マルクス・エンゲルスとレーニンが共通して訴えていること

その3

社会変革の運動の環の捉え方を示した

このページのPDFファイルはこちら

ダウンロード
5-1-3 社会変革の運動の環の捉え方を示した.pdf
PDFファイル 311.1 KB

マルクス・エンゲルス・レーニンは、社会変革の運動の環の捉え方を示した

 

マルクス・エンゲルス・レーニンの運動の観点

 マルクスとエンゲルスから学んだレーニンは、『111イネッサ・アルマンドヘ』で「マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を、(α)歴史的にのみ、(β)他の諸命題と関連させてのみ、(γ)歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています。」(第35巻P262~263、1916年11月30日に執筆。*1)と述べています。

 そして、レーニンは、『ソヴェト権力の当面の任務』(第27巻P276~277、1918年3~4月に執筆*2)で次のように述べています。

「革命家であるということ、社会主義の信奉者であるということ、一般に共産主義者であるということだけでは、不十分である。それぞれの特定の時機に、鎖の特殊な一環を、すなわち全力をあげてそれをつかめば、鎖全体をおさえることができ、しかもつぎの環への移行をしっかりと準備できるような、特殊な一環を見つけだすことができなければならない、このばあい、諸事件の歴史的連鎖におけるいろいろの環の順序、形態、つながり、相互の差異は、鍛冶屋がつくる普通の鎖ほどには単純でなく、またそれほど素朴なものでもない。」と。

 私たちが運動を進めるうえで大切なことは、①矛盾の集中点をつかむこと、運動の環をしっかりとつかむこと、つまり、今をしっかり認識することです。そして、②今をしっかり曝露して、その結果これから予想されるであろうことを国民に明らかにすることです。

 私たちは、マルクスとエンゲルスが生きた時代、レーニンが生きた時代、そして現代について、歴史的位置・状況をしっかり理解し、それぞれの時代の社会全体の諸関係をしっかり認識して、唯物史観にもとづく事実の検証を踏まえて、それぞれの時代の特徴を明らかにし、それぞれの時代における社会変革の〝運動の環〟──「矛盾の集中点」であり、社会全体の諸関係に影響をおよぼす「要」となる事項──をしっかり捉えなければなりません。

 その〝特殊な一環〟である「矛盾の集中点」が、マルクス・エンゲルスの時代には「恐慌」であり、レーニンの時代には「帝国主義と帝国主義戦争」でした。マルクスとエンゲルス、そしてレーニンは、そのことを労働者階級にしっかりと示してくれました。

(*1)ホームページ「レーニンの考えの紹介」→「1、科学的社会主義の理論」の「24-2」を参照して下さい。

(*2)ホームページ「レーニンの考えの紹介」→「1、科学的社会主義の理論」の「28」を参照して下さい。

マルクスとエンゲルスは当時の資本主義の最も深刻な現れが〝恐慌〟であることを理解し、〝恐慌〟が社会変革の最も強力な槓杆のひとつであることを明らかにした

マルクスとエンゲルスが生きた時代

 マルクスとエンゲルスが生きた時代は、資本主義の勃興期で、当時の資本主義社会の発展段階、資本の蓄積段階からして、資本主義の危機を最も鮮明にあらわすものは、資本主義社会に特有な現象として現れた「恐慌」でした。当時は、マルクスも指摘しているように、「恐慌」という危機に際して貨幣価値をまもることが第一に考えられ、危機を一層悪化させる政策がイングランド銀行でとられるなど、この危機に対応したブルジョア経済学など存在していませんでした。

 マルクスとエンゲルスが生きた時代は、19世紀末から20世紀前半を戦い抜いたレーニンが生きた帝国主義の時代でもなければ、20世紀末から21世紀前半のようなグローバル資本が跋扈する時代でもありません。だから、上記のような状況を踏まえ、当時のマルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆」と考えていたとしても、何の不思議もありませんし、まったく正しいことでした。

 

