6B-6

野蛮から文明へ   ──資本主義の終焉───

白井さゆり氏の『東京五輪後の日本経済』をテキストに「日本経済の構造問題」を考える

河津桜を見に行ってきました。

このページのPDFファイルはこちら。

ダウンロード
6-13東京五輪後の日本経済.pdf
PDFファイル 332.8 KB

白井さんの告白

 日本銀行政策委員会審議委員を歴任された白井さゆり氏の『東京五輪後の日本経済』は、日本経済の現状を知り、1~2年後の姿を推察するうえで有意な情報を含み、わかりやすくコンパクトにまとめられた良い本です。そして、大変正直な本です。

 白井さんは言います。「日本はこれから『成長なき社会』へと突入していくことが見込まれています。そうした社会において、私たちは何をしていくべきなのか、残念ながら、まだその明確な答えはありません」、と。

 神のような力を得た人間は、地球環境を破壊し、生命の種を幾何級数的に加速度をつけて滅ぼしつつありますが、しかしそれらは、人間社会の行き詰まりを直接現してはいません。けれども、白井さんのいう、「東京五輪後」に来る「成長なき社会」とは、──人間は動物だから弱肉強食の生存競争のなかで生きている。だから、生存競争に最も適した資本主義は永久に続くと思われた、その──弱肉強食が支配する「野蛮の時代」の行き詰まった姿なのです。その打破に向かって、何をなすべきか。資本主義的生産様式の行き詰まった姿であるがゆえに、資本主義的生産様式の内的法則が支配するその枠内での「明確な解決策」など、残念ながら、ありません。白井さんは正直にそのことを告白したのです。

 私たちは、『東京五輪後の日本経済』をテキストとして、白井さんが与えてくれた有意な情報を使って、資本主義的生産様式という弱肉強食が支配する「野蛮の時代」を凝視し、私たちは何をなすべきかを、一緒に、考えていきましょう。

日本経済の現状とその原因の素描

『東京五輪後の日本経済』の中から、日本経済の現状とその原因に関するフレーズとセンテンスをピックアップしてみましょう。

①実現しなかった「円安効果」、「産業の空洞化」による国内市場の縮小、設備投資の抑制と「従業員の所定内給与」の抑制(P76-80、128)

 2012年末から市場では急激に円安が進み始めたが、「円安によって輸出数量と輸出物価がともに増えていくという好循環を生む、いわゆる『円安効果』は実現しなかったのです。これは、長引く円高の影響などもあり、企業がどんどん海外へと工場を移したことが、その大きな原因として挙げられるでしょう。……いまだに海外への工場移転の流れも止まらず、設備投資も企業収益が増えた割には増えていません。……企業は積極的に海外企業の買収を進めていくことも考えています。そのため、高収益を上げているにもかかわらず、企業は多額の内部留保を積み上げるという行動を選択しています。その結果、従業員の所定内給与はなかなか上げずに、収益が上がった場合にはボーナスによって調整するという状況が続いています。……

 ……大企業でも、生産設備が老朽化し、稼働率がいっぱいの状態になっているにもかかわらず、なかなか設備投資には積極的になっていないところが少なくありません。……

 旺盛な需要が生まれ、実質賃金も増加していった1960年代から1970年代初めの高度成長期と、現在の日本経済が置かれている状況とでは大きく違うのです。」

②「産業の空洞化」の中で、減り続ける賃金(P101-102、110)

 「日本の場合、1990年代末から、毎年春に繰り広げられる春闘労使交渉において、労働組合はベースアップの要求を見送るようになり、しかも従業員の非正規化が進んだことの影響などもあって、名目賃金と実質賃金ともに、緩やかに下がっていく状況が続いてきました。……この間、企業は輸出が大きく伸びて好調でしたが、家計の消費は伸び悩んでいました。……

 2013年以降、収入が増えた世帯の割合は改善しているとはいえ、まだ1割を少し超える程度に増えたにすぎません。」

 2013年以降、家計の実質所得が減り続けた特殊要因として、「高齢者の退職後の再雇用による影響」と「女性の非正規雇用が増えていること」が考えられる。

③「成長制約」と国内市場の縮小(P112-114)

