4-4

☆不破さんが、どれだけフランス革命を「勉強しなおし」ても、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想を「埋め戻し」て、「修正」することはできない。

 

誤って、天地を逆に挿入してしまいました。

  1. 不破さんが、フランス革命を「勉強しなおし」て、「革命のなかで働いた法則的発展がつかめてくる感じがし」たのは、非常によいことです。しかし、
  2. 不破さんは、自分に気に入らないものは埋めて、周知の事実を発掘して自慢します
  3. ローザ・ルクセンブルグが1905年に「論文」を書いたころ、レーニンは革命をどう準備していたのか
  4. 「ドイツの左派」を引き合いに出して攻撃するのは、「今の日本共産党」を引き合いに出して、科学的社会主義に展望がないと攻撃するようなものです
  5. マルクス・エンゲルスは、資本主義を曝露し、プロレタリアートを労働者党に組織し、生産手段の私的所有を廃止して社会主義社会を作ることを私たちに呼びかけ、私たちは草の根から革命運動を組織しようと努めてきた

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不破さんは「革命を準備する」という発見から、科学的社会主義の思想の必須条件である〝by the people〟を「発見」しそこね、「前衛党」を資本主義の改良のための御用聞きと国民の「指揮者」の役割に変えようと努力しています。

不破さんが、フランス革命を「勉強しなおし」て、「革命のなかで働いた法則的発展がつかめてくる感じがし」たのは、非常によいことです。しかし、

 不 破さんは、『前衛』2014年1月号で「私自身、フランス革命については、だいたいのことは知っているけれども、どういう段取りで、どういうふうに進んだ かということは、サッとは頭のなかに出てきません。」と、フランス革命について、認識が曖昧であることを告白し、「第四課で革命論を勉強するためにも、フ ランス革命の歴史をここできちんと話さないといけないと思って、今度、勉強しなおし」たことを、正直に、述べています。記 憶を明確にし、事実関係の正確を期し、自信を持ち、確信を持って講師の役割を果たす。そのために学習する。当たり前のことですが、今の共産党にとっては大 変大切なことだと思います。なぜなら、志位委員長は初級教室で、「過渡期論」について疑問を持ちながらも、平気で、講義をしたとの告白を『赤旗』で読み、 唖然とさせられたことがありましたから。しかし、前の文章に続く「そうすると革命のなかで働いた法則的発展がつかめてくる感じがしました。」(P10)には驚かされました。不破さんは、〝科学的社会主義〟の頭で「フランス革命のなかで働いた法則的発展」を検証しながら、「フランス革命の歴史」を見ていたのではなかったと言うのです。不破さんは、「フランス革命」の事実関係が曖昧になっのではなく、「フランス革命」を「観念的」に捉えていた。しかし、「勉強しなおし」て「革命のなかで働いた法則的発展がつかめてくる感じがしました」という。「科学的社会主義」を標榜する党で、最高指導者も歴任し、今も、最も影響力をもつと思われる不破哲三氏が、「勉強しなおし」て「革命のなかで働いた法則的発展」が「つかめてくる感じがしました」というのでは、正直なのは良いことですが、内容は最悪ではないでしょうか。残念ですが、不破さんあっての志位さんということなのでしょうか。