恐慌とは

  恐慌は、マルクスが言うように、「資本主義的生産様式をはじめから際立たせるものは、次の二つの特徴である。 第一に。この生産様式はその生産物を商品として生産する。商品を生産するということは、この生産様式を他の生産様式から区別するものではない。しかし、商品であることがその生産物の支配的で規定的な性格であるということは、たしかにこの生産様式を他の生産様式から区別する」、「資本主義的生産様式を特に際立たせている第二のものは、生産の直接的目的および規定的動機としての剰余価値の生産である」(『資本論』第3巻 大月版『資本論』第2分冊⑤P1124、P1125)という資本主義的生産様式のもとで、「一方では必需品の範囲内に閉じ込められている生産者大衆を・他方では資本家の利潤による制限を・基礎とする、生産諸力の無制約的な発展、したがってまた大量生産、これこそが近代的過剰生産の基礎をなすものである」(レキシコン⑦-[106]、マルクス『剰余価値学説史』Ⅱ)という「過剰生産」によって作りだされたものです。

 だから、レーニンも、『経済学的ロマン主義の特徴づけによせて』(1897年3月執筆、全集 第二巻P150~151,154~155) で、恐慌は「ただ一つの制度――資本主義制度だけの特殊な標識」であり、「生産(資本主義によって社会化された)の社会的性格と取得の私的な、個人的な様式との矛盾」の現れとして必然的に起こること、つまり、資本主義的生産関係の基で、資本主義の固有の現象として起こるものであり、資本主義の歴史的に過渡的な性格を証明するものであり、「資本主義の批判」は、資本主義的生産関係ときりはなされた「全般的な福祉とか、『自由に放任された流通』のまちがいとかいう言葉のうえに基礎づけてはならないのであって、生産関係の進化の性格のうえに基礎づけなければならない」と言っています。

 資本主義的生産様式のもつ諸矛盾の「爆発」である「恐慌」によって「……いっさいの労働の一時的な停止と資本の大きな部分の破壊が生じることによって、資本は、自滅することなく、その生産力を十分に稼働できるようにする点にまで強力的に引きもどされる。だが、これらの規則的に繰り返される破局の結果、より高い段階での破局の反復へ、そして最後には資本の強力的な転覆へとたちいたる」(マルクス『経済学批判要綱』(1857-8年)、レキシコン⑦-[176] P359、※『資本論』第3巻 第1分冊(大月版④ P317-320)ではより詳しく述べられています。)、これが〝恐慌〟です。

 

マルクスとエンゲルスが恐慌を社会変革の梃子と捉えた理由

 マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』で、すでに、資本主義的所有諸関係が生産諸力の発展の妨げとなること、そして近代の労働者の歴史的使命について明らかにし、「ブルジョア階級に死をもたらす武器」である「近代的生産諸力」の発展が「もっと全面的な、もっと強大な恐慌」を準備をすること(岩波文庫P46-48)を述べていますが、上記の①で見たように、当時は「恐慌」を弱めたり、引き延ばしたりする手立などまったくありませんでした。

 だから、恐慌によって規則的に繰り返される破局が、最後には資本の強力的な転覆へとたちいたるという見通しをもっていたのです。

 なお、レーニンの時代に於いても、現代に於いても、資本主義的生産様式の社会が必然的にもたらす「過剰生産」──それは資本の過多としての「過剰生産」ですが──が資本主義社会にとっての最大の問題・悩みであることは変わりありません。

しかしマルクスとエンゲルスは、「恐慌」が起これば必ず「革命」が起こるなどと単純に考えてはいなかった

 エンゲルスはベルンシュタインあての手紙(1882年1月25-31日)で「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆のひとつであることは、すでに『共産党宣言』のなかにも述べられており、『新ライン新聞』の「評論」でも1848年までを含めて詳論されています。しかし同時にまた、そのあとの繁栄の回帰は革命を挫折させて反動の勝利を基礎づける、ということもそこに述べられています。」(レキシコン⑧-[279] P289)と述べています。

 このように、マルクスもエンゲルスも、「恐慌」と「繁栄」の政治への影響について、「恐慌」が「政治的変革の最も強力な梃子のひとつである」ことを述べていますが、それは、「恐慌」が起これば必ず「革命」が起こるなどという単純な考えではありませんでした。

 しかし、不破さんは、マルクスとエンゲルスが、このように、恐慌を政治的変革の最も強力な梃子のひとつ、革命運動のキーとして捉えていることをねじ曲げて、マルクスは〝恐慌になれば、労働者階級が何の準備もしなくても革命が起こる〟という『恐慌=革命』説に立っていたとウソを言って、マルクスを誹謗します。

