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『賃金、価格、利潤』を改良主義の書に変えた不破さん

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不破さんは、『賃金、価格、利潤』の賃金論を「「ルールある経済社会」へ道を開いてゆく」闘いに解消し、『賃金、価格、利潤』を労働運動にとって何の意味もないガラクタの一つに変えてしまった。

2013年10月11日付け『赤旗』と『前衛』12月号(No903)には発見に次ぐ発見が

 2013年10月11日付け『赤旗』座談会「マルクスを読み、いまに生かす」の中の「価値論……戦術提起も」という小見出しの中で、不破さんは、「こういう話(賃金闘争の話)は、『資本論』にもどこにも出ていません」と話していました。
  不破さんが「賃金闘争」の話が『資本論』にもどこにも出ていないというのには、ビックリしましたが、科学的社会主義を勉強していない多くの『赤旗』読者 は、この新発見に改めて不破さんの偉大さを感じたのではないかと思います。しかし、この『赤旗』の「座談会」の記事の校正に不破さんはタッチしていなかっ たらしく、『前衛』12月号(No903)では記述内容が若干訂正(正?)されています。簡単に当該部分を抜粋します。
 「……、マルクスが本格 的な理論を説明する場ができた、……、後半の運動論は、搾取の仕組みをのみこんだ上で、では労働者はどうたたかうべきかという話をしているのです。…… 『資本論』にはここまで具体的なことは書いていません。マルクスが賃金闘争論の話をしているのは、この講演だけでしょう。……どんな情勢の時でも賃金闘争 で頑張らなければダメだという立場です。」(P90-91)
 また新しい発見がありました。ⓐ『資本論』にはここまで具体的なことは書いていない。マルクスが賃金闘争論の話をしているのは、この講演だけではないかということ。ⓑマルクスの賃金闘争論は、どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだということ。
 現在の日本共産党の「理論」を体現した、最高実力者らしい、意見です。
  ⓑ、ⓐという順序で、不破さんの考えを検証してみましょう。

不破さんが『賃金、価格、利潤』で学んだ根性論と「ルールある資本主義」への道

 不破さんがⓑに関してP90-91で述べていることの要点を整理すると以下のとおりです。
①「日本では、後半の労働者の運動論の部分はあまり読まれていない」こと。
②「後半の運動論は、搾取の仕組みをのみこんだ上で、では労働者はどうたたかうべきか という話をしている」こと。
③「搾取の仕組みが分かれば、余計な心配をしないで賃金闘争に取り組める」こと。
  そして、②とはどういうことかというと、「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだ」、「景気がいいときにはうんと賃上げをかちとっておかない と、不況のとき損する」ということ。「こういうように」たたかうことを「きちんと教えている」とのことです。ここに、『賃金、価格、利潤』の賃金論の歪曲 の始まりがあります。
 そして、司会役の山口氏は『賃金、価格、利潤』の講義のまとめとして次のように述べています。
「(不破さんは── 青山が挿入)、資本主義世界でも異常な日本社会の状態を打開して、社会的バリケードをかちとり、「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだということを強調して、講義を終わります。……『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」(P99)と。ここに、『賃金、価格、利潤』の賃金論 の歪曲のすべてが表されています。
  『賃金、価格、利潤』の学習は、「根性論」で始まり、「ルールある資本主義」への道で終わる、たしかに不破さんらしい講義です。しかし、それは、マルクスが『賃金、価格、利潤』で私たちに教えているものとは正反対の内容です。