不破さんは、自分に気に入らないものは埋めて、周知の事実を発掘して自慢します

 「勉 強しなおし」て、パワーアップした不破さんは、「フランス革命型の革命観というのは、二〇世紀にまで響いていました」として、ローザ・ルクセンブルグの 1905年の「論文」を引き合いに出して、「革命というものは準備するものではない、自然発生的に起きるものであって、それを党が準備しようとするのは邪 道だという論でした」と言い、「ドイツの左派」に言及したあと、「レーニンでも、ロシア革命を背景にしていますから、この点の本格的な研究はできませんで した。私は、この分野は、科学的社会主義の埋もれた歴史の一つになっていると思って注目してきました。」と、自分がレーニン以上の人物になったことを自慢 します。
 古典教室のために、にわかに「勉強しなおし」て、「革命のなかで働いた法則的発展がつかめてくる感じがし」た不破さんが、「ドイツの左派」が学ばず、レーニンも本格的に研究しなかった「科学的社会主義の埋もれた歴史の一つ」に光を当てたというのです。
 私の付けた「不破さんは、自分に気に入らないものは埋めて、周知の事実を発掘して自慢します」のタイトルがウソなのか、不破哲三氏が正しくないのか検証してみよう。そして、不破さんが「科学的社会主義の埋もれた歴史の一つ」に光を当てたことが、どのように日本共産党と不破さんの〝いま〟に活かされているのか、見てみましょう。

ローザ・ルクセンブルグが1905年に「論文」を書いたころ、レーニンは革命をどう準備していたのか

 レーニンは革命における「蜂起」の位置づけについて、1905年9月26(13)日に書いた「議会遊び」( 全集 第九巻 P286~287)で、要旨、次のように述べています。
  実際に「政党の存在の法的基盤」(ロシア社会民主労働党をもふくめて)がつくりだされるときには、われわれは、蜂起の問題全体をあらためて再検討しなければならないだろう。なぜなら、われわれにとっては、蜂起は社会主義をめざす闘争の自由な舞台をたたかいとるための、重要な手段の一つであるにすぎず、かならずしもつねにとらなければならない手段ではないからである、と。
 そして、1905年10月17日付け『プロレタリー』第21号の『 「イスクラ的」戦術の最後の言葉』(第9巻 P390~391)では、いかに革命を準備すべかについて、要旨、次のように述べている。
  蜂起のスローガンは、物質力によって問題を解決するスローガンであるが、現代のヨーロッパ文化のもとでそうした力というのは、軍事力だけである。このスローガンは、変革の一般的条件が成熟し、大衆の激昂と行動への決意とがはっきりした形で現れ、外的な事情が明白な危機に導かないあいだは、けっして提出してはならない。
 蜂 起を直接の呼びかけとしてそれを提出したのは、革命運動の重大さ、広さ、深さについてどういう動揺もありえず、事態が本来の意味での大詰に近づいているこ とについてどういう動揺もありえなかったときにはじめてそうしたのだということを、われわれは再三述べてきた。偉大な言葉は、慎重に取りあつかわなければ ならない。それを偉大な事業に転化させる困難は、たいへんなものであり、空文句でこれらの困難をまぬかれることは、ゆるされない。
  革命軍、これもまた非常に偉大な言葉である。それをつくりだすことは、困難で複雑な、長期にわたる過程である。だが、このような軍隊なしには、革命の真の 勝利は不可能であることをわれわれは知っており、われわれは、断固たる、率直なスローガンを提出し、それを説きひろめ、それを政治上の焦眉の諸任務の試金 石としなければならない。 
  いったんさいが投げられたなら、あらゆる逃げ口上を捨てて、変革が成功するための実践的条件は現在どのようなものであるかを、もっとも広範な大衆に、率直に、公然と説明しなければならない。
 しかし、変革が社会=経済的発展の条件によって完全に成熟しても、この変革の革命的創造者たちの力は、それをなしとげるのに不十分だということもありうる。そのばあいには、社会は腐敗し、この腐敗はときには何十年にもわたって長引く、と。
 そして、『プロレタリー』第9号、1906年12月7日付け「メンシェヴィズムの危機」(第11巻 P353)で、「革命における先進的な階級の任務」について、次のように述べている。
「革命における先進的な階級の任務は、闘争の方向を正確に認識し、勝利のすべての可能性、勝利のすべての機会をくみつくすことである。このような階級は、 まっさきに直接の革命的な道にたち、また、一番最後にこの道を立ちさって、他の、より「日常的な」、より「迂回的」な道にうつらなければならない。」、 と。(これらの三つの文章はHP「レーニンの著作の抜粋 Dロシア革命」のPDFファイル13-1に収録してあります。是非、お読み下さい。)
 こ れらの文章を見れば、不破さんの「革命というものは準備するものではない、自然発生的に起きるものであって、それを党が準備しようとするのは邪道だという 論でした」、「レーニンでも、ロシア革命を背景にしていますから、この点の本格的な研究はできませんでした」という主張が、いかにデタラメなものであるか ということがよく分かります。
 レーニンは、不破さんのように情勢と無関係に『前衛』を私物化して、スターリンについての研究を毎号30ページ以上掲載させ、書斎でデタラメな「本格的な研究」をおこなっているのとは異なり、このように革命の準備を実践していたのです。「あれた時代」のウソでレーニンを覆い隠そうとしても、ちゃんとレーニンから学んでいる人には、すぐばれる話です。