 不破さんとその仲間たちは、その時々の資本の行動と国家の行動を見てその時々の政策を判断することができません。だから、19世紀後半に生きたマルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆」だというと、間違いだと言い。次に見るように、自分の認識能力の無さを武器に、レーニンの帝国主義の捉え方に嘲笑をあびせます。

レーニンは二十世紀前半の資本主義を正しく捉え、正しい方針を世界に示した

不破さんがレーニンに浴びせかけた嘲笑

 『前衛』No904(2014年1月号)の不破さんと山口富男氏と石川康宏氏との鼎談で、石川氏はエンゲルスを誹謗するためにレーニンを登場させ、「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定が現実によって裏切られ」、「間違いに陥った」(P103)と、暴言──自分たちが「実現」できなかったことを「現実」に裏切られたと言い、なぜ実現できなかったのかを反省するのではなく、「間違い」だと居なおる厚顔無恥さからくる暴言──を吐きます。

 これに悪乗りした不破さんは、レーニンのとらえ方は「国家独占資本主義のもとでは、資本主義の取得形態の変化が、国家の管理という形で経済全般に広がった、それが社会主義の経済形態への重要な接近だという見方でした」と、レーニンがどこでも言っていないし、言うはずもない〝レーニンの見方〟を創作し、レーニンは「十月革命で政権をとったあと、国民経済にたいする『記帳と統制』を組織すれば、それがそのまま社会主義経済の建設につながる、という路線」を取ったと言って、「記帳と統制」を不破さんの薄っぺらな概念に押し込め、そして、この見方が「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」、「『革命近し』という世界的危機論の裏付けにもなった」と述べ、レーニンと関わりはないが不破さんも信じていた「『革命近し』という世界的危機論」まで持ち出して、「それらの発言からから(ママ──青山)もうほぼ百年たちましたからね。」と「から」の屋上屋まで重ねて、レーニンを歪曲・捏造したうえで揶揄しています。

 不破さんとその仲間たちは、その時々の資本の行動と国家の行動を見てその時々の政策を判断することができません。19世紀後半に生きたマルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆」だというと、間違いだと言った不破さんは、今度は、19世紀末から20世紀前半に活躍したレーニンが、「帝国主義時代」の「帝国主義戦争」が行なわれている中で、帝国主義は「死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」というと、このような嘲笑をあびせるのです。

※不破さんの「記帳と統制」についての薄っぺらな歪曲・捏造については、ホームページ4-12「☆不破哲三氏によるレーニンの「記帳と統制」の概念の歪曲」を、是非、参照して下さい。

 

レーニンが生きた時代とはどんな時代だったのか

 レーニンは、帝国主義を全面的に捉えるため1915年から1916年にかけて集中的な研究・整理を行い、「現代が帝国主義時代であり、いまの戦争が帝国主義戦争である」という、当時の、歴史的な状況の正しい認識を深めま、その成果を私たちに残しています。

 レーニンは1916年10月執筆の『帝国主義と社会主義の分裂』(全集 第23巻P112~114)で、「帝国主義のできるだけ正確で完全な定義からはじめなければならない。帝国主義とは、資本主義の特殊な歴史的段階である。この特殊性は三とおりである。」として、以下に青山が要約した「帝国主義の三つの特殊性」の内容を、詳しく述べています。

 

 

