4-2

☆不破さんが言うように、「社会的バリケード」をかちとり「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、資本主義社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道だなどと、マルクスは一度も述べたことはない。

 

 

 

不破さんは、

資本主義社会の中に

「社会的バリケード」で

「聖域」を作ろうとしている。

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4-2 「社会的障害物」の歪曲 .pdf
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不破さんの『賃金、価格、利潤』の講義の結びの言葉は、「ルールある資本主義」が「日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道」だという

『前衛』(2013年12月号)の座談会で司会役の山口さんは次のように述べています。
「(不 破さんは──青山が挿入)、資本主義世界でも異常な日本社会の状態を打開して、社会的バリケードをかちとり、「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくこと こそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだということを強調して、講義を終わりま す。……『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」と、不破さんが『賃金、価格、利潤』の 「補論」と「補注」でマルクスを歪曲し、労働者が団結して「工場法」を資本の横暴を妨げる「超強力な社会的障害物」として「強要」することの意義をミス リードしてています。

結論--マルクスは不破さんの言うようなたたかいをしていたのでは「全面的に失敗する」と言っている

  マルクスは「資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されないかぎり、顧慮を払わない」ので、労働者は「自分たちと同族とを死と奴隷状態 とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない」と『資本論』で述べており、『賃金、価格、利潤』では、改良だ けの戦いに終始して、労働運動が「その組織された力を労働者階級の終局的解放すなわち賃金制度の最終的廃止のためのてことして使うことをしないならば、そ れは全面的に失敗する」ことを述べています。
  マルクスは、不破哲三氏が言うように、「社会的バリケード」をかちとり「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、資本主義社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道だなどと述べたことは、一度もありません。

不破さんの言う「社会的バリケード」とマルクスのいう「社会的障害物」の位置づけは180度異なる。マルクスはなぜ「超強力な社会的障害物の強要」が必要だと述べているのか、見てみよう

