資本主義的生産様式の社会の仕組み
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〈目次〉
プロローグ…〝逆境の資本主義〟
資本主義的生産様式の社会の仕組み
①〝資本〟の役割
②経済的「財産」の私的占有がもたらす矛盾
③企業を金儲けの手段として組織する社会がもたらすもの
④どんな「改善」をしても、「賃金奴隷」は賃金奴隷
⑤〝資本〟そのものが相対的過剰生産の芽を育み、生産力の発展を制限する
⑥資本主義的生産様式がもたらす社会のゆがみ
〝逆境の資本主義〟
☆2020年の1月に始まった『日経新聞』の「逆境の資本主義」という連載の先行インタビューで、岩井克人氏は先進資本主義諸国を「米英型の自由放任で株主主権的な資本主義」と「様々な形の規制をもちステークホルダーの利害を調整する日独型」(日経HP2019/12/28)とに分類していますが、「米英型」の新自由主義に基づく国は言うにおよばず、いわゆる「福祉国家」──それは、現在の「共産党」が目標とする「ルールある資本主義」の国──も、2020年に開かれた第28回「共産党」大会の決議案の報告で当時委員長だった志位さんが「OECD諸国には、わが党がめざす『ルールある経済社会』に近い到達点をもつ国ぐにもありますが、そういう国ぐにも含めて、ほぼ例外なく格差が拡大し、現代の資本主義社会は、貧富の格差が史上最悪となっているのであります」と告白しているように、当時も今も、あらゆる「型」の資本主義国で「貧富の格差が史上最悪」となり、〝逆境〟にあります。
「資本主義発展論」(不破さん発案の〝資本主義は発展し続ける〟というデマ)(*)に「幹部」が変節してしまった現在の「共産党」が目標とする「ルールある経済社会=ルールある資本主義」の国さえも「貧富の格差が史上最悪となっている」と委員長が告白せざるをえないように、資本主義的生産様式の社会は、残念ながら、米英もヨーロッパや日本も「経済は国民生活を豊かにするためにある」という社会とはほど遠い状況にあります。(これは、後に見ていきますが、資本主義的生産様式の社会の宿命です。)
そうしたなかで、注目すべきは、「産業の空洞化」の進行が日本よりもよりましな米国において、2016年の米国大統領選の民主党の予備選のとき、バーニー・サンダース氏が「労働者が雇用を失う一方で企業の利潤が拡大するような通商政策を実施したりすべきではない。」(2015年11月19日、ジョージタウン大学での演説)とグローバル資本による産業の空洞化を批判して資本の海外移転を抑制する法制定を主張し、「海外移転の時代は終わり、代わりに国内で良質な雇用を復活させるときだ」と訴え(2016年12月3日付け『赤旗』)、2020年の米国大統領選挙では、民主党の有力候補のエリザベス・ウォーレンが「大企業の取締役の4割を労働者代表から選出」することを主張(jiji.com2019、11、9)するまでになったことです。
2020年当時、「日本共産党」が目標とする「ルールある経済社会」に近い到達点をもつ国ぐにが「貧富の格差が史上最悪」であることを自ら認めているにもかかわらず、残念ながら今(2024年)でも、まだ、「共産党」は「ルールある資本主義」をめざすと言い続けています。
当時、日本資本主義の旗振り役である『日経新聞』までが「逆境」と認めた「資本主義」は、なぜ「逆境」に陥らなければならなかったのか。どうしたら、社会は「逆境」乗り越えることができるのか。資本主義的生産様式の社会とはどのような社会なのか、その「仕組み」をもう一度あらためて見つめなおし、〝経済は社会全体と人々の生活を豊かにするためにある〟という社会は、どのような社会で、どうしたら実現できるのかを、みなさんと一緒に、見ていきたいと思います。
(*)詳しくは、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」を、是非、参照して下さい。
★このページは、資本主義的生産様式の社会の「仕組み」を、ごく大雑把に、見ていきます。
①
〝資本〟の役割
★〝資本〟は自らを拡大するために存在し、資本が大きくなることが生産を拡大させるための条件なので、資本主義的生産様式の社会は拡大再生産を前提として走り続けることなしには存続できない。なお、お金自体は紙切れや金属のかけらで、本来、何の役にもたたない。
