6-1-2

小さくても中身のつまった輝く国と、飛びっ切りの平和を!!

中西進先生の令和のこころ

このページのPDFファイルはこちら

ダウンロード
6-2-5令和のこころ.pdf
PDFファイル 183.1 KB

──中西進氏と国民がめざす国の姿──

私事からはじめて恐縮です

 私事からはじめて恐縮ですが、私は今から52年前、浪人をして一年間大塚にある「○○の武蔵」という予備校に午前中だけ通う羽目になり、中西先生に出会い、埼玉の田舎者の私は、先生を通じて古典を通しての古代の知識だけでなく、当時の東京の時代の雰囲気を感じたことを、おぼろげながら、覚えています。

 その後、中西先生の著作に触れたのは、『日本人とは何か』という本で、実に30年後のことでした。

 そんな経緯から、四月一日、千鳥ヶ淵でのお花見散歩の途中、元号が「令和」に決まったとのニュースに触れたとき、中西先生の動向が気になり早速グーグルで検索しましたが、何の変化もありませんでした。その直後、時事だか共同だかの記者に乾門のところで「令和」についての印象を聞かれ、記事になったかどうかは分かりませんが、記事にすることの了解を求められましたが、依然として、中西先生については関心がないようでした。マスコミに中西先生の名前が出はじめたのは、やっと夕方になってからだったと思います。

 五月一日(改元の日)の『日本経済新聞』に、「新元号『考案者』中西進氏に聞く」というインタビュー記事が載っています。先生の旧著に『万葉のこころ』という新書本がありますが、中西先生の見る「令和のこころ」とはどういうものか、「日経新聞」を読んでいない人のためにインタビューを紹介し、代替わりと年号についてのバカ騒ぎ、お祭り騒ぎの機会に、「令和」時代の課題をあらためて見てみたいと思います。

 

中西先生の見る「令和のこころ」

 「日経」は、まず、新元号に込められたメッセージについて問います。

 中西先生は、「元号には典拠があるわけですが、どこから出たかではなく、どういう時代にしたいかがスタートだと思います」と述べたあと、「それ(平和──青山)をグレードアップするのが今日の使命ではないか」といい、令和は「ぼんやりした平和ではなく、うるわしい平和を築こうという合言葉になる」と言います。

 そして、新元号を万葉集の大伴旅人の「梅花の宴の序文」から取ったことのついての「日経」の問いに、万葉集について「国書か漢籍かという言葉自体、誤解を生みますね。万葉集は中国を決して排除していません。…立脚点が『日本人』ではなく『人間』なんです」といい、「梅花の宴の序文」に込められた意味について、大伴旅人は藤原4兄弟による独裁が始まった時期に「左遷され、太宰府に来た」ことを述べ、「そんななかで開いた宴の序文には、権力者にあらがいはしないが屈服もしないという気構えが見て取れます。」と言います。

 最後に、「日経」は、あらためて、「令和の時代の日本はどんな国をめざすべきでしょうか」と問います。

 これに対し中西先生は、「明治の前半まで、日本は外に膨張せず、小国であれという主張もありました。中江兆民はその代表です。小国として賢く、誇りを持ってふるまおうと。ところが、日本は途中から自らが大国だと誤解をした。いま、もう一度、小国主義の議論をしたいものです」と言います。

 私は中西先生のこの言葉から、資本のグローバル展開による産業の空洞化、自衛隊のグローバル展開によるあやふやな平和への痛烈な批判を感じ、続いて述べられている「小国とは、いわば真珠のような国です。真珠はどこに転がされても光っています。薄暗いところでも。平和憲法にもそんな輝きがありますね。輝いているじゃないですか、9条は」という文章には、現在の「権力者にあらがう」強い意志を感じました。

 そして最後に中西先生は、「古代は『情』の時代、中世以降は『智』の時代、近代は『意志』の時代です」「それはまだ始まったばかりです。一人ひとりが自覚して、良質な意志を持つことによって、全体が大きな意志を決定できる。」と言います。

 

新しい時代への新たな決意の日

 日本という国で、年号が、日本という国を「どういう時代にしたいか」のシンボルであり、そのシンボルが現す意味が上記のようなものであるならば、二〇一九年五月一日を新しい時代への新たな決意の日として、その意味を修正させることなく、そのことを広く伝え、〝令和〟という年号がその実現の槓杆となるよう、私たちも普遍的価値の実現にむけて努めていこう。

 中西先生のいう「一人ひとりが自覚して、良質な意志を持つことによって、全体が大きな意志を決定できる」という「『意志』の時代」は、一人ひとりが自分の意見をもった〝新しい人〟が〝新しい社会〟を作ることのできる、真の人民による政治(by the people)が実現可能な時代になったということです。