 「企業が賃金を大幅に上げてまで企業活動を維持・拡大していけるとは考え」ず、「企業がその活動を抑制することによって経済活動が縮小してしまう」「成長制約」が起きている可能性がある。「多くの企業が今後の国内市場の縮小を見越して、海外の企業を買収するなどの戦略が必要だと考えている」。

④中央銀行の機能不全(P105、162)

 「もはや日本経済は、『金融緩和政策によってたくさんの需要をつくり出せる』という体質ではなくなってきている」。

 「グローバル化が進んだことで、中央銀行がインフレ目標を掲げるだけでは、賃金の伸び率を決められない状況が現れているわけです。

 一国の経済状態が、必ずしも中央銀行の思惑通りにはなっていないというのは、今や世界的な現象になっています。」

⑤日本人の処世術(P121-122)

 「貧困の度合いを示す指標に『相対的貧困率』があります。……

 これを見ると、日本は先進国などから構成されるOECD加盟国の中で4位、さらに主要先進国ではアメリカに次ぐ第2位となっています。つまり、国内では深刻な貧困問題を抱えており、その観点から見て、いつ暴動が起きても不思議ではないのが日本という国であるともいえるのです。……

 現在の日本には、主にこうした3つの貧困層(①一人暮らしの高齢者女性②若い人たち③シングルマザーの女性──青山の注)が存在するのですが、彼らの性質上、なかなか暴動を起こす存在とはなりにくいといえます。

 ただし、暴動が起きない社会だからといって、国民みんなが幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。多くの日本人は先行きに不安を感じ、また決して幸せというわけではないものの、まわりを見渡すと似たような人が多いため、妙に納得してしまっているようにも思えます。」

成長なき社会〈未来のない日本〉

 このような現状をふまえ、見えてくる〝日本経済の未来〟は大変暗い。関連するフレーズとセンテンスをピックアップしてみよう。

①日本経済に未来はない(P216、232、233-235)

  「彼ら(ヘッジファンドなどの外国人投資家──青山の注)は、『私たちは日本経済に未来があるなどとは考えていないし、興味もない。日本に投資しているのは、ここ1~2年で儲ける機会があると見ているだけだからだ』と、口を揃えます。海外では、少しでも日本経済の実態をわかっている人ならばほとんど誰も、日本の財政再建が可能であるとは考えていないのです。」

  「振り返れば、1990年代には日本のGDPは全世界の約17%を占めていました。ところが、今日では、わずか5%を占めるだけになっています。今や世界経済における日本経済の存在感は、どんどん小さくなっているのです。

 ……

 私たち日本人は、ハイパーインフレを恐れるよりも、日本経済がジワジワと、しかし確実に衰退していくことを恐れるべきです。」

  「生産年齢人口がどんどん減っていくため、人手不足がいよいよ深刻になり、経済成長はますます難しくなっていくでしょう。

 人手不足の状態は、1970年代の高度成長期と同じですが、現在は、あの時代と違って需要が伸びてはいかないので、経済は活性化することなく、単に人手が不足していくだけの状態になることが予想されています。

 こうした状況を緩和するには、まず移民の受け入れは不可避です。そこをためらっていると、介護などの分野で深刻な人手不足となり、国民生活に重大な影響が及ぶ恐れがあります。

 ……、これからのイノベーションの多くは、生産性向上とは結びつかないものとなる可能性が高いのです。

 たとえば、……

 また、アメリカのウーバーという企業が、タクシー配車サービスのアプリを開発しましたが、だからといってそれが、人々のタクシー利用の飛躍的な増加につながったとはいえません。

 つまり、これからのイノベーションの多くは、人々の生活をより楽しく、より便利にするものではあるものの、高い経済成長へとつながるようなものではない、ということです。

 このような環境下では、経済成長も落ちていきます。そのため、今後は、『成長なき社会』が到来することは、当然あり得ることなのです。」

②将来への不安と政府への不信(P240-241)

 「先ほどから、日本で消費が振るわない原因のひとつとして、国民が抱える『不安』があると指摘してきました。意識的にせよ、無意識的にせよ、国民の中にこうした『不安』が根強く存在することが、日本経済の活力を失わせている大きな要因だと思うのです。

