2-1-1
このページのPDFファイルはこちら
二一世紀はどこに向かって進んでいるのか
〈目次〉
・二一世紀はどこに向かって進んでいるのか
・ダボス会議は資本主義的生産様式をどのように「リセット」しようとしていたのか
・国連は世界をどのように「変革」しようとしているのか
・〝経済は社会のもの〟という〝社会〟はどのように実現されるか
・時代に逆行する米国の「自由」と「民主主義」
・激化する覇権争いとWEFの限界
・いまの社会をしっかり見つめ、次の新しい社会を展望しよう
二一世紀はどこに向かって進んでいるのか
☆今日の世界は、資本主義的生産様式でつくられた国家の集合体で、資本主義的生産様式が世界を覆っています。資本主義的生産様式の社会は、私的「資本」の富が拡大し「資本」が大きくなることを通じて経済が拡大し、社会が発展するという仕組みで作られた社会です。この資本主義的生産様式の社会を支える「自由」と「民主主義」に従って経済活動が行なわれると「富」は富める者の方に集中し、「貧困」は貧しい人たちの方に集中し、「富」の再配分という機能を持つはずの税も企業負担を軽減させて企業の活力を高め企業が競争に勝つために大衆課税の強化への道を突き進みます。これらの結果、構造的な貧富の差が生み出され、格差が蓄積・固着されます。
どうしたらこの難題を解決することができるのか。二一世紀に向かって、世界をどう変えて行けばいいのか。まずはじめに、ダボス会議はこの難題にどのように立ち向かおうとしているのか、そして、国連は世界をどう変えようとしているのか、それらを一瞥し、二一世紀はどこに向かって進んでいるのかを、みなさんと一緒に考えていきたい。
ダボス会議は資本主義的生産様式を
どのように「リセット」しようとしていたのか
★2020年から2022年までのダボス会議を振りかえる。
☆ちょっと古い話になるが、2020年1月21日に開幕した世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)は「持続可能で団結力ある世界を築くためのステークホルダー間連携」というテーマで開催された。
討論会で、米セールスフォース・ドットコムの最高経営責任者マーク・ベニオフ氏は、「我々の知っている資本主義は死んだ」と言い、『日本経済新聞』(以降『日経』という)は、ダボス会議の主題は資本主義の再定義で、企業価値・株主利益の最大化をめざす「株主(Shareholder)資本主義」から格差是正や環境問題への貢献による長期的な成長をめざす「ステークホルダー(Stakeholder)資本主義」への転換を模索しているという。
そして、2020/06/03の『日経』電子版は、「世界経済フォーラム(WEF)は3日、2021年1月に開催する年次総会(ダボス会議)のテーマを『グレート・リセット』にすると発表した」との記事を配信し、WEFを創設したクラウス・シュワブ会長とのインタビューでの同会長の次のような発言を載せています。
曰く、「世界の社会経済システムを考え直さないといけない。第2次世界大戦から続く古いシステムは異なる立場のひとを包み込めず、環境破壊を引き起こしてもいる。持続性に乏しく、もはや時代遅れとなった。人々の幸福を中心とした経済を考え直すべきだ」「次の世代への責任を重視した社会を模索し、弱者を支える世界を作っていく必要がある。」、「自由市場を基盤にしつつも、社会サービスを充実させた『社会的市場経済(Social market economy)』が必要になる。政府にもESG(環境・社会・企業統治)の重視が求められている」と。
そして、二年ぶりに開かれた2022年のダボス会議のテーマは「歴史の転換点:政策とビジネス戦略」で、WEFのシュワブ会長は、グローバル・リーダーと私たち一人ひとりが、ステークホルダー・コミュニティのための行動と協調によってインパクトあるイニシアティブをとり、未来を築いていく必要性があることを強く訴えたという。
このように、2022年のダボス会議までは、現代の資本主義のオピニオンリーダーたちも、「ステークホルダー」のための経済、「人々の幸福を中心とした経済」に世界が向かわざるを得ないことを認めていた。
★なお、『日経』は、「資本主義は「3つのS」が交錯する」として、資本主義を「株主(Shareholder)資本主義」、「ステークホルダー(Stakeholder)資本主義」及び「国家(State)資本主義」の三つに分類していますが、「ステークホルダー資本主義」なるものが、方便ではなく、「ステークホルダー」のための「ステークホルダー」の意志が反映された企業の統治機構への道を開くものであるならば、それは、「ルールある株主資本主義」社会を超えた新しい生産様式の社会に足を一歩踏み込んだものとならざるをえないでしょう。