☆同じく先ほどの「逆境の資本主義」のインタビュー記事で、グリーンスパンFRB元議長は、「資本主義経済を支えるのは資本投下そのものだ。」(日経HP2019/12/27)と述べていますが、マルクスは『資本論』の第二部「第二一章 蓄積と拡大再生産」の「第一節 部門Ⅰでの蓄積」から「第三節 蓄積の表式的叙述」までで、「消費が資本主義的生産の目的であり推進的動機であって、剰余価値の獲得やその資本化すなわち蓄積がそうなのではない、ということを前提としている」単純再生産のもとでは資本蓄積の条件はなく、単純再生産の前提は資本主義的生産とは両立しないこと、資本主義的生産様式における蓄積の条件が、生産手段の生産部門での「拡大された規模での再生産」以外にないことを論証しています。ここに資本主義的生産様式の仕組みでできた社会の〝宿命〟があります。
なお、先ほどの岩井克人氏のインタビュー記事の中で、氏は「お金自体は紙切れや金属のかけら、電子情報などで何の役にもたたない。」とも言っていますが、マルクスはある個別資本家の「蓄積と拡大再生産」の例を説明する中で、資本主義社会では「一方にある貨幣が他方での拡大再生産を呼び起こす」ことを述べ、同時に科学的社会主義の創設者らしく、「そういうことが行われるのは、そこには貨幣なしでも拡大再生産の可能性があるからである。なぜならば、貨幣はそれ自体としてはけっして現実の再生産の要素ではないからである。」と「貨幣」の姿をとっている「資本」に縛られた資本主義的生産様式の社会を痛烈に批判しています。
★このように、ブルジョア経済学者も「資本主義経済を支えるのは資本投下そのもの」であること、つまり「拡大された規模での再生産」であることを認めるとともに、資本主義的生産様式の社会において魔力を発揮する「資本」(お金)は本来「何の役にもたたない」ものであることも認めています。
※なお、『資本論』の第二部「第二一章 蓄積と拡大再生産」の内容の詳しい説明は、ホームページAZ-3-2 「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説②「『資本論』第二部を読む」を検証する。」を参照して下さい。
②
経済的「財産」の私的占有がもたらす矛盾
★経済的「財産」の私的占有とその拡大に依拠する資本主義的生産様式の社会は、富の偏在を必然にし、市場を狭め、「資本」の投資機会を失わせ、資本主義のエンジンである「資本」そのものが資本主義の障害となり、生産力発展の障害になる。
☆資本主義的生産様式の社会においては、技術革新と生産性のたゆまざる発展のためには、そのための新しい「投資」が、経済の成長にみあって、拡大していかなければなりません。
しかし、その最大の阻害要因となるのが経済的「財産」(資本)の私的占有です。経済的「財産」の私的占有がなければ、その社会で増やした富はその社会を豊かにするために使うことができます。このように、資本主義的生産様式は自ら市場を狭めるだけでなく、より儲かる地域や国があるならば、私的に占有された資本は、富を生みだし増加させた社会(地域と人)との関係など無視して、富の移動を行ない、富を生みだし増加させた地域の富は、容赦なく、抜き取られます。同様に、知的「財産」権も富を増加させた地域と人から富を抜き取る道具として働きます。
その結果、労働力の値段が高い国から安い国へ「資本」は移動し、一方の「資本」の流出国は、国民を豊かにする基盤が失われ、富を創り出すための技術革新と生産性の発展は阻害され、もう一方の「資本」の流入国では、労働者の低賃金が維持され、知的「財産」権にもとづく収奪がおこなわれ、それぞれの国に貧困が集積します。
そして、経済的「財産」を私的占有している者と持たざる者との差は、富の集積の差として現れ、経済的「財産」を私的占有することによって集積された富の一部は社会に回らず、社会に回ったとしてもその多くはマネーゲームや奢侈品の購入に使われ、浪費されます。
★だから、バーニー・サンダースもグローバル資本による産業の空洞化を批判して資本の海外移転を抑制する法制定を主張し、「海外移転の時代は終わり、代わりに国内で良質な雇用を復活させるときだ」と訴えたのです。
☆資本主義的生産様式は、「資本」を大きくするために労働者(国民)の消費能力を抑制します。そして、労働者から搾取したが、当面、儲けるための使い道が見つからず「内部留保」として企業に残ったお金や、銀行に集まっても使われない貨幣は、経済を発展させるうえで役に立たないもの、いや、役に立たないどころか使われないことによって経済に害を与える死んだ貨幣として、需要を抑えて重くのしかかる死んだ富として、資本主義的生産様式の死重として、経済を縮小させ、技術革新と生産性の発展の足かせとなります。