「帝国主義の三つの特殊性」の青山の要約

(一)独占資本主義(=独占が自由競争にとってかわったことが、帝国主義の根本的な経済的特徴であり、その本質である)。独占主義は、五つの主要な形態をとって現われる。

 (一)カルテル、シンジケート、トラスト。生産の集中。

 (二)大銀行の独占的地位。三つないし五つの巨大銀行が、アメリカ、フランス、ドイツの経済生活全体を支配している。

  (三)トラストと金融寡頭制とによる原料資源の占取。

  (四)国際的カルテルによる世界の(経済的)分割がはじまっている。

  (五)世界の地域的分割(植民地)は終了した。

(二)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義。

  第一に、生産手段の私的所有のもとでのあらゆる独占の特徴である腐敗の傾向に現れている。

  第二に、資本主義の腐敗は、金利生活者、すなわち「利札切り」で生活する資本家の膨大な層がつくりだされていることに現れている。

  第三に、資本輸出は自乗(ママ)された寄生性である。

  第四に、「金融資本は支配をめざすものであって、自由をめざすものではない」。全線にわたる政治的反動は、帝国主義の特性である。収賄、大じかけな買収、各種の疑獄。

  第五に、領土併合と切りはなせないようにむすびついた被抑圧民族の搾取、「文明」世界の、幾億人の非文明民族の肉体にくっついた寄生虫化。

(三)死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義。

  独占と労働の大がかりな社会化は、資本主義から社会主義への移行しつつある資本主義である。

 

レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定の意味

 このように、「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という定義は、「帝国主義とは、(一)独占資本主義、(二)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義、(三)死滅しつつある資本主義、である」という「帝国主義」の三つの特殊性のうちの一つを述べたもので、その内容について、レーニンは次のように説明しています。

 「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義であるという理由は、明らかである。資本主義から生じる独占は、すでに資本主義の死滅であり、資本主義から社会主義への移行の始まりである。帝国主義による労働の大がかりな社会化(弁護論者のブルジョア経済学者が「絡み合い」と呼んでいるもの)も、やはりこのことを意味する」と。

 つまり、独占──上記要約のとおり、資本の生産の集中、経済生活全体の支配、原料資源の占取──と労働の大がかりな社会化によって、生産の社会的性格が一層深化し、すでに社会主義への移行の条件と資本主義の死滅の条件が整えられたことを、「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」と述べたものです。

 そして、レーニンの上記のような帝国主義の説明は、『資本論』の中の有名な文章──「独占資本は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏になる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(第一巻 第2分冊、大月② P995F6-9)──を帝国主義時代に合わせて述べたもので、不破さんがエンゲルスの誤りだとして否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりを述べたものです。

 だから、もちろん、レーニンが「帝国主義」を弱々しい、死に逝く存在とみていた訳でも、「資本主義から社会主義への移行」が革命なしに実現するなどと思っていたわけでも、まったく、ありません。

不破さんがどんなにレーニンを歪曲・捏造しようとしても、徒労に終わるだけ

 『前衛』No904号の鼎談で、不破さんは、「レーニンが『国家と革命』で示した未来社会の定式というのは、結局、生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくかがすべてなのです」と言ってレーニンを批判したつもりでいますが、〝生産物の生産と分配の仕方がどう変わってゆくか〟ということは〝生産様式がどう変わってゆくか〟ということで、まさに革命の問題そのものです。

 「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」を「資本主義の根本矛盾」、体制的な矛盾と見ているマルクス・エンゲルスの思想を受け継ぎ、〝資本主義的生産様式の社会を新しい生産様式の社会に変える〟ことを目指しているレーニンが、これまで見てきたように帝国主義を定義したことが、「国家独占資本主義」のもとでは「資本主義の取得形態」が変化したことなるのか、そして、「国家と資本」が結びつくと、それがなぜ、「社会主義の経済形態」への「重要な接近」となることになるのか。不破さんは、自分の願望を言いっ放しにするのではなく、私たちに分かるように説明すべきです。まともにマルクス・エンゲルス・レーニンから学んでいる人間ならば、不破さんが言う〝レーニンの「帝国主義」に対する認識〟なるものは不破さんの創作以外の何ものでもないことは明らかです。

 一般的に〝科学的社会主義〟について一定の理解をもつ人ならば、「国家独占資本主義」が「社会主義にむかっている」と言うとき、それは資本の有機的構成の高まりによる生産基盤の強化、生産力の向上、社会主義的生産を組織するための技術的条件が益々整いつつあり、独占資本が社会的支配力をますます強めていることをいうのであって、「資本主義の取得形態の変化」が起きているなどと思う人はいません。

 ただし、「国家独占資本主義」の基での「ルールある資本主義」が社会主義社会への途と錯覚して「ルールある資本主義」の実現を目的とする不破さんならば、国家独占資本主義のもとでは、資本主義の取得形態(私的資本主義的所有にもとづく取得形態──青山)」が変化し、「社会主義の経済形態への重要な接近」という見方に陥ったとしても、さして不思議ではないでしょう。

