マルクス・エンゲルスとレーニンが共通して訴えていること

その2

社会変革の担い手を明確にし、その団結・組織化に努めた

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マルクス・エンゲルス・レーニンは、社会変革の担い手を明確にし、その団結・組織化に努めた

資本主義社会から〝新しい生産様式の社会〟への発展は階級闘争によって実現する

 マルクスが発見した唯物史観の詳しい内容は、ホームページ5「温故知新」→5-2「マルクス・エンゲルスの考えの紹介」のマルクスとエンゲルスの発見のポイント→5-2-1「マルクスとエンゲルスは人間の社会の発展法則を発見した」(作成中)をご覧いただきたいと思いますが、誤解を恐れず、大雑把にいうと、次のようなものです。

 ①経済的諸範疇──生産の仕方や分配や交換等経済に係わる考え方・ルール等──を、物質的生産の一定の発展段階に照応する歴史的な生産諸関係の理論的表現と見ており、②物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般(全体)を制約し、③人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定すること、④社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、既存の生産諸関係、所有諸関係と矛盾するようになこと、⑤そのとき、これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変すること、⑥そして、そのときから社会革命の時期が始まる。

 このような合理的で正しいと信じるに足る考えを発見したマルクスとエンゲルスは、現在の生産諸関係に対する批判的な認識を通じて新しい生産関係をつくり出す物質的諸条件を見つけだすことによって、現在の生産諸関係からの解放の科学は生まれると考えていました。

※なお、この、「批判的な認識」がなかれば、この前のページ5-1-1「資本主義的生産様式(賃金奴隷制)の改善の意義と限界を明らかにし、労働者党のたたかい方を示した」に基づく正しい対応(科学)は汲みだせません。

 それでは、このような歴史観と研究方法に依拠して、マルクスとエンゲルスは、そしてレーニンは、資本主義社会から〝新しい生産様式の社会〟への発展のための階級闘争の担い手をどのようにみて、そして、闘争の成果はどのようなものと考えていたのでしょうか。

階級闘争の担い手は労働者階級である

 いまさらいう必要もないことですが、資本主義的生産様式の社会における階級間の闘争は、搾取する資本家階級と社会的生産を担っているにもかかわらず搾取されている労働者階級とのたたかいです。

 そのたたかいについて、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』(1847年)で次のように述べ、労働者の闘争の本当の成果は労働者のますます広がっていく団結であることを明らかにしています。

「時々労働者が勝つことがあるが、ほんの一時的にすぎない。かれらの闘争の本当の成果は、その直接の成功ではなくして、労働者のますます広がっていく団結である。この団結は、大工業によって作り出される交通手段の成長によって促進され、異なる地方の労働者はそれによってたがいに結合される。そして、各地の一様な性格をもった多数の地方的闘争を一つの国民的な、階級闘争にまで結集するためには、この結合があればそれでよいのである。しかし、あらゆる階級闘争は政治闘争である。……

 階級としての、したがってまた政党としての、プロレタリアの組織は、労働者自身のあいだの競争によって、常にくりかえし破壊される。だがこの組織はそのたびに復活し、次第に強く、固く、優勢になる。そしてそれは、ブルジョア階級相互の分裂を利用することによって、労働者の個々の利益を法律の形で承認することを強制する。イギリスにおける十時間労働法はその一例である。」(岩波文庫P51-52)

 マルクスとエンゲルスは、このように、階級闘争の主役が労働者階級であり、その成果は「労働者のますます広がっていく団結である」こと、同時にまた、労働者「党」の発展過程をも明らかにしました。

 そして、マルクス・エンゲルスから学んだレーニンは、「ロシア社会民主主義派のうちの後退的傾向」(第四巻P274~278 1899年末に執筆)で「このように融合(社会主義と労働運動とを単一の社会民主主義運動に融合──青山補筆)されるとき、労働者の階級闘争は、有産階級による搾取から自己を解放しようとするプロレタリアートの意識的な闘争に転化し、社会主義的労働運動の最高の形態である独自の労働者的社会民主党がつくりだされる。社会主義を労働運動との融合に向わせたことが、K・マルクスとF・エンゲルスの主要な功績である。彼らは、この融合の必要なことを説明しプロレタリアートの階級闘争の組織化を社会主義者の任務として提起する革命的理論をつくりだした。」と明確に述べ、「社会主義すなわちマルクス主義(いまでは非マルクス主義的な社会主義などをまじめに論じることはできない)の学説によれば、歴史の真の推進力は、革命的な階級闘争である」( 第11巻『エーホ』第六号 1906年6月28日)と言い、『プラウダ』第120号(1912年9月18日、第18巻P350~353『政治方針について』)では、マルクスが、政治闘争を階級闘争の構成部分とみることによって、政治的現実を百倍もよりふかくより正確に理解することができること、そして、〝プロレタリアートこそ歴史の推進者である〟という首尾一貫した断固とした献身的な宣伝によって労働者階級を教育したことを述べて、労働者階級の革命的な階級闘争こそが歴史の真の推進力であることを力説しています。だから、レーニンは、科学的社会主義の党のことを〝組織されたプロレタリア党〟(第15巻P202~205『プロレタリー』第36号、1908年10月3日)と呼びました。