国連は世界をどのように「変革」しようとしているのか
☆国連は、2015年9月に「国連持続可能な開発サミット」を国連本部において開催し、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択し、貧困や飢餓、エネルギー、気候変動、平和的社会など、持続可能な発展のために2015年から2030年までに達成すべき行動計画の目標として、「持続可能な開発目標(SDGs)」(17の目標と169のターゲットからなる)を定め、2020年1月にSDGs達成のための「行動の10年(Decade of Action)」をスタートさせました。
●17のSDGs(持続可能な開発目標)
目標1(貧困)
あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる。
目標2(飢餓)
飢餓を終わらせ、食糧安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する。
目標3(保健)
あらゆる年齢のすべての人々の健康の生活を確保し、福祉を促進する。
目標4(教育)
すべての人に包括的かつ公正な質の高い教育を確保し、生涯学習の機会を促進する。
目標5(ジェンダー)
ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う。
目標6(水・衛生)
すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する。
目標7(エネルギー)
すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する。
目標8(経済成長と雇用)
包括的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する。
目標9(インフラ、産業化、イノベーション)
強靱(レジリエント)なインフラ構築、包括的かつ持続可能な産業化の促進及びイノベーションの推進を図る。
目標10(不平等)
各国内及び各国間の不平等を是正する。
目標11(持続可能な都市)
包括的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する。
目標12(持続可能な生産と消費)
持続可能な生産消費形態を確保する。
目標13(気候変動)
気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる。
目標14(海洋資源)
持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する。
目標15(陸上資源)
陸上生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する。
目標16(平和)
持続可能な開発のための平和で包括的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包括的な制度を構築する。
目標17(実施手段)
持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活用する。
●「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が示す未来
国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」はすべての人々が等しく恩恵を受けられるような経済・社会をめざし、地球の安定的で豊かな発展を保証する経済・社会の構築という課題を国際連帯のもとで実現するという、二一世紀の私たち人類の進むべき方向を示したものといえます。そしてそれは、個人が金銭的な利益を得ることを通じて「社会の発展を図る」という資本主義的生産様式の社会の「発展の方法」とはまったく異なる〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会の〝発展の方法〟に社会の運営の仕方を変えなければ、実現することはできません。