次元の違うものを混同させてレーニンを揶揄する不破さん

 先ほど見たように、不破さんは、「レーニンの〝帝国主義は死滅しつつある資本主義の段階だ〟という規定が」、「帝国主義段階を『死滅しつつある資本主義』と規定し」、「『革命近し』という世界的危機論の裏付けにもなった」と述べ、「それらの発言からからもうほぼ百年たちましたからね。」と言ってレーニンを揶揄しています。

 しかし、1916年にレーニンが探究した「帝国主義が死滅しつつある資本主義、社会主義へ移行しつつある資本主義である」という見方、つまり、不破さんの否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりという見方と「革命近し」という見方を単純に結びつけることができるのは、この鼎談に集まった三人ぐらいしかいないはずです。

 なぜなら、不破さんと一人の部下ともう一人のマルクスをかじり損ねた大学の先生の3人以外の人たちが、コミュニストの澄んだ目で、まともにレーニン全集を読んだならば、こんなデマなど恥ずかしくて流すことなどできないはずですから。

  そもそも、帝国主義段階が、不破さんの否定する「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、死滅しつつある資本主義であることは間違いありません。しかし、帝国主義段階が「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」が深まり、「死滅しつつある資本主義」であるという資本主義についての認識と「革命近し」という情勢の認識とは、まったく、次元のちがう内容です。

当時レーニンは、「情勢」をどのように捉えていたのか

 当時、レーニンは「情勢」をどのように捉えていたのか、簡単に見てみましょう。

 当初、主要な資本主義国はみな帝国主義的な方向に突き進み、ヨーロッパ全体を覆うような革命の可能性は十分に存在していました。だから、レーニンは、ロシア革命によって図らずもロシアが革命運動の先頭を走らざるを得なくなるという歴史の巡り合わせの中で、ドイツに革命が起きて、遅れたロシアを助けてくれることに大きな期待をいだいていました。しかし、残念ながら、第一次世界大戦終結後の「世界経済と世界政治の諸事情」の変化によって、「ここ当分は資本主義的である西ヨーロッパ」がつづき、ただちにドイツに革命が起きる可能性は遠のいてしまいました。

 そのような政治情勢のもとでの、共産主義インタナショナル第三回大会(1921年6月22日-7月12日)でのレーニンの発言(第42巻『共産主義インタナショナル第3回大会』P434~440を参照。)、1921年10月18日付け「プラウダ」第234号の「十月革命四周年によせて」(全集第33巻P41~44を参照。)でのレーニンの発言、1921年10月19日付けの「ポーランドの共産主義者への手紙」(第42巻『ポーランドの共産主義者への手紙』P484~486、参照、)でのレーニンの発言等を見ても、レーニンは「情勢」抜きに「革命近し」などとノー天気なことを言ったことなど、一度もありません。ましてや、帝国主義段階が「死滅しつつある資本主義」だから、「革命近し」などと観念的な結びつけをしたことなど一度もない。

 そして、「死滅しつつある資本主義」と「革命近し」が同一でないのと同様に、「革命近し」という情勢認識と資本主義の「世界的危機」という資本主義についての認識も、また、同一ではありません。だから、現代のように資本主義が「世界的危機」に陥って、水野和夫氏のようなマルクスを知らない経済学者ですら資本主義の限界を悟り『資本主義の終焉と歴史の危機』を感じるところまで経済が進んでも、しっかりした科学的社会主義の党がなけれ「革命近し」という情勢など生まれません。そのことを、いまの日本は示しています。

 稀代のエセ「科学的社会主義」の魔術師である不破さんは、このように、結びつかないものを、得意の、巧妙なトリックで一つに結びつけます。

 先進資本主義国はみな帝国主義的な方向に突き進み、「死滅しつつある資本主義」による第二次世界大戦の大惨禍を世界が味あわされるなかで、レーニンの〝帝国主義〟論は、帝国主義国による植民地政策を打ち破る民族解放闘争の理論的武器・支柱となりました。そして、先ほど例示した、1921年10月18日付け「プラウダ」第234号の「十月革命四周年によせて」はレーニンの帝国主義の認識・理解の正確さを見事に証明しています。是非、お読み下さい。

