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☆不破哲三氏の日本の政治史を読む「科学の目」に欠けているもの

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不破哲三氏は2010年に開かれた「第40回赤旗まつり」で、「『科学の目』で日本の政治史を読む」というテーマで講演を行い、その内容が11月12日の『赤旗』に「紙上で再現」されています。

 不破さんは、冒頭、「『科学の目』で政治史を読むうえで大事な視点」として①社会発展や国民の生活を抑え込んでいる害悪の根源をつかむこと②その害悪を取り除こうとする勢力と害悪に固執する支配勢力とのたたかいをつかむこと述べ、㋐資本主義的生産様式と生産関係の現状の正確な把握と㋑それに制約されそれ を規定する諸階級の現状・階級的な力関係をつかむ必要を基本的に正しく表明しています。これは、エンゲルスが『資本論』第3巻の序文で「マルクスによって 1845年になされた『どこでもいつでも政治的な状態や事件はそれに対応する経済状態によって説明される』という発見」と述べた見地で、唯物史観に立った見方です。
  つづけて、②に関連づけて、マルクスの有名な〝革命は結束した反革命を生み出し、それとたたかうことを通じて自分を成長させる〟という言葉を「階級闘争の弁証法」と紹介し、「この角度から戦後の政治史」の講演を行うことを述べています。
  この「対立物の闘争」、「作用と反作用」の捉え方は非常に重要で、レーニンの著作を読むと、相手の攻撃に対し機敏にその本質を曝露し、倍返し、10倍返し、100倍返しで反撃し、ボルシェヴィキの隊列を強化し、革命の勝利に導いたことがよくわかります。
  しかし、不破さんの講演も、まともなのはここまでで、「『科学の目』で日本の政治史を読む」というテーマの講演が、いつの間にか、「日本共産党と支配勢力のぶつかりあいの歴史を改めて考えた」ものとなっています。①社会発展や国民の生活を抑え込んでいる害悪の根源をつかむこと、つまり、資本主義的生産様式と生産関係の現状の正確な把握などほとんどまったく出てきません。ですから、「階級闘争の弁証法」なるものも、支配階級のこれこれの攻撃に対してこう反撃して人民の団結がこう強まったとか、あるいは、こういう点が不十分だったがこう改めて運動がこう前進したというような内容は一切出てきません。出てくる 「階級闘争の弁証法」なるものは、「敵失」や「政治情勢」や「党が元気だった」時期に大きくなりかけた党が「支配勢力」に「扇動的な反共宣伝で国民と共産党の間にくさびを打ち込」まれ、「共産党排除の政治体制」をつくられたいう、共産党が「支配勢力」に一本取られたと言う話です。
  しかも、反共攻撃の影響についても、76~79年には、「日本共産党の素顔がわかっていますから、そういう宣伝戦をやってもそれだけでは簡単に国民には響 きません」と言っていたのが、2000年には、「日本共産党を入れた野党連合政権が現実味を帯び」たと(不破さん以外にどなたが言ったのかわかりませんが、不破さんがそう)言う(ほど共産党に対する国民の信頼と期待が76~79年当時と比べてより高まったという不破さんの主観的評価の)時期に、「出所不明の謀略ビラやリーフレット」でいとも簡単に「街の雰囲気をガラッと変え」られたなどと、選挙結果にあわせて、株の上げ下げのように、理由の後付けがされています。
 いくら、「赤旗まつり」という〝祭り〟の場であっても、〝共産党〟を名乗る政党は、国民に真実をつたえて、心の底からたたかうエネル ギーを呼び起こさなければならない。先ほど、講演のなかに、資本主義的生産様式と生産関係の現状の正確な把握などほとんどまったく出てきていないことを述べましたが、講演のなかでどんな話がされたのか、見てみましょう。70年代はじめに資本主義の限界に突き当たった先進資本主義国の一員である日本の支配層が、体勢を整えて国民への攻撃を本格的に開始しはじめた時期を、不破さんはどう分析しているのか。
 不破さんは、「がた落ちだった財界の信用も 〝メザシの土光〟を演出した『臨調行革』で挽回。臨調のお墨付きでゼネコン政治を再びおおっぴらに軌道に乗せました」、「自民党の腐敗したゼネコン政治の 危機は拡大しました。」と言う。「前川レポート」や「臨調」がなぜ現れたのか、これらに示された方向での財界(資本)の行動変化の結果、日本の産業構造や労働者のおかれた状況がどう変化したのか一切述べられることはない。共産党の前進は、「そうなるとやはり前と同じ現象がおきるのです」と〝風まかせ〟だ。 だから、「天安門事件」等でまた「抑え込まれ」てしまう。「資本主義的生産様式と生産関係の現状の正確な把握」など必要ない。「安保条約絶対型・大企業応援型の政治」という言葉さえあれば、あとは、共産党と支配勢力の政党と「風」と「反共攻撃」で戦後の「日本の政治史」は説明できる。その結果、「こうしてみて くると、共産党をいかに抑え込むかが支配勢力にとって政治の中心問題であることがわかると思います」といういう、とんでもない「日本の政治史」が作られ る。
 そして、「社公合意」以来30年間の政治到達点といして、ⓐ「崩壊の極点に近づきつつある財政危機」とⓑ「世界の変化への逆行」として「軍事同盟は世界からきえつつある」ことと「ヨーロッパの資本主義では当然のルールが日本にはない」ことをあげてています。「崩壊の極点に近づきつつある財政危機」は「軍 拡・ゼネコン政治」が「根源」なのか。そうではありません。70年代はじめに資本主義の限界に突き当たった独占資本のグローバル展開ために総資本(財界) がとった戦略的決定の結果です。