なお、このような生産力の拡大と消費の制限という資本主義的生産様式がもつ宿命による景気の悪化から逃れる手段としてとられているのがインフレ政策です。
③
企業を金儲けの手段として組織する社会がもたらすもの
★企業が金儲けの手段として組織され、政治がそれを助長する資本主義社会は社会全体の豊かな発展を妨げ、「富」と「貧困」の蓄積とその固定化は格差の一層の拡大をもたらし、経済的「財産」の不平等が人間的発達の不平等の主要な原因となり、社会全体の発展のための豊かな基礎を失わせる。
☆社会を豊かにし、人々の生活を豊かにするうえで、その最大の阻害要因となっているのは、少数の経済的「財産」の私的占有者による社会全体の支配です。
そもそも、企業はそこで働く人々とその地域社会、そして国家の現在と未来のためになければなりませんが、企業のステイクホルダーのなかで企業を支配しているのは、企業にお金を「資本」として拠出しているだけの「資本家」たちです。貨幣は、それ自身では新しい価値を生み出す能力などないので、貨幣の「出資者」には拠出した「貨幣」の価値の維持費分だけが保障されればよいはずですが、「資本家」たちは「株主」として、かれらが企業を支配し、企業が社会全体を支配しています。
経済的「財産」の私的占有者が支配する現在の企業には、そこで働く人々やその企業のある地域社会や国家についての現在と未来のあり方などをこれらの関係者自らが確認・協議するための機関などまったくありません。現在の「民主主義国家」の「民主主義」は行政の執行官や議員を選ぶことに矮小化され、社会全体について〝全人民の民主主義的管理を組織する〟ことを通じて社会全体の〝民主主義の完全な発展〟を図るという考えもなければ、その道も、閉ざされています。
★このように経済的「財産」の私的占有者による支配が貫徹している社会であるがゆえに、産業は、第一義的に、お金を儲けるための手段となり、豊かな社会をつくるための道具としての機能は二の次になります。それは、今の日本を見れば、一目瞭然です。日本は「産業の空洞化」が経済と国民の活力を削ぎ、日本社会を危機的な状況に陥らせており、この現状を克服することこそが喫緊の課題です。しかし、財界(資本家団体)がパトロンである自・公政権は、豊かな社会をつくるために企業に「産業の空洞化」の是正を強く要求すべきなのに、企業に儲けの機会をあたえるために、金持ちが行うギャンブルのための施設づくりに莫大な資金──その「資金」は、元を辿れば、労働者の過去の労働の結晶であるが──を注ぎ込んだり、オリンピックや万博などのイベントの開催とそのための施設づくりのために湯水のようにお金をつぎ込み、資本がつくった「産業の空洞化」の対極として増大したサービス業を支えるためのインバウンド消費などに望みをつなぐという、情けないその場しのぎの「施策」でお茶を濁しています。
☆資本主義的生産様式の社会の枠から出ようとしない人たちにそれを求めても、無いものねだりということでしょうが、企業に豊かな社会をつくるための正しい道を歩ませなければ、産業構造はますます歪み、豊かな中間層の出現の余地などなく、社会全体の豊かな発展などありえません。
☆そして、このように経済的「財産」の私的占有者による支配が貫徹した社会は、一方の少数の人たちに「富」が、そしてもう片方の多数の人たちには「貧困」が蓄積し、固定化して、その一層の拡大をもたらします。この経済的財産の不平等が人間的発達の不平等の主要な原因となり、多くの人たちの伸びるべき能力の芽を摘み、個人レベルでの、社会全体の豊かな発展のための広大な基礎を失わせてしまいます。
④
どんな「改善」をしても、「賃金奴隷」は賃金奴隷
★資本主義的生産様式をそのままにした弥縫策は、労働者の生活条件の一時的な改善はあっても、あらゆる「改善」が「資本」を大きくするための手段に変えられ、全体的に「資本」と労働者との矛盾はますます深まっていく。そのことは歴史が証明している。
☆国民の生活条件について、たとえば、賃金について言えば、好景気のときには労働者にも普段より多めの賃金が支払われ、つかの間の安息の時間を過ごすことができますが、儲けが減れば容赦なく賃金は引き下げられ、労働者階級と資本家階級とのイタチごっこのなかで、一方に「富」が、そしてもう片方には「貧困」が蓄積されていきます。