「ドイツの左派」を引き合いに出して攻撃するのは、「今の日本共産党」を引き合いに出して、科学的社会主義に展望がないと攻撃するようなものです

  つ いでに、「ドイツの左派」なるものについて簡単に触れると、レーニンは、第二インターナショナルの右翼的幹部が「社会主義」政党を牛耳るなかで、その反動 として跳ね返る人たちに対して、当初、未熟な左翼がかかる「子供の病気」として温かいまなざしで支援し、その後、運動を阻害する行き過ぎた部分に対して 「左翼小児病」として厳しい批判を加えました。「ドイツの左派」なるものは、レーニンのようなしっかりした指導者に恵まれた、ボルシェヴィキのようにまとまった、科学的社会主義者の集団ではなく、不破さんが言うように白か黒かの評価を下せるような集団ではありません。

マルクス・エンゲルスは、資本主義を曝露し、プロレタリアートを労働者党に組織し、生産手段の私的所有を廃止して社会主義社会を作ることを私たちに呼びかけ、私たちは草の根から革命運動を組織しようと努めてきた

 マ ルクスは、労働者党の役割、仕事について、「……、労働者党も、もしビスマルク時代とか他のなんらかのプロイセン時代によって王様の恩寵のおかげで金のリ ンゴが自分の口にころがりこんでくると思い込むならば、もっとずっとひどい物笑いの種になるでしょう。プロイセン政府の社会主義的干渉というラサールのい まわしい幻想にたいする幻滅が現われるであろうということは、少しも疑問の余地がありません。事物の論理がものを言うでしょう。しかし、労働者党の誇り は、このような妄想の空虚さが経験によってはじけるより前に、そのような妄想を退ける、ということを要求しています。」〈 不破編 書簡集11865年2月18日 マルクスからエンゲルスへの手紙〉と述べています。科学的社会主義の党とはこういう党のことです。だから、「革命」が「自然発生的に起きる」のを待つような「党」があるとすれば、それは、科学的社会主義とはかけ離れたところにある党です。そんなことは、不破さんの新発見がなくても、まじめに科学的社会主義を学んだ人なら自明のことです。だ から、レーニンは、不破さんのような「本格的な研究」によって、新発見などしませんでしたが、現実と向き合い、実践をつうじて、実践に即した文筆活動をつ うじて、マルクス・エンゲルスの思想=科学的社会主義の思想を「埋もれ」させることなく継承し、ロシア革命を成就させたのです。

不破さんの思想は、現在の「共産党」にどう生かされているのか

  1. 言い古された抽象的な言葉を繰り返して、展望をもつよう訴える、山谷学習・教育局長の〝檄〟文
  2. 「展望」を持つために、認識すべき第一の問題は、政治・経済の現状のリアルな把握です
  3. 「展望」を持つために認識すべき問題の第二は、運動の進め方の改善です
  4. 国民の意識を変える日常不断の階級闘争が選挙の力関係に現れる
  5. 旗幟鮮明な、労働者階級の立場にたった訴えを
  6. 山谷学習・教育局長は、新しい政治の扉は開かれ、日本共産党が〝北斗七星〟のような輝きを増す時代になっているという