経済成長の限界に突き当たった日本の独占資本はどのようにして資本の拡大をめざしたか

  戦後資本主義は、どのような力学が働き、どのように推移したのか。いわゆる資本主義の「黄金時代」以降の動きを見てみましょう。
 1950年代、60年代の資本主義の「黄金時代」は高い経済成長のもとで、日本の労働者の失業率は非常に低く(2.1%程度)、労働組合の組織率は継続的に上昇し、雇用保護法の整備が進み、失業給付金補償率も上昇して、資本に対する労働側の強化が進んだ。
  70年代に入り、資本主義の「黄金時代」は終わり、成長は減速し始めたが、労働側の攻勢は続き、賃金水準の上昇、賃金格差の縮小、労働時間の短縮、労働者 の法的保護の拡大、労働組合の強化が図られました。また、ソ連等の「計画経済」(それは民主主義と科学を欠いた出来損ないの「計画経済」であったが)が存在し、資本主義経済の減速がつづく中で、強化された労働側の力を背景に、──経済運営の優先順位の民主的決定と企業経営への積極的な労働者参加をともなえば、計画経済は(現存の資本主義はもとより)「現存の社会主義」よりうまく機能するはずである──との考えに基づき、イギリス、スウェーデン、ドイツ、フ ランス等で企業の国営化や企業経営への関与を大きくする動きが強まりました。
 たとえば、イギリス労働党は1973年の党大会で工業企業 20~25社を強制的に国有化する計画を承認し、ドイツでは、1976年に企業の共同決定権が拡大され(労働者比率が1/3→半数へ)、スウェーデンでは 労働組合により、年間利潤の20%を新株にして労働者が持つ「勤労者基金計画」が提起されました。1981年に誕生したフランスのミッテラン政権は多くの 企業を国有化して工業従業者に占める国営企業の比率を11%から22%へ倍増する計画を掲げ、実行しまた。
 こうした中で、資本の反転攻勢が強ま り、78~79年頃を境にして、労使の力関係の潮目が変わった。国際的な競争圧力、失業率の上昇の中で労働者の組織的・政治的力量が弱体化し、労働者階級が後退しはじめました。こうした中で、ヨーロッパとイギリス・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド(いわゆる「新自由主義諸国」)との色合いの違 いが、一時、鮮明になりました。その結果、賃金格差の拡大にしても、失業給付金の縮減にしても、最低賃金の低下にしても、ヨーロッパと較べて新自由主義諸 国は一層大幅に行われ、新自由主義諸国では労働者に対する社会的保護全般が一層悪化しました。