 これらが、マルクス・エンゲルス・レーニンの共通した考えです。

 

 

消えた「労働者階級の前衛」

 しかし、日本の現状を見ると、「労働者階級の前衛」を自負していた「共産党」は、2001年以降公然とマルクス・エンゲルスを歪曲・修正してきた不破さんによって2004年に綱領が改悪され、労働者階級のアイデンティティーは消し去られてしまいました。

 ニセ「綱領」の中に「労働者階級」という言葉は二度出てきますが、一度目は戦前に「労働者階級の生活の根本的な改善」のためにたたかったという文章であり、そして二度目は、「世界情勢」のところで、「日本共産党は、労働者階級をはじめ、……世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。」と述べて、「世界のすべての人民」の一員としての「労働者階級」として出てくるだけです。改悪前の「社会主義への道」を開く「歴史的使命」をもった労働者階級という位置づけなど、まったくありません。

 残念でなりませんが、これは、不破さんの〝資本主義発展論〟と、それと結びついた〝国会の議席の多数を占める〟という矮小化された特異なエセ「多数者革命論」がもたらしたものです。それらについては、以下の「項」で、簡単に触れます。

※不破さんの〝資本主義発展論〟の詳しい説明は、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」を参照して下さい。

階級闘争は三つの戦線で戦われる

 マルクスは、「あらゆる階級闘争は政治闘争である」と言った。階級闘争は政治闘争として戦われ政治的に決着されます。だから、私たちは「あらゆる階級闘争」を「政治闘争」にしなければなりません。しかし、労働者階級による政治的支配は社会主義社会をつくる槓杆の一つではありますが、資本主義社会から社会主義社会、そして共産主義社会への道は「政治闘争」だけで開ける訳ではありません。

 階級闘争は、政治・経済・イデオロギーの三つの戦線で戦われます。そして、そのすべての戦線で科学的社会主義の思想を徹底できるのは労働者階級だけです。それではどのようにして労働者階級は資本主義社会から社会主義社会への発展の中で科学的社会主義の思想を徹底させるのか。資本主義社会から社会主義社会への発展はどのようにして実現されるのか。

 その鍵は、それぞれの戦線での民主主義の構築にあります。

 

不破さんの「多数者革命論」とは議会で多数になることだけ

 しかし、そのことをまったく理解することができないのが独自の「多数者革命論」を編み出した不破さんです。

 不破さんは、『前衛』2015年5月号で、パリ・コミューンの歴史的意義を明らかにしたマルクスの〝フランスにおける内乱〟を取りあげて、「ここで最も重要な」ものとして、「『奴隷制のかせ』からの解放」という言葉に関して、とんでもない、独自の見解を、要旨次のように述べます。

 パリ・コミューンの経験から引き出される「最も重要な」ものは「『奴隷制のかせ』からの解放」で、この「『奴隷制のかせ』からの解放」とは「〝指揮者はいるが支配者はいない〟──生産現場でこういう人間関係をつくりあげ」ることだというのです。

 この不破さんの珍論には、二つの誤りが含まれています。一つは、「奴隷制のかせ」の意味を、〝賃金奴隷制のかせ〟という資本主義的生産関係によるかせという意味から、資本主義の「指揮機能」という意味に矮小化し、革命の意味と意義を消し去ってしまったことです。そしてもう一つは、不破さんは、「〝指揮者はいるが支配者はいない〟──生産現場でこういう人間関係をつくりあげ」ることが、未来社会の経済闘争の現場でのたたかいだというのです。しかし、「指揮者はいるが支配者はいない」という生産現場づくりは、資本主義的生産様式の社会の工場でもおこなわれていることです。不破さんは、経済闘争の現場で労働者階級が支配階級として自らの思想を徹底させ、企業をコントロールすることのできる条件をどのように整えていけばよいのか、などという考えなど、まったく頭に浮かびません。この課題については次の「項」で見ていきますが、不破さんのこのような誤りは議会で多数になることが「多数者革命論」であるという薄っぺらな独自の「革命論」によるものです。

※マルクスの〝フランスにおける内乱〟における「奴隷制のかせ」についての詳しい内容は、ホームページ4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」を参照して下さい。

