における攻勢を互いに調整すること。この点では準備が、たえまない相互作用が、必要である。ヨーロッ パは革命をはらんでいるが、革命の日程をあらかじめ作成することはできない。ロシアにいるわれわれは、五年どころか、それ以上でももちこたえるであろう」 ことを述べ、「調整」とは、「どういう契機が重要かということを、他の諸国の同志たちが知る点になければならない」こと、「すなわち、すぐれた模範をもっ とうまく、もっと速やかにまねるということである」として「ローマで、ファシスト反対闘争を組織するための大衆集会」をローマの労働者のすぐれた模範とし て学ぶ必要があることを強調しました。(第42巻『共産主義インタナショナル第3回大会』P434~440)これは、後の反ファシズム統一戦線の戦いにもつながるレーニンの卓見であり、マルクス・レーニン主義=科学的社会主義思想の真価の現れです。
 また、レーニンは1921年10月19日付けの「ポーランドの共産主義者への手紙」(第42巻『ポーランドの共産主義者への手紙』P484~486)で次のように述べています。
「親愛な同志諸君!
 ポーランドにおける共産主義運動の成長についてわれわれの新聞にときおりはいる断片的な情報から判断すると、また(それ以上に)ポーランドの若干の有力な同志の報道から判断すると、ポーランドでは革命が成熟しつつある。
  労働者革命が成熟しつつある。ポーランド社会党(ロシアふうにいえばエス・エルとメンシェヴィキ、ヨーロッパふうにいえば第二および第二半インタナショナ ル)の完全な崩壊。労働組合がつぎつぎと共産主義者の味方に移っていること。デモンストレーションの拡大、その他。さしせまった、避けることのできない財 政破綻。ポーランドで土地改革の面でブルジョア民主主義派(と小ブルジョアジー)がしでかす大失敗。この失敗はさしせまっており、避けることができない。 それは、農村住民の大多数──農民の貧困層全体──を必然的に共産主義者の側におしやる。
 財政破綻や、協商国(フランスその他の国)の資本によるポーランドの恥知らずな略奪にともなって、大国主義的、民族的な幻想の事実による暴露が、大衆の、一般の労働者の、一般の百姓の目にみえ、肌に感じることのできる暴露がはしまっている。
  もしすべてこのとおりだとすれば、ポーランドにおける革命(ソヴェト革命)は勝利するにちがいなく、それもまもなく勝利するにちがいない。こういう事情だ とすれば、政府とブルジョアジーが時期尚早の蜂起を流血のなかで鎮圧することによって革命を圧殺するのを、許してはならない。挑発にのってはならない。完 全な波が成長してくるまで待つべきである。その波はすべてを一掃し、共産主義者に勝利をもたらすであろう。
 ブルジョアジーが100人から300人の人間を殺しても、事業はほろびない。だが、彼らが殺戮を挑発して、一万人から三万人の労働者を殺すことができるなら、革命が数年間遅らされることさえ可能である。
 国会(セイム)選挙をおこなうことが政府にとって重要であるとすれば、労働者革命と農民の不満との波が国会を征服するために、全力をかたむけなければならない。
 挑発にのってはならない。
  果実が完全に熟するまで、革命をぜひとも育てあげなければならない。ポーランドで内部からソヴェト権力が勝利すれば、巨大な国際的勝利となる。私の考えで は、現在ソヴェト権力がおさめている国際的勝利が20ないし30%だとすれば、ポーランドで内部からソヴェト権力が勝利すれば、共産主義革命の国際的勝利 は、40ないし50%に、おそらくは51%にも達するであろう。というのは、ポーランドは、ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリーと隣接しており、ソ ヴェト・ポーランドは、ヴェルサイユ講和のうえにきずかれた全体制を掘りくずすだろうからである。
 だからこそ、ポーランドの共産主義者には、世界的な責任がかかっているのである。自分の船の舵をしっかりとらなければならない。挑発にのってはならない。
  ダシンスキー一派のドンバルにたいする暴行に報復するのは、骨おりがいのあることだろうか? もし報復するなら、銃を射たず、傷を負わせることなしに、ダ シンスキーを打ちのめすというやり方でおこなうべきである。それ以外であってはならない。あるいは、これは骨おりがいのあることかもしれない。つまり、も し労働者たちがこの厚かましい男をうまく懲らしめることができて、労働者の士気があがり、労働者の犠牲(投獄または銃殺による)が5人ないし10人にとど まるとすればである。だが、あるいは、骨おりがいのないことかもしれない。われわれのドンバルが残虐な暴行をうけたということのほうが、農民のあいだでの 扇動にいっそう役だつのではなかろうか? おそらく、これは、ダシンスキーの横つらをなぐりつけることよりも、おくれた農民の同情をわれわれの側に引きつ けるうえで、いっそう効果的なのではなかろうか? もっと慎重に比較考量すべきである。