  この様に、労働者階級に対する完全な押さえ込みにもかかわらず、成長率は上昇しなかった。資本は、先進資本主義諸国では、金融の新種──ヘッジファンドと デリバティブ──を使って、企業の上層部にインセンティブを与え、時価会計を利用して、時には会計の粉飾さえすることによって、一時的に増大した企業価値 を「種」として、庶民の資金をも巻き込んだマネーゲームによって利益を得ることによって、資産の見せかけの価値を増大させることによって、資本の増大を図る以外に道をみつけられないでいます。
 『共産党宣言』は「近代の国家権力は、ブルジョア階級全体の共同事務を処理する委員会にすぎない」と述べ ています。日本の「ブルジョア階級全体」はどのような意志を持って「国家権力」を動かそうとしたのか、どのような政治を国民に押しつけようとしたのか。見 てみましょう。

70年代以降の財界の戦略

先進資本主義国の生産力が高まり、脱工業化(資本主義の歴史的使命の基本的な終了)がブルジョア経済学者から叫ばれはじめた1970年代中盤以降、日本 の資本は自己資本比率を高めるとともに海外で利益を上げることに一層重心を移しはじめ、80年代に入り、資本は日本を棄て、海外での資本蓄積によって自ら の活路を拓くことを選択した。その結果、資本は、国民を帝国主義国の国民──それは、資本の利益のおこぼれを施される、運命共同体の一員としての国民── から、しぼれるだけ搾り取ることを目的とする、植民地の国民のように扱うようになり、国民の生活など一顧だにする必要を感じなくなった。
1981 年3月16日に発足した第二臨調は「①活力ある福祉社会の建設 ②国際社会に対する積極的貢献を今後の行政のめざすべき目標として」、国民福祉に係る行政 サービス全般の切り下げと負担の引き上げをはかる一方で、すでに政府の定めた五年倍増の中期目標にもとづく政府開発援助の規模の拡大を前提に、「政府開発援助と民間ベースの経済協力の適切な役割分担の下に、両者が相互に協調・補完しつつ相乗効果を生むよう総合的な経済協力を推進する。」として、資本の海外展開を積極的に支援する方針を明確にした。

そして、プラザ合意(1985年9月22日)を受けて1986年4月7日に報告された前川リポートは、内需拡大のために、後の不動産バブルのもととなる「住宅対策及び都市再開発事業の推進」や地方を借金づけにする「地方における社会資本整備の推進」をかかげ、企 業の儲けを目的とした「土建国家」の推進を図るとともに、「国際的に調和のとれた産業構造への転換」として、①国際分業を促進するための積極的な産業調整 ②直接投資の促進③基幹的農産物を除く、農業の切り捨てを提言した。これによりグローバル企業の製品、資本両面の輸出が加速され、産業の空洞化が促進され るとともに日本はアメリカの景気浮揚のための「世界の機関車」の役割を担わされた。その結果、企業と資産家たちはバブルに酔いしれたが、労働者は、交際費 を自由に使うことのできる一部の人たちを除き、当然のことながら、その恩恵に浴することはなかった。