 では、国民のこうした『不安』の原因は、突き詰めればどこに行き着くでしょうか?それは社会保障に対する不安と、政府の膨大な債務に対する不安だと、私は考えます。

 ……

 また、学生たちからも、将来に対する不安について聞かされることが多々あります。彼らと話していると、多くの場合、その不安の原因は『将来、ちゃんと年金がもらえるかわからない』『政府は信用できない』の2つに行き当たります。」

③答えがない(P242、248)

 「これまで、日本社会はこれから、『成長なき社会』へと突入する可能性が高いことを述べてきました。また、その一方で、財政再建の重要性を説いてきました。

 しかし、経済成長ができない国で一体どのようにすれば、政府債務を減らしていくことができるのでしょうか?生産年齢人口よりも高齢者の数のほうがどんどん増えていって、社会保障財源も厳しくなる中で、一体どのようにしてそれを実現していくのでしょうか?

 それを真剣に考えるべきときがきていることは間違いないのですが、実はそれに対する答えはまだありません。」

 「これまでくり返し述べてきた通り、日本はこれから『成長なき社会』へと突入していくことが見込まれています。そうした社会において、私たちは何をしていくべきなのか、残念ながら、まだその明確な答えはありません。」

〝未来のない日本経済〟への白井さんの処方箋

 白井さんは、成長のない、〝未来のない日本経済〟への処方箋について、「私たちは何をしていくべきなのか、残念ながら、まだその明確な答えはありません」と言っていますが、実は幾つかの処方箋を示していますので、ページ順に列記します。

①移民の受け入れ

「人手不足がいよいよ深刻になり、経済成長はますます難しくなっていくでしょう。……こうした状況を緩和するには、まず移民の受け入れは不可避です。そこをためらっていると、介護などの分野で深刻な人手不足となり、国民生活に重大な影響が及ぶ恐れがあります。」(P233-234)

②「ヘリコプターマネー」の発動

「少子高齢化がものすごいペースで進む中、政府はいずれ、抜本的な社会保障制度改革を迫られます。その際、移行期などに莫大な資金が必要となることは、他国の例を見ても明らかです。そして、そのときこそ、『ヘリコプターマネー』を発動するならば、それは許されるだろうと考えているのです。」(P243)

③社会保障費の削減

「少子高齢化が進み、政府が巨額の債務を抱える中では、残念ながら、社会保障費は削減される方向へと進まざるを得ないでしょう。」(P246)

④鉄火場で勝ち、長く働き続けられるための「自助努力」

(③社会保障費の削減の続きです)「そうなれば、年金だけで豊かな生活を実現していくことは、一段と難しくなります。

 だからこそ、私たちには『自助努力』が求められるのです。そのための具体的な方法としてはまず、今後は国民一人ひとりが預金や現金だけに頼るのではなく、リスクをとって積極的な資産運用をしていくことです。

 そのひとつが、外国通貨や外国通貨建て資産への積極的な投資です。……

 それともうひとつ、株式投資にも必要以上に慎重になるべきではありません。……

 さらに、なんといっても、私たち一人ひとりが健康に留意して、できるだけ長く働いていけるように心がけ、それを実践していくということも大切です。」

〝未来のない日本経済〟の真の原因

「日本経済の現状とその原因の素描」の項で、白井さんの見た日本経済の現状とその「原因」をスケッチしましたが、それらの「原因」の奥にある〝真の原因〟と今後の日本経済の制約要因について見てみましょう。