『賃金、価格、利潤』は私たちに何を教えているのか

 『賃金、価格、利潤』(引用文のPは、大月書店国民文庫のページ)は、私たちに次の三のことを教えています。
①賃金が多くなれば剰余価値が減り、賃金が減らされれば剰余価値が増えるのであり、「賃金が上がると物価が上がるから有害だ」とか「賃金を上げても物価が上がって取り戻されるから無駄だ」とかいう考えは誤りであること。
② 好況のときは資本は一層の資本の拡大を図り労働需給が逼迫するので賃金を上げるが、 「賃上げ闘争は、たんにそれに先だつ諸変化の跡を追うものにすぎず」 (P97)、「たんなる経済行動のうえでは資本の方が強い」(P84)から「超強力な社会的障害物の強要」が必要性なのであり、労働者階級は「もろもろの結果とたたかいはしているが、それらの結果の原因とたたかっているのではない」こと。
※なお、エンゲルスは『オッペンハイムあての手紙』 (1891年3月24日)で「好景気のとき」「不景気のとき」賃金がどうなるか、慢性的な経済停滞のとき賃金がどうなるか、について、不破さんがここで話 されているよりも、より正確に言っているので、参照されたい。(HP「D資本主義社会Ⅱ」12-12PDFファイルがあります。)
③だから、 「「公正な一日の労働にたいして公正な一日の賃金を!」という保守的なモッ トーのかわりに、彼らはその旗に「賃金制度の廃止!」という革命的な合言葉を 書きし るすべき」(P88)であり、労働運動は「現存の制度の諸結果にたいするゲリラ戦だけに 専念し、それと同時に現存の制度をかえようとはせず、そ の組織された力を労働者階級 の終局的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのてことして使うことをしないなら ば、それは全面的に失敗する。」 (P89)と。

上記の『賃金、価格、利潤』の賃金論と不破哲三氏の考えとには雲泥の差がある

 不破さんは、「日本では、後半の労働者の運動論の部分はあまり読まれていないようですね」と、人ごとのように言う。しかし、不破さんは日本共産党の幹部として、ずうっと在籍している人です。不破さんが科学的社会主義の正しさを信じ、日本共産党が科学的社会主義の党であるならば、「後半」こそ労働運動の要点であることを全党員に力説すべきなのではないか。
 また、不破氏によれば、搾取の仕組みが分かれば、「余計な心配をしないで賃金闘争に取り組める」という。しかし、私たちが「搾取の仕組み」を知る意義、マルクスが『賃金、価格、利潤』を書いた意味は、それとは大いに異なる。
 「搾取の仕組み」を理解することによって、㋐資本主義的生産様式のもとでも「労働の価値のこれまでの水準を維持し」(P77)、向上させるために、労働力の 「価値通りの賃金」を要求し、「公正な一日の労働にたいして公正な一日の賃金」を要求し、賃金を増やして儲け=「剰余価値」を減らすことを要求し続けること。㋑「賃上げ闘争は、たんにそれに先だつ諸変化の跡を追うものにすぎず」、賃金闘争は賃金制度から切りはなすことはできず、資本主義的生産様式・搾取の仕組み・結果の原因を変えなければならないこと。㋒だから、「公正な一日の労働にたいして公正な一日の賃金を!」という保守的なモットーのかわりに、私たちはその旗に「賃金制度の廃止!」という革命的な合言葉を書きしるすべきことをマルクスは教えている。
 不破さんが言うように、「搾取の仕組みをのみこんだ上で」、「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだ」、「景気がいいときにはうんと賃上げをかちとっておかないと、不況のとき損する」ということ、「こういうように」たたかうことだけを「きちんと教えて」など「いない」。このような「根性論」など教えていません。
 『賃金、価格および利潤』を読む中で、「根性」で頑張って、「ルールある資本主義社会」へ道を開いてゆくことこそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、資本主義社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだというところまで行き着く、不破さんのすごさには、山口氏以上に、財界の方々が大喜びすることでしょう。そして、『前衛』No904の鼎談(P117)での不破さんと石川先生の掛け合い漫才で、不破さんが「従来の社会主義論」は「生産物の分配どまり」、「人間の発達という肝心なことが出てこない」から、「あまりうらやましくない」といているのを財界の方々が聞いたら、「もう何も手を打つ必 要はない。自由にやらせよう!」とでも言うのでしょうか?