 九二年版『通商白書』は、「企業活動の国際的展開が進むにつれ、従来の国家と企業との関係にも変化がみられるようになってきている。……ある国の資本に よる企業の利益がその国民の利益と一致する度合いが減少しつつある」とし、「国際展開が進んだ企業は資本の国籍にかかわらず、現地の雇用者を多数擁し、現 地の市場を中心として財・サービスを提供する。したがって自国籍企業の収益向上が直接に国民生活と関係するところは、収益の分配が主として当該国の投資家 にたいして行われるという点に限定されていく傾向を有する。さらに投資家が国際的に分散していけば、その意味すら失われる」ことをのべている。
  バブルが崩壊すると、厚化粧がはがれ、『通商白書』で述べられていることが顕在化した。1995年以降、設備投資は低迷し、GDPは伸びず、雇用需給が変化し、労使の力関係が変わり、輸出拡大を口実に賃金は抑制され、非正規雇用が激増しはじめ、長く続く国民生活の低迷が本格的に始まった。
☆1996 年1月、豊田章一郎経団連会長が発表した「豊田ビジョン」は、「望ましい経済の姿」として、「これまでの『一国フルセット型産業構造』からアジア・太平洋 諸国との調和ある分業体系が形成されている。その中で、国内においては、強靱な製造業と生産性の高い非製造業から構成される『ハイブリッド型産業構造』と なっている。」という。そのために、「大競争時代に対応して地球的規模で最適な事業体制を構築することも重要であり、海外調達の拡大、製品・半製品の海外 調達や生産委託、合弁・業務提携等による開発輸入、技術移転にとどまらず、生産拠点の海外移転、海外生産比率の引き上げ、現地化の推進、販売・サービス拠点の拡充、海外メーカーとの分業・共同研究開発等を進める。とりわけ、アジア諸国との分業ネットワークを推進する」として、「最適な事業体制の構築」と 「生産拠点の海外移転、海外生産比率の引き上げ」を行うことによって国内産業の空洞化を促進した。「今後のメガ・コンペティション(大競争)の時代にあっ て、アジア・太平洋諸国との分業・相互依存関係が深化し、また、産業の高度化、新産業の出現などを背景に産業構造が転換することに伴い、人材の流動化は避 けられない」、「雇用政策のパラダイムをこれまでの同一企業グループにおける雇用の安定から、社会全体における就労機会の確保に転換する必要がある。」と して、正規雇用から非正規雇用へと「雇用政策のパラダイム転換」を進めることとしている。なお、〝社会全体における就労機会の確保〟など自由主義社会においては〝飾り文句〟にしかすぎないことは言うまでもない。このように、この「豊田ビジョ ン」の正式タイトルは「『魅力ある日本』の創造」であるが、それは、国民を踏みつけにして、資本にとって『魅力ある日本』を創ることなのであった。
☆2003 年1月、「豊田ビジョン」から七年ぶりに奥田碩日本経団連会長は、日本経団連の長期ビジョン「活力と魅力溢れる日本をめざして」(「奥田ビジョン」)を発表した。「奥田ビジョン」は、「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑む」として、「東アジアでは、事実上の経済統合が進みつつあるものの、地域経済関係をさらに進化させていくための制度的な枠組みの構築が大きく遅れている。そこで日本は、『アジア自由経済圏』構想の実現に向け、強いイニシアティブを発揮していく。日本には、自らの手で市場開放を行うという『第三の開国』を進めていく強い意志が求められる」とし、「東アジア自由経済圏の形成により、ビ ジネス上の障壁の撤廃やインフラの整備が進めば、域内の取引コストは劇的に低下する。この結果、、より強固なバリュー・チェーンが構築され、域内企業の生産性や競争力が著しく強化される」とした。つまり、資本が一層海外に出て行くために『第三の開国』を進めていく強い意志を表明した。
つづいて、 2007年1月には、御手洗冨士夫経団連会長が「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表した。「御手洗ビジョン」が目指す10年後の姿は、「日中韓、 ASEAN、インド、オーストラリア、ニュージーランドからなる包括的で質の高いEPAが成立して」おり、「域内でシームレスな経済環境が整備され、企業 の自由な取引が保証されている。取引コストは大幅に低下し、徹底的な最適地生産が進み、より、強力なバリューチェーンが構築されている」という。そして、 FTA/EPAの範囲は、「奥田ビジョン」の東アジアから、インド及びオーストラリア、ニュージーランド、そして、米国とアジア太平洋地域にまで拡大された。
  このように、資本は、国内の雇用や産業を犠牲にして海外での利潤拡大を図るという一貫した戦略によって、政治を動かし、今の日本(日本国民)の危機を作り出してきた。