①設備投資の抑制と「産業の空洞化」をもたらしたもの

 輸出中心の「一本足打法」で高成長を続けてきた日本は、1970年代に入り、国内市場の成熟化のもとでの資本の一層の蓄積を図るため、海外への直接投資を積極化します。その結果、「産業の空洞化」が進み、労働需給は資本優位になり、雇用形態をはじめとする労働条件の全般的な悪化が進行し、とりわけ不安定雇用の増大は結婚や人口問題、国民健康保険を含む社会保障制度全般の劣化等、日本社会全体の劣化をもたらします。この「産業の空洞化」が誰の目にも明らかになったのは、1995-6年ころからです。80年代末から90年代初めのバブルを最後に、日本は、エンゲルスがオッペンハイムあての手紙で述べた「好景気のときには,労働への需要が雇い主たちに愛想笑いをよぎなくさせ」(全集38巻オッペンハイムあてのエンゲルスの手紙1891.3.24)るという、〝国民全員が享受する好景気〟をふくむ資本主義特有の景気循環さえ起こらなくなり、社会全体が収縮する負のスパイラルに陥ってしまいました。

*詳しくはホームページ「今を検証する」の各ページを、是非、参照して下さい。

 ではなぜ、「産業の空洞化」は起きたのか。「長引く円高の影響」のせいなのだろうか。

 もちろん「長引く円高」の影響はあります。しかし、基本的には資本主義的生産様式の特徴にあります。資本主義的生産様式は個別企業がモノを市場で売って、その儲けを設備投資の増強にあて、一層の生産の拡大を図ることによって、個別企業も社会の生産力も大きくなります。そのためには、より高い生産性とより大きな市場が必要になります。なぜなら、設備投資を増強すればするほど、一時的には生産性が他者と比べて優位になり特別利潤の恩恵を受けますが、設備の構成比率がたかまり労働者の搾取率も企業の利潤率も低下し、それを販売量で補うために一層大きな市場が必要になります。このように、資本主義的生産様式には、不断の設備投資の増強と不断の市場の拡大とが必要不可欠な要素なのです。そして搾取率、利潤率を上げるためには安い労働力のある国・地域へと生産を移すことが必要であり、「長引く円高」はそのテンポを加速させたにすぎません。だから、資本主義的生産様式が続く限り日本の「産業の空洞化」は一層深刻になり、個別企業の国内での経済活動はますます縮小し、日本銀行(中央銀行)の「金融緩和政策」によってたくさんの需要をつくり出すというのは、もはや、幻想といっていいでしょう。

 資本主義的生産様式の発展する条件は「安い労働力」と「需要の拡大」です。

②シェアリングエコノミーは、資本主義的生産様式にとってどこに問題があるのか

 「シェアリングエコノミー」を実現させる「これからのイノベーションの多くは、人々の生活をより楽しく、より便利にするものではあるものの、高い経済成長へとつながるようなものではない」と白井さんは言います。

 では、どこに問題があるのでしょうか。

  これからのイノベーションの多くは、「人々の生活をより楽しく、より便利にするもの」ですから、個人にとっては良いことです。また、そのことによって資源の節約ができるとすれば、それは社会にとっても良いことです。問題は需要が減って企業の投資が増えないということです。

 資本主義的生産様式の発展する条件は人々の生活の質の向上とは無関係なのです。

③社会的に必要な分野に富が行かないのはなぜか

 白井さんは、「生産年齢人口がどんどん減っていくため、人手不足がいよいよ深刻になり、経済成長はますます難しくなっていくでしょう。……こうした状況を緩和するには、まず移民の受け入れは不可避です。そこをためらっていると、介護などの分野で深刻な人手不足となり、国民生活に重大な影響が及ぶ恐れがあります」と言います。

 社会全体が収縮する負のスパイラルに陥ってしまうような社会で「深刻な人手不足」が起こるかどうか、疑問ですが、この白井さんの文章には次の二つの意味が含まれています。

 一つは、「介護などの分野」を「移民」に引き受けさせることによって、日本全体の賃金水準が低下し、日本全体の企業の競争力が増すということ。

 もう一つは、「介護などの分野」を「移民」に引き受けさせるということは、「介護などの分野」が労働者の賃金の低い日の当たらない「分野」であり続け、供給力の弱い「分野」のままであるということ。