マルクス・エンゲルス・レーニンの観点で『賃金、価格、利潤』の講義をおこなううえで、いま、欠いてはいけないこと

 『賃金、価格、利潤』の講義を実践的に、いまの日本に生かすために、『賃金、価格、利潤』に補足すべきことは何か。それは、もしもマルクスがいまの日本に生きていたら、P79の「五 以上私が考察したすべてのばあい……」の前に、グローバル資本の行動とその結果について、労働運動の課題について述べるに違いないということです。
 グ ローバル資本の富の海外持ち出しによって、産業の空洞化が進み、資本は景気循環さえ起こせなくなってしまったこと。そして、賃金や雇用形態の変化だけをみて、「健全で「単純な」(!)常識の騎士たち」が、賃金を上げれば「日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる」ことができるなどと叫ぶかもしれないこ と。しかし、グローバル資本をコントロールして「産業の空洞化」をやめさせることなしには、たとえ賃金が上がったとしても、いまの日本のこの深刻な危機か らの脱出はできないということ。そして、この「危機」を克服することは、生産手段の私的所有を前提とする民主主義から国民の新しい共同社会を前提とする民 主主義への質的転換を含んだ課題、社会変革を含んだ課題であること。これらをマルクスは明確に、私よりも数段分かりやすく述べるであろうことは間違いあり ません。
 『賃 金、価格、利潤』の講義をおこなう人は、『賃金、価格、利潤』をつかって、賃金闘争を「ルールある資本主義社会」の中へ閉じ込めるような講義や鼎談をやっ てはならない。そういう愚かな人たちがいることを見越して、マルクスは、「賃上げ闘争をこれらすべての事情からきりはなしてとりあつかい、賃金の変化だけ をみて、それをおこさせる他のすべての変化を見おとすならば、諸君はまちがった前提から出発してまちがった結論に達することになる」(P80)と言ってい るのです。

おまけ

  これで、鼎談でいかに誤ったことが話し合われていたか、お分かりかと思いますが、不破さんは自分の主張を補強するために「社会的バリケード」という言葉をつかって、あたかも「不破さん」と「マルクス」が同じ考えを持っているかのような誤解を与えようとしばしば試みています。マルクスの考えを知っていただく ために、「4-2☆不破哲三氏が言うように、「社会的バリケード」をかちとり「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、資本主義社会を健全な経 済的発展の軌道に乗せる道だなどと、マルクスは一度も述べたことはない。のページも是非参照して下さい。

『資本論』にはここまで具体的なことは書いていない。マルクスが賃金闘争論の話をしているのは、この講演だけではないか。という不破さんの発見と推察について

最後に、マルクスは賃金闘争について『資本論』の中でどう位置づけ、現代の私たちに何を教えているのか簡単に見てみましょう。
 マルクスは『資本論』第2巻(P505~506)で、「健全で「単純な」(!)常識の騎士たち」が「労働者階級はそれ自身の生産物のあまりにも少なすぎる部分を受け取っているのだから、労働者階級がもっと大きな分けまえを受け取り、したがってその労賃が高くなれば、この害悪(恐慌──青山補足)は除かれるだろう」と考えることの誤りを指摘し、『資本論』第1巻(P810~811)で、労働者階級が作り、資本家階級が蓄積した富(不払労働)が追加資本として資本に転化できなければ、賃金が上がることはできないこと、私たち労働者は資本主義的生産では資本に支配されているので、自分たちが作った富が自分たちの発展欲求のためにあるのではないこと、を述べ社会変革の必要性を説いています。


これらの文章は、現代の私たちに次のことを教えています。
 ①資本主義的生産のもとでは「労働者階級の相対的な繁栄」(安定した雇用と多少の労賃の増加)は「恐慌の前ぶれとして」実現し、設備投資により労働需給が労働者に優位になったときに実現するということ。②資本主義的生産の発展の原動力は「労働者階級がもっと大きな分けまえを受け取る」ことではないから、資本主義的生産を放置しておいて、賃金を増やすことによって「日本の経済成長が実現し、問題が解決する」かのような主張をすることは誤りであるということ。このように、いまの日本で、なぜ賃金が上がらないのか、なぜ不安定雇用が増加し続けるのか、どんな主張が誤っているのか、マルクスはちゃんと『資本論』のなかで私たちに教えてくれています。