これらの結果、日本はどう変わり、国民生活はどう変わり、国民の意識はどう変わったのか

 資本の反転攻勢が強まり、78~79年頃を境にして、労使の力関係の潮目が変わったことは前に述べた。財界の意を受けて1981年に始まった「臨調行革」から「小泉改革」によって国民の生活はメチャメチャにされ、国家財政は危機的な状況になった。
  高度成長型の経済からの変化を読めず、労働側が力を弱められたことをいいことに、資本は政府と一体となって好き勝手なことを行ないました。
 その結果、日本の労働年齢人口の所得の不平等が大幅に拡大した。そのことについて、OECDはつぎのように結論している。「1994年の19%から2004年の29%への非正規雇用者の増大が日本における市場所得の不平等拡大の主な原因である。非正規雇用には、パート、派遣労働者(人材派遣会社に雇われている労働者)、臨時労働者、短期契約労働者を含んでいる。非正規労働者の三分の二を占めるパート労働者の2003年度における時間当たり賃金は正規労働者のわずか40%であった」(OECD 2006 :p100)と。
 だから、日本で相対的貧困率(可処分所得が中央値の半分以下の人口の比率)が1980年代中頃の12.0%から2000年の15.3%に増大したことも不思議ではない。OECD諸国で、2000年にこれを上回っているのは、アメリカの貧困率(17.0%)だけで、日本はアメリカについで第2位の貧困率を誇っている。貧困率の高さとその増大は、上記のような非正規労働者の非常に低い賃金を反映しているのである。
 国民の「ライフスタイルの多様化」を口実とし、「より大きな雇用の伸縮性」を得るために国家(自民党と官僚)と資本は共同で「非正規社員」という制度を作った。その結果、日本はOECD諸国で第2位の貧困率の国となった。そして、このような雇用構造の変化は社会に次のような深刻な影響を与えています。
 第一に、低賃金・不安定雇用によりぎりぎりの生活を強いることにより、「一家の再生産機能」を破壊し、非正規社員自身のフラストレーションを極端に高め、失うものは何もない人間を増殖して、社会の不安定化への予備軍を準備する。これにより、少子化社会、安全でない社会への物質的基礎を準備する。
 第二に、国民の中の階層分解を促進し、それを当然視する見方、金を持った「勝ち組」が労働力以外にない「負け組」を支配することを当然視する見方が国民的イデオロギーとなるような思想的貧困=貧困な思想の物質的基礎を準備する。
 第三に、不安定・低賃金の非正規社員の存在が現行の医療、年金の社会保障制度をほり崩し、崩壊させるテコの役割を果たす。
 このように、非正規社員のもつ意味は重く、その解消の社会的意義はきわめて大きい。
 グローバル資本が、〝資本の増殖〟を商品と資本(国富=労働者の血と汗の結晶)の輸出によって得ようとし、そのために資本にとっての経済合理性(最も安上がりに商品を作ること)を求めた結果、国富の海外への移転がすすみ、産業の空洞化が深刻さを増し、95年以降、国内設備投資の停滞とGDPの停滞が顕在化し、この十数年間、資本の利益(単年度最高益を含む)は増大しつづけ労働者の賃金の減少しつづけた。これらの結果、日本は少子・高齢化社会、低社会保障社会への歩を早めている。いま日本は「危機」のただ中にいる。
 Oxford English Dictionary 1990によると、「危機」という用語は「病気の進行が、回復か死かを決定するような重要な発展ないし変化を生ずる時点」を指している。いま、日本は基本的なシステムが壊れ、「多臓器不全」に陥っている。まさに外需だのみの資本にとって解決不能な「危機」の状況にある。日本資本主義はバブル崩壊後、国民福祉の方向への経済政策の転換もしなければ、投資水準も低いままで、労働者への利益還元もなされなかった。そして資本は、外需という〝神風〟によって景気が回復し、戦後最長の好景気により未曾有の利益を上げるようになっても、ただ儲けをため込むだけで、世界金融危機を迎え、現在に至っている。これが2010年の日本の姿である。
 いま資本は、労働者を犠牲にして、じっと外需の回復する──神風の吹く──のを待っている。資本は経済をコントロールする能力を持たず、日本国家と日本国民の将来設計を描くことができないでいる。資本は国内の雇用や産業を犠牲にして海外での利潤拡大を図るという一貫した戦略によって、政治を動かし、今の日本(日本国民)の危機を作り出してきたが、資本には日本経済を成長させ、国民を豊かにする能力がなく、日本国家と日本国民の将来設計を描くことができないでいる。
