4-5

☆不破さんは、エンゲルスが「生産関係を小経営の延長とみるわけです」

    とエンゲルスを歪曲し、エンゲルスを侮辱している。

  1. エンゲルスは「生産関係を小経営の延長」となどみていない
  2. マルクス・エンゲルス・レーニンの認識の仕方
  3. その他の不破さんの謬論について 

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  不破さんは『前衛』No904(2014年1月号)で、「エンゲルスは、取得形態という角度から生産関係をとらえているのですが、それ(生産関係──青 山)を小経営の延長とみるわけですから、はじめから資本家による労働者の搾取を外したところで、生産関係を規定づけている」(P102)と、まるでエンゲルスが「中世に住む」無知蒙昧な人間であるかのように述べています。

エンゲルスは「生産関係を小経営の延長」となどみていない

 まずはじめに、この文章のキーとなっているのが「生産関係を小経営の延長とみるわけです」という言葉なので、この点から見てみましょう
 エ ンゲルスは『空想から科学へ』で「中世の同職組合の親方が現代のブルジョアに発展していったのに比例して、同職組合の職人と同職組合に属さない日雇い労働 者はプロレタリアに発展していった」(新日本出版P20)ことを述べ、P50で「小経営」が「資本主義的生産様式」に発展していくことを述べています。不破さんがこれらの言葉をとらえて、「それ(生産関係──青山)を小経営の延長とみるわけです」と言っているのだとしたら、とんでもない曲解です。「延長」と「発展」とでは「質」が違います。エンゲルスは、物事を歴史的、発展的にみているのです。

マルクス・エンゲルス・レーニンの認識の仕方 

  マルクス・エンゲルス・レーニンは、現在の社会は「新たな社会の形成要素と古い社会の変革契機」とを含んで存在するという認識を常に持っていました。そして、「マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を、(α)歴史的にのみ、(β)他の諸命題と関連させてのみ、(γ)歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察する」(レーニン、全集第35巻P262~263『111イネッサ・アルマンドヘ』)ことを要求しています。
 詳しくは、HP「☆マルクス・エンゲルスの大事な発見」の「Ⅰ、マルクス・エンゲルスは人類史の流れを解明した」を参照して下さい。
 こ れとは対照的に、不破さんは、マルクス・エンゲルスが生きた時代の「恐慌」やレーニンが生きた時代の「帝国主義」を「歴史的に」に見ることができず、マルクスやエンゲルスやレーニンを非難し、嘲笑します。そしてここでも、物事を「発展」的に見ることができません。「4-8」でも、不破さんは、「プロレタリアートとブルジョアジーの対立」は「資本主義の発生の時点から」あるのに、事態の発展のなかで明るみに出るのは矛盾だと、自分の理解力のなさを根拠にエンゲルスを誹謗しています。このような〝観念論〟に立脚しなければ、不破さんの論理は成り立ちません。不破さんの論理はマルクス・エンゲルス・レーニンの主張を歪曲し、間違いと決めつけるところからはじまります。実に悲しいことです。

その他の不破さんの謬論について

その他の不破さんの謬論について
 不破さんが、エンゲルスは「取得形態という角度から生産関係をとらえている」と曲解している点については、次のページ「4-6 ☆不破さんは、エンゲルスが「取得形態という角度から生産関係をとらえている」とエンゲルスを曲解している」を参照して下さい。
 また、「資本家による労働者の搾取を外したところで」資本主義的生産関係をみているという、無茶苦茶な暴論については、その次のページ「4-7☆エンゲルスは「「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者の搾取」を見ない」という、不破さんの暴言」を参照して下さい。