SDGsの目標は、知的財産権を含む財産権が搾取を合法化し、その搾取を基礎に私的資本が大きくなることを通じ経済の発展を図るという「社会の発展モデル」の社会では実現することはできません。つまり、個人が金銭的な利益を得ることを通じて「社会の発展を図る」という資本主義的生産様式の社会の「発展の方法」とはまったく異なる、〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会の〝発展の方法〟に発展のしかたをパラダイムシフトすることを、SDGsの諸目標は求めているのです。
〝経済は社会のもの〟という〝社会〟はどのように実現されるか
☆それでは、〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会はどのような生産の仕方の社会で、それは、どのようにして実現されるのでしょうか。
資本主義的生産様式の社会は、労働者が生み出した価値(〝富〟)を資本家が横取り(搾取)して、労働者の過去の労働の成果である〝富〟を「資本」というゾンビの姿で蘇らせ、そのゾンビが生身の人間の労働の果実を喰って増殖する、「資本」というゾンビのこのような拡大を通じて経済の発展を図る、このような経済発展の仕組みによって作られた社会です。資本主義社会では「資本」としてゾンビになれず資本家のもとに滞留した〝富〟は、死重として経済の発展を妨げますが、資本家は社会の発展や国民の暮らしなどは二の次にして、内部留保という名のその使い道のない〝富〟を手放すことで社会を豊かにするのに役立てようなど、絶対に、考えず、自分の儲けのためだけに、その〝富〟がゾンビに生まれ変われる日を待ち続けます。
★だから、〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会を実現させるためには、このような、人間の労働の果実を横取りして作られた〝富〟が「資本」として大きくなることによって経済の発展が図られるという、「資本」が経済を動かして社会を発展させる仕組みとこの仕組みを合法化し、これを支えている、今ある、法制度を抜本的に変える必要があります。
つまり、私的所有権(特許権を含む)にもとづく搾取の自由を認める現在の法制度を廃止して、所有権に基づく特権を廃止し、企業と経済を社会(国民)がコントロールできるようにしなければなりません。そして、社会(国民)が、この新しい社会規範に基づいて企業と経済をコントロールしていくことが必要です。
☆企業を社会が(国民)コントロールするためには、企業統治のあり方を〝企業は社会のもの〟という考えが実現できるように抜本的に変革しなければなりません。つまり、その企業で働く労働者や地域社会の代表者が企業経営に参加して〝企業は社会のもの〟という企業をつくる必要があります。こうしてはじめて、真の「ステークホルダー」である社会のための企業ができ、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」も実現することができ、〝経済は社会のため、国民のためにある〟という社会が実現されます。
★これらの一連の変革は、企業の所有権が個人から社会に移るなどということなどとは、根本的に異なります。企業の所有権が個人から社会に移っても、資本が増殖することによって経済が発展するシステムが残っていれば、資本主義は生き続けます。
時代に逆行する米国の「自由」と「民主主義」
☆しかし、いまだ世界のリーダーとして振る舞っている米国の政治・経済のメインストリームの人たちの考えは、上記のような考えとは根本的に異なります。
★ホームページ6-3-6「第二回テレビ討論を終えて──2020年米国大統領選挙と米国のこれからの四年間──」でも見たように、医療保険政策をめぐるバイデン氏とトランプ氏のやり取りは、米国における「自由」の意味を明らかにしています。
二人とも、金儲けは自由で、自由に儲けた金でその支払能力に合う医療保険を選ぶのは自由だと考えており、命にかかわる治療が金のあるなしで変わり、生命の維持という最も大切な基本的人権がお金で左右されることを「保険を選ぶ自由」であり「保険事業を行う自由」だといって、国民みんなが必要な医療を受けることのできる制度を否定します。そしてトランプ氏にいたっては、そのような制度を求めることを社会主義だとまで言って非難し、民主党の中道派(中道派?)もジョージア州の上院の決戦投票にあたって、──国民皆保険をいうと社会主義者だという攻撃を受けるから言うな──などといって左派に圧力をかける始末です。