言い古された抽象的な言葉を繰り返して、展望をもつよう訴える、学習・教育局長の〝檄〟文

 では、不破さんが大きな影響力を持つ日本共産党は不破さんの言う科学的社会主義の思想を「埋もれ」させることなく継承しているのか、見てみましょう。
 党の学習・教育局長の山谷さんの2013年1月24日付けの『赤旗』に掲載された〝檄〟文は、その絶好の教材です。〝檄〟 文は、最初に、共産党が前進しないなかで、党員が「『なかなか展望がもてない』といった気持ちは出てきやすい」こと、「そこを打ち破るために深い解明をお こなっている」ことを3段にわたって書き、「こうした……発言からしっかり学ぶことが大切です。」と言います。しかし、そ こに書かれていることは、ただ、「古い自民党型政治がいよいよ行き詰まり」、「安倍政権(には)展望がない」といつもどおりのことを言っているだけで、そ れなのになぜ自民党が勝利したのか、なぜ共産党が前進しないのかの答えはなく、「なかなか展望がもてない」人の悩みにまったく答えていません。〝なかなか展望がもてない人(=党の方針の正しさを確信していない人)〟に〝展望(=問題を認識して、その打開の道を理解し、自分の行動に確信を持つこと)〟を示しているものではありません。これでは「しっかり学ぶ」ように言われても困ってしまいます。  「展望」を持つために認識すべきことは何か。考えてみましょう。

「展望」を持つために、認識すべき第一の問題は、政治・経済の現状のリアルな把握です

 飽 くなき利潤追求を自己目的とする資本は、70年代のはじめ、国内での高蓄積の限界に突き当たり、労働者の血と汗の結晶である富を海外に持ち去り、海外での 資本蓄積をすすめる道を選びました。その結果、経済の空洞化が進行し、直近の、02年1月を谷とする「いざなぎ景気」を超える戦後最長の景気回復期──こ のときのグローバル企業の実質経常利益は「いざなぎ景気」に次いで戦後二番目の増益率となった──においても、グローバル資本の一人勝ちとなり、労働者の 名目賃金はマイナスになるというマルクス・エンゲルスも想定しなかった(「オッペンハイムあてのエンゲルスの手紙」及び『資本論』で好景気のときは労働需 要が逼迫して賃金は上がると言っている。)異常な事態が進行しています。この間、大量の不安定雇用労働者が企業年金から排除され、国民年金未加入者の大群 を生み、結婚できない層の増加と少子化を加速させ、90年代半ば以降生活保護世帯は増加の一途をたどっています。「好況期」でも生活保護世帯がまったく減 らない。国民の希望は奪われ、〝国民生活と国民経済の崩壊的危機〟は限界点に達しつつあります。
 自 民党と民主党の「異常な財界中心」の政治は、このグローバル資本を中心とする総資本の利益を擁護し、グローバル資本の行動の円滑な推進のためにおこなわれ ています。このようにグローバル資本の身勝手な行動をやめさせる意志などない自民党等々に「展望がない」のは当然ですが、それでも国民が自民党に救いを求 めるのは(自民党が勝利するのは)、企業が生き残るためには、低賃金の新興国と互して戦わなければならず、それらの国々へ打って出ていかなければならず、 出て行く企業の穴埋めの新産業の育成によって日本は復活する、という、イデオロギーに国民がだまされているからです。「異 常な財界中心」の政治と〝対極〟にいるはずの共産党が、マルクスの頭をもって、「産業の空洞化」をもたらすグローバル資本の身勝手な行動をやめさせるこ と、それこそが、日本の社会・経済を立て直す最も確かな途であることを旗幟鮮明に示していないからです。前衛党が国民に現状をリアルに暴露しきれていない 結果、「自民党政治を崩壊の危機」におちいらせることができないでいるのです。現状を正しく認識せず、「ルールある資本主義」を理想として追い求め、不破さんが学んだはずの「革命を準備する」ことを忘れているのです。