 資本主義的生産様式の発展する条件は、社会的に必要な分野かどうかではなく、生産性の向上が期待できるかどうかである。

 これらは、すべて、個別企業が「利潤」を求めて発展する社会の限界を現しており、資本主義的生産様式のもとでの成長の限界とその構造的矛盾を現しています。

〝未来のない日本経済〟への白井さんの処方箋の評価

  日本経済の未来を展望するまえに、〝未来のない日本経済〟への白井さんの処方箋の評価を簡単にしてみましょう。

 まず、「①移民の受け入れ」について。

  前述のとおり、日本全体の賃金水準を低下させ、企業の競争力を増すことはできますが、社会全体が収縮する負のスパイラルからの脱出という問題解決にはなりません。

 つぎに、「②『ヘリコプターマネー』の発動」について。

 いくら「未来のない日本経済」とはいえ、やけっぱち過ぎます。

 そして、「③社会保障費の削減」について。

 社会保障費を削減しても、社会全体が収縮する負のスパイラルからの脱出という問題解決にはなりません。

  最後に、「④鉄火場で勝ち、長く働き続けられるための『自助努力』」について。

  鉄火場でふんどし一丁になって勝負なんかしないですむ世の中、死ぬまで働き続ける必要のない世の中をつくる「努力」こそ必要だと思います。

パラダイムシフトが日本の未来を拓く

 このまま放置すると日本はどうなるのか、私たちはどんな決心をしなければならないのか、考えてみましょう。

日本は社会全体が収縮する負のスパイラルに陥りつつある

 これまで見てきたように、資本主義的生産様式の発展を保証する条件は「安い労働力」と「需要の拡大」であり、人々の生活の質の向上とは無関係です。資本は、社会的に必要な分野かどうかにかかわりなく、生産性の向上が期待でき利潤率の高いところに集積します。拡大再生産が続いている間は、資本主義的生産様式の持つこのような特質も、社会を根底から揺るがすまでには至りません。

 しかし、資本主義的生産様式は「需要の拡大」が見込めなくなると、社会全体が収縮する負のスパイラルに陥る以外に、どのような未来の道筋もありません。もちろん、永久に「ヘリコプターマネー」を撒き続けることが出来れば話は別ですが。

 国内での市場拡大の限界にぶつかり、事業拡大が制約されると、資本は儲けるためにどのような行動をとるのか。道は二つあります。一つは同じ量の生産で儲けを増やし続けようとします。そのために、設備投資は、増産のためではなく、生産性を高め労働者を減らすための更新にとどめ、労働者の数を減らし、あれこれ理屈を付けて賃金を引き下げます。これが毎年続くと社会の富の生産は年々減り、需要は抑制され、経済も社会も停滞します。そして、もう一つは海外での儲けを増やすことです。作った製品を海外に売りさばくだけでなく、海外で生産して一層の儲けを得ようとします。こうして国内生産は減少し、国内産業の空洞化が進行し、社会全体が収縮する負のスパイラルがはじまります。前述の「〝未来のない日本経済〟の真の原因」の「①設備投資の抑制と「産業の空洞化」をもたらしたもの」も見なおして下さい。いまの日本は、この二つのことが同時に起きているのです。

 なお、「産業の空洞化」が雇用の悪化をもたらしている点について、大瀧雅之氏も岩波新書『平成不況の本質』で「有効需要の不足は、国内投資が対外直接投資に呆れるほどの速度で代替されているからである」と述べ、「産業の空洞化が著しく進んだ時期」、「日本は失業と利潤を輸入し、雇用機会と資本を輸出していたわけである」と述べ、工藤昌宏氏は『前衛』8月号のインタビューで、「産業の空洞化」が最大の産業構造問題であることを指摘し、〝産業の空洞化〟によって産業構造が変化し、「経済循環構造の〝破断〟」がおこなわれたこと、「長期不況を打開するには」、「産業の空洞化を抑えることが必要」であることを述べています。

 また、深尾京司氏も『日経』(2013/11/01付け)「経済教室」で「国内産業集積が重要 所得の海外流出を止めよ」として、経産省の14年度の重点政策である中小企業の海外展開支援を「正気の政策と言えるだろうか」と痛烈に批判しています。