このようなお金に裏付けられた「自由」に基づいて、高学歴(*)な一群と学歴の低い一群が再生産され、高所得者の一群と低所得者の一群が再生産されて、これらの結果、社会の格差と社会の分裂は深刻さを増し続けています。
(*)最近(2024/04/09)のブルームバーグの報道によると、アイビーリーグ(有名私立大8校)の次年度の学費は9万ドル(約1400万円)を超える見通しで、米国の平均的な世帯収入を優に上回るとのことです。
★また、米国の企業における経営者と従業員の関係は「Employment-at-will」(任意に基づく雇用)を原則として双方の「自由」意志に基づく雇用関係があるだけで、労働者が企業の「ステークホルダー」の一員として企業経営へ参画するための民主的なルールなど、もちろん、ありません。そして、米国の「民主主義」は、金権と歪められた事実、そして、ゲルマンダリングな選挙制度を基礎とする政治の中にあるだけです。米国の「民主主義」は、資本主義的生産様式という搾取の社会を覆い隠し、糊塗して、国家の合法性を演出するためのエセ「民主主義」とでもいうべきものでしょう。これは、日本も同じですが、資本主義的生産様式の社会のエセ「民主主義」の特徴は、民主主義が社会全体に組織されているのではなく、「民主主義」が政治支配の道具として「資本」のための政治を遂行するために、政治のなかに歪んだ形で取り入れられているだけに過ぎないという点にあります。
資本主義を純粋に実行するための〝新自由主義〟の象徴的存在であるマーガレット・サッチャーは、「社会などというものは存在しない。存在するのは男、女という個人だけだ」という名言を残しましたが、米国は、いまだに、「社会」に目を向けるものに「共産主義者」のレッテルを貼って時代遅れの「米国」を維持し、世界の覇権を握り続けようと必死になっている人たちによって支配されています。
☆このように、米国は、いまだ、時代に逆行する資本家の利益のための偽物の「自由」と「民主主義」が政治・経済のメインストリームとなっており、「民主」と「共和」の〝政争ごっこ〟の中で絶対に変わることのないエスタブリッシュメントこそが多くの米国人が漠然と抱く「陰謀」疑惑の真犯人として政治を牛耳っています。対外的には、「民主」と「共和」の両党は、米国の資本家と資本主義の利益を守り米国の覇権を維持するために、役割分担よろしく、G7各国を脅したりすかしたりして、経済覇権をめぐって中国と、軍事覇権をめぐってロシアとのたたかいの戦線の強化に努めています。
激化する覇権争いとWEFの限界
☆あらためて世界を見ると、軍事面では、米国による軍事覇権の追求が一貫して行なわれ、バイデン政権によって世界中で米国主導の軍事同盟の強化と軍事ブロック化が巧妙に押し進められ、国際関係の緊張を高めています。
けっして認めることのできないロシアのウクライナへの軍事侵攻も、この米国の軍事覇権の追求と無関係ではありません。ウクライナでは、2014年のマイダン革命以降、当時、オバマ政権の副大統領であったバイデン現大統領は、ウクライナへの米国の軍事支援やNATOの拡大に積極的な姿勢を示し、それと符合を合わせるように、ウクライナの政権はミンスク合意を反古にして、親ロシア武装組織との内戦を仕掛け、アゾフ大隊によるロシア系住民への虐殺を容認し、その結果、双方で合わせて1万4千人もの若者の死者を出すまでに至ってしまいます。これらに業を煮やしたロシアは、2022年2月、「特別軍事作戦」という名のウクライナへの乱暴な軍事侵攻を開始します。また、中東のガザにおいては、米国の軍事覇権を後ろ盾に米国からの武器弾薬の供給をうけるイスラエルは自制心などかなぐり捨てて、パレスチナの人たちへの蛮行・暴虐の限りを尽くしています。
☆一方、経済面では、先進搾取国(G7)が安い労働力の搾取を求めて積極的に中国に進出した結果、将来の米国の経済覇権が危惧されるまでに力をつけてきた中国経済にたいし、この中国の経済力をくい止め、米国の経済覇権を維持し強化するため、米国は、「安全保障」を口実にして中国との先端技術と重要資源のデカップリングを進め、同時に、米国の影響力のある国々の政府と企業に対し硬軟両面の手段を使って米国への先端技術や工場の囲い込みを行なっています。