                共産主義者の挨拶をもって  レーニン  」と。
 このように、レーニンは情勢抜きに「革命近し」などとノー天気なことを言ったことは一度もない。ましてや、帝国主義段階が『死滅しつつある資本主義』だから、『革命近し』などと観念的な結びつけなどしたことはない。
 デタラメを言う人、無いことを有るという人につき合って無いことを証明するのは難しい。例を複数示して帰納法的に納得してもらう以外ない。
 レーニンは、1921年10月18日付け「プラウダ」第234号の「十月革命四周年によせて」(全集第33巻P41~44)で次のように述べています。
  「帝国主義戦争の問題、現在全世界を制覇している金融資本の国際政治の問題──この国際政治が新しい帝国主義戦争を不可避的に生みだし、ひと握りの「先 進」強国が立ちおくれた弱小諸民族に加える民族的抑圧、略奪、強奪、絞殺の前代未聞の激化を不可避的に生みだすのである──、この問題は、1914年この かた地球上のすべての国々の政治全体の基本問題となった。これは、幾千万という人々の生死の問題である。これは、われわれの目のまえでブルジョアジーが準 備している、そしてわれわれの目のまえで資本主義のなかから成長してくる、つぎの帝国主義戦争では2000万の人間が(1914~1918年の戦争と、い まなお終っていない、これを補う、いくつかの「小」戦争では1000万の人間がころされたのにたいして)ころされるかも知れないという問題であり、この避 けがたい(資本主義が存続するかぎり)きたるべき戦争では6000万の人間がかたわになるかも知れない(1914-1918年には3000万の人間がかた わになったのにたいして)という問題である。……最初のボリシェヴィキ革命は、この地上の最初の1億人という人間を、帝国主義戦争から、帝国主義世界か ら、救いだした。つぎにくる諸革命は、こういう戦争から、こういう世界から、全人類を救いだすであろう。」と。
 石川氏は「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定が現実によって裏切られ」、「間違いに陥った」という。上記のレーニンの文章と現実の歴史をみれば「間違いに陥っ」ているのは誰なのか一目瞭然ではないか。
 先 進資本主義国はみな帝国主義的な方向に突き進み、第二次世界大戦の大惨禍を世界が味わい、世界中で革命が起きた。レーニンの〝帝国主義〟論は、帝国主義国 の植民地政策を打ち破る民族解放闘争の理論的武器・支柱となった。上記の文章はレーニンの帝国主義の理解の正確さを見事に証明している。
 「間 違いに陥った」、いや、まさにいま、「間違いに陥って」いるのは、鼎談の参加者たちである。彼らは、レーニンの「帝国主義とは、資本主義の特殊な歴史的段 階」であり、「帝国主義とは、(一)独占資本主義、(二)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義、(三)死滅しつつある資本主義、である」という帝国主 義の定義を矮小化し、「帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ」と言っているのに資本主義はいきている。だから「間違いに陥った」という。
 し かし、前にも述べたとおり、「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義であるという理由は、明らかである。資本主義から生じ る独占は、すでに資本主義の死滅であり、資本主義から社会主義への移行の始まりである。帝国主義による労働の大がかりな社会化(弁護論者のブルジョア経済 学者が「絡み合い」と呼んでいるもの)も、やはりこのことを意味する。」という説明があることを消し去ってはならない。
  つまり、独占(資本の生産の集中、経済生活全体の支配、原料資源の占取)と労働の大がかりな社会化によって、生産の社会的性格が一層深化し、すでに社会主 義への移行の条件と資本主義の死滅の条件を整えたことを「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」と述べたものだ。 不破哲三氏の否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりを述べたものだ。