「展望」を持つために認識すべき問題の第二は、運動の進め方の改善です

 革命を自然成長性に拝跪しないためには、マルクス・エンゲルス・レーニンの思想を身につけることが必要です。特に、以前は日本共産党も強調していましたが、 レーニンの『二つの戦術』や『何をなすべきか』等の革命的な思想を全党が身につけることは、欠くことのできない学習課題です。そして党は組織として、㋐党中央はその時々の国民の関心事と政治的課題を正確につかみ㋑県・地区・市委員会の意識改革を行い、居住支部に属さない党員が積極的に地域で活動できるような体制を整える必要があります。国政選挙のあるなしに関わらず、上述したような現在の日本が抱える矛盾を系統的にバクロし、国民の政治意識を高め、党の考えを国民に理解してもらい、国民の正しい選択を助ける活動を全力で行うことが必要です。具体的には、系統的に、考え抜かれたビラを、すくなくとも四半期に一度程度のペースで全戸配布する等の具体的な計画を党中央が持ち、全党がそれを実践する(これは、実践可能なことです)。また、選挙の時に、自民党に対抗して、積極的に、旗幟鮮明な政策をテレビ等を通じて訴えることは、共感を拡め、支持を固める上で非常に大切な活動です。これまでの消極的な姿勢を改め、「政党助成金」を活用してテレビ等を通じて党の政策、姿を大いにアピー ルしていくことが重要です。もちろん、大広なんかに頼んで訳の分からないコマーシャルをしていたのではダメです。「革 命を準備する」とは、このような活動を通じて、社会主義社会を展望する〝by the people〟を担う国民をウンカのごとく生みだし、社会主義社会になっても「共産党」が「指揮者」として君臨することのできないような、国民の民主主義 を作ることに努力することです。
 なお、「政党助成金」についての青山の考えについては、HP「共産党よ元気をとりもどせ」の子ページ「民主主義の発展にブレーキをかける「政党助成金」への対応」を参照して下さい。

国民の意識を変える日常不断の階級闘争が選挙の力関係に現れる

 レーニンは政治と選挙についての基本的な考え方について、いろいろな時期に、明確で実践的な考えを述べ、選挙を重視し、選挙戦の始まる6ヶ月以上前に選挙綱領をつくり、他党と対比した明確なスローガンを掲げたポスターも準備し、万全の体制で選挙戦をたたかいました。これに対し、日本共産党は、前々回(2012年)の衆院選では、選挙期間も最終盤の2012年12月10日発行の『前衛』(2013年1月号)で筒井晴彦氏が党の具体的な提案を、仕舞い込んだ〝秘伝のたれ〟のように、『前衛』を読んでいる稀少な人たちに披露していました。
  国民は政府・財界・マスコミ・御用学者によってトコトン洗脳されています。だから、共産党なら何をやるのか、具体的に100回でも1000回でも示すこと が必要なのです。選挙の時だけのビラ配布(残念ながら、その多くは、全く抽象的で、訴える力に欠ける)と電話での投票依頼、そして、ごく限られた関係団体 へのリーフレットの配布。こ れが、不破さんの言う「科学的社会主義の埋もれた歴史の一つ」に光を当てた結果の実践であるとしたら、そして、レーニンの実践や『二つの戦術』や『何をな すべきか』等の革命的な思想を埋もれさせた結果であるとしたら、それは不破さんの意図に沿ったものということなのでしょうか。