これは、マルクスが論証したことですが、現在の日本はもっと悲惨です。日本はバブル崩壊以降、「産業の空洞化」の進行により労資の力関係は「資本」の側に優位となり、海外生産の一層の推進とそれに伴う国内の雇用の喪失の脅しによって労働者は萎縮させられ、労働者階級は「産業の空洞化」による日本経済の衰退を資本を追い詰めるための武器とすることなく、戦意を喪失させられてしまいました。その結果、これまで五回の景気循環がありましたが、大企業の一部の労働者を除き労働者にも中小零細業者にもその恩恵は及ばず、「つかの間の安息の時間を過ごすこと」すらできなくなってしまいました。これは、マルクスやエンゲルスも思い及ばなかったことです。
なお、トマ・ピケティは『21世紀の資本論』(「21世紀の資本」)で資本収益率(r)>経済成長率(g)ということを実証しましたが、マルクスが『資本論』で、「利潤率の傾向的低下は、剰余価値率つまり労働の搾取度の傾向的上昇と結びついているのである。」(大月版④P301)と述べていることと符合します。
★いまの日本は、好況時の一時的な生活条件の改善さえなく、「産業の空洞化」が円安を招いても政府・日銀にはまったく打つ手などありません。(*)今、日本は、経済も政治も壊れてしまっています。だから、一時的な生活条件の改善をしても「賃金奴隷」は「賃金奴隷」のままですが、その一時的な生活条件の改善さえもできない状況に日本は陥っています。
☆このような「富」の分配の問題だけでなく、資本主義的生産様式の社会は「資本」の儲けのためにある社会ですから、一見労働者や国民のためになりそうに見える「改善」も、「資本」の儲けのためになるように歪められ、人間は置き去りにされてしまいます。労働の省力化のための工夫が労働者の労働密度を高めるための手段に転化してしまいます。「賃金奴隷」は「賃金奴隷」のままなのです。
(*)詳しくは、ホームページ2-1-6「〈資本主義社会〉と〈21世紀に生み出される新しい社会〉との違いのまとめ」の「インフレ対策」の項を参照して下さい。
⑤
〝資本〟そのものが相対的過剰生産の芽を育み、
生産力の発展を制限する
★拡大再生産を前提とする資本主義的生産様式の生産は相対的過剰生産の芽を育み、同時に、資本主義的生産様式における拡大再生産の発展の条件を制限し、生産力の発展を制限する。
☆マルクスは、『資本論』の第二部「第二一章 蓄積と拡大再生産」で、資本主義的生産様式の社会は、まさに貨幣という「資本」が「拡大再生産を呼び起こす」が、拡大再生産がおこなわれるのは、「貨幣はそれ自体としてはけっして現実の再生産の要素」ではなく、「貨幣なしでも拡大再生産の可能性がある」(大月版③P606)ことを述べていますが、これは、資本主義的生産様式のもとでは「拡大再生産の可能性」があっても貨幣が「貨幣資本」として機能しなければ、円滑な拡大再生産の足かせとなるということを意味しています。そして、「信用制度のもとでは一時的に追加的に遊離させられた貨幣がすべてすぐに能動的に追加貨幣資本として機能することになる」(同上P643)ことに論及し、「信用制度」が貨幣を「貨幣資本」にただちに変化させることを述べます。
ここで大事なことは、資本主義的生産様式の社会における拡大再生産は常に「相対的」過剰生産の芽をもっているが、信用制度による「貨幣」の「資本」化と金融の円滑化がその芽を育み、その芽をとめどなく大きく繁らせるということです。(*)
☆同時に、この章でマルクスは、もう一つ大切な指摘をしています。それは、大海原を走り続けるマグロのように拡大再生産し続けることを余儀なくされている「資本」は、より多くの儲けを得るために労賃を抑制することによって自ら消費を減少させる原因をつくるという資本主義がもつ宿命的な矛盾を生み出さざるを得ず、この拡大し続けようする生産と過小な消費能力とのギャップは、なんらかの方法で調整されなければならないということです。
★マルクスは『資本論』の第三部「第一五章 この法則の内的な諸矛盾の展開」で、拡大再生産を義務付けられた資本主義的生産の基での「利潤率の傾向的低下の法則」を導きの糸として、「資本主義的生産様式は生産力の発展に関して富の生産そのものとはなんの関係もない制限」があることを明らかにしました。