 〝by the people〟の政治を実現するためには、過去をしっかりと振り返ることが必要です。「昭和」の時代の野蛮な戦争が近隣諸国にもたらした傷跡の痛みは「平成」の時代に癒やされることなく続いており、戦後の米国による軍事占領と同様な日米関係が今なお続いています。

 そして私たちが忘れてならないのは、「平成」という時代は、グローバル資本の身勝手な行動による産業の空洞化が、非正規雇用の増大と格差の拡大、社会保障の基盤の掘り崩し等をもたらし、今後ますます深刻さをます社会・経済の危機の本格的な始まりの時代であったというただけでなく、平和の基盤も大きく掘り崩された時代であったということです。

 そのことを、けっして、忘れてはなりません。

 これらの事実が、未曾有の自然災害と原発事故という最悪の人災への天皇・皇后の慰問によって隠蔽されてはなりません。

 そのことを国民一人ひとりにしっかりと、広く伝えて、日本国じゅうに「一人ひとりが自覚して、良質な意志を持つ」国民を溢れかえらさなければまりません。一人ひとりが自分の意見をもった〝新しい人〟をウンカのごとく輩出させ、〝令和〟の時代を〝新しい社会〟を作る礎の時代にしましょう。そのためには、前衛党は、国民一人ひとりに届く、真実を知らせる系統的な全戸宣伝を放棄して、選挙の時だけ猫撫で声で支持を訴える風まかせの運動などしていたのでは駄目です。

 そそために何が必要なのか、詳しくはホームページ3「新しい人、新しい社会」→3-1-1「自分の意見をもった〝新しい人〟が作る〝新しい社会〟──人民の人民による人民のための政治を担う〝新しい人〟に生まれ変わろう──」、3-2-3「 党支部は、党を作り、草の根から民主主義を組織するよりどころ」及び3-2-6「〝前衛党〟は市民革命の助産婦に徹しよう」を、是非、参照して下さい。

 

天皇は民主主義とは相容れない存在

  天皇を中心とする皇室は国民の血税を浪費する寄生的な階級として、○○さま、○○殿下と呼ばれ、国民より一段高い身分に位置づけられる、民主主義とは相容れない存在です。人間の平等に反する天皇の存在は、生まれ・家柄・資産等に基づいて人間の平等を否定する思想の温床となり、階級支配の正当性を擁護する上で大きな役割を果たしています。

 このような天皇が被災地の避難所を〝ご訪問〟したことについて、天皇制を支持するものが〝共感〟を覚えるのは、それは個人の自由でなんら否定されるべきものではありません。しかし、被災者の多くは迅速な災害復旧を求めており、遅々として進まない復旧へのいらだちを静めようとの意図を、天皇の訪問により、感じとる者や自分とまったく境遇の違う〝天皇陛下〟の訪問自体を不快に思う人たちも少なからずいます。

 それにもかかわらず、象徴天皇を否定しているはずの「共産党」の志位委員長は2012年に、〝天皇陛下〟の被災地〝ご訪問〟に〝共感〟を示し、今回の代替わりに当たって、「新天皇の即位に祝意を表します。」(『赤旗』2019/05/01)と〝祝意〟を表し、五月三日のBSフジのプライムニュースでは小池書記局長が憲法第一条の天皇の地位を肯定的に評価してしまいました。憲法を守るということ、多数の意志を尊重し多数の意志に従うということと、憲法第一条をどのように評価するかということは、まったく次元の違うことです。共産党こそ、マスコミの「天皇礼賛」の大洪水に抗って、民主主義の旗を高く掲げるべきなのです。ところが、人間の平等を最も重視するはずの「共産党」の党首と書記局長とが〝コミュニスト〟ではないどころか、〝民主主義者〟でさえなくなってしまいました。

 不破哲三氏の強い影響力のもとにある現在の「日本共産党」の指導部は、「象徴天皇」を否定などしていない、ということがハッキリわかるこの三日間でした。現在の「日本共産党」が、なぜ、グローバル資本の身勝手な行動による産業の空洞化には無批判で、安倍首相と一緒に「賃金を上げろ」としか言わないか、なぜ、国民一人ひとりに届く、真実を知らせる系統的な全戸宣伝を放棄しているのか、なぜ、政党助成金の受け取りを拒否しておいて、「赤旗」を値上げし、党員に党費のほかにカンパをなかば義務化させて党財政を健全化しようとするのか、合点のいくこの三日間でした。

  人民の人民による人民のための社会、〝国民の新しい共同社会〟を共に築くために、力を合わせ、政党を変え、政治を変え、社会を変えるための大河の一滴になりましょう。

 なお、共産党の「政党助成金」への対応の誤りについての詳しい説明は、ホームページ3「新しい人、新しい社会」→3-2-4「民主主義の発展にブレーキをかける「政党助成金」への対応」を、是非、参照して下さい。