マルクスとエンゲルスは、そして『資本論』は

 マルクスとエンゲルスは、『資本論』は、《いまの日本は、「労働者階級によって供給され」、海外で売りさばくことによって実現された価値のうち、「資本家階級によって蓄積される不払労働」のかなりの部分が「追加資本」として国内で「資本に転化」されることなく、海外に投資され続けてきた。その結果、生産性の向上にもかかわらず、95年以降GDPは停滞し、「追加資本の運動に必要な追加労働」が不要となり、労働需給が資本家優位になった結果、不安定雇用と賃金低下の圧力が継続的に増加した。だから、〝ルールある資本主義を〟と、資本家のモラルに訴えるよりも、グローバル資本の身勝手な富の海外持ち出しの意味を暴露し、「資本家階級によって蓄積される不払労働」が「追加資本」として国内で「資本に転化」されるよう、資本の行動をコントロールすることを労働者に訴えることこそ最も肝心なことだ。労働者教育の〝肝〟はここだよ!!》と悲しそうなまなざしで、不破さんたちを見ているようです。


賃金闘争の重要な意義
 また、労働者がみずからの価値を自覚し、公然と資本主義の転倒性・欺瞞性を暴くことは革命運動にとって最も大切なことの一つです。労資交渉に当たって、富の源泉が労働にあること、資本主義的生産様式の中で労働者が「労働力」という商品を資本家に売ることによってあたかも富の源泉が資本にあるかのようにみえるトリック、それを真実として主張する資本家のウソを暴露することは階級的な労働運動をつくる上で大切なことです。このような前提に立って、労働者が団結を武器に、①「不況の時」には(労働者は資本主義のもとでは賃金か社会保障以外に生きる糧がないのだから、そのことを主張し)労働者の生活を保障するよう要求し、②「好況の時」には会社の存続(拡大も含む)以外の資金のため込み・配当・役員報酬のために剰余価値をより多く使うのではなく、価値を生み出した労働者のためにより多く使うよう資本家に強く求めるのは、当然のことです。
 マルクスは賃金闘争の意義について、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』(1853年7月14日)への投稿で、景気の循環にともなって賃金が上下し、賃金と利潤をめぐって雇い主と労働者とのあいだのたえざる闘争が生じること、このような景気の交替が労働者階級に自己の解放をなし遂げる力を与えることを指摘しています。そして、あの有名な『共産党宣言』は、これらの闘いでのほんとうの成果はその直接の成功ではなく、ますますひろがっていく労働者の団結であることを私たちに教えています。

 

〝マルクスを読み いまに生かす〟とは
 〝マルクスを読み いまに生かす〟とは、むかしの労組幹部を揶揄したり、マルクスの賃金闘争論を経済主義の枠内にとどめ、「どんな経済情勢のもとでも頑張ってたたかわなければダメだ」と訳の分からない根性論、一般論を言うことではなく、資本主義と賃金についての理解を深め、自己の解放と日本の未来のために〝今の日本の経済情勢のもとで、どう闘わなければならないのか〟を明確にすることです。そのことによって労働者のエネルギーを大きく引き出し(倍がえしの反作用です)、労働運動を再生させ、現在の情勢に見合ったものに引き上げることができます。
 不破哲三氏の賃金闘争論には、このことが欠落しています。科学的社会主義の理論を学びたいと目を輝かせて参加した多くの人たちにとってこんな不幸なことはありません。
 なお、資本主義的生産様式解消後の剰余労働のあり方についての論究は『資本論』第3巻第2分冊(P1085)を参照して下さい。