 不破さんがいかに『賃金、価格、利潤』を歪曲したかについては、「不破さんの思い違い」のホームページ「4-1」を読んでいただきたいと思いますが、不破さんは自分の誤った主張を補強するために、「社会的バリケード」という言葉をつかって、あたかも「不破さん」と「マルクス」が同じ考えを持っているかのような誤解を与えようとします。
 山口さんの言う「工場法」に関する該当部分を『資本論』の内容にそって、マルクスがそこで何を私たちに語りかけているのか、本当の意味を見てみましょう。
  マルクスは『資本論』の「第8章労働日」の中で「資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望をもって、労働日の精神的な最大限度だけでなく、純粋に肉体的な最大限度をも踏み越え」(第1巻P346、以下「(ページ)」は全て第1巻のページを表記)て労働日の延長を求めること、「労働力の(=人間の)寿命を問題にしない」(P347)こと、「資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されないかぎり、顧慮を払わない」 (P353)ことを述べ、社会的強制の必要を指摘しています。
 そして、「標準労働日の制定は、資本家と労働者との何世紀にもわたる闘争の成果」 (P354)であり、1853年に、やっと、児童を含む全ての労働者の労働日が規制されたが、それは「最初の工場法の制定以来、今ではすでに半世紀が流れ去っていた」(P387)こと、「半世紀にわたる内乱によって一歩一歩かちとられた」ものであったことを述べ、「標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである」(P393)ことを私たちに教えています。そしてマルクスは、労働者が市場で彼の「労働力」を商品として売るとき、外見上「彼が自由に自分自身を処分」した様に見える契約上の労働時間は、結果的に、「それを売ることを強制されている時間」であること、資本家はあの手この手を使ってその極限を追求してくることを述べ、だから、資本の攻撃にたいする「防衛」のために、「労働者たちは団結しなければならない。そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない。」(P397)と述べて、「労働日」の章を結んでいます。
  マルクスは、「資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動」を持っていること、「労働日」をめぐる闘いは労働者の作りだした剰余価値をめぐっての “形を変えた”階級間の争いであること、だから、労働者の団結した闘いが必要であること、「最初の工場法の制定以来、今ではすでに半世紀が流れ去って」やっと労働者を守る「超強力な社会的障害物」を勝ち取ることができたことを「繰り返し言っています」。そして、工場監督官報告書の言葉を借りて、標準労働日の確定、労働時間の短縮が、労働のため以外の自分自身の目的のための時間を与え、「ある精神的なエネルギーを彼ら(労働者)に与え、このエネルギーは、 ついには彼らが政治的権力を握ることになるように彼らを導いている」(P398)ことが述べられ、労働時間短縮の重要性を確認しています。
 こ のように、マルクスは『資本論』の「労働日」の章で資本主義社会における「労働日」の意味を明らかにし、イギリスで勝ち取られた「工場法」という「一つの 国法」の成立過程とその歴史的意味を明らかにし、労働者が団結して「工場法」を資本の横暴を妨げる「超強力な社会的障害物」として「強要」することを訴え ています。
 今、 『資本論』の「労働日」の章を読んで、「社会的バリケード」に関して、私たちが学ぶべきことは、このような資本の本質をしっかり摑み、労働者の団結の重要 性、団結した力で要求を実現することの重要性をしっかり学び、労働者の団結を組織して資本主義的な生産関係を変えることこそが、問題の真の解決の道である ことを学ぶことです。
 だから、『賃金、価格、利潤』でも、労働日の制限についての「超強力な社会的障害物の強要」の必要性につい て、「このように全般的な政治活動が必要であったということこそ、たんなる経済行動のうえでは資本のほうが強いことを立証するものである。」(国民文庫 P84)と、マルクスは述べているのです。
 不破さんは「社会的バリケード」をかちとり、「ルールある資本主義社会」へ道を開いてゆくことが、日本の勤労人民の肉体的および精神的再生であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだといいます。「ルールある資本主義社会」が「日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道」だなどということは、「奴隷制を基礎としながら自由」(『賃金、価格、利潤』国民文庫P54)を保障するのと同じです。マルクスは、そんな戦いは「全面的に失敗する」と言っているのです。このように、不破さんの言う「社会的バリケード」とマルクスのいう「社会的障害物」の位置づけは180度異なります。現に、80年代以降、不破哲三氏に導かれた日本共産党は、急速に力を失い現在に至っている。これは、70年代以降の日本資本主義の危機とそれへのグローバル資本の対応を正しく見て、その曝露と未来への展望をうむことなく国民に示すという、前衛党として当然のことをまったくしていないからです。この事実こそ、不破さんが『資本論』から何も学んでいないことの確かな証明だとしたら、あまりにも悲しい。

おまけ

参考に「終局目標」をつねに念頭においた闘いの重要性を述べたレーニンの著作を紹介します

青字は原典で異字体のものです
 「………ゼムストヴォと政治的自由との関係の問題は、改良と革命の関係についての一般的問題の特殊な場合である。そしてわれわれは、この特殊の場合において、流行のベルンシュタイン理論の狭さと愚劣さをあますところなく見ることができる。この理論は、革命的闘争を改良のための闘争でおき換え、(たとえば、ベルヂャーエフ氏の口を借りて)「進歩の原理は、良くなればなるほどそれだけ良い、ということである」と宣言している。一般的形態においては、この原理はその反対の原理──悪くなればなるほどそれだけ良い──と同じようにまちがっている。もちろん、革命家はけっして改良のための闘争を拒否しないだろうし、たとえ重要でない、部分的な敵の陣地であっても、もしその陣地が革命家の攻撃をつよめ、完全な勝利を容易にするなら、それを占領することを拒否しないだろう。だが、彼らはまた、敵自身が、攻撃者を分裂させていっそうたやすく粉砕するために、一定の陣地をゆずりわたすばあいもしばしばあることを、けっしてわすれないであろう。彼らは、「終局目標」をつねに念頭におき、「運動」の一歩一歩と改良の一つ一つを全般的な革命闘争の見地から評価してはじめて、運動が誤った歩みを取ったり、恥ずべき誤謬に陥らないように保障することができるということをけっしてわすれないであろう。
(第五巻 P65「ゼムストヴォの迫害者たちと自由主義のハンニバルたち」1901年6月に執筆) 緑色の字は青山による。