 レーニンが言っているのは、闘いの条件がますます整ったということです。そして、だからこそ、情勢をよく見て、しっかりとたたかわなければならない、とレーニンは繰り返し述べているのです。

 レーニンの言っていることを「間違」って伝え、レーニンが当時の資本主義を分析して「帝国主義」と指摘した時(1916年)から〝百年以上たっても〟、今(2021年)だにグローバル資本の傍若無人の行動によって闘いの条件がますます整ってきていることが理解できず、〝賃金が上がれば経済は良くなる〟などといって資本主義の危機の深まりを隠蔽し、いまだに「それらの発言からから(ママ)もうほぼ百年たちましたからね」という暴言を撤回しようともしない不破さんこそ、〝間違いに陥っている〟張本人です。

曝露したことが解決されないのは、曝露した人の責任なのではなく、それを真剣に受けとめなかった人たちの責任です

 マルクスは、『資本論』で資本主義的生産様式の仕組みを解明し、その矛盾を暴露して、

「独占資本は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏になる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」ことを明らかにし、当時の状況のなかで〝恐慌〟がその重要な梃子になることを明言しました。

 レーニンも、彼の生きた時代が〝帝国主義の時代〟であり帝国主義が〝死滅しつつある資本主義である〟ことを解明し、たたかいの方向を明らかにしました。

 そして、1960年代末から70年代初めに先進資本主義国の資本主義的生産が限界に突き当たり、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となり、グローバル資本の悪あがきによって、〝死滅しつつある資本主義〟の姿がますます明らかになってきましたが、そのことを解明し、労働者階級と共有して、資本と切り結ぶ現代に合ったたたかいを提起するのは、科学的社会主義の思想を自らの思想信条とする者たちの責務です。

 もちろん、マルクスは、当時の資本主義の発展状況から国民国家を前提に貿易等を考え、だから『資本論』の課題から国際貿易をはずし、レーニンも、資本の海外展開を植民地主義的なもの、「国民国家」と一体のものと考え、現在のような資本のグローバル展開など予想できませんでした。しかし、レーニンが、資本が「帝国主義」の時代を経て、国民国家をすてて、グローバル展開することを予想できなかったからといって、レーニンにはなんの罪もありません。それは、現代に生きる私たちの問題です。

 自分たちの認識能力の無さからくる運動の不十分さが資本のグローバル展開を許し、一層の資本の蓄積が図られ、資本主義を延命させていることを棚に上げて、レーニンが「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」の深まりを指摘したことをもって、資本主義が延命しているのはレーニンの「間違い」だなどと因縁を付けることが許されるのであれば、この論法でいくと、資本主義的生産関係が生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となること指摘したマルクス・エンゲルスも、資本主義がいまだ延命していることをもって、「間違い」ということになる。しかし、それは反共主義者の「攻撃」であって、科学的社会主義の思想を信条とする者の理解ではない。

 不破さんとその仲間たちは、その時々の資本の行動と国家の行動を見てその時々の政策を判断することができません。二一世紀になって、公然と「資本主義発展論」を唱え、19世紀後半に生きたマルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆」だというと、「恐慌=革命」説で間違いだと言った不破さんは、カウツキーのブルジョア改良主義を粉砕し、国際的な帝国主義とのたたかいに貢献したレーニンの帝国主義の捉え方にこのような理不尽な攻撃をするのです。不破哲三という人は何者なんでしょう。

※「Ⅲ」に出てくるレーニン全集からの抜粋等を詳しく知りたい方は、ホームページ4-13「☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」を、是非、参照して下さい。

結び……マルクス・エンゲルス・レーニンの意志を受け継ぐ

 不破さんとその仲間たちは、その時々の資本の行動と国家の行動を見てその時々の政策を判断することができません。だから、19世紀後半に生きたマルクスとエンゲルスが「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆」だというと間違いだと言い、19世紀末から20世紀前半に活躍したレーニンの見事な帝国主義の捉え方に嘲笑をあびせる。そのくせ、20世紀から21世紀にかけて活動している不破さんたちは、グローバル資本の行動に目を塞ぎ、「労賃が増加すれば経済はよくなる」などと言って、マルクスのいう「健全で『単純な』(!)常識の騎士たち」(『資本論』第2巻 大月版 P505~506)に成り下がり、「地球温暖化」が「桎梏」だなどと、訳の分からないことを言って資本主義的生産様式の持つ矛盾から労働者階級と国民の目を逸らし続けています。