資本主義的生産様式からのパラダイムシフトを

 これまで見てきたように、資本主義的生産様式のもとでのルールに則っていたのでは、生産力が向上すればするほど、国民の生活は豊かになるのではなく、貧しくなります。

 しかし、儲けを唯一の目的として富が動く「資本主義」という前提を取り払えば、生産力が向上すればするほど??より少ない労働力で、より多く物を作れるようになればなるほど??国民の生活は豊かになっていいはずです。なぜなら、より少ない人数でより多くの「モノ」が生産できるようになれば、余剰となった労働力をそれらの「モノ」の生産以外に振り向ける余地が拡大します。そうすれば、福祉や生活に必要なサービスなど豊かな社会づくりのために、より多くの富と労働力を活用することができます。

 それは、個別資本が自己の利益のみを追求することによって成り立っている現在の社会システムをやめて、社会全体の福祉の向上を図ることを目的とする社会システムに転換することです。

 具体的には、グローバル企業がこれまで海外での生産拡大のために振り向けていた富を社会に還元し、社会はそれを原資として福祉や社会基盤等の充実を図る。各企業は国民が必要とする量と質の商品の生産性を高め、より一層効率的な方法で生産する努力を不断に継続する。資本の拡大のみを目的としていた各企業が社会全体が豊になることを目的とする社会システムの構成要素となることによって、各企業は無駄な消費を煽ったり、無理して売ることも、ボロ儲けをしようとして作りすぎることもなくなります。これらの結果余剰となった資金と労働力を再び豊かな社会づくりのための原資として活用します。労働者の努力が社会に、素直に、還元されます。これまで個別資本の拡大のために私的に使っていた〝利益〟を〝社会の豊かさの拡大再生産〟のために使うことができるようになります。国内で生産力を高める〝足かせ〟となり、国内産業の空洞化をもたらしていた資本主義的な生産の仕方を新しい生産システムに変えることによって、産業と科学技術に、国内での〝生産力〟発展の自由が与えられ、私たち国民の努力が報われる新しい社会が実現します。

 いまこそ、〝生産の社会的性格と取得の私的資本主義的性格〟との矛盾を解消するときが来たのです。

*より詳しくは、ホームページ「パラダイムシフト」の各ページを、是非、参照して下さい。

「自ら判断できる」国民へ

 白井さんは、著書『東京五輪後の日本経済』の最後の章の最後の節「東京五輪後に、国民一人ひとりが実践していくべきことは?」の冒頭で、「『自ら判断できる』国民へ」と題して、次のように述べます。

「日本銀行のアンケートによれば、日本銀行が掲げている『2%の物価上昇』の目標を『知っている』と答えた人は、わずか30%程度でした。また、日本銀行が金融緩和政策を行っていることを『知っている』と答えた人は、同じくわずか40%程度でした。

 この結果を見ても、日本人の多くが、政治にしても経済にしても、自分の生活にもかかわる大切な事項であるにもかかわらず、『他人にお任せ』という態度になっていると感じます。もっといえば、今の日本には、厳しい現実から目を背けて、『今さえよければいい』という風潮が漂っているようにも思えるのです。

 しかし、こうした考え方は、非常に危険です。なぜなら、これはどの国でもいえることですが、政府関係者や金融政策担当者が、必ずしも正しい政策を行っているとは限らないからです。私たちは、自分の頭でしっかりと、彼らの政策が正しいのかどうかを考え、そして判断し、間違っていると思えば、それを是正するように、選挙などを通じて働きかけていかなくてはならないのです。」と。

  本当にそのとおりだと思います。

 日本がこのまま現在の延長線上を進んで行くとしたら、これまで見てきたように、大変暗く、厳しい未来があるだけです。

 もしも日本に、「この世界解放の事業をなしとげることは、近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件、およびそれとともにその本性そのものを究明し、そして、行動の使命をおびた、今日のところ抑圧されている階級に、かれら自身の行動の条件と本性とを自覚させることは、プロレタリア運動の理論的表現である、科学的社会主義の任務である。」(エンゲルス『空想から科学へ』1880年 新日本文庫P75)という〝使命感〟と資本家階級がふりまく妄想に対して「労働者党の誇りは、このような妄想の空虚さが経験によってはじけるより前に、そのような妄想を退ける、ということを要求しています。労働者階級は革命的なのであり、そうでなければそれはなにものでもないのです。」(マルクスからエンゲルスへの手紙(1865年2月18日)不破哲三氏編 書簡集1)という〝誇り〟をもった〝前衛党〟たらんと望むものがあるのなら、これらの日本の現実をしっかりと認識すべきです。