  それを勝手に解釈して、「帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ」と言っているのに資本主義はいきている。だから「間違いに陥った」という。レーニンが言っているのは、闘いの条件がますます整ったということです。だから、情勢をよく見て、しっかりとたたかわなければならないとレーニンは繰り返し述べていることは、すでに、まえにみたとおりです。

〈曝露したことが解決されないのは、曝露した人の責任なのではなく、それを真剣に受けとめなかった人たちの責任だ〉

  「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態の矛盾」の深まり、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となることの意味を理解できない不破哲三氏には現在の日本でどのように条件が整いつつあるかを理解できない。
 マ ルクスは国民国家を前提に貿易等を考え、だから『資本論』の課題から国際貿易をはずした。レーニンも現在のような資本のグローバル展開を予想できず、資本 の海外展開も植民地主義的なもの、「国民国家」と一体のものと考えていた。1960年代末から70年代初めに先進資本主義国の資本主義的生産が限界に突き 当たり、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となり、〝死滅しつつある資本主義〟の姿がますます明らかになってきた。資本が「帝国 主義」の時代を経て、国民国家をすてて、グローバル展開することをレーニンが予想できなかったとしても──私 たちの運動の不十分さが資本のグローバル展開を許し、一層の資本の蓄積が図られ、資本主義を延命させていることを棚に上げて──、レーニンが「生産の社会 的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりを指摘したことをもって、資本主義が延命しているのはレーニンの「間違い」だというのは、まったくの、お門 違いではないのか。この論法でいくと、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となること指摘したマルクス・エンゲルスも、資本主義が いまだ延命していることをもって、「間違い」ということになる。

〈しかし、残念ながら、これらの言動が天にツバはく行為だという認識がない〉

 石 川氏の「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定が現実によって裏切られ」、「間違いに陥った」という言葉に意を得て、「それ らの発言からから(ママ)もうほぼ百年たちましたからね」と不破さんは言う。彼らは自分たちの言っている言葉の意味を理解しているのだろうか。
  先進資本主義国では、60年代末から70年代初めに、資本主義的生産関係が社会的生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となったことがますます明らかに なった。70年代に入り、資本主義の「黄金時代」は終わり、成長は減速し始めたが、労働側の攻勢は続き、賃金水準の上昇、賃金格差の縮小、労働時間の短 縮、労働者の法的保護の拡大、労働組合の強化が図られ、労働者階級の力が増した。また、ソ連等の「計画経済」(それは民主主義と科学を欠いた出来損ないの 「計画経済」であったが。)が存在し、資本主義経済の減速がつづく中で、強化された労働側の力を背景に、──経済運営の優先順位の民主的決定と企業経営へ の積極的な労働者参加をともなえば、計画経済は、現存の資本主義はもとより、「現存の社会主義」よりうまく機能するはずである──との考えに基づき、イギ リス、スウェーデン、ドイツ、フランス等で企業の国営化や企業経営への関与を大きくする動きが強まった。 日 本でも、70年代に入り、革新自治体が燎原の火のように拡まり、共産党も大きな力をつけ、国政革新が一定の現実味をおびるようになった。経済が人々の意識 を変え、世の中が大きく変わる一歩手前まできた。「経済」は、「生産の社会的性格の深化」、「社会的生産力のさらなる飛躍的発展」と「資本主義的生産様 式」との矛盾をますます明らかにし、「革命近し」と大声で叫んでいた。