 78~79年頃を境にして、資本の反転攻勢が強まり、労使の力関係の潮目が変わったことをまえに述べたが、国民も、労働者階級も、そして日本共産党もこのころまでは元気だった。しかし、残念ながら、日本共産党は、日本経済の在り方が根本的に変化しつつある中で、職場でそのことを徹底的に曝露することなく「党勢拡大」と目先の選挙に没頭し、未来の党としての対応力を失ってしまった。共産党は、現実をリアルに分析することなく、高度成長のときの延長線上で、半ば抽象的に「日米軍事同盟」と「大企業」を批判し、平和を守党をアピールし、大企業本位の「開発」は失敗すると嘲り笑うだけだった。日本が社会主義に向かわなければ現在の困難を解決することができない独占資本主義の国であることをわすれ、「内発的発展」と「賃上げ」を含む「ルールある資本主義」でバラ色の未来が来るかのように労働者と国民をミスリードし、他党より至れり尽くせりではあるが、国民の生活の改善に努力することを他党と同じように訴えつづけた。その結果、共産党は、「敵失」と「風」によって選挙での得票率の一時的な上昇はあったものの、国民の期待を得ることなく一貫して国民の支持を低下させ続けてきた。国民を棄てたグローバル資本の代理人である自民党も、もちろん、苦戦を余儀なくされている。国民を棄てたんだから当然だ。しかし彼らは、資本を援助し、資本の負担を軽くして、自由に活動できる場を作ることで日本経済が成長するという、「成長戦略」──そこには、独占資本を国民の利益に服従させることなど一切ない──と産業空洞化を覆い隠す「新産業の育成」という抽象的な言葉によって、必死に、国民をだまし続けようとしている。これが、自民党の支持率の長期低落と80年代に入り急速に勢いを失った日本共産党のリアルな現実だ。
 財界にとっては、「こうしてみてくると、共産党をいかに抑え込むかが支配勢力にとって政治の中心問題であることがわかると思います」などとノー天気なことを言って「自慢」(?)している政党が「前衛」でありつづけること、米国や欧州の経済的な権益をまもるための野蛮な戦争が続く中で「軍事同盟は世界からきえつつあり」といい、EU全体が新自由主義の政策をとり、スペイン、ポルトガルでは産業の空洞化が進み若者の未来は絶望的であるのに、「ヨーロッパの資本主義」に社会存続の「ルール」があるのかように言う人が日本共産党に大きな影響を及ぼし続けることは大変幸せなことである。加えて、不破さんは財界の一員である盛田昭夫氏を天まで高く持ち上げる。不破さんが持ち上げた盛田昭夫氏は、残念ながら、「空想的社会主義者」の足下にも及びはしない。「空想的社会主義者」は労働者の働く条件の改善に自ら取り組んだが、資本の対等な競争条件づくりを国に求める盛田氏は、「ソニー」で労働者に何をしてきたのか。そして、率先して日本を棄てたのは「ソニー」を含む電気産業ではないのか。率先して非正規を増やしたのは「ソニー」を含む電気産業ではないのか。そして、率先して非正規の首を切っているのも「ソニー」ではないのか。
 このような現実を反映して、不破さんの講演を聴いて、いまの日本の「資本主義的生産様式と生産関係の現状の正確な把握」ができ、「心の底からたたかうエネルギーが呼び起こされた」という「参加者の感想」など『赤旗』紙上には一つもなかった。これは悲しいことである。残念ながら、『赤旗』に感想を取りあげられた日本共産党員は、まじめなマルクス主義者がドイツでベルンシュタインに、ロシアでプレハーノフに共感を示したように、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想からはかなり遠くに離れていってしまったようである。
 マルクスはエンゲルスへの手紙で「労働者党の誇りは、このような妄想の空虚さが経験によってはじけるより前に、そのような妄想を退ける、ということを要求しています。労働者階級は革命的なのであり、そうでなければそれはなにものでもないのです」と確認し合っています。〝前衛党〟は「妄想」を曝露し「妄想」を退けるために全力を尽くすべきで、「反共攻撃に負けた」などと情けないことをいって居直っていてはいけないと思う。
 かえすがえすも残念である。