レーニンは、国家と社会を民主的に組織することこそが社会主義社会への途であることを示した

 それでは、社会変革の担い手である労働者階級は、新しい生産様式の社会をつくるためにどのように団結し、社会をどのように組織しなければならないのか。

 レーニンは、『民主主義革命における社会民主党の2つの戦術』(1905年6~7月に執筆)で次のように述べています。

「われわれはみな確信している。

──労働者の解放は労働者自身によってしか行われえない、大衆の自覚と組織がなくては、また全ブルジョアジーとの公然たる階級闘争によって大衆を訓練し教育しないでは、社会主義革命は問題になりえない、と。

 ………政治的民主主義の道をとおらずに別の道をとおって社会主義にすすもうとするものは、かならず、経済的な意味でも、政治的な意味でも、愚劣で反動的な結論に達するのである。」(第9巻 P16~17)*もしも、現在の中国共産党の中に社会主義の道をめざすのがいるのであれば、その人たちはこの言葉を肝に銘ずるべきである。

 そしてレーニンは、民主的な生活の乏しい封建的なロシアで、その変革を武力によって成し遂げた十月革命の前から、一貫して民主主義の重要性を訴え続け、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」(全集 第23巻P16~20『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』、1916年8月~9月に執筆)資本主義に打ちかつことができないことを、訴え続けていました。

 レーニンは、上記の文章で二つの大切なことを言っています。

 一つは、「全勤労大衆の国事参加を民主主義的に組織する」こと、つまり、政治の民主化です。そして、もう一つは、「生産手段にたいする全人民の民主主義的管理を組織する」こと、つまり、経済活動の民主化です。

 この経済活動の民主化は、不破さんの言う〝生産現場で指揮者はいるが支配者はいないという人間関係をつくりあげる〟ということとは次元が異なります。私たちは、不破さんや人事院や財界がいう「民主的な職場づくり」ではなく、企業の最大のステークホルダーである労働者階級の経営への関与を含む〝経済活動の民主化〟を強く求めていかなければなりません。しかし、不破さんの矮小化された「多数者革命論」にはそのような観点はまったくありません。だから、目先の選挙で何とかして票を取ろうとして、根本を忘れた「たたかい」を党員に強いるのです。

 そして、もう一つ大事なのはイデオロギー分野の民主化です。イデオロギー分野の民主化で大切なのは、①マスコミが一方の考えだけを流布したりフェイクニュースを拡めるのをチェックするための国民参加の仕組みを作るなどメディアへの国民の関与と、②行政等による「専門家」を隠れ蓑にした「消費税礼賛論」の流布のような一方的なイデオロギー支配を防止するための国民参加の仕組みを作る等、真実に基づく、労働者階級を中心とする国民の声が反映される思想状況をつくることです。

結び……マルクス・エンゲルス・レーニンの意志を受け継ぐ

 これまで見てきたように、このようなたたかいの中心にいて、ブレることなく徹底して戦うことができるのは労働者階級をおいてほかにいません。だから、マルクス・エンゲルス・レーニンは、新しい社会は労働者階級を中心とする人民の力によって実現できることを説き、そして、パリ・コミューンとロシア革命は、労働者階級を中心とする人民が歴史を切り拓くことを証明しました。

 私たちは、日本が衰退しつつある原因──グローバル資本による「産業の空洞化」──を広く国民に知ってもらい、その克服のためには、資本主義社会──資本が労働者を搾取して大きくなることによって社会が発展するという、資本のために経済がある仕組みの社会──を新しい生産様式の社会──搾取を認めない、国民のために経済がある仕組みの社会──に変える必要があることを、しっかりと国民に知らせ、国民に理解してもらわなければなりません。

 その国民の中心にいる労働者階級は、日本が衰退しつつある原因の直接の被害者であり、その被害から逃れられない存在であり、その克服をする以外に明るい未来などない存在です。そしてこの社会的生産の担い手である労働者階級は、新しい生産様式の社会をつくるための最も重要な担い手でもあります。

 だから、科学的社会主義の思想を信条とする党は、第一義的に、労働者階級の階級的自覚を高めるためにそのエネルギーを使わなければなりません。

 そして、階級的自覚を高めた労働者階級は政治の民主化──政治制度・政治環境の民主化と政治参加──と経済の民主化──労働法制・労働環境の民主化と経済活動の意志決定への参加──とイデオロギーの民主化──公正な報道のためのマスコミ等情報発信機関の民主化とオピニオン形成機関への参加等──を実現する主体として、その社会的意義を果たさなければなりません。

 資本主義から社会主義へと向かう二十一世紀に生きる労働者階級は、このような責務をもって生きているのです。