 いまの日本の危機を救うにはパラダイムシフトが必要です。そのためには、国民の意識の大転換が必要です。「士農工商」の封建制を前提にしていたら、封建制度は変えられません。「資本─利潤、土地─地代、労働─労賃」という「経済的三位一体」を前提にしていたら、資本主義的生産様式の社会は変えられません。「健全で『単純な』(!)常識の騎士たち」の観点で「賃金が上がれば、経済は成長する」と、もっともらしいことをいうのではなく、「現実の矛盾を根底において(ラディカルに)つかみ、曝露すること」(『ヘーゲル法哲学批判』)、国民一人ひとりに丁寧に、根気強く倦むことなく、理解されるまで働きかけることが必要です。そのことを通じて、〝by the people〟の社会の担い手である自覚的な個人をウンカのごとく創り出すことができるのです。

 選挙の時だけ猫なで声で他党と五十歩百歩の聞き心地のいい政策を電話で短時間訴えることを基本とするような「選挙闘争」は、「選挙などを通じて働きかけていく」国民を創り出す上でなんの役にも立ちません。

より詳しくは、ホームページ「新しい人、新しい社会」→3-2「共産党よ元気をとりもどせ 蘇れ!COMMUNIST PARTY。」の各子ページを参照してください。

「自国の通貨」についての白井さんの思い出と私の思い出

  白井さんは、学生時代に東南アジアのある国にホームステイをした経験があり、お別れの日に、お世話になったお宅にお礼として現地のお金を渡すことにしたそうです。そうしたら、ホストファミリーの方が差し出したお金を忌み嫌うようにして、できればそのお金を日本円で渡してほしいといわれたそうです。白井さんは、その経験が、経済学へのつよい関心を持たせたことを、次のように語っています。

「では一体、なぜこのようなことが起こるのだろう?

 世界にはなぜ、国民が自国の通貨すら信じられない国があるのだろう?

 その一方で、なぜ経済的繁栄を謳歌している国があるのだろう?

 そんな素朴な疑問を持ったあの日から、私の経済学への関心は尽きることなく、今日に至っています。」と。

 私はこの話を読んで、次の二つのことが脳裏に浮かびました。

 一つは、41年前の新婚旅行での体験であり、もう一つは、マルクスの『剰余価値学説史』の中の言葉です。

 当時私は、科学的社会主義の思想の正しさを確信していましたが、ソ連とドイツには失望していましたので、それらを避け、新婚旅行先として東欧諸国を選びました。最後に訪れたユーゴは、若干雑然とした印象でしたが、車も多く活気があり、将来への不安はまったく感じられませんでした。しかし、最初に訪れたポーランドでは大変なショックをうけました。それは、日本でいえば京都に例えられる古都・クラコフに行った時のことです。街のなかで、堂々と「闇ドル買い」が横行しているのです。「闇ドル買い」によって、ドルを政府の公定レートよりも高く現地の通貨と交換することで、富が不当に廉価で海外に持ち出されます。通貨管理がまったくできず富が海外に持ち出される、この現実を見て、このままではこの国は潰れると、私はこの国の将来に大きな不安を抱いたものでした。

  白井さんの先ほどの文章を読んで、もう一つ頭に浮かんだのは、マルクスの『剰余価値学説史』の中の、「節度ある勤勉な国民は、奢侈にふける富裕な国民の需要を満たすためにその活動力を使用する。」「貧しい国とは、そこの人民が安楽に暮らしている国のことであり、富裕な国とは、そこの人民が通例貧しい国のことである。」(レキシコン⑥-[31]P99参照)という「輸出中心の一本足打法」の日本を活写したような言葉でした。

 なんの関連もなさそうに見えるこれらの三つの事例の共通の主役は、不断に生産性を高めようとする「資本」です。その「資本」をコントロールしなければ、日本は沈没してしまいます。 現代における「経済学への関心」とは、「現代の資本への関心」のことだと、私は考えます。