★2020年から2022年までのダボス会議では、米国のトランプ政権の終焉による安堵感とその反動としてのバイデン政権への幻想から世界の前向きな前進への期待感に満ちたものでしたが、上記の様な事態が同時進行するなかで、ダボス会議から21世紀の世界への希望のメッセージは消え去り、世界の混迷を反映するものとなりました。
WEF(世界経済フォーラム)は2023年のダボス会議のテーマを「分断の世界における協力の姿」とし、WEFの「グローバルリスク報告書」は「ポリクライシス」(異なるリスクが互いに影響し合い、複合的な影響や予期せぬ結果を生むという概念のこと。)と「資源競争」の2つを重要な焦点として掲げ、会議は、現在の地球規模の課題とリスクを解決するための新たなシステムとビジョンを模索したといいますが、世界の前向きな前進への期待感は影を潜めています。
そして、2024年のダボス会議ではテーマを「信頼の再構築へ」とし、①分断された世界における安全保障と協力の実現、②新しい時代の成長と仕事の創出、③経済と社会を牽引するAI、④気候、自然、エネルギーの成長戦略の4つを主なテーマとして開催されましたが、『グローバルリスク報告書2024年版』によると、グローバルリスク・コンソーシアムの1,400名を超えるメンバーの3分の2が、今後10年の間に多極化または分断化した秩序が形成され、中堅国や大国が新たなルールや規範を争い、設定し、また強制するであろうとの予測をし、地球規模の喫緊の課題への協調がますます不足する可能性があり、リスクに対処するための新たなアプローチが必要であるとの指摘をしているとのことです。
☆このように資本主義国どうしの覇権争い(*)が激化するなかで、WEFは会議のテーマを「信頼の再構築へ」と掲げても、必要な「新たなアプローチ」など見つからず、なすすべがありませんでした。一日も早く、あれこれ「理屈」を付けて金儲けだけを追求し続けることをやめない資本主義的生産様式の社会が世界を覆い人と地球を滅茶苦茶に破壊し続けているのを、終わりにしなければなりません。
※なお、2023年、2024年のダボス会議の内容は、HP「jp.weforum.org」等に依拠しています。
(*)ここで、「資本主義国どうしの覇権争い」というのは、ロシアは言うに及ばず、中国も「資本主義的生産様式の社会」を「中国共産党」が政治的にリードしている国であり、紛れもない資本主義国だから、このように表現いたしました。
いまの社会をしっかり見つめ、次の新しい社会を展望しよう
☆これまで見てきたように、二一世紀に生きる私たちの向かうべき途は、〝経済は社会のため、国民のためにある〟というあたりまえの考えを前提にしています。〝経済は社会のため、国民のためにある〟というあたりまえの考えは、人類共通の利益になるだけでなく、地球からも熱望されています。
★しかし、資本主義国どうしの覇権争いは激化し、「信頼の再構築へ」の「新たなアプローチ」を見つけるどころか、世界の溝は深まるばかりです。資本主義国は、どうして相手を「打ち負かせ合う」ことしかできないのか。なぜ、互いに支え合う世界をつくることができないのか。このページ群2「 二一世紀はどこに向かって進んでいるのか」は資本主義的生産様式の社会をより詳しく丸裸にして、この資本主義的生産様式の社会が生み出すであろう〝経済は国民のため、社会のためにある〟というあたりまえの考えが実現する社会とはどのような社会なのか、そしてそのような社会はどのようにして生み出されるのか、そして、誰が歴史を動かし、前に進めるのか、そのことをみなさんと一緒に探究していきたいと思います。
☆いま、私たちは、「力」の支配する世界から〝正義〟の支配する世界への人類史の転換点に立っています。資本主義的生産様式の社会は、人類史の中で、階級社会としての最後の社会です。そして、階級社会は「力」が支配する世界であり、〝野蛮の時代〟の社会です。来たるべき〝正義〟の支配する、マルクスのいう〝結合労働の生産様式〟(『資本論』第三部第三六章、大月版⑤P783)の社会は、レーニンのいう〝民主主義の完全な発展──すなわち、あらゆる国事への、全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展──〟を実現させることによって、〝文明の時代〟の社会への幕を開けます。
★階級社会を終わらせて、「力」の支配する世界から〝正義〟の支配する世界へ、〝文明の時代〟への幕を開けるために、Let's Go!
*旧ページ:2-1-2「 二一世紀はどこに向かって進んでいるのか(その2):SDGsが実現される社会とは」は、このページに統合いたしました。