資本主義的生産様式の社会は、「利潤率の傾向的低下の法則」により、資本主義が進めば進むほど資本の蓄積は増大し資本の有機的構成が高くなり、「利潤率」は「傾向的」に「低下」します。資本主義が正常に機能し、景気が上向きのときは、利潤率の低下による「利潤」の量の減少を補うための商品の量の拡大は、そのための投資を拡大することによりますます「利潤率」を低下させますが、拡大された商品がまだ売れるので問題は表面化しません。しかし、このような生産の拡大とならんで消費が限界に達すると、「資本」にとっての「過剰生産」が生じます。この時点で「生産力の発展」は「資本」が「資本」として機能しなくなることによって、つまり、「富の生産そのものとはなんの関係もな」い資本主義的生産様式の基での「資本」の事情によって「制限」されます。しかし、「信用制度」が「過剰生産」を一時的に隠蔽し拡大させるために、資本主義的生産様式における「生産力の発展」の歯車が逆回転しはじめるのは少し遅れることになります。
☆これらを踏まえ、マルクスは、この「利潤」の量の最大化を求める「資本」によってつくり出された「生産力の発展」の「制限」について、「この特有な制限は、資本主義的生産様式の被制限性とその単に歴史的な一時的な性格とを証明するのである。それはまた、資本主義的生産様式が富の生産のための絶対的な生産様式ではなくて、むしろある段階では富のそれ以上の発展と衝突するようになるということを証明するのである。」(同上P304)と断言します。
☆このように、拡大再生産を前提とする資本主義的生産様式の生産は、相対的過剰生産の芽を育み、同時に、資本主義的生産様式における拡大再生産の発展の条件を制限します。
(*)なお、このことに目を奪われた不破さんは恐慌の原因を信用制度に帰着させ、「資本主義発展論」に立って「恐慌は、前よりも高い所で経済的発展が進む新しい循環の出発点になる」のだから〝賃金が上がれば経済は発展する〟と吹聴し、「ルールある経済社会(資本主義)」をめざす「そういう闘争を積み重ねるなかでの労働者の自覚の成長・発展を軸に社会変革が日程にのぼってくる」とマルクスを歪曲して、科学的社会主義の思想の変質に努めています。詳しくは、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」及びホームページ4-20「☆『社会変革の主体的条件を探究する』という看板で不破さんが『探究』したものは、唯物史観の否定だった」を、是非、参照して下さい。
⑥
資本主義的生産様式がもたらす社会のゆがみ
★資本主義社会では、社会的に必要な仕事であっても、儲からない、生産性の低い分野や生産性の低い仕事はないがしろにされ、社会は歪み、そこで働く労働者は劣悪な労働条件を甘受させられる。
☆儲かる産業・製品・サービスには「資本」が集中され、生産性も高まる。しかし、それは、「儲かる」からであって、社会として必要な産業・製品・サービスであるからという理由に基づくものではない。資本主義社会では社会が真に必要とするものが供給されるとは限りません。
☆生産性の低い産業・企業の「資本」は、生産性の低さによる利潤率の低下を埋め合わせ「資本」の〝平等なコストパフォーマンス〟を得ようとして労働者の賃金を低く抑えこもうとする。その結果、生産性の違いによる賃金の格差が生まれる。
☆この賃金格差は、同じ資本の投入量から同じ利潤の量を引き出そうする資本主義的生産様式の社会によって引き起こされるもので、労働者の能力・スキルの差によって生まれたものではありません。ひとえに、資本主義的生産様式の社会での生産性の違いによって生まれるものです。
☆このような事情によって、社会的に必要な仕事であっても、儲からない、生産性の低い分野や生産性の低い仕事はないがしろにされ、社会は歪み、そこで働く労働者は劣悪な労働条件を甘受させられます。
☆先進資本主義国では、より高い利潤率を求める元気な「資本」が自国民を捨て、搾取率の高い低賃金の国への資本と雇用の輸出が行なわれます。「資本」はそれらの国で、低賃金はそのままに、一層の利潤の拡大を求めて生産性を高めますが、そのような元気な「資本」と雇用の輸出をしてしまった国にはサービス業等の低い生産性の産業・企業が広範に残り、中間層が薄くなり、全体的な賃金低下とともに賃金格差も拡大し、資本主義的生産様式の基での経済成長が不可能になり、労働者にとって資本主義的生産様式の社会が与えてくれる唯一の恵み──景気循環の好況期でのほんのわずかな恩恵──さえも、労働者に与えることができなくなってしまいます。
★この典型が日本で、資本主義的生産様式の社会の「資本」の行動原理に基づく必然的な結果です。