 先進資本主義国では、1960年代末から70年代初めに、資本主義的生産関係が社会的生産力のさらなる飛躍的発展の「桎梏」となったことが、ますます明らかになります。70年代に入り、いわゆる資本主義の「黄金時代」は終わり、成長は減速し始めます。しかし、そうした中で、労働側の攻勢は続き、賃金水準の上昇、賃金格差の縮小、労働時間の短縮、労働者の法的保護の拡大、労働組合の強化が図られ、その結果、労働者階級の力は増して行きます。並行して、ソ連等の「計画経済」(それは民主主義と科学を欠いた出来損ないの「計画経済」であったが。)が存在し、資本主義経済の減速がつづく中で、強化された労働側の力を背景に、──経済運営の優先順位の民主的決定と企業経営への積極的な労働者参加をともなえば、計画経済は、現存の資本主義はもとより、「現存の社会主義」よりうまく機能するはずである──との考えに基づき、イギリス、スウェーデン、ドイツ、フランス等で企業の国営化や企業経営への労働者の関与を大きくする動きが力を増し、強まりました。

 日本でも、70年代に入り、革新自治体が燎原の火のように拡まり、共産党も大きな力をつけ、国政革新が一定の現実味をおびるようになりました。経済が人々の意識を変え、世の中が大きく変わる一歩手前まできました。「経済」は、「社会的生産力のさらなる飛躍的発展」と「資本主義的生産様式」との矛盾をますます明らかにし、「革命近し」と大声で叫んでいました。

 しかし、同時に、1974年にハイエクが、1976年にフリードマンがノーベル経済学賞を受賞し、「新自由主義」理論がアカデミズムの世界での権威を勝ち取り、さまざまな政策分野で現実的な影響力をふるいはじめ、資本の反撃がはじまります。資本は「徳俵」で踏みとどまり、自国民の犠牲のうえに国際展開する〝理論的な拠りどころ〟をえて、新たな資本蓄積の道を歩み始めます。

 しかし、このとき、残念なことに、マルクス・エンゲルスやレーニンのように、そのときどきの資本の行動と経済の流れを正しく捉え、一歩先を読む能力を持った、革命運動の幹部がいませんでした。そのために、労働側は資本に対する明確な対立軸を持ってたたかうことができませんでした。

 日本でも、政・財界は臨調行革、前川リポートで方向性を明確にし、国民の創った富を海外へ持ち出すことによって一層の資本の高蓄積を図る道を本格的に歩みはじめます。この、資本の輸出は同時に労働力の輸出でもあります。その結果、「産業の空洞化」と「労動運動の弱体化」が進行し、1995年頃には、産業の空洞化と国民の貧困化が誰の目にも明らかになります。しかし、残念なのは、それから20年以上経ってもまだ、原発が「桎梏」だとか、大企業の内部留保の一部を賃上げに廻せば資本主義経済は発展するなどと言って、資本のリアルな動きを直視しようとしない人たちが、日本の革命運動の主流のようにふるまっていることです。そして、れっきとした党員である大衆団体の幹部が、北欧諸国を理想とし、社会主義の失敗なるものを口にしてはばからない党風に、不破さんたちが、「共産党」を作り変えてしまったことです。

 私たちは、今こそ、マルクス・エンゲルス・レーニンから学び、その意志を受け継がなければなりません。

 私たちは、グローバル資本による「産業の空洞化」こそが現在の日本の経済・社会の危機の主要な原因であるがゆえに、私たちのたたかいの「環」がそこにあることをしかりと認識し、その根本的な解決のためには「資本」によって動かされる経済の仕組みを変えなければならず、「産業の空洞化」を改善するたたかいの一つ一つがグローバル資本を縛る一歩一歩となり、「資本」によって動かされる経済の仕組みを変える道につながっていることを、倦むことなく、労働者階級に説明し続けなければなりません。

 今回のマルクス・エンゲルス・レーニンが共通して訴えているテーマを学び、その意志を受け継ぐとは、そういうことだと思う。