  しかし、同時に、1974年にハイエクが、1976年にフリードマンがノーベル経済学賞を受賞し、「新自由主義」理論がアカデミズムの世界でも権威を勝ち 取り、さまざまな政策分野で現実的な影響力をふるいはじめた。資本は「徳俵」で踏みとどまり、自国民の犠牲のうえに国際展開する〝理論的な拠りどころ〟を えて、新たな資本蓄積の道を歩み始めた。 このとき残念なことに、マルクス・エンゲルスやレーニンのように先を読む能力を持った革命運動の幹部がいなかった。そのため労働側は資本に対する明確な対立軸を持ってたたかうことができなかった。日本でも、政・財界は臨調行革、前川リポートで方向性を明確にし、国民の創った富を海外へ持ち出すことによって一層の資本の高蓄積を図る道を本格的に歩みはじめた。この、資本の輸出は同時に労働力の輸出だ。その結果、「産業の空洞化」と「労動運動の弱体化」が進行した。そ して、1995年頃には、産業の空洞化と国民の貧困化が誰の目にも明らかになった。それから20年、けれどもまだ、原発が「桎梏」だとか、大企業の内部留 保の一部を賃上げに廻せば資本主義経済は発展するとか言って資本のリアルな動きを直視しない人たち、この人たちが、日本の革命運動の主流のようにふるまっ ている。
  自分たちの運動の不十分さが資本のグローバル展開を許し、資本主義を延命させていることを理解できず、「それらの発言からから(ママ)もうほぼ百年たちま したからね」と他人事のように、あるいは揶揄するように、馬鹿にしたように言うのは、品性に欠けた発言であるだけでなく、あまりにも感受性に欠けた発言で はないでしょうか。
  私は先ほど、強烈な反論の言葉として、「この論法でいくと、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となること指摘したマルクス・エン ゲルスも、資本主義がいまだ延命していることをもって、「間違い」ということになる」と述べた。しかし、もしかしたら、この人たちは、本心ではマルクスも エンゲルスも「間違い」だと思っているのではないかと疑いたくなるときもある。何しろ、不破さんたちは、れっきとした党員である大衆団体の幹部が、北欧諸 国を理想とし、社会主義の失敗を口にしてはばからない党風に「共産党」を作りかえることに成功させたのだから。
 いずれにしても、不破さんたちが、社会との日々の関わりになにか重大な欠陥でもあるのか、なにか目に見えない大きな力でも働いているのか、それとも正真正銘のバカなのか、答えは意外と早くわかるかも知れない。いや、早くわからなければ困る。日本完全沈没まで残された時間はそう長くはないのだから。

〈ついでに、レーニンの革命についての根本思想と民主的感覚について〉

 ついでに、上記の共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)中開かれたドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーおよびイタリアの代表団員の会議での演説のなかで、不破哲三氏が「レーニンの荒れた時期」と誹謗している時期に、レーニンが言った言葉があるので引用しよう。
 当時、レーニンは党内の左派・「冒険主義者」にむけて、「臨時政府は倒さなければならない。なぜなら、それは人民的な政府ではなく、寡頭支配的な政府だからであり、われわれに、パンも、平和も、あたえることができないからである。しかし、この政府をただちに倒すことはできない。なぜなら、それは、労働者ソヴェトに基礎をおいており、いまのところまだ労働者の信頼を得ているからである。われわれは、ブランキ主義者ではなく、労働者階級の多数者に反対して、その少数者にたよって統治するつもりはない」、「『臨時政府を倒せ』というスローガンは正しくない、なぜなら、人民の多数者を味方にもたなければ、このスローガンは空文句か、でなければ冒険になってしまうからである」といっています。そして、同時にレーニンは、この中で、方針を検討するに当たり、「農民や労働者と話し合い」真意を知ることの重要さを述べています。
 そして、革命直後に、レーニンは対ドイツ祖国防衛戦争への強い意志を示していましたが、兵士へのアンケートで農民が疲れはてていて戦争のできる状態ではないことを知り、講和を結ぶことに方針を、それこそ、「大」転換しました。(「大」好きな不破さんのために、それこそ、「大」としました。)このように、レーニンは大衆の声に耳を傾けて、既定の方針を批判的に再検討することを忘れませんでした。
 しかし、残念ながら、今の日本共産党は、中央が決めた、曝露も運動もない「拡大」中心の方針を具体化するのに支部はきゅうきゅうとし、方針の是非など検討する暇もゆとりもない。意見があるなら中央に言え。検討できなかったので上に上げときました。中央に言ってもなしのつぶて。『赤旗』にも『前衛』にも、中央の考えのエコーが鳴り響いているだけ。民主集中制の欠片もない。
 情勢と無関係に、貴重な『前衛』誌面を使ってスターリンの「巨悪」を追究している不破哲三氏は、この現状の重大さをどれだけ理解しているのだろうか。スターリンの研究に時間と誌面を潰したり、「レーニンの荒れた時期」などと、情勢無視の都合の良い切り貼りでレッテルを貼って、自己顕示欲を示していないで、この時期のレーニンからもよく学んだほうがよいのではないか。