☆エンゲルスは「「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者
の搾取」を見ない」という、不破さんの暴言。
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不破さんは『前衛』No904(2014年1月号)で、「エンゲルスは、取得形態という角度から生産関係をとらえているのですが、それ(生産関係──青 山)を小経営の延長とみるわけですから、はじめから資本家による労働者の搾取を外したところで、生産関係を規定づけている」(P102)と、まるでエンゲ
ルスが「中世に住む」無知蒙昧な人間ででもあるかのように言っています。
不破さんはこの文章の中で、三つ、エンゲルスの考えを歪曲して誤ったレッテルを貼っています。HP「不破さんの思い違い」4-5では、この文章のキーとなっている「生産関係を小経営の延長とみるわけです」という不破さんの非弁証法的な決めつけ、エンゲルスの歪曲について見ました。4-6ページでは、エンゲルスが「取得形態という角度から生産関係をとらえている」という、あたかも、エンゲルスがマルクス・エンゲルス・レーニンの思想、科学的社会主義の思想を知らなかったかのような、不破さんの驚くべきレッテル貼りについて見てきました。
最 後に、エンゲルスが「資本家による労働者の搾取を外したところで、生産関係を規定づけている」という、これまた、エンゲルスがマルクス・エンゲルス・レー
ニンの思想、科学的社会主義の思想を知らなかったかのような、不破さんの驚くべきレッテル貼りについて見てみましょう。
反論するのもばかばかしいようなレッテル貼りですが、科学的社会主義の初級学習の復習のつもりでお読み下さい。
不破さんは、エンゲルスが「取得形態という角度から生産関係をとらえてい」て、「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者の搾取」を見ないという。
それにしても、不破さんの言うとおり、エンゲルスが「取得形態という角度から生産関係をとらえてい」て、「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者の搾取」を見ないとしたら、とんでもない馬鹿で、脳みそのない生きもの以下ですね(これは、不破さんのことではありません。誤解しないで下さい)。そんなエンゲルスをマルクスは『経済学批判』(序言)で、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』で、互いに「天才的」と認め合っています。
マルクスは、ヴァイデマイヤーあての手紙 (1852.3.5)で、マルクスが新しくやったこととして、1史的唯物論の発見、2階級闘争は必然的にプロレタリアートの独裁に導く、3この独裁は、 いっさいの階級の廃止と無階級社会への通過点に過ぎないということを明確に述べいます。
エ ンゲルスがそのこと──マルクスが新しくやったこと──をまったく知らずに、「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者の搾取」を見ず、マル クスとずうっとコンビを組んできて、科学的社会主義についての労働者向けのパンフレットである『空想から科学へ』(1882年)を執筆したとき、その出版
にあたり、マルクスが巻頭の言葉を書くとしたら、彼らはいったいどんなコンビだったのでしょうか。
不 破さんが、もしかして、「取得の資本主義的形態」と「生産の社会的性格」とをエンゲルスが資本主義の「根本矛盾」と言っており、「生産の社会的性格と取得 の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえるので、「資本家による労働者の搾取」を見ていないと言っているだとしたら、お門違いも甚だし
いとしかいいようがありません。
不破さんは、どこでエンゲルスが「資本家による労働者の搾取を外したところで、生産関係を規定づけている」ところを発見したのか
『空想から科学へ』をよんで、エンゲルスが「資本家による労働者の搾取を外したところで、生産関係を規定づけ」、「取得の資本主義的形態」のうちに「資本家による労働者の搾取」を見ていない箇所を発見できたら、その人はノーベル「矛盾」賞まちがいなしです。そして、その人が『空想から科学へ』を古典教室の教材に使うとしたら、その人が『空想から科学へ』を教材に使う目的は、エンゲルスの価値を低め、『空想から科学へ』を台無しにすること以外、その目的をみつけることは困難でしょう。