旗幟鮮明な、労働者階級の立場にたった訴えを

 同時に必要なことは、共産党の当面の目標である民主連合政府、〝国民の新しい共同社会〟へつながるスローガン、ポスター、ビラづくりを追求することです。具体的には、共産党が労働者の党であるということがハッキリ分かること、労働者が搾取されていることと資本家が搾取していることがハッキリ分かること、そして、党が労働者階級中心の政権づくりをめざしていることがハッキリ分かることです。第 二六回大会決議のなかに一度だけ「労働者階級」という言葉が、「日本の階級構成の8割を占める労働者階級」という表現で出てきますが、「日本の階級構成の 8割を占める労働者階級」などというだけの捉え方には驚きです。科学的社会主義のイロハのイがぬけています。社会主義・共産主義を実現する主体としての 〝労働者階級〟を発見したマルクスの思想がぬけています。〝日本経済の空洞化〟のなかで、基幹産業の労働者さえ闘わざるをえないような状況がうまれつつあり、党が正確な情勢分析をして正確な方針を出すならば、労働運動・革命運動が飛躍的に前進する条件が整っています。そういうなかでの〝労働者階級の歴史的役割〟を踏まえ、そのことを含めて、科学的に正確に訴えるべきです。国民は政府・財界・マスコミ・御用学者によってトコトン洗脳されています。「提案し、行動する」とか「ルールある経済社会」とか、説明する必要のないわけの分からないスローガンでは駄目です。日 本経済を再建し、安心して働けるためには産業の空洞化をやめさせることが必要条件です。そして、そのためにはグローバル資本による労働者の創った富の持ち だしを止めさせなければなりません。目標と敵を明確にしたスローガン、ポスター、ビラづくりが必要です。誰にでも分かるようにハッキリ言うべきです。そして、理解しきれない人には何回でも説明すべきです。これらの宣伝物の、国民一人一人、個人個人への徹底的な配布が必要です。アメリカ大統領選の個別訪問でも、面談できるのは2割程度で、残りの8割の人にはその人の属性にあわせたリーフレットを置いてくるだけだそうです。国民は政府・財界・マスコミ・御用学者によってトコトン洗脳されています。それを変えるのはフェイスtoフェイスのコミュニケーションと大量宣伝以外にありません。そして、問題を認識したした人が行動のできる場を率先して作るよう、大衆団体ででも、地方自治体ででも、国政ででも、積極的に力を尽くさなければなりません。
 レーニンの著作の中から、〝選挙戦を通じて労働者階級の政治的発展と政治的組織化をどう促すか〟〝選挙綱領とは何か、どうあるべきか〟〝選挙カンパニアの仕方〟に関する部分についての著作等から学ぶこともけっして無駄なことではなく必要なことです。(HP「レーニンの著作の抜粋 B党」の「6、選挙・議会と議会闘争」を参照して下さい。)
 これらのことを全党の党員に提起し、党員各自が討論を通じてその正しさを確信したとき、〝展望〟は持てるのです。

山谷学習・教育局長は、新しい政治の扉は開かれ、日本共産党が〝北斗七星〟のような輝きを増す時代になっているという

 続けて〝檄〟文は、国民はいま新しい政治を求めて〝探求〟中で「新しい政治を求める激動の時代」に入っているから「新しい政治の扉は開かれ」る、日本共産党は「〝北斗七星〟のような輝きを増す時代になっている」、と新興宗教のようなことを言い、「冬の時代」だとか「激動の時代」だとか、科学的社会主義にはふさわしくないことばを並び立てて情勢を説明(?)しています。このような文章で「情勢の大局をつかみ」、なんだかわかったような気になる人がいるとすれば、それは相当な観念論者であり、その人は何を持って「国民のなかへ」入っていくのか、人ごとながら心配になってしまいます。
 このような文章を『赤旗』に書き、問題の所在がどこにあるかも分からない、これが、不破さんの言う「科学的社会主義の埋もれた歴史の一つ」に光を当てて、多数者革命を実現(=「ルールある資本主義」の実現か?)するための実践の、現在の「理論的」な到達点であるとしたら、それは、不破さんにとっては、ねらい通りの到達点なのかもしれません。
 しかし、そのことに疑問を感じるのであれば、不破さんの「研究」からではなく、マルクス・エンゲルス・レーニンの「理論」と「実践」から学びなおし、グローバル資本の真の姿をあぶり出し、マルクス・エンゲルス・レーニンがパリ・コミューンとロシア革命から天才的につかみとった成果の一つである〝by the people〟の思想を根底において、ラディカルな国民的な闘いを再構築する仕事に、今すぐ